F-4

登録日:2014/12/04 (木) 17:30:35
更新日:2023/12/11 Mon 07:28:54
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F-4EJ改(第301飛行隊所属機)*1

F-4は、アメリカ合衆国のマクドネル・エアクラフト*2が開発した艦上戦闘機である。愛称は「ファントムⅡ」。
が、先代ファントム*3が如何せん影が薄すぎるため、戦闘機で「ファントム」と言えばだいたい本機を指すことが多い。
艦上戦闘機として開発されながら、空軍での採用実績のほうが多かったりする。
西側諸国で運用された戦闘機としてはF-86やP-80に次ぐ生産数を誇る。


性能諸元

全長:19.20m
全高:5.02m
翼幅:11.71m
翼面積: 49.2㎡
空虚重量:13.76t
運用時重量:18.83t
エンジン:GE J79-GE-17Aターボジェット 2基
最大速度:マッハ2.23/高度12,190m
巡航速度:940km/h
実用上昇限度:18,975m
兵装類機外最大搭載量:7.26t
兵装:M61A1 20mmバルカン砲1門(弾数639発、機首固定)
   胴体下ステーション(半埋込式)にAIM-7 スパロー最大4発
   主翼下パイロン4箇所/胴体中心線下のオプションマウント1箇所に各種装備(各種ミサイル、爆弾、電子装備、増槽等)を懸架可能


開発経緯

1954年中頃のこと。米海軍は全天候型艦上戦闘機の提案要求を出す。これに対し各メーカーが名乗りを上げ、最終的にマクドネル*4が試作機建造を勝ち取った。
ただ、この時点では海軍側の要求が不明確で、とりあえずのものでしかなかったが。

その後、海軍から「半径250海里で2時間以上の戦闘哨戒が可能な艦上防空戦闘機」という要件が提示される。
マクドネルでは20mm機関砲4門を装備した航空格闘戦も可能な機体を想定していたが、海軍は「スパロー4発の装備だけでおk」と一蹴。
当時の軍用航空機運用・開発の主流だった『ミサイル万能論』によるものだが、これがただの楽観でしかないことは後に明らかになる。

1958年5月27日に試作初号機《XF4H-1》が初飛行を行い、降着装置のトラブルに見舞われたものの恙なく飛行を終えた。
6日後に行われたヴォート社のF8U-3の初飛行後に比較審査が行われ、双発エンジンの搭載力を評価された本機が採用を勝ち取り、以降は海軍並びに海兵隊の該当セクションに配備されることとなる。

その後、コストカットの鬼として有名なロバート・マクナマラ国防長官(当時)が

「お前らホイホイ新型機作り過ぎなんだよ。金の無駄だから海空で機体を共用させてコスト削減するんだよ、あくしろよ」

と圧力をかけまくったことにより、空軍も嫌々ながら本機を運用することとなるが、何だかんだでお気に入りとなったらしく生産を渋るどころか逆に追加の大量発注をかけた模様。


特徴


艦隊防空と哨戒を主眼に置いているだけあって、なんと無補給で最大4,260kmと、とにかく航続距離が長い。
これは、胴体内に6個と主翼内に2個の燃料タンクを持ち、さらに胴体下部と主翼下に増槽を懸架できるため、最大3,370ガロンもの燃料を搭載できるからだ。
さらに機体規模から見ればかなり大型の主翼(先端に上反角が付いているのが特徴)のおかげで旋回性能も良好と、飛行性能に関しては今なお一線級。
この主翼は艦上機として離着艦性能を維持するために設計されたのだが、そのおかげで哨戒/迎撃用ミサイルキャリアーとしての基礎設計にもかかわらず、高推力重量比/亭翼面荷重の恩恵で格闘戦まで平然とこなす万能機になれる驚きである。

機首にはこれまた当時の機体の郡を抜く探知距離を誇る大型のレーダーを内蔵し、連動するスパロー運用能力を持たせ、長距離先制攻撃能力を得た。
エンジンも軽量高出力の双発型のため、機動力を保ちつつ重武装が可能。推力は当時のものとしては群を抜いている。
さらに各種対空対地兵装を最大7.26t装備可能で、これまた当時としてはぶっ飛んだ搭載能力。
当初は航空機関砲を固定装備に持たなかったが、ガンポッドの装備で補えるとされていた。
艦上機として航空母艦からの離着艦に耐えうる強度が必要とされたため、構造も極めて頑強。
この辺が初飛行から60年近く経っても現役な理由の一端を担っているのだろう。

試作当時は太い胴体と大きな主翼が超音速戦闘機のトレンドからズレていたため、関係者からは「みにくいアヒルの子」とささやかれていた。
が、スマートではないが「味がある」デザインだとして、本機のファンを公言するミリヲタは結構いたりする。

なお、海軍機と空軍機では要求スペックが微妙に異なる。
本来は運用する機体が違ったり、書類上の機種は同じでも多岐に渡る細部の変更で実物はほぼ別物化している場合が多い。
海軍機は滑走路の面積や運用数を限られる空母の都合上、高い離着陸性能(着地時の強度とか滑走距離等)や汎用性(対空のみならず対地もこなせる戦闘爆撃機等)を重視する。
一方で空軍機は滑走路にも余裕があるし運用数もほぼ無限なのでそんなの考えず、戦闘力や機能面、特定運用の特化機を複数種生産・運用することで結果として高いコストパフォーマンスで全体の戦力増強を図るのである。

そのため、海軍仕様との互換性(&コストパフォーマンス)を保つために大がかりな改修は行えなかったファントムだが、異例にも特にこの件に関して不満は出なかったらしい。

まあ、軍全体で見た場合、空軍機を海軍機として使えというならともかく、海軍機特有の離着陸性能が高く汎用性が高いということは、陸上での運用は効率こそ悪いが柔軟性のある運用も見込めるということだし、何だかんだWin-Winだったのだろう。

なお安定性よりも機動性を重視した関係で操縦に独特の癖*5があり、
自衛隊でファントム搭乗経験を持つパイロットみんな口を揃えていうのは有名な話。
それでも「未亡人製造機(ウィドウ・メーカー)*6」の蔑称を貼られるには至ってはいない…多分。


戦歴

ベトナム戦争で初陣を飾る。当時はレーダー捕捉段階で敵視界外からミサイルを叩き込み、友軍を支援するミサイルキャリアーとして運用された。
…………が、レーダーだけでは敵味方識別ができないため同士討ち防止策として視認前ミサイル発射を禁じられ、ミサイルの性能不足(技術的限界によるもの)でキャリアーとしての性能も発揮できず、爆撃機護衛や制空権確保といった任務の都合上、戦闘空域への残留がデフォとされて搭乗員の疲労を招いて、さらには想定されなかった空対空格闘戦に持ち込まれて大苦戦を強いられた

そもそも敵空軍の運用するMiGシリーズは旧型だが運動性に優れ、地上管制を受けて限定された目標を達せればよく、
迎撃主軸なのでミサイル撃ち切って即離脱も可能と、状況がF-4に不利すぎたのも理由ではある。

そうは言っても当時の米軍機では最上位級の運動性であり、空軍の爆撃至上神話のせいで替えるべき機体もなかったため、機首を拡大してバルカンを仕込み、エンジンの換装と主翼の再設計で運動性を高めたE型を就役させて対処している。

結果論ではあるが、撃墜成績はMiGシリーズより上だったりする。もっとも、複座機のために戦死者数では敵より上だった能性もあるようだが。

その後も各採用国で運用され、イスラエル空軍採用機が第四次中東戦争を経験するなど、確かな実績を築く。
今のところ最後の実戦投入は湾岸戦争で、制空任務をF-15に譲ってG型がワイルド・ウィーゼルの任についた。
本家である米軍からは96年時点で予備役を含め全機退役しているが、日本を含む9ヶ国の空軍で今なお現役(2012年現在)。

日本での運用

空自はF-86の後継機として導入され偵察型を含めて全部で154機が導入された。
1976年に発生したベレンコ中尉亡命事件ではルックダウン能力不足が露見しこれを機にE-2Cの導入が決定している。
老体に鞭を打って2個飛行隊で任務に就いていたが、第4次F-Xで後継機に選定されたF-35Aへ置き換えられる運びとなった。
F-22が本命だったんだけど、海自の防衛不祥事と米国議会のせいでなぁ…
F-4配備に伴い新設された第302飛行隊は何かと様々な事件に関与している。
亡命事件以外にも2020年時点でも唯一の領空侵犯機に対し射撃を行った1987年沖縄で起きたソ連軍領空侵犯機警告射撃事件も302飛行隊所属機であった。
この実射を実行したパイロットはその後F-15に機種転換したが訓練中の空中衝突事故で殉職している。
その後も2001年には訓練敷地外への誤射事件も同隊によるものと何かと事件・事故関与していた。

導入から50年運用されたこともあり親子でF-4乗りだったという自衛官もいる。
2019年には尾崎空将が父尾崎二佐と同じF-4パイロットだったことを明かし、父親は第301飛行隊の飛行隊長を務め初のF-4損失で犠牲となったパイロットでもあった。
当時尾崎空将はまだ小学生で父の遺体は発見されなかったが、防衛大学校への進路を決意し入学直前にはF-15の配備が始まっていたが父と同じファントム乗りの道を志した。
防衛大学校への入学直前、301飛行隊が百里基地から新田原基地へ移動直前になり地元漁師の網に父親の耐Gスーツの一部と遺骨が発見され遺族に返還された。
この耐Gスーツの一部は空将の願いで百里基地に尾崎二佐の写真と共に安置され、長年に渡り後身たちを見守り続けた。

そして当初の引退予定から10年ほど遅れたが後継機F-35の配備が始まり実戦部隊*7では2020年で全廃、翌年3月には飛行開発実験団のEJ共々全機退役した。


バリエーション

半世紀以上飛んでいる大ベテランだけあって派生も死ぬほど多いので、とりあえず有名な型だけ記載。
後述するが、偵察機として運用されることもあった。

戦闘機型

○F-4E
米空軍仕様。当時の最新型であるD型をベースにベトナム戦争緒戦の戦訓を盛り込み、格闘戦への対応と運動性の向上を行った。
延長した機首へのバルカン搭載のため、レーダーを小型のものに換装しているが、技術発展による小型化なので性能低下はない。
見た目は機首が伸びた程度の違いしかないが、性能的には割とダンチ。


○F-4G
米空軍仕様。老朽化の進む先任のF-105Gを継ぐものとして、E型をベースにワイルド・ウィーゼル機に改修したもの。
ワイルド・ウィーゼルとは敵防空網(地対空レーダーとかミサイル陣地)を撃滅し、後続の被害を抑えることを主任務とする機体を指す。
先陣を切って敵地に突っ込む危険な任務であり、頑丈かつ高速で重武装が可能な本機は、ある意味この手の任務にうってつけだったと言える。
レーダーシステム増強のために再度バルカンを撤去しているほか、任務の性質上重武装がデフォなので航空格闘戦は不得手。
現在はF-16に専用のオプションを搭載した機体に後任を託し全機退役。


○F-4EJ
F-86の後継機として採用、1971年から10年の間に完成機を輸入・ノックダウン・最終的にはライセンス生産された。
世界で唯一ライセンスが認められたことからF-4の最終生産機は航空自衛隊の440号機(通称シシマル)だった。
当時議会などからの批判を避ける目的と要撃機として採用したことから、対地攻撃能力や空中給油能力などがオミットされている。
301飛行隊を皮切りに306飛行隊まで発隊し計140機が導入されたが、90年頃からは後述のEJ改やRF-4Eが事故で数を減らしたその穴埋めも兼ねて
偵察ポッドを搭載できるようになったRF-4EJに改造されたもの、飛行隊の機材をF-15に転換され徐々に数を減らした。
一部の部隊では標的曳航など訓練補助用に改修されず運用されたが、2000年頃までには岐阜の飛行開発実験団の機体を除き退役した。
2021年3月には全ての日の丸ファントムが退役するまでEJ改やイーグル、F-2に交じって飛び続けた。なお初号機は導入初期以降実戦部隊配属はなく消耗が少なかったこともあるが丸50年現役だった。というか最後まで残った日の丸ファントムの中の一機である。


○F-4EJ改
F-4EJの近代化改修型。
アビオニクスが換装されており、対艦誘導弾搭載能力付与と対地攻撃能力の復活、HOTAS概念の導入など能力が大幅に向上している。
最後にロールアウトした機体でも改修から既に20年以上経ってるが、第4次F-Xの難航が祟り長らく現役だった。
そして空自機の常として対艦攻撃能力がガチ。EJの頃から数えて40年選手だぞ……。
F-2の配備遅延に伴い、F-15への機種転換で余剰となったF-4EJ改を繋ぎとして洋上迷彩を施し、支援戦闘機として運用されたこともあった。
流石に機体に補強材がいくつも張られるなどガタが来ており、航空祭では機動飛行などの激しい飛行は控えて対地機動をすることが多かった。

退役を間近に控え下記のRF-4Eと共に記念塗装を施され全国の航空祭を行脚し最後の雄姿を見せつけた。
翌年には冒頭の記念塗装以外にももう1機の記念塗装機も登場、ラストイヤーらしく盛大に全国を回る予定だったがコロナの影響で航空祭が軒並み中止。
50年近く日本を守り続けた老兵には寂しい最後になってしまった。
しかし自衛官たちからも最後にファントムを一目見たいと要望があったのか定かでないが、全国の基地に航法訓練の名目で各地に飛来、基地では自衛官たちの記念撮影や送別が行われ、
基地の外では飛来を聞きつけたファンたちが集いその最後を見届ける光景が各地で見られた。
3年に1度開催される航空観閲式は関係者のみの参加となったが開催、戦闘機で初めて時の首相を乗せ記念撮影が行われるなど慎ましくも盛大に執り行われた。


偵察型

もともと偵察用に製造されたタイプと、余剰になった戦闘機型を改修・転用したタイプがある。
我らが航空自衛隊は両者を運用していた。末期には東シナ海での運用を意識したのか、F-2同様の洋上迷彩を施される機体が3機登場し、ファンの人気を獲得していた。
なお海上自衛隊はこいつを高速洋上偵察機として導入することを検討していたことがあったとかなかったとか。やっぱり空母欲しかったんだろ

○RF-4E
F-4Eを偵察機に改修したモデル、機首にカメラが内蔵されているためカメラ窓が存在し機銃を装備していない。
米軍ではRF-4Cを大量導入したため1機も採用されず生産された全機が輸出された。
日本でも導入したものの事故で数機が失われ、穴埋めに機種転換で余剰となったF-4の一部をRF-4EJへと改修された。
なおカメラは特に更新されなかったため現像が必要なフィルム式のままだった。*8
運用していたのは501飛行隊で、余剰となったF-86を偵察機に改修して運用した実績があるほど歴史がある部隊だった。*9
一時は後継機としてF-15を偵察機に改修する計画もあったが偵察ポッドの開発失敗によって計画が頓挫、代わりに無人偵察のRQ-4の導入が決定・部隊の閉隊も決定し2020年に60年近い歴史に幕が下りた。

○RF-4EJ
前述のように余剰となったF-4EJを偵察機に改修したタイプ。
偵察ポッドを運用できるようになっているが機銃などはそのままだったため、有事時は戦闘機として運用が可能になっている。
当初17機改修される予定だったが15機で終了、更にその15機も細かく仕様が異なっており改修試験の「試改修型」特定の偵察ポッド運用しかできない「限定改修型」。
EJ改と同等の装備やすべての偵察ポッドの搭載や改良が行われた「量産改修型」の3タイプが存在するが、先の2タイプでも一部が「量産改修型」に改修されている。
なお塗装パターンが異なっており試改修型では水色に近い迷彩、限定改修型はRF-4Eと同じ迷彩、量産改修型はRF-4E迷彩のカーキ色がグレーになっている。
これとは別に戦闘機型よりも濃いグレー塗装のRF-4Eも存在したが北海道地震の災害派遣撮影中に墜落し失われている。


標的機

その名の通り、ミサイルなどのの標的として使用される機体。戦闘機としての役目を終えた機体から改修される。用途からしてパイロットを載せるわけにはいかないので、改造によって遠隔操縦が可能となっているが搭乗して操縦する事も可能。

〇QF-4E
米軍が配備していた機体。
F-4は艦上運用も可能な大型機・(開発時としては高度な)レーダーやFCSを装備しているなど贅沢な機体であり、老朽化したとはいえ標的として使う≒撃墜させることが前提の用途にポイポイ使えるのは米帝くらいであろう。米空軍のファントムでは、こいつが最後まで現役として残った。
後継としてはF-16を改修した機体が用意されている。流石の米帝でもF-15を標的にはできなかったらしい
…と言いつつ実は日本でも引退したF-104Jを無人標的機に改修され、14機が硫黄島でF-4やF-15に撃墜されていたりする。*10
さらにF-1も標的機に改修された…という記事も存在するがこちらはその記事以外に情報がないため信憑性に乏しい。
現在自衛隊の標的機はJ/AQM-2などのF-15やF-2で上空まで運搬・分離・飛行させる小型無人標的機が主流になっている。
そのため引退したF-4が標的機に改修される可能性は低いと思われる。


F-4の登場する作品

新谷かおる作である『ファントム無頼』では実在しない航空自衛隊の680号機が主役として登場している。
コールサインが新選組なのもあり特徴としてエアインテークと垂直尾翼に赤のだんだら模様が施されている。
680号機は2機存在し1機目はバードストライクやエンジン爆発などで6回も事故を起こしてる曰く付きの代物だったが最終的には空中分解し失われた。*11
2機目は事故を起こすことはなかったがマッハ2.6という公式以上の最高速度をたたき出している。
なお僚機として登場回数の多い320号機は実在し、実機にだんだら模様をペイントされたことがある。
同じ作者のエリア88(漫画)では主要人物は乗らないがエリア88を除隊し舞い戻ったチャーリーなど脇役の搭乗機として多数登場。

東宝特撮シリーズでは防衛軍の主戦力として61式戦車と肩を並べることが多い。全滅することもあるけどな
ウルトラシリーズなどの円谷プロ作品でも多くの番組に登場している。部隊で怪獣を攻撃するシーンもあるが、通常兵器の性かその場合は大半が全滅する。
ガメラ 大怪獣空中決戦ではRE-4EとF-4EJ改が登場し、ガメラの捜索や攻撃を担当した。
エスコンシリーズなどのフライトシムやシミュゲーには序盤から使える機体としてよく参戦するが、ゲームによっては終盤でも普通に戦える性能なことも。

さて、ここまで書いておいてだが…F-4は一応東宝ないし円谷特撮ではおなじみの兵器だが、それはウルトラマンやごく少数の映画のみの話。
東宝の花形ともいえるゴジラシリーズには1度しか登場していない。それが、第2部完ともいえる最終作"メカゴジラの逆襲"である。
まあそれ程考えるまでもないが、ゴジラを狙うには爆弾を投下するしかない。しかし、本編ではバルカン砲らしきものを発射して対抗していた。本来なら爆弾をいくらでも落とせばいいと思うが、当時の左派の活性化により爆装するための装置が取り除かれてしまったのだ*12
結局、その後ゴジラシリーズではF-4に出番が来ることなく、実機の引退を迎えた。




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最終更新:2023年12月11日 07:28
添付ファイル

*1 2019年12月15日 編集者撮影

*2 現在のボーイング社の前身の一つ。比較的新興企業だったため早くからジェット戦闘機の開発を行っており、本機F-4で一気に有力な戦闘機メーカーにのし上がった。ちなみにF-4以外には、センチュリーシリーズの一つに数えられるF-101「ヴードゥー」、F-4にその機体構成が引き継がれたF3H(後のF-3)「デーモン」などの他、変わったものとしてはパラサイト・ファイターとして開発されたXF-85「ゴブリン」も手掛けている。

*3 世界初の艦上ジェット戦闘機「FH ファントム」のこと。これもマクドネル・エアクラフトが手掛けた機体である。

*4 当時は海軍からの戦闘機受注を失っていた

*5 着陸(着艦)時に操縦桿を左右操作すると機首が操作の逆を向く「アドバース・ヨー」というヤバすぎる癖が特に有名だった。機体設計そのものに由来する本能で、最後まで完全には解決しなかった。

*6 戦闘ではなく事故による死者を沢山出してしまった事で、「予想外の死者をつくるヤツ」に贈られた蔑称。あまりにも操縦性が極端(ピーキー)すぎて事故事故事故だったF-104などが典型例である。

*7 最後まで残ったのはマザースコードロンでもあった301飛行隊だった

*8 これは仮にデジタル方式への改修に必要な予算に対し、その開発費やRF-4E自体の耐用年数の問題などもあった

*9 F-86の運用歴があるのはF-2を装備している第3・6・8飛行隊、他のF-4部隊はF-4配備開始で設立されたため運用歴がなく、201・203・204はF-104配備開始で設立された部隊なので同様

*10 硫黄島への輸送前に岐阜基地で製作・試験を行った1機だけが隣接するかかみがはら航空宇宙博物館で展示されている

*11 ちなみに実際の自衛隊機は損失しても同じ番号の機体が再生産されることはない

*12 後年に登場したEJ改なら対艦ミサイルも使用できたのだが