おじろく・おばさ

登録日:2014/05/05 Mon 23:59:38
更新日:2024/01/09 Tue 05:15:00
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おじろく・おばさとは、かつて日本の長野県のとある村に実在した凄惨な風習の一つである。
似たような風習は、他の村でもあったのかもしれないが。

どのような風習かと言えば、家の跡取りとなる長男以外の人間は、
小さな頃は普通に育てられるが、長男の言うことに全て従うのを当然と覚えこまされる。
そして、やがて大きくなるにつれ長男と差別的に取り扱われるようになり、


世間との交流は許されない。お祭りも参加できないし、結婚相手探しも不可。おそらく大半が一生童貞&処女。
万一結婚したい相手が見つかっても迎えたりできず、結婚するには他の家に引き取ってもらうしかない
死ぬまで無償で家の使用人として働かされる
長男や長男の嫁・長男の子供に限らず、甥っ子や姪っ子からも下っ端扱い
戸籍への記載は「厄介」…つまりは家族ではない



人権などまったく認めていない扱いだが、彼らは反抗することもない。
現代にあれば一大社会問題となっていたことだろうが、幸いにも現代には存在しない。
16~17世紀にはじまったが、明治維新以降は先細りとなったようで、昭和40年代に生き残っていたおじろく・おばさはわずかに3人であったという。
おそらく、今は生き残っていないだろう。


もちろん、こんな制度が導入されたのには理由がある。

耕地の面積が少ない山林では、子どもに財産である田畑を次々分けて相続させる余裕などなく、人口の増え過ぎは村全体が危ない。
農地からとれる穀物の量にも、家を建てられる面積にも、自ずから限界というものがある。
「街に出れば」と言っても、その都市部でも人口は増える。そこに流民としてなだれ込んだところで、人口圧迫に拍車をかけるのが関の山だった。

また、鉄道や自動車があるわけではないため他の村とも隔絶しがちで、人をやりとりして切り抜けることが難しい。
確実な避妊法があるわけでもなく、子供が生まれれば面倒を見ないわけにはいかない。また当時は衛生観念がなく乳幼児の死亡率が非常に高く、ある程度子どもの人数を確保しないと家系断絶のリスクが高くなる。
そのため、他の兄弟たちは男はおじろく、女はおばさとして、子供を増やさせることなく、跡取りである長男のために働かされるのである。


要するに「口減らし」の一種である。
人口爆発によって社会が破綻するのを避けるためには、増えすぎる人間を殺すか、繁殖を制限するしかない。
前者を選ぶのが「口減らし」であり、後者を選んだのが「おじろく・おばさ」であった。

ヨーロッパでも同じことはよく起きていて、あちらでは「捨て子」という形で行われたという。
「ヘンゼルとグレーテル」の童話はその寓話という。


ただ、そうした恐慌的なやり方でもって、やっと社会を維持できたというのも事実。
日本が江戸時代だった同時期、中国は清代である。
清では医療技術の進歩と社会情勢の安定により、1720年代から1830年代にかけて人口が一億から四億へと、優に四倍も増加。
しかしそれによって、地方では耕地と食料が足りなくなって農村社会が破綻し、都市部では増える人口に加えて農村から逃げてきた流民もなだれ込んで衛生環境・食糧自給・就職関係など都市社会の全てが崩壊した。
特に、都市部であふれた流民たちは行き場もないので青幇・紅幇などのマフィア組織に加わる者も多く、社会情勢を不安定化させて清末に到る。

江戸時代の日本は、「間引き」「口減らし」と言った、余った幼児をすぐに殺してしまうことにより、なんとか社会の維持と資本の蓄積に成功した。
明治以降の日本が急速な近代化に対応することができたのは、この社会維持と資本蓄積があったためだとさえ言われている。
(「座敷童」も口減らしで死んだ赤子・幼児の霊だという)
逆に、中国の近代化が遅れたのは、清代の人口爆発の悪影響を払拭できなかったからだという。

強権的手段に打って出てでも人口維持に踏み切らなければ、社会全体が崩壊してしまう、そういう危機感と危険があればこそ、我が子を殺し兄弟を廃人にするという手法もとられたのである。
当時の社会情勢が為させた、家父長制の傲慢さや社会の冷酷さといった点だけでは語れないところであり、当時のことを現代の人権感覚からその善悪を論じることは差し控えるべきだろう。

実際、上では「おじろく・おばさは明治以降廃れた」とあるが、明治以降には同じく口減らし政策は廃れ、それにあわせて人口は急速に増えていった。
(日本の人口は、平安時代から室町時代までは概ね1000万ぐらいだったが、江戸時代に入ると急に増加して3000万になった。口減らしの普及によって江戸時代中期からは3000万で安定したが、明治以降は急速に増え始め、昭和十年代には7000万、昭和三十年代には一億に達する)
おじろく・おばさの風習が、口減らしの一環だったというのはこのあたりからでも分かる。



さてそんな制度だが、そういった彼らがどういう人間だっただろうか、という点がこのおじろく・おばさの恐ろしさである。


1964年に、生き残っていた3人のおじろく・おばさが学者に取材されたことがあった。

まず、彼らには将来の夢も希望もない。
感情がなく表情もない。自分から話しかけるどころか、こちらから話しかけても全くの無視。
それでいて言いつけにはよく従って働く。

取材をしても全く無視されてしまうので、薬物で催眠をかけて面接したら、やっとぽつぽつと回答が出たという。

「他家へ行くのは嫌いであった。親しくもならなかった。話も別にしなかった。面白いこと、楽しい思い出もなかった」
「人に会うのは嫌だ、話しかけられるのも嫌だ、私はばかだから」
「自分の家が一番よい、よそへ行っても何もできない、働いてばかりいてばからしいとは思わないし不平もない」

もはや奴隷同然の自分の境遇を嘆くことさえもなく、むしろそんな家庭だけが居場所、という状態である。

おじろく・おばさは決して精神的障害を先天的に持っていてなったわけではない。
元々無気力だった者だけがなったわけでもない。

彼らは子供時代は長男の言うことを聞けと言われる以外は普通に遊んでいたという。長男に万一のことがあれば、スペアとして彼らが後を継がなければならないからだ。
20代になってからロボットのような人格になってしまったという。
ずーっと奴隷同然にこき使われれば、人間はこんな風な人格にでもならなければ、生きていけないということの象徴なのである。

当時としては、これらは社会全体として生き残っていくためにやむを得ない面があった。
だが、現代では当然これは違法である。
未成年者相手にこんなことが行われていたら、完全な児童虐待。即刻児童相談所に通報すべきだし、大人が相手でも、このようなつまはじきは行政に相談した方がよい。



現代にこのようなあり方が制度として存在しないことを喜びたい。

元おじろく、またはおばさの方、追記修正お願いします。






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最終更新:2024年01月09日 05:15