御門院家(ぬらりひょんの孫)

登録日:2013/10/22 (火) 19:39:45
更新日:2022/10/23 Sun 12:54:41
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御門院家とは漫画『ぬらりひょんの孫』に登場する一族。

元ネタは安倍晴明の末裔・土御門家から。




【概要】

鵺こと安倍晴明の子孫。
晴明亡き時は晴明の息子である安倍吉平が当主代理として御門院家を率いた

最大の目的は上述した晴明復活の地を守ること。復活後は晴明の望んだ世界を実現することを目的に動いている。

晴明復活前は当時の権力者に取り入り国の中枢を守り、陰で暗躍してきた。(御門院家の当主は権力者の変化と共に変わっていった)
詳しくは描写されていないがその過程で強力な妖怪と戦ってきたと思われる。

晴明が反魂の術と並行して研究していた呪術「泰山府君祭」により歴代当主は人間でありながら人間の限界を超えて生きながらえ現代に至っても健在である。(引退した当主が何をしているのかは明かされなかった)
妖怪の力が強かった時代から生きているためなのか不老のため人間には不可能なレベルまで修行を重ねることが出来るためなのか歴代当主たちは妖怪の力が弱まった時代に生きる現代の陰陽師よりも優れた力の持ち主ばかりである。(花開院ゆらも相当優秀な陰陽師でありながら水蛭子の力を見て本当に人間かと評したほど)

ただし妖怪の強弱も時代が平和か混乱に満ちているかで左右されるためか納めた時代の違いにより当主間にも相当な実力差が存在する。


  • 呪術「泰山府君祭」
晴明が究極の目的・反魂の術と並行して研究していた術。人を延命させ不老にする。
この呪術により御門院家の歴代当主は人間の限界を超えて延命することが出来た。
また、この呪術を習得するには才能が必要なのか他の当主と比べると才が劣る天海は老け込むほど長い時間を掛けて準備をしこの術を習得した。
逆を言えば才能さえ溢れていれば少年期の内に不老になることも可能。(少年当主である有行と水蛭子は御門院の中でもトップクラスの実力者とされる)
この術は「不老」をもたらすのであって「不死」をもたらすものでは無く致命傷を負えば死ぬ。人体の限界を超える呪術なのか死ぬときは肉体が解けるように崩れるなどかなりグロテスクである。(長親だけは130歳なためか死亡しても他の当主と同様にボロボロにならず原型を留めていたが結衣結衣の傀儡の術が原因か人間の限界寿命の140歳を超えて生きていなかったからなのかは不明)

白装・安倍姓
御門院家が安倍姓の時に当主になっていた者たちの総称。
御門院との違いも安倍家から御門院家に変えた五代目より以前に当主を務めていたというのが主な違い。
だが生まれた時代が荒れていたのか長年の修行で力を付けたのかその力は黒装・御門院のそれよりも強く立場も御門院よりも上である。(有行と水蛭子は互いに平等な立場で有行は雄呂血様と呼んでいるが結衣結衣には有行様と呼ばれているため有行の位は不明。精神年齢が似ているために平等に接している可能性が高いかも?)

【構成員】
  • 安倍晴明(あべ の せいめい)
御門院家の開祖に当たる初代当主。

二代目当主。在位期間は不明だが、晴明が史実通りに死亡したとすれば、1005年~1185年となり、源平争乱の終結までを統治したと思われる。
晴明が復活するまでは実質的に御門院家の頭領的存在。
リクオと同じく人間と妖怪のクォーター。(妖怪の血が四分の一)
晴明の理想とする世界を実現するためだけに晴明復活の地を現代に至るまでに御門院家とともに守ってきた


三代目当主。在位期間は1185年~1333年で、源平争乱の終結から鎌倉幕府の滅亡までを統治する。
自称この世でもっとも偉大な式神使い。その自称に恥じぬ程の力の持ち主。初代ぬらりひょんによると珱姫程ではないがいい女だとのこと


四代目当主。在位期間は1334年~1392年で、南北朝時代の到来から終幕辺りを統治していた。
800年生きているが何処かのんびりしており度々水蛭子を怒らせているがこの物語の裏では大体彼が関わっているほどの策士。

黒装・御門院

五代目当主・御門院泰長が晴明復活の為だけに存在する安倍家に疑問を持ち心機一転して普通の陰陽師の一族にするべく名を御門院と変え着る服も黒にした結果今の御門院が生まれた。
結局、泰長の意思は適うことなく名と姿が変わった御門院家は安倍家の時同様に晴明復活の地を守ることを目的に現代まで動いた。

上記したように安倍家と御門院家の違いは当主になった時期の違い程度だがここから時代によって闇が薄れ妖怪の力が弱まり必要とされる実力も低くなったためか当主の力も納めた時代に左右される。そのためか当主の間でも力の差がかなり大きい。ただし応用範囲は安倍以上でもある。


【構成員】

  • 御門院泰長(ごかどいん やすなが)
五代目当主。在位期間は1393年~1477年で、南北朝統一後から応仁の乱終結までを統治する。
一族のやり方についていけず、御門院家へと変え一族の意思を変えようとしたが結局は適わず失意のうちに御門院家を離れ、半永久的な命を消すためにとある里に隠居する。
いつしかその里には泰長と同じ思いを持つ半妖たちが訪れるようになり、「半妖の里」と呼ばれるようになった。
本編には登場しない。
ちなみに本誌では一切存在には触れられず、単行本25巻のネームダイジェストと番外編にてその存在に言及され、同巻カバー表紙の後ろ側に書かれている半妖の里の説明で彼の詳細も書かれている。


六代目当主。在位期間は1477年~1568年で、応仁の乱終結から織田信長の台頭までを統治する。
ゴスロリ服に身を包んだプッツン系女子。「形代」を利用し、周囲の妖怪たちを互いに殺し合わせる。


七代目当主。在位期間は1569年~1643年で、織田信長の上洛から江戸幕府の鎖国完成まで統治する。
素顔不明のイカレ野郎で、蟲たちを利用した結界術を得意とする。
天海僧正その人であり、羽衣狐が淀殿の体を借りていた時代でも名前のみが登場している。


  • 御門院泰忠(ごかどいん やすただ)
八代目当主。在位期間は1644年~1852年で、江戸の太平の期間全てを統治する。
「モアイ」とあだ名されるほどのでっかい顔が特徴。どのくらいでかいかというと、森林から首の上が出るくらいでかい。
方角の禁忌「方違」を操り、妖怪を滅する。
統治期間は一族の中で最も長いが、平和な世の中であったため強力な妖怪を相手にした経験はない。
黒と青のコンビを相手に善戦するが敗北。フォローが描かれた有弘と違い、戦闘シーンはわずか一コマで、敗北シーンも描かれなかった。


九代目当主。在位期間は1853年~1867年で、黒船来航から大政奉還までの期間を統治する。
少年の姿のまま泰山府君祭を終えた天才児で、御門院家最強の陰陽師。


  • 御門院有弘(ごかどいん ありひろ)
十代目当主。在位期間は1868年~1926年で、明治時代の始まりから大正時代の終わりまでを統治する。
口髭が似合うダンディなオジサマ。永遠に出現する鳥の式神「飛びながら盛える鷹の末裔」を召喚する多重式神使い。
この「飛びながら盛える鷹の末裔」は本人曰く「何でも見つける」ため人間には絶対見つからないはずの土蜘蛛の里を発見することが出来た。
もう少しヒネればいいのに、名前。
才能はあったが所詮は雄呂血の劣化版であり、また妖の闇が浅かった時代を統治していたこともあって実力は低め。
水蛭子の援護に駆けつけ獺祭と対決し、彼の炎に式神もろとも焼き尽くされて死亡。
単行本にて獺祭の反撃シーン及び勝利シーンが補完された。


  • 御門院長親(ごかどいん ながちか)
十一代目当主。在位期間は1927年~1945年で、昭和の始まりから第二次大戦の終わりまでを統治する。
長髪を束ねた、イヤらしい笑みが特徴的な三枚目の男。生まれつきの弱視のため目があまり見えない。
自分の周囲を日本刀「仏及羅」で薙ぎ払い、その間合いに入り込んだもの全てを粉微塵にする「結界眼」を作り出す。
有弘同様、妖の闇が浅い時代を統治していたため、実力は低め。
水蛭子の援護に駆けつけ玉章と対決し、「紅葉礫」をまともに食らって瞬殺される。
さらに死んだ後も心結心結に操られるという悲惨な扱いを受けている。


  • 御門院泰世(ごかどいん たいせい)
恐山で修行する御門院家の人間。現地では一角の人物と認められていたが、当主にはなれなかった。
ピンク色の髪の毛をしていて、髪型がいかにも中二病キャラである。
妖刀破壊の能力を持つ武器・歯狂鎌を持ち、恐山の亡者たちを使役する陰陽術を使う。




なお、長親以降の当主は原作では登場しない。(元々いなかったのかどうかも不明)


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最終更新:2022年10月23日 12:54