白い愛の戦士(オウム真理教)

登録日:2015/02/10 Tue 21:02:10
更新日:2023/05/14 Sun 18:06:40
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君たちはハルマゲドンが起きたら戦争に出るんだ



白い愛の戦士とは、1994年にオウム真理教が養成した行動部隊のこと。

概要

簡単に言うと、オウムが自前で創設した戦闘部隊のようなものである。
麻原の企てた『日本シャンバラ化計画』の主要的な役割を果たす予定だった。

結局その目標は失敗したが、教団の武装化の中で多くの犯罪に関わった。

設立の経緯

麻原彰晃は政界進出の欲望を抱いた。

彼は大きくなった自身の宗教団体が、政界でもその力を発揮できるとでも思ったのだろうか。
1990年の第39回衆議院議員総選挙の時、彼を党首として政治団体『真理党』を設立した。
彼は、選挙においてある程度の議席は確保できるだろうという謎の自信を心に秘めていた。

しかし現実はオウムには甘くは無く、選挙では議席0という大敗を喫する。

ところが、麻原はこの現実を直視できなかったようである。
彼は、国家権力やマスコミによる陰謀論を突如として唱え始める。

やがて麻原は、『国家権力を握るためには選挙では無理』という結論に至る。

ここにきて、日本では考えられないような出来事『クーデター』の実行。
つまり、武力による国家掌握の計画を考え始めたのだった。

そんな訳で、オウムは教団の戦闘員が必要となったわけである。

人材の調達・教育

意外なことに、人材の確保はそう難しいことでは無かった。

オウムとしても、人材を確保できるルートはあったわけだ。
そう、ホームレスなどの人々を視野に入れたのである。

16,000円の日当で、映画へエキストラ出演』という待遇で、新宿やあいりん地区の日雇い労働者やホームレスを勧誘した。
その結果、約50人という数の人々がその誘いに手を出してしまった。

集まった人々を映画撮影のために必要な合宿であると偽って、和歌山県串本町の休校中の学校に連れてきた。
そこで映画撮影に必要ということで、戦争関係のビデオを見たり、体力トレーニングを実施していた。
戦闘員養育の目的を『戦争映画の撮影』ということで誤魔化していたのだった。

その合宿の途中で巧みにオウムの名前を出していった。
そして、参加者の社会に対する不平不満や被害者意識、憎しみをオウムは利用したのだ。
その憎しみの募る心に対して、マインドコントロールや思想教育を実施するのであった。

そんな訳で、最終的に30人を出家させることに成功した。

この数字は、参加者の6割といった数に至った。
この事実は麻原を喜ばせ、彼らにご褒美としてオウムの教義では食べてはいけないはずの焼肉を食べることを許可した。

信者となった彼らは、早速訓練を受けることとなった。

白い愛の戦士には迷彩服が支給され、教団の省庁である「新信徒庁」付となった。
彼らは麻原の警護担当者らとともに、静岡県熱海市の信者所有の山林で、特訓を行った。

2~3日間は人に見つからないように潜伏する訓練。
そしてエアガンでのサバイバルゲームを毎月のように繰り返す日々。
長野県の雪山での夜間行軍。
ついには、オウムが勢力を広めていた当時のロシアへ飛び立ち、実銃による射撃訓練を行った。

ところが、学校で行っていた戦闘訓練は70日程度で頓挫することとなった。
何故なら、訓練場となっていた学校が立ち退きを要求されたためである。

よって、この訓練もかなり滑稽な物にも映る。

しかし、一概に白い愛の戦士を馬鹿にすることはできない。
彼らに対して、本格的な戦闘指導を行える人間がいたのだ。

白い愛の戦士の中には『コーチ』と称される人がいた。
そのコーチと称された人間は、かつて自衛隊のレンジャー部隊に所属していた人々であり、その彼らが訓練を施していた。

なので、ある程度は恐ろしい部隊だったことは間違いない。


目標

白い愛の戦士として集められた人々は、当初はなぜこのような訓練をしているかは分かっていなかった。
しかし、彼らはやがて白い愛の戦士の目的を知ることとなる。

1995年の『真理元年』。
1996年に始まると麻原が説いた『第三次世界大戦』。

その酷い妄想を実行することが、この部隊の目的であった。
そして、麻原の一番の目標であった『11月戦争』の達成である。
その計画の内容は、以下のようなものである。

1995年11月の国会開院式に乗じて、教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布。
天皇・閣僚・国会議員を含む東京都民を大量殺戮する。
その間にもヘリで全国を飛び回り日本各地の主要都市にもサリンを散布し、日本列島全体を混乱させる。


この計画の中で、白い愛の戦士は国家機能が消滅しているであろう首都圏で行動する計画だった。
白い愛の戦士は、どうやら国会を占拠して新政権を樹立させるという役割を任されていた。

なお、元傭兵で作家の柘植久慶によると「数人がAK47自動小銃を持ち、他はトカレフなど拳銃」
という程度の武装でも120人~200人ほどで会議中に突入すれば十分に国会の制圧は可能であったという。*1

この馬鹿げていながらも恐ろしい計画の実行のため、白い愛の戦士は教団内の非合法部隊として、多くの犯罪に関与することとなった。


結末

この政権掌握計画がどうなったかは、大体想像がつくだろう。

当然ではあるが、一連の計画は実行することなく失敗した。
一番の目標であっただろう11月戦争も、1995年3月の警察による強制捜査により頓挫した。


白い愛の戦士は、教団の崩壊とともに消滅した。





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最終更新:2023年05月14日 18:06

*1 1995年当時の話であり、現在は同時多発テロなどもあってこれだけでは難しいと思われる。