キュベレ

登録日:2014/05/02 (金) 21:15:56
更新日:2024/02/24 Sat 15:51:06
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キュベレとは、アナトリア半島(トルコのアジア部分)に存在した王国プリュギア(フリギア)で崇拝され、
のちに古代ギリシャ・ローマにも信仰が広がった大地母神である。
アニヲタ的には『機動戦士Ζガンダム』および『機動戦士ガンダムΖΖ』に登場するMS「キュベレイ」が有名であろう。


■もくじ

■概要


この女神の起源はきわめて古く、新石器時代からアナトリアの地で崇拝されてきた。さらに遡れば旧石器時代からそのルーツがあるという。
大地にある様々な地形と動物たちを司り、特にライオンと関係が深く、
ライオンなどの猛獣を玉座の周囲にはべらせた像や、猛獣の牽引する戦車に乗った像で表される事が多い。
チャタル・ヒュユクで出土した最古の土偶はすでに2頭の獣を従えて玉座に座る姿で描かれており、
これが何千年にもわたって美術の伝統的モデルとなった。
また、女神像は男神像に数においては圧倒的に凌駕しており、母系社会であったことが窺える。


出典: wikipedia
スペイン・マドリードにあるシベーレス広場の噴水像も、ライオンが牽く戦車に乗った姿で描かれている。
ライオンと言えば、強さや権力の象徴。それをも従える彼女は「百獣の女王(ポトニア・テローン)」の異名も持っていたのだ。


出典: wikipedia
神話の神々の中にはゼウスポセイドンハデスなどのように、それぞれが受け持った領地の支配者タイプの神が多い。
しかしこの女神は母なる大地そのものなので、神的権威は「支配」ではなく、「絶え間なく新しいものを生み出すこと」にある(後に女王としての性質が強まるが)。
一方で、大地の上で生まれ育ったものは死ぬと大地に還り、その母胎に取り込まれることから死と再生の女神としての側面も持っていた。

■名前について


多くの地域で崇拝されただけあって、彼女は多くの名前で呼ばれる。
クババ、ヘパト、ケバト、ハンナハンナ、アグディスティス、マグナ・マーテル(神々の偉大なる母)……
古代ローマの作家アプレイウスの古典『黄金の驢馬(転身物語)』にはエジプトの女神イシスが登場するが、その中でイシスは自らを
「人類の中で最も早く生まれたプリュギア人は神々の母ペシヌンティア、アッティカの住民たちはケクロピアのミネルヴァ、キプロス人はハポスのヴィーナス、クレタ人はディクチュンナのディアナ、シチリア人はステュクスのプロセルピーナ、エレウシス人はアッティカのケレスと呼びました。またある人はユノ、他の人々はベローナ、ヘカテ、ラムヌシアと呼んできました。」
と語っている。

……つまり、各地で語られてきた女神たちは皆、名前や細部こそ違えど、本質的には同じであると取れる発言である。
このことは、人類が存在する限り、女神の名前こそ違えど「誕生」「豊穣」というテーマは、
普遍のものであり続けるということを象徴していると言っても過言ではないだろう。
実際、土着の神と混ざることも多く、ギリシャ神話ではオリンポス神族の祖となるティターン神族の女神レアと同一視されていた。

キュベレという名前の由来自体は諸説あり、ビサンティン時代の司教リュドスによれば、
キュベレ崇拝の総本山ペッシヌス(驢馬の耳を持ち、触れた物を黄金に変えるミダス王で有名)にあるご神体が、
立方体の隕石(つまりはキューブ)であったことからキューブと同じ語源をもつと考えた。
また、ギリシャ語でサイコロは〝ペッソス〟と言う。
オーストリアの歴史家ロベルト・アイスラーの説では、メッカのカーバ神殿と同じルーツを持つと言う。
確かにカーバも立方体という意味であり、黒い石が崇められている。
しかしプリュギア語が失われた言語であり、ほとんど解読されていないため、結局詳しいことはわかっていないのが実情のようである。
ちなみに前述のシベーレスとは、キュベレのスペイン語読み。また、フランス映画『シベールの日曜日』のヒロインの本名もキュベレ由来である。

■ローマに来たいきさつ


ローマにキュベレ信仰がもたらされたのは、第二次ポエニ戦争の時のこと。
ハンニバルがアルプスを越え北部イタリアに侵入してくると、
古来の儀式が廃止されたばかりか、迷信が蔓延りローマ帝国も風前の灯と思われた。

その時、シビュレ(アポロンの神託を受ける巫女)の預言書に、次のような一句があったという。

「外敵がイタリアに侵入した場合は、ペッシヌスの大地母神をローマに移し換えなければその敵を追い出し征服することはできない」

元老院はデルフォイの神託に伺いを立てた結果、イデ山*1(現在のカズ山)の大地母神キュベレをローマに迎え入れることだと解釈した。
ローマと友好関係であるとはいえ、当然ペルガモン(紀元前3世紀半ばから2世紀、トルコに栄えた王国)のアッタロス王は気が進まなかった。
古来から崇め奉ってきた神をよそに持っていかれたら、いい気分がしないのも当然であろう。
が、女神は小さな地震を起こし、自ら元の聖地を離れることを告げたのである。
「私を行かせて下さい。ローマは全ての神にとって価値のあるところです」*2
紀元前204年に拳ほどの大きさの隕石がイデ山の松の木で作られた船でローマに運ばれ、
「ローマの7丘」の一つであるパラティヌス(パラティーノ)の丘にあるヴィクトリア神殿に祀られた。

そのご利益はてきめんで、翌年のうちにハンニバルはアフリカに押し戻され、紀元前202年のザマの戦いでのローマの勝利によって、
第二次ポエニ戦争は終わった。
これを記念して、毎年4月4日~10日はメガレンシア祭が祝われた。メガレンシアとはマグナ・マーテルのギリシャ名である。

紀元前191年には、ローマにキュベレ神殿が落成した。
そしてアウグストゥス、クラウディウス、アントニヌス・ピウスといったローマ皇帝たちはキュベレを帝国の至高神であるとしたのである。


■キュベレとアッティス


さて、キュベレの神話と言えば、息子であり恋人であるアッティスとのエピソードは欠かせない。
アッティスは植物神であり、牧童の姿で描かれる事が多い。一部の像や絵では有翼の姿で描かれる事もある。
名前の意味は、リュディア語で「美少年」のことをいう言葉であるとも、プリュギア語で「山羊」をアッタグスと言うとも。
アトリビュート(その人物・神を象徴する持ち物)は松、二管の横笛、牧童の杖。
早い話、シュメール・バビロニア神話のドゥムジ(タンムズ) と同じようなポジション。


出典: wikipedia
アッティスはもとはギリシア北方プリュギア、トラキア人の青年神であったが、
紀元前7世紀になってトラキア人からアナトリアに導入され、後にキュベレと同一の神話体系に組み込まれた。
もっとも有名なのは、パウサニアス著『ギリシア案内記』の第7巻『アカイアの巻』の17章以下の話であろう。
ここでキュベレは、アグディスティスの名前で登場する。


※注意※
ここから先は、人によってはかなりショックを伴う場合があるので、閲覧は自己責任で!



事の起こりは、主神ゼウスの夢精から始まった。ゼウスがアグドスの山で寝ていると、彼の精液がアグドスの岩山の上に落ち……
その結果生まれたのが、見るも恐ろしい両性具有の神、アグディスティスだった。

この神は大変凶暴な神であった。その上、男女両性を持っているということは、一人で際限なく繁殖できるということに他ならない。
こんなのに無限増殖されたら……
アグディティスは他の神々にとって脅威以外の何物でもなかった。
しかしアグディスティスとサシで戦って勝てる者はいなかったので、神々は策を講じることにした。
アグディスティスが毎日沐浴に現れる泉の場所を突きとめ、酒の神ディオニュソスはそこに葡萄酒を大量に混ぜ込んだ。そして……
それを飲んだアグディスティスが眠った隙に、丈夫なひもでアグディスティスの男根を木に結わえ付けたのである。
目覚めた彼女は身動きが取れず、もがいた末に……

ブチッ

自らの男根を切り落とした
切り離された男根からはアーモンドの木(ザクロなどの説あり)が育ち、やがて実を結んだ。
そこに通りかかったサンガリオス川(現在のサカリヤ川)の神の娘、ナナは実をとって胸中に置いた。
するとその実は姿が見えなくなり、娘はアッティスを身籠った。
奇怪な妊娠を一族の恥とした父は生まれた子を捨てさせたが、アッティスは自分の祖父ゼウスと同じように山羊によって育てられた。
ゼウスと違うのは、育てた山羊が牡であり、さらにその牡山羊の乳で養われたのだという。
人によっては「ウホッ」な想像をしてしまうかもしれないが、実際に牡山羊がミルクを出したという報告が存在している。
アッティスはその後牧人に拾われ、やがて長髪の美男子に成長し、アグディスティスと出会う。
もともと同じ一人の神であったアグディスティスとアッティスはたちまち相思相愛となり、永遠に心変わりしないことを誓い合った。

しかし、ここで絶対に末永く幸せにはならないのが、神話の常である。

アッティスは身内のすすめで、ペッシヌス王の娘とめあわされることとなった。
結婚式が盛大に執り行われ、今まさに婚礼の歌が流れんとするその時であった。
嫉妬に狂ったアグディスティスが乱入してきたのである。
女神の怒りのほどはすさまじく、参列した人々を怒りにまかせて手当たり次第に狂わせ、瞬く間にあたり一面を血の海に変えてしまった
そしてアッティスも突如理性を失い、自らを去勢し、血まみれになりながら自らの命を落とすことになった……

我に返ったアグディスティスは自分の行いを深く悔やみ、アッティスを衰えも滅びもしないものに変えた。
それが前述の松の木である。松は冬でも青々とした葉をつけているため、生命力のシンボルとなったのだ。

またある説では、アッティスを生き返らせるようゼウスに懇願したという。
その望みは叶えられなかったものの、遺体はいつまでも朽ちることがなく、髪は伸び、小指が動き続けている。

■祭儀


……聞いているだけで股間が寒くなってくるような話であるが、恐ろしいことに、このエピソードは信仰の対象となったのである。

毎年3月15日、アッティスが芦原に捨てられていたのを救い出されたことにちなんで、芦束をキュベレの神殿に運ぶ神事が執り行われた。
信者たちは16日から9日間禁欲と断食を始め、パンやワイン、ナツメやザクロなどの果物、魚や豚などを口にしなくなった。
3月22日、キュベレの司祭ガルス(ガッライ、ガロイ、コリュバース)たちが松を切り出し、
アッティスの像を赤いリボンでくくりつけ、神殿へ運んでくるところから祭りは始まる。
その松はキュベレの祠の近くにある松林から切り出されたものであり、アッティスの亡骸の象徴である。
参加者はアッティスの死を嘆き、タンバリンの音と共に号泣した。この哀悼の儀式は翌日までずっと続く。
祭りの3日目は「血の祭り」と呼ばれる。ガルスたちは鐘や太鼓、タンバリンがやかましく鳴り響く中、
体を切りつけていき、その血を神殿内の神像や祭壇に振りかけた。
そしてエクスタシーの極限に到達したその瞬間、いっせいに自分のモノを切り落とすのである。
切り落とされた性器は当然、キュベレに捧げられ、松の木はその後埋葬、燃やされた。

4日目は喜びの祭り「ヒラリア祭」。松の木が運ばれてから3日後に彼は生き返るのだ。
アッティスが復活したこの日は、誰が何をしてもかまわない無礼講の日であった。
5日目は休息日。6日目は清めの日。アルモ川まで牝牛の引く戦車で、女神像や祭具を運んだ。
この期間の旅路も、賑やかな祭典であったようだ。
それから8日間の休息日の後には、キュベレを称える4月の祭典メガレンシア祭が始まった。

去勢後のガルスたちは男物の服を脱ぎ捨て、以後は髪を長く伸ばし、厚化粧と女装をした。
彼らは街から街へ物乞いで生計を立て、施しものを受けると、占いと踊りを捧げたという。
神がかり的な状態になると自分たちの体を激しく鞭打った。

ここまで血なまぐさい儀式であるので、ギリシャではかなりキワモノ扱いされていたようだ。
ローマでも初期は、ガルスたちは当局から神殿の聖域から出ることを禁じられ、
4月の祭礼の一週間しか外へ出ることを許されないなど、国家の管制下にあった*3ようだが、帝政期となると規制は緩み、
キュベレ祭祀やローマオリジナルの儀式タウロボリウム・クリオボリウムがヨーロッパで大流行した。
タウロボリウムは牡牛を、クリオボリウムは牡羊を犠牲に供し、その生き血を信者が被るという儀式である。*4
紀元160年代には、去勢の代わりに牛の睾丸を捧げたり、タウロボリウムかクリオボリウムのどちらか、
もしくは両方で代替とすることが法的に認められていたという。
まあ、あんなことをやり続けていたら、子孫を残せなくなるのでそうなるのも仕方ない。

後に、アッティスとアナトリアの月神メンが習合したことにより、設定はしだいに物質世界の否定や、春の万物復活と高尚になっていき、
さらにエジプトのオシリスやフェニキアのアドニス、ペルシャのミトラとも習合し、「至高」「不滅」「神聖」「全能」「太陽神」など肩書きがインフレし始める。
そして「自ら犠牲となり聖なる血を流すことで、地上の罪を贖った」「冬の間失われた生命力を甦らせるには彼も不可欠」という所まで行ってしまった。
神話内ではどんな形であれ去勢するハメになってしまう気の毒な印象だっただけに、すごい出世ぶりである。

キリスト教が流行した後も、キュベレ・アッティス崇拝はひそかに続き、
紀元5世紀になってもキュベレとマリア、アッティスとキリストを混同することについての批判的論説があったという。
確かに「処女懐胎」「死後3日目に復活」「春分の日に復活を祝う祭り」と共通点が多い。
キュベレも現在のバチカンにあった神殿に祀られており、その神殿はタウロボリウム・クリオボリウムを記念するために建立されたものだった。
ローマにあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂も、キュベレの神殿跡に建てられた。

また、長い年月が流れて上記のような残虐な儀式が無くなったかと言うと……そうでもない。
イタリア南部のグアルディア・サンフラモンディ市では、贖罪の為の鞭打ち行列の儀式が7年に一度行われている。
白装束の信者たちは聖母マリアの名の元に、33本の針を埋込んだコルクで己の胸を打ち、血まみれになりながら町を練り歩く。*5
「自ら血を流すことで罪を贖う」という考え方は、今でも生き続けているのだ。


追記修正は、去勢を済ませてからお願いします。

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最終更新:2024年02月24日 15:51

*1 奇しくもクレタ島にも同じ名前の山があり、こちらはレアやゼウスゆかりの地である。

*2 『キュベレとアッティス その神話と祭儀』P56

*3 多くの女神と同一視され、受け入れられたキュベレとは違い、アッティスは「自ら去勢した」というあまりのインパクトからキリスト教徒から攻撃されたのはもちろん、ローマ人からも最初のうちは白い目で見られていた。『キュベレとアッティス その神話と祭儀』P239-240

*4 http://www.youtube.com/watch?v=iQ2UJiZkLjs

*5 映画『世界残酷物語』では、ガラス片を埋め込んだコルクで脚を傷つけ街を走り回るというよく似た儀式が描かれているが、こちらはノチェーラ・テリネーゼ市のものである