小田急小田原線

登録日:2011/04/19 Tue 02:41:56
更新日:2024/03/17 Sun 17:11:15
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小田急小田原線(おだきゅうおだわらせん)とは、東京都新宿区の新宿駅神奈川県小田原市の小田原駅を結ぶ、小田急電鉄の路線である。
路線記号はOH。箱根へのアクセス路線という趣旨を強調するため、「Odakyu Hakone」を表すこの記号が採用された。
この路線記号は小田原駅から連絡する箱根登山線・箱根登山ケーブルカー・箱根ロープウェイ・箱根観光船まで連番で付番されており、最西端は観光船元箱根港の「OH 67」となる。


新宿駅を出発する特急ロマンスカー50000形「VSE」
(出典:Wikipedia

●目次

概要

新宿を起点として西に進み、80km以上離れた神奈川県西部の城下町・小田原まで突っ走る。
小田原から先は箱根登山鉄道線の箱根湯本駅まで一部の特急ロマンスカーが乗り入れており、事実上小田原線の延伸区間のような扱いになっている。

1927年4月1日に当時の小田原急行電鉄によって開業。路線が長距離なので、通常は徐々に延伸していく形を取るが、小田急は新宿~小田原間82.5kmを一気に開業するという、この当時にしてみればとんでもないことをやってのけた。
が、案の定開業初日から信号トラブルを起こしてしまった。線路も所々安定してなかったとかいう話もあったりなかったり……。

代々木上原~登戸間は着工から2018年に完成するまで、約40年という難産の末に複々線となり、基本的に内側2線が急行線・外側2線が緩行線である。この区間は大半が高架化(一部地下化)されている。
登戸~向ヶ丘遊園間は沿線の土地区画整理事業との兼ね合いにより、暫定的に下りが単線・上りが複線の3線になっており、小田急によると上りは複々線と同等の効果があるとのこと。
さらに、登戸~新百合ヶ丘間も複々線にする計画もあるとされるが、小田急単独による整備は事業採算上極めて厳しいとのことで、小田原線と江ノ島線の列車が共存する新百合ヶ丘~相模大野間の複々線化計画も、一定の輸送力を確保しているとの認識から予定はないという。

また、代々木上原駅を経由して東京メトロ千代田線・JR常磐緩行線との相互直通運転で取手駅まで乗り入れるほか、特急ロマンスカー「ふじさん」は松田駅からJR御殿場線の御殿場駅まで運行する。
このように、運行範囲は1都4県(東京都・神奈川県・千葉県茨城県静岡県)にまたがっており、首都圏の私鉄有数の営業距離を誇る路線である。
このため、JR2社(東日本・東海)の在来線管内を直接結んでいる数少ない路線でもあり、関東の大手私鉄では唯一である*1

平日朝の時間帯には、10両編成で運行される上り列車の1号車が女性専用車両に設定される。
小田急線内列車では、7:30~9:30に新宿に到着する快速急行・通勤急行・急行の全列車が対象。実施区間は始発駅→新宿間。
千代田線直通列車では、7:10~9:30に代々木上原を発着する全列車が対象。実施区間は始発駅→綾瀬・北綾瀬間。
ただし上り・下りの観点から、常磐線にも直通する列車は綾瀬に到着すると解除されるため、3路線通して設定されることはなく、9:30になるとその時点で終了する*2
ちなみに、一般列車が箱根登山線に直通していた当時は風祭駅のホーム有効長が短く、1号車しかドアが開閉しなかったことから対象外だった。
小田急の車両にはドアカット用の回路が装備されていなかったことから、非常用のドアコックを操作して駅員や車掌が手動で開閉しており*3、日本で非常用ドアコックによるドア扱いが毎日行なわれていた唯一の鉄道駅でもあった。


特徴

  • 接続のよさ
小田急は全体的に乗り換えを強いられることも少なくないが、乗り継ぎがいいため苦になりにくい。
ただし、優等列車を優先した代償として各駅停車はモロに割を食っている。
待避可能な駅が多く、下りの登戸・新百合ヶ丘・海老名、上りの町田では基本的に昼夜を問わず、優等列車との接続や特急ロマンスカーの待避の関係で3~8分待たされることになる。時間帯によってはその他の駅でも待避することがある。

  • 混雑率
2017年度時点の国土交通省の調査では、東急田園都市線の184%をも上回る全国ワースト3で、関東の大手私鉄でも地下鉄東西線に次ぐ194%の混雑率(世田谷代田→下北沢間)だったため、よく遅れていた。特に上りは代々木上原まで大混雑だった。
これでも複々線化事業の進捗によってだいぶマシになった方で、かつては200%超えかつ超絶ノロノロ運転だったとか。
複々線完成後は、小田急が想定していた160%前後を上回る151%まで混雑率が改善した。
ただし実際には快速急行などの優等列車に混雑が集中していたりする。


駅紹介

駅構内のアナウンスに関しては、新宿駅は長塚みどり氏、それ以外の駅では緒方智美氏と関根正明氏が担当しており、原則として下りが緒方氏・上りが関根氏になっている(一部例外あり)。

  • OH 01 新宿(しんじゅく)
JR山手線中央線快速中央・総武線(各駅停車)湘南新宿ライン埼京線京王線東京メトロ丸ノ内線都営地下鉄新宿線大江戸線乗り換え。
ご存じ、鉄道の駅としては世界一の利用者数を誇る始発駅。
ホームは地上と地下の2層構造で、特急ロマンスカー・快速急行・急行は地上ホーム、各駅停車は地下ホームからの発着だが、一部の快速急行と急行は地下ホームに終着する列車がある。2016年3月26日のダイヤ改正までは地下ホームに区間準急、2018年3月17日のダイヤ改正までは地上ホームに準急も発着していた*4

いずれも頭端式ホームで、地上は4面3線・地下は3面2線の構造である。特急ロマンスカーは2番ホーム(一部は3番ホーム)、快速急行・急行は4・5番ホーム、各駅停車は8・9番ホームを使用する。
構造上、1・2 / 3・4 / 5・6 / 7・8 / 9・10番ホームは線路を共用しているが、実際には3・6・7・10番ホームは隣のホームに到着した列車の降車専用ホームとして使われているため、そこから乗車することはできない。
1番ホームは主に特急ロマンスカーの降車ホームとして使われていたものの、2006年頃に使用を停止して以降は乗客の立ち入りができなくなっている。
4・5番ホームでは2012年9月30日、8・9番ホームでは2022年1月30日からホームドアの稼働を開始した。

過去にはパイオニア台車の試験運用として東急7000系(初代)が乗り入れたことがあるほか、1991年3月から2012年3月までは特急ロマンスカー「あさぎり」でJR東海の371系がホームに乗り入れていた。
現在は千代田線で大幅なダイヤ乱れが生じた際、千代田線直通列車が入線することがある。


  • OH 02 南新宿(みなみしんじゅく)
世界一のターミナルたる新宿駅の隣で、足柄駅と並んで小田急で最も利用者数の少ない駅のひとつでもある。
そもそも新宿駅は徒歩圏内で、連絡運輸こそ行っていないがJR線・都営大江戸線の代々木駅が0.5kmほど離れた場所に存在することから、いわゆる都会の秘境駅のひとつに数えられることもある。

当初は「千駄ヶ谷新田駅」(「千田ヶ谷新田」と表記されることもある)として開業し、1937年7月1日の「小田急本社前駅」への改称を経て、1942年5月1日に再改称された。
開業当初は現在地よりも新宿方にあったが、1973年12月21日に参宮橋方に150m移転している。
現在の旧駅地には新宿駅地上・地下ホームの線路の分岐器が設置されているため、痕跡はほとんど見られず、踏切脇に当時の駅舎の土台部分のコンクリート跡がわずかに残る程度である。
その他、戦時中の1945年5月26日には前夜からの東京大空襲(山の手大空襲)で旧本社と新宿駅甲州口が焼失したため、数日間全列車が当駅止まりになったこともあった。

各社で新宿を名乗る駅では最南端にして、駅全体が新宿区外(渋谷区代々木)に位置する駅でもある*5


  • OH 03 参宮橋(さんぐうばし)
普段は各駅停車のみの駅だが、明治神宮西門のすぐ近くにあるため、年末年始に運行される特急ロマンスカーの上り一部列車が臨時停車する。
当駅の近くに『秒速5センチメートル』に登場する踏切がある。
2018年11月から駅の改良工事が始まり、2020年9月19日からは東口改札口がオープンし、明治神宮への参拝や国立オリンピック記念青少年総合センターへのアクセスが向上した。
ただし、ICカード専用であることから券売機や精算機は設置されず、駅員も不在である。


  • OH 04 代々木八幡(よよぎはちまん)
正式な接続駅ではないものの、千代田線の代々木公園駅はすぐ近くにある。1972年10月20日に千代田線が同駅まで延伸し、1978年3月31日の代々木上原延伸までの約5年半は平日朝上り準急の停車と連絡運輸が行われていた。
当駅は長らく相対式ホーム2面2線で8両編成分の有効長しかなかったため、新宿発着の各駅停車に10両編成を使用できない足かせになっていたが、橋上駅舎化工事によって10両編成化された島式ホームが2019年3月16日のダイヤ改正より使用開始。これに伴い、ホームドアと可動ステップも設置されたが、他の駅とは違って6両編成には対応していないため、この改正より成城学園前以東の一般列車は全て8両編成以上での運行になった。
2021年3月17日からは、下りホーム側に日本最長となる124mの交通広告看板が設置されている。


  • OH 05 代々木上原(よよぎうえはら)
周辺は成城学園前と並ぶ高級住宅街。新宿・町田に次ぐNo.3の利用者数を誇る。
東京メトロ千代田線との境界駅で、両社の共同使用駅。千代田線ホーム(2・3番ホーム)の駅名標は帯がラインカラーの緑色になっており、さらに3番ホームには東京メトロ仕様の発車標と発車ブザーがある。
開業当初は「代々幡上原駅」で、1941年10月15日に改称。

島式ホーム2面4線の高架駅で、小田急線は1・4番ホーム、千代田線は2・3番ホームになっており、新宿方面と千代田線の接続は対面乗り換えが可能。ラッシュ時は地獄絵図だが。
逆に、新宿方面と千代田線の直通運転は配線上スイッチバックを行わなければならないため、定期列車の設定はない。
また、千代田線が遅延したり運転見合わせになったりすると、ホームがひどいことになる。
利用者数は多いがその大半は乗り換え客というパターンの駅のひとつ。
千代田線では2019年10月12日よりホームドアが稼働しており、小田急でも翌年3月22日に使用を開始した。

東北沢方には千代田線の折り返しのための引き上げ線が2本設置されている。2016年3月26日のダイヤ改正まではJRの車両が小田急線への乗り入れに対応していなかったため、この引き上げ線を使って必ず当駅で折り返していた。
その他、「あさぎり」に371系が使用されていた頃は、私鉄の駅ながらJR東日本とJR東海の車両が共演する光景も見られた。


  • OH 06 東北沢(ひがしきたざわ)
島式ホーム1面4線の構造で、ここでは内側2線が緩行線・外側2線が急行線になっており、下北沢方ほど急行線は地下に深くなっていく。
とはいえ、通過線は壁で区切られていないため、緩行線と急行線を走行する列車がホームから同時に見ることが可能。
かつては地上駅だったが2013年3月23日に地下駅になり、2018年3月3日の複々線完成までは現在の緩行線をふさぐ形で仮ホームを設置しており、当駅を含む代々木上原~世田谷代田間は全ての列車が現在の急行線を走行していた。
地上時代は内側2線がホームのない通過線で外側2線にホームが設置されている相対式2面2線の構造になっており、現在とは真逆の形だった。ただし、2005年10月1日には急行線の使用が停止されたことで各駅停車が優等列車を待避することが不可能になってしまったため、その代替として区間準急が登場し、2016年3月26日のダイヤ改正まで運用されることになった。
2019年6月23日よりホームドアが稼働している。
水泳部の某先輩の家があるのはこ↑こ↓


  • OH 07 下北沢(しもきたざわ)
京王井の頭線乗り換え。元々は小田急系列だった帝都電鉄が開業したというルーツから、2019年3月16日のダイヤ改正までは改札内乗り換えが可能だった。
利用者数は相模大野に次ぐ第10位。

島式ホーム1面2線の2層構造で、地下1階が緩行線・地下2階が急行線になっている。
かつては方向別単式ホーム2面2線*6の地上駅だったが2013年3月23日より地下駅になり、2018年3月3日の複々線完成までは当駅を含む代々木上原~世田谷代田間は全列車が現在の急行線を走行しており、しばしば渋滞が発生していた。
2019年3月30日より緩行線ホーム、2020年12月より急行線ホームでホームドアの使用が開始した。
前述の通り所在地上は世田谷区北沢で、地名としての「下北沢」は存在しないものの、現在では「シモキタ」とも略される若者の町として文化圏を形成している。


  • OH 08 世田谷代田(せたがやだいた)
東北沢と同じく島式ホーム1面2線の構造で、こちらも2013年3月23日より地下駅になった。
長らく地下2階の急行線上にある仮ホームを使用していたが、2018年3月3日の複々線完成後は地下1階の緩行線ホームが使用を開始した。また、2019年9月26日よりホームドアが稼働している。
当初は「世田ヶ谷中原駅」として開業し、1946年8月20日より現在の駅名に改称された。
京王井の頭線の新代田駅は接続駅ではないものの、都道318号線に沿ってちょうど北に位置しており、下北沢で乗り換えせずに徒歩で直接向かうことも可能。

戦争中の1945年5月25日、井の頭線の永福町検車区が東京大空襲によって被災してしまったため、当駅と新代田駅の間に「代田連絡線」が設けられ、他社線車両の借入や返却・新車の搬入・被災車両の搬出などに用いられていた。土地は戦時中の強制収用という形で買収し、資材不足から橋台が枕木でできており、応急措置的な意味合いが強かった。
しかし、戦後になって前述の経緯から土地所有者からの返還請求が相次ぎ、設備の老朽化や存在意義の消滅もあって1952年に使用を停止し、翌年10月にレールや架線を含めた全設備が撤去された。
廃線跡は住宅地が立ち並んでおり、代田連絡線の痕跡は全く見られない。強いて言えば上りホーム北側の空き地程度だったが、こちらも複々線工事による地下化で消滅した。
データ上においても、東京都の都市計画図などの内部資料に残る程度である。

地上駅時代は特段何もない途中駅で、先の通り下北沢に徒歩で行ける距離なうえ、梅ヶ丘駅ホームも遠目に見えるくらい近く、存在意義が微妙な駅だった。
しかし、地下化以降は地上線部分が緑道へと整備されてショッピングモールになっており、下北沢の活気を伸ばす形で賑わいを見せることとなった。
2022年には、同年秋クールに放送されたテレビドラマ『silent』(フジテレビ)の聖地として注目されるようになり、ドラマの人気から2022年12月16日~2023年1月31日の期間限定で、改札やコンコースにおいてBGMや主題歌が流された。
小田急によれば、11月の定期外利用者数はドラマ開始前の9月と比較して22.7%増になったという。


  • OH 09 梅ヶ丘(うめがおか)
地名としては「梅丘」(読み同じ)と書く。羽根木公園や国士舘大学世田谷キャンパス最寄り駅。当駅より高架線になっている。
2018年3月3日の複々線完成までは当駅が複々線の東端だった関係で、全列車が世田谷代田~東北沢間において現在の急行線を使用しており、上り各駅停車が時間調整を行うこともあったほか、新宿間で各駅停車が先着していた*7
2019年12月15日よりホームドアが稼働した。

ちなみに、当初は東京山手急行電鉄との将来の接続駅になる予定であり、乗り換え通路を上下共用にするため島式ホーム1面になる予定だったが、世界恐慌の影響で計画は頓挫した。


  • OH 10 豪徳寺(ごうとくじ)
東急世田谷線(山下駅)乗り換え。西側に約50m離れた位置にある。
近くには駅名や「招き猫」の由来とされている豪徳寺があるが、実際の最寄り駅は世田谷線の宮の坂駅の方が近い。駅前には2010年6月12日より御影石で作られた招き猫像が設置されている。
参宮橋と並んで『秒速5センチメートル』の聖地のひとつ。


  • OH 11 経堂(きょうどう)
島式ホーム2面5線で上りのみ、ホームのない通過線と緩行線の新宿方に複数の留置線が備えられている。千代田線・常磐線直通の上り一般列車は、当駅以東は全て緩行線を走行する。
地上時代には「経堂検車区」が存在したが、複々線化工事によって1994年に廃止され、跡地には「経堂テラスガーデン」が建設されている。

高架前の当駅が10両編成に対応していなかったことの名残りとして、かつては急行や準急が通過する時間帯が存在しており*8、2018年3月17日のダイヤ改正までは「平日9:00までと18:00以降の急行」と「平日9:00までの上り準急」、改正後は平日18:00以降の下り急行が当駅を通過していた。
急行については通過する時間帯の下限が年々狭くなっていき、2022年3月12日のダイヤ改正をもって約73年ぶりに全停車に戻った。

2021年4月1日より、当駅が最寄り駅である東京農業大学の開学130周年を記念し、小田急では初となる「東京農業大学 最寄駅」の副駅名が設定された。ただし、車内アナウンスなどでは使用されていない(副駅名がある他の駅も同様)。


  • OH 12 千歳船橋(ちとせふなばし)
区間準急の廃止以降、かつては各駅停車のみの駅としては最多の利用者数だったが、2018年3月17日のダイヤ改正からは準急も停車するようになった。そのため、準急と各駅停車のみの駅としては依然として最高である第17位の利用者数を誇っており、急行通過駅全体で見ても鶴川に次ぐ多さである。
2019年11月24日以降、接近メロディとしてオルゴール調の「知床旅情」が流れる。これは世田谷区名誉区民である森繁久彌氏が作詞作曲した曲で、彼の没後10年にちなんで制定されたものである。
同じく「千歳」の地名を冠する京王線の千歳烏山駅とはバス路線でつながっている。
鉄道事業者の制服を模したフィギュアシリーズ『鉄道むすめ』に登場する「船橋ちとせ」の名前は当駅に由来している。


  • OH 13 祖師ヶ谷大蔵(そしがやおおくら)
円谷プロ・ウルトラマン商店街や木梨サイクルで有名な街。
小田急では初の接近メロディを採用した駅で、下りは『ウルトラセブン』・上りは『ウルトラマン』のテーマ曲が流れる。
2018年3月17日のダイヤ改正からは準急も停車するようになった。


  • OH 14 成城学園前(せいじょうがくえんまえ)
その名の通り成城大学の最寄り駅で、一帯には小田急屈指の高級住宅街・成城地区が広がる。全70駅中第14位の利用者数を誇り、快速急行通過駅としては最も多い。
当初は地上駅だったが2002年3月から地下化された。
島式ホーム2面4線の構造で、一般列車は快速急行を除く全列車が停車し、緩急接続が多い。特急ロマンスカーも一部列車が停車する。
当駅の構内アナウンスは奇数ホームが関根氏・偶数ホームが緒方氏の担当になっている。

駅西側に喜多見検車区があり、入出庫線が当駅までつながっている。そのため、千代田線・常磐線直通を中心に当駅発着の列車も多く設定されている。
なお、通勤準急は当駅始発を除いて経堂まで急行線を走行するため、3番ホームに到着する。


  • OH 15 喜多見(きたみ)
世田谷区最西端の駅で狛江市との境にある。
同姓のアイドルがいるため、一部の人には有名な駅。過去には都心から玉川通り・世田谷通りの地下を通って小田急線に乗り入れる地下鉄構想や、当駅から多摩線に分岐する計画もあったが、いずれも実現せずに終わっている。


  • OH 16 狛江(こまえ)
日本で2番目に小さい市で有名(?)な狛江市の中心駅。かつての区間準急を除いて長らく優等列車は通過していたが、2018年3月17日のダイヤ改正で54年ぶりに準急停車駅に昇格し、テレビや新聞でも少し話題になった。
2013年9月1日より、接近メロディとして市の夕方のチャイム「水と緑のまち」が流れる。


  • OH 17 和泉多摩川(いずみたまがわ)
町田市を除いた小田急では東京都最西端の駅でもある。
2018年3月までは複々線の西端だったため、各駅停車が時間調整をしていたこともあった。
当初は「多摩川駅」になる予定だったが、川の対岸に稲田多摩川駅(現:登戸駅)が設けられることになったため、地名の「和泉」を加えることになった。


  • OH 18 登戸(のぼりと)
JR南武線乗り換え。
小田急では第5位の利用者数を誇り、接続駅だけあって約12万人とかなり多いが、駅前の区画整理が進んでいないせいかあまり発展していない。
藤子・F・不二雄ミュージアム」の開館にちなみ、2011年9月から向ヶ丘遊園ともども接近メロディの使用を開始。下りは「きてよパーマン」、上りは「夢をかなえてドラえもん」の接近メロディが流れる。
長らく島式ホーム2面3線の構造で、複々線・3線化工事の関係で下りは1線のみだったが、2018年3月3日の複々線完成とともに1番ホームが使用を開始した。
2019年2月26日からはミュージアムの協力で駅構内やホームが「ドラえもん」一色になった。
残念ながら箱根そばの当駅限定メニューとしてジャイアンシチューは販売されなかった。
2021年3月7日からは1・2番ホーム、5月23日からは3・4番ホームのホームドアの使用が始まった。

前述の通り、当初は多摩川と地名の「稲田」にちなんだ「稲田多摩川駅」という駅名だったが、1955年4月1日に隣の稲田登戸駅が向ヶ丘遊園駅に改称されると同時に、古い地名である「登戸」を残すために「登戸多摩川駅」に変わった。
しかし、隣の和泉多摩川駅と紛らわしかったからか、1958年4月1日より単に「登戸駅」になった。
1935年9月に小田急と南武鉄道が結んだ協定により、1936年初頭から1967年までの間は宿河原~向ヶ丘遊園間に「南武連絡線(登戸連絡線)」が設置されており、当駅をジャンクションとして電車の貸し借りをはじめ、相模川から産出されて現在の相武台前で出荷された砂利を横浜・川崎方面の京浜工業地帯へ輸送するための列車が運転されていた。1944年に南武鉄道が国鉄に編入されてからは、稲城長沼駅付近にあった弾薬庫からの輸送にも使用されたり、戦後も車両不足になった南武線と小田急が車両を貸し借りした際もこの線路を使って回送されたりしていた。


  • OH 19 向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)
登戸から歩いて10分もかからない、異様に近い駅。同駅との駅間距離は0.6kmと小田急では最短。専修大学生田キャンパス最寄り駅。
利用者数は約4.1万人と登戸とはケタ違いに差があるが、こちらの方が川崎市多摩区の中心駅としてケタ違いに発展している。
島式ホーム2面4線の構造で生田方に引き上げ線も有してあり、上りは当駅から2線化するため、登戸とは違った役割で重要な駅。当駅で特急ロマンスカーの待避を行う列車も設定されている。
前述の通り、2011年からは下りは「はじめてのチュウ」・上りは「ドラえもんのうた」の接近メロディが流れるようになった。
引き上げ線の構造上、当駅始発の準急と各駅停車は登戸まで急行線を走行するほか、特急ロマンスカーの待避や準急との連絡を行う急行は登戸まで緩行線を走行する。いずれも同駅発車後はポイントで本来の線路へと移動する。
東口の駅舎は開業当初のマンサード型と呼ばれる構造で、かつては他の駅にも存在したが改築などで姿を消し、現役なのはこの駅のみとなった。
2018年8月からリニューアル工事が開始され、2019年4月1日には南口駅舎と跨線橋の工事が完成、2020年4月1日の北口駅舎の完成を最後にが完了した。

登戸駅の項でも触れた通り、かつては「稲田登戸駅」という名前だったが、同名の遊園地の知名度を上げるために1955年4月1日に改称された。
当駅からは遊園地の正門前を結ぶ「小田急向ヶ丘遊園モノレール線」が接続していたが、2000年2月に台車に致命的な欠陥が見つかったことから運行休止となり、修理も断念され2001年2月に廃止された。
遊園地自体も2002年3月31日をもって閉園したため、現在はその名残りを駅名に残すだけになっている。跡地には藤子・F・不二雄ミュージアムが建設され、園内にあった「生田緑地 ばら苑」も川崎市が管理を引き継いでいる。


  • OH 20 生田(いくた)
明治大学生田キャンパスの最寄り駅。
当初は現在の読売ランド前が西生田駅だったことから「東生田駅」として開業し、1964年3月1日に同駅が現在の駅名に変更されると同時に現駅名になった。


  • OH 21 読売ランド前(よみうりらんどまえ)
駅名の割には「よみうりランド」からやや離れた場所にあり、バスで10分ほどかかる。むしろ日本女子大学の方が近い。
前述の通り当初は「西生田駅」だったが、遊園地が開業した1964年3月1日に改称された。なお、遊園地は1968年に「よみうりランド」とひらがな表記に変更されたものの、当駅は未だに漢字のままで、改称の動きも特にない。


  • OH 22 百合ヶ丘(ゆりがおか)
隣の新百合ヶ丘とは1.0kmしか離れておらず、神奈川県内ではかなり短い距離にある。
喜多見に代わって多摩線分岐駅の2代目候補になったが、S字カーブがあったため、柿生間に新百合ヶ丘を開業する方針に切り替わった。


  • OH 23 新百合ヶ丘(しんゆりがおか)
多摩線との分岐駅で、一部列車は新宿方面と直通運転を行っている。
島式ホーム3面6線と小田急全体でも大きな規模の駅で、起終点の新宿駅や小田原駅を除くと最もホームの数が多い。基本的に1・2番ホームが小田原・片瀬江ノ島方面、3・4番ホームが多摩線、5・6番ホームが新宿・千代田線方面になっている。
かつては時間帯に関わらず多摩急行・急行が2番ホーム、準急・区間準急・各駅停車は3・4番ホーム(新宿方面からの直通は3番ホーム)を使用しており、ホームや車内LCDにもその記載があった。

元はド田舎だったが再開発が進み、川崎市麻生区の中心駅としてかなり豪華になっている。
2018年3月17日のダイヤ改正前は、上りの5・6番ホームでは日中時間帯に快速急行新宿行きと千代田線・常磐線直通急行の同時入線が見られた。
改正後はこうした光景は見られなくなったが、「(メトロ)ホームウェイ」および平日夜下りの江ノ島線行き快速急行・急行が各駅停車唐木田行きとの対面接続のために多摩線の3番ホームに停車するなど、ダイヤ改正ごとに細かな変更が行われつつも継続されたが、これらの3番ホーム停車は2022年3月12日のダイヤ改正にて一般列車は全て廃止され、特急ロマンスカーも平日のみになった。

当駅自体は川崎市麻生区に所在するが、2030年度には現在あざみ野駅が終点である横浜市営地下鉄ブルーラインが当駅まで延伸する予定であり、開業すれば町田から横浜線を経由せずに直接新横浜横浜方面へ向かうことが可能になり、新幹線や羽田空港へのアクセスが向上する見込みである。


  • OH 24 柿生(かきお)
小田原線開業当時からある最古参の駅のひとつ。
当初は島式ホーム2面4線の構造で待避設備を備えていたが、千代田線との直通運転に伴って準急が10両編成化されると、当駅の有効長は当時8両だった上に敷地が手狭で延伸も不可能だったため、1977年11月20日をもって撤去され、待避は隣の鶴川で行うようになった。


  • OH 25 鶴川(つるかわ)
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線の構造になっていて、1977年11月21日以降は上りのみ待避設備が設置されており、平日朝には優等列車を待避する通勤準急や各駅停車が多い。
また、急行通過駅としては最大となる約4.6万人の利用者数を誇る駅でもある(第16位)。

2021年10月26日からは「和光大学 最寄駅」の副駅名が導入されている。


  • OH 26 玉川学園前(たまがわがくえんまえ)
名前の通り玉川大学最寄り駅。鶴川間には複々線の地下区間を除くと東京都内では唯一のトンネルがある。


  • OH 27 町田(まちだ)
JR横浜線乗り換え。
町田市の中心駅で、JR駅とはペデストリアンデッキで接続されているが、徒歩5分程度離れた場所にあることから乗り換えには多少時間がかかる。
約20万人と新宿に次ぐNo.2の利用者数を誇り、JRも含めると多摩地域では最も多い駅でもある。
一応高架駅だが傾斜地にあるため、玉川学園前方ではホームは地平でコンコースは地下にあるが、相模大野方ではホームは高架でコンコースも地平より高い位置にある。
線路は小田急百貨店の建物を貫通しており、2階と3階の間にホームがある珍しい構造になっている。2階側のコンコース以外にも百貨店3階に改札口があるが、百貨店の営業時間外は利用できない。
島式ホーム2面4線の構造になっており、上りの快速急行・急行はほとんどの時間帯で各駅停車と緩急接続する。また、特急ロマンスカーの待避や接続を行う列車も一部ある。
新宿方に6両編成分の引き上げ線があり、当駅発着の小田原方面との列車や、江ノ島線からの各駅停車の折り返しに使用される。

当初は「新原町田駅」として開業*9。当時は相模大野が信号所扱いだったため、当駅が江ノ島線との乗り換え駅であった。
その後、駅周辺の発展により、駅の大規模改修を控えた1976年4月11日に改称し、国鉄駅も1980年から改称している。


  • OH 28 相模大野(さがみおおの)
江ノ島線との分岐駅で、一部列車は新宿方面と直通する。利用者数は大和に次ぐ第9位。
島式ホーム2面4線の構造だが、新百合ヶ丘とは違って2・3番ホームが小田原線、1・4番ホームが江ノ島線になっていて、下りは小田原方面と片瀬江ノ島方面でホームを共用しており、上りも江ノ島線→新宿方面への乗り継ぎは対面乗り換えが可能。
また、小田原線には上下線ともに内側に通過線があり*10、特急ロマンスカーの待避をする列車も一部設定されているほか、回送列車が留置されることもある。
特急ロマンスカーは町田との相互互換という形で、基本的にはどちらかの停車を原則としているが、当駅始発の上り「モーニングウェイ」のみ両方停車する。
下りホームには「箱根そば相模大野店」があり、ホーム上で営業を続けている唯一箱根そば店舗でもある。

町田方には引き上げ線が備えられており、当駅発着の小田原方面との列車や、江ノ島線からの各駅停車の折り返しに使用される。
駅の西側には大野総合車両所が併設されている。そのため当駅発着の列車も多く、ダイヤ的には重要だが町田のせいで商圏は微妙。

当初は「大野信号所」で、1938年4月1日に駅に昇格する形で「通信学校駅」になり、江ノ島線との乗り換え駅も当駅に変更されたが、戦争に伴って1941年1月1日に改称された。これは敵からの攻撃の的になってしまうためである。
ちなみに、ホームが現在地になったのは1997年12月28日で、それまでは現在の相模大野分岐点の場所にあった。
2022年6月8日からは「相模女子大学 最寄駅」の副駅名が導入された。


  • OH 29 小田急相模原(おだきゅうさがみはら)
地元住民からは「おださが」と呼ばれており、2014年から毎年10月に開催される駅北口のお祭り「おださがロードフェスタ」にその名が使用されているあたり、定着している模様。
利用者数も千歳船橋に次ぐ第18位ということから地元からは急行の停車要望が出ている。

当初は単なる「相模原駅」だったが、1941年4月5日に横浜線で同名の駅が誕生したことで現在の駅名になり、1974年6月1日に多摩線の小田急永山駅が開業するまでは「小田急」を冠する唯一の駅でもあった。

当駅は座間市と相模原市の境にあるため、改札を出て徒歩数分で座間市であり、最寄りのイオンも座間市に所在する。北口から直通バスも出ている。


  • OH 30 相武台前(そうぶだいまえ)
こちらも座間市と相模原市の境にある駅。
駅の南側には電気機関車や貨車の基地だった相武台工場の跡地である留置線があり、ダイヤ乱れ時には当駅で折り返し運転が行われることがある。かつては終電間際に当駅止まりの列車が毎日2本設定されていたが、2018年3月17日のダイヤ改正後は海老名行きに延長される形で廃止された。上り始発は平日朝のみ2本現存している。
1960年3月25日のダイヤ改正以降は一部の急行が停車していたが、1999年7月17日のダイヤ改正をもって種別変更列車以外は通過になった。
島式ホーム2面4線の構造になっていて待避が可能で、朝と夜の時間帯を中心に通勤準急・準急・各駅停車が優等列車の待避を行っている。

当初は「座間駅」として開業し、陸軍士官学校が座間村に移転されたことを受けて、1937年1月1日に「士官学校前駅」に改称された。その後、秘匿化のために昭和天皇が士官学校の別名として「相武台」と命名したことで、1941年1月1日から現在の駅名になった。「前」がつくのは軍施設に関してのみ「相武台」とするという指示があったためで、士官学校が解体されてからは地名として広く用いられるようになっている。
ちなみに、江ノ島線とは当初は当駅で分岐する予定だったが、当時の当駅周辺には農業地が多かったため、山林が主だった相模大野駅からの分岐になった。


  • OH 31 座間(ざま)
開業時は現在の相武台前が座間駅だったため、当駅は「新座間駅」として開業。その後、当時の小田原急行鉄道が駅前に向ヶ丘遊園に続く第2の遊園地「座間遊園」を造営することを計画し、1937年7月1日に駅名も「座間遊園駅」に改称された。
しかし、昭和恐慌や太平洋戦争の勃発で頓挫し、計画を破棄した1941年10月15日に改称された。


  • OH 32 海老名(えびな)
相鉄本線、JR相模線乗り換え。相模線の駅は多少離れた場所にあるので乗換にはやや時間がかかる。
海老名市の中心駅で、登戸に次ぐ第6位の利用者数を誇る。
本厚木とともに接近メロディを導入した2例目で、海老名市および厚木市出身の音楽ユニット・いきものがかりの「SAKURA」が使用されている。
島式ホーム2面4線の構造で、下りはほとんどの時間帯において快速急行・急行と各駅停車が緩急接続しており、特急ロマンスカーの接続や待避が行われることもある。
駅前には「ビナウォーク」「ららぽーと」など多くの商業施設が立ち並んでおり、2021年4月19日には歴代ロマンスカーを展示する「ロマンスカーミュージアム」が開業した。

長らく特急ロマンスカーの停車を望む声が挙がっており、ららぽーとの完成や海老名市の人口増加に伴って利用者が増え、また相鉄新横浜線開業に伴う都心乗り入れに先手を打つ形で、2016年3月26日のダイヤ改正から停車駅に昇格した。
本厚木の相互互換という形で、基本的にはどちらかの停車を原則としているが、「(メトロ)ホームウェイ」「(メトロ)モーニングウェイ」を中心に両方停車する列車もある。

海老名検車区が隣接しており、当駅発着の列車も一部設定されている。
構内にはロマンスカーSEの保存を目的に設置された車庫があり、同形式がロマンスカーミュージアムに移された現在は、過去の通勤形車両(9000形・2600形・2200形)が収容されている。

当駅は大東急*11と神中鉄道(現:相模鉄道)との接続駅として開業したものの、東急の列車は全て通過し、神中鉄道の相模厚木駅(現:本厚木駅)への直通および線内折り返しのみ停車しており、「海老名国分駅」が現在の海老名駅の役割を果たしていた。
その後、1943年4月1日に同駅が廃止されたことで小田原線での旅客営業を開始し、1973年12月21日より小田原方に約400m移転した。

なお、小田急では2016年3月26日のダイヤ改正よりE233系2000番台、相鉄では2019年11月30日のダイヤ改正よりE233系7000番台が乗り入れているため、全ての海老名駅においてJR東日本の車両が乗り入れていることになる。
そのため、グループ会社ではない鉄道会社が3社以上乗り入れている駅の中で、同一会社の車両が全ての路線に乗り入れている珍しい駅でもある*12


  • OH 33 厚木(あつぎ)
当初は「河原口駅」という名称だったが、1944年6月1日に改称。ただし、当駅は相模川の対岸、つまり海老名市にありながら厚木を名乗っている駅である。そのため、「偽厚木」などとたびたびネタにされている。
駅名の改名要望もたびたび出されているが、広く定着している上に多額の費用がかかることから、小田急・JRともに変更の予定はないとのこと。2012年2月からは小田急の駅名標には「神奈川県海老名市」と併記されている。
理由は諸説あり、最初に当駅に線路を伸ばした現在の相鉄が相模川を越えて厚木市までの建設を計画していたものの、資金不足から断念し、やむなく現在のあゆみ橋のたもとにある相模線との接続点を終点に「厚木への玄関口」として命名した説や、当時の海老名村は人口約9000人の寒村で小田急線も未開業だったため、海老名村長兼相鉄の重役だった望月珪治と厚木町の助役兼神中鐵道の重役だった中野再五郎が相談の上、県央地域の中心地でネームバリューが高かった人口30000人の厚木町の名前を借りたという説もある。

小田急の神奈川県内では数少ない高架駅。当駅もJR相模線と接続しているが、乗り換えが便利なのはこちら。主要駅の両者に挟まれていることもあってか、他社線との接続駅では最も利用者数が少ない駅でもあり、約1.5万人と海老名の6分の1にも満たない。
駅は両社が構内を共用する共同使用駅になっており、国鉄時代の1977年2月から小田急が駅を管轄しているため、改札口は両者共用である。自動改札機も全て小田急仕様で、2014年2月14日までは両線の乗り換え口に簡易改札機(読み取り機)が設置されていたが、翌日からは正式な自動改札機が設置されている。
よって、当駅で相模線を利用する場合は改札を2回通る必要がある。券売機も同様に小田急仕様だが、2016年2月15日まではJR仕様のものもあった。
基本的に優等列車は通過するが、ダイヤ乱れ時および毎年8月に行われる「鮎まつり」などのイベント開催時は臨時停車している*13

前述の通り厚木市街地からは相模川を隔てて2.0kmほど離れている上に、海老名市の中心市街でもないことから駅前は寂れており、飲食店が多少ある程度。上記の通り当駅は改札が1か所しかないため、北側にある歩道橋は駅の東西を行き来するために設けられたものである。


  • OH 34 本厚木(ほんあつぎ)
厚木市の中心駅はこちら。利用者数は海老名に次ぐ第7位で、接続路線はないもののバス路線が充実しており、私鉄で乗り換え路線のない単独駅では全国有数である。
小田急では最西端の高架駅。島式ホーム2面4線の構造になっていて、特急ロマンスカーの接続や待避を行う列車がある。各駅停車は基本的に当駅以東での運転になっており、愛甲石田方に引き上げ線もあることから当駅発着の列車も多数設定されている。
接近メロディとしていきものがかりの「YELL」が使用される。
本厚木ミロードと直結しており、ミロード1の4階にも改札口がある。
駅前は北口を中心に多くの商業施設や飲食店が立ち並び、昼夜たくさんの人でにぎわっており、2020年には「住みたい街ランキング」で1位になった。
2023年からホームドアの使用を開始したが、当駅は特急ロマンスカーが停車する関係で2枚構造の大開口ホームドアが設置されている。

開業時に旧相模鉄道(現:相模線)の厚木駅がすでにあったため、当初は「相模厚木駅」として開業。その後、1944年6月1日に隣の河原口駅が厚木駅に変わったことを受け、当駅も「本来の厚木」という意味で改称された。
また、2023年7月1日からは「東京農業大学 厚木キャンパス 最寄駅」の副駅名が導入された。


  • OH 35 愛甲石田(あいこういしだ)
厚木市と伊勢原市にまたがる駅。
2017年9月24日から2018年3月1日まで、上りホームにて昇降式ホームドアの実証実験が行われていた。
南側には向上高校や自修館中等教育学校などの学校が点在するため、学生の利用が多いが、国道246号に面した北側はロードサイド店舗が多く、平日の日中の利用者も決して少なくない。
『鉄道むすめ』に登場する「石田あいこ」の名前は当駅に由来している。


  • OH 36 伊勢原(いせはら)
伊勢原市の中心駅。大山への玄関口で、駅名標の下に「大山ケーブルカー下車駅」と記載されている。
長らく特急ロマンスカーは臨時列車を除いて停車しなかったが、2016年3月26日のダイヤ改正で海老名と一緒に停車駅に昇格した。
島式ホーム2面4線の構造になっていて、特急ロマンスカーの待避を行う列車もあるが、他の駅とは違って当駅で1・4番ホームに入線しての接続はほとんど行われない。
当駅発着の列車も一部設定されているが、引き上げ線が存在しないことから始発上り列車は下りの1番ホームから発車するので間違えないように。新宿方面からの折り返しも同様に1番ホームに入線し、片渡り線を利用して愛甲石田方へ発車する。

2018年3月17日のダイヤ改正より、準急の運行が当駅までになり、これまで本厚木から回送していた千代田線・常磐線直通列車が営業運転化され、乗り入れるようになった。
2022年3月12日のダイヤ改正までは取手駅からの急行という、営業キロ100.3kmというロングラン列車が設定されていた。これは副都心線を直通する元町・中華街~小川町間の100.1kmや、半蔵門線を直通する中央林間~南栗橋間の98.5kmをも上回り、料金不要の東京メトロ直通列車としては最長の運転距離を誇る列車だった*14
その他、2019年3月16日のダイヤ改正からは通勤準急の起点も当駅まで延長され、当駅から千代田線・常磐線に乗り入れる初の列車になった。


  • OH 37 鶴巻温泉(つるまきおんせん)
秦野市にある温泉街だが、一見すると普通の住宅街にある駅。将棋ファンには有名な「陣屋旅館」の最寄り駅でもある。最近になって駅舎が大きく改良されている。
駅名は「鶴巻駅」から始まり、駅の近くにある鶴巻温泉の組合からの要望で1930年3月15日に「鶴巻温泉駅」に改称。その後、戦争中に「温泉」の文字はふさわしくないということで1944年10月20日に再度「鶴巻駅」に変更され、戦後の混乱が収まった1958年4月1日に再び改称された。


  • OH 38 東海大学前(とうかいだいがくまえ)
名前の通り東海大学湘南キャンパスの最寄り駅ではあるが、駅から南に下った小高い丘の上にあり、徒歩で20分ほどの距離にある点に注意。読売ランド前といい小田急には駅名詐欺が多いような……。平塚市も近くに位置している。
鶴巻温泉間は1.1kmと神奈川県内では短い位置にあるが、逆に伊勢原~鶴巻温泉間は3.7km、秦野間は4.7kmとかなり遠い。
開業時は「大根(おおね)駅」という名称で、1987年3月9日の橋上駅舎化に際して、資金提供した東海大学への謝意として現在の駅名に改称された。
駅前には地元住民の働きかけで旧駅名を後世に伝えるための石碑が立っている。


  • OH 39 秦野(はだの)
秦野市の中心駅。島式ホーム2面4線の構造になっていて、特急ロマンスカーの待避や接続を行う列車がある。伊勢原と同じく引き上げ線が存在しないことから、折り返しを含めた当駅始発の上り列車は1番ホームから発車しており、東海大学前方にある片渡り線を利用して上り線に向かう。このため、ダイヤ乱れ時などには当駅で折り返し運転が行われることがある。
駅舎は1997年に通商産業省(現:経済産業省)のグッドデザイン商品(現:グッドデザイン賞)を受賞しており、関東の駅百選に選ばれたこともある。

かつては専売公社農場(現:イオン秦野店)付近に葉タバコ運搬用の軽便鉄道である湘南軌道の駅が設けられており、そこが「秦野駅」だったため*15、当駅は「大秦野駅」として開業。
湘南軌道が廃止されてからも大秦野駅のまま続き、1987年8月9日に地元住民からの要望と地名が「はだの」と呼ばれている現状を受けて「秦野駅」になった。
2022年10月21日からは「出雲大社相模分祠 最寄駅」の副駅名が導入されている。


  • OH 40 渋沢(しぶさわ)
標高163mと小田急では最も高い場所にある駅。秦野市がZARDのボーカルである坂井出水氏の出身地で、高校時代は当駅から通学していたことから、2014年から接近メロディが流れており、下りは「揺れる想い」、上りは「負けないで」が使用される。
1945年には大秦野間に軍需工場完成による新駅設置の計画があり、ホームも完成していたものの、終戦を迎えたことで立ち消えになった。
『鉄道むすめ』に登場する「渋沢あさぎ」は当駅と特急ロマンスカー「あさぎり」に由来している。


  • OH 41 新松田(しんまつだ)
松田町の中心駅。町民のみならず大井町・開成町・山北町・南足柄市からの利用者も多い。
渋沢間の距離は小田急最長の6.2kmで、これは新宿~梅ヶ丘間(6.3km)とほぼ同等の長さである。この区間は特急ロマンスカーがよく映えることから、CMなどで風景が多用されている。
2012年3月17日のダイヤ改正までは主に当駅で一般列車の分割・併合が行われており、現在でもその名残りである「分割案内板A」が残っている。

島式ホーム2面4線の構造になっていて、下りは快速急行・急行が各駅停車小田原行きと緩急接続することが多いほか、上下線問わず特急ロマンスカーの待避を行う列車もある。
当駅~小田原間の急行通過駅4駅は10両編成に対応していないため、長らく6両編成の各駅停車が毎時3往復運行されていたが、2022年3月12日のダイヤ改正以降は町田・相模大野~小田原間でかつての「赤丸急行」に相当する列車での運行になったため、日中時間帯の設定がない。
小田原方に引き上げ線があるため、当駅発着の列車も設定されている。構造上、上り列車の折り返しについては他の駅とは違って3回のエンド交換を行う必要がある。
1966年6月1日より、朝と夜の時間帯には特急ロマンスカーも停車駅していたが、2018年3月17日のダイヤ改正をもって全列車通過になった。ただし、同駅とは違って「桜まつり」開催に伴う臨時停車はある。
8両編成の列車の運行は最遠でも当駅までとなる。
さんかれあ』の聖地。

御殿場線の松田駅と接続しており、運賃計算上同一駅になっている。「ふじさん」は駅手前の連絡線を通って松田駅に到着し、そのまま御殿場線に直通する。関東の大手私鉄とJR東海の在来線が接続する唯一の駅でもある。
この連絡線は1994年10月より、小田急や箱根登山線の新型車両搬入にも使用されており*16、この際に専用の資格を持つ小田急の運転士によるJRの電気機関車(EF65形)が当駅まで乗り入れる。


  • OH 42 開成(かいせい)
開成町の中心駅。町は小田急線が通る市区町村では唯一駅がなかった地域でもあり、要望を重ねた末に1985年3月14日に小田急68番目の駅として開業。
新松田~小田原間の途中駅では唯一小田原市外にあると同時に、唯一約1万人程度の利用者数を持つ駅でもある。
駅東側には留置線が3本あり、終電後やトラブル時の留置に使用されているが、ポイントの構造上小田原方面としか入出庫できない。
特急ロマンスカーは基本的に停車しないが、初夏に行われる「あじさい祭り」の時期には臨時停車することもある。

長らくホーム有効長は6両編成分であり、新松田以西で準急が廃止されてからは各駅停車と6両編成の急行(赤丸急行)のみの停車だったが、2018年3月17日のダイヤ改正で赤丸急行も全廃されたことで急行通過駅になった。
しかし、人口増加を受けて2019年3月16日のダイヤ改正でホームが10両編成分に延伸され、再び急行停車駅に復帰したほか、快速急行も新松田~小田原間を急行として運転する列車が設定されるようになった。
駅は小田原市との境近くにあって町の中心部からは離れていることから、町民であっても新松田駅を使う方が便利な人も少なくないが、隣接する南足柄市や酒匂川の対岸にある大井町からの利用者も一定数いる。


  • OH 43 栢山(かやま)
  • OH 44 富水(とみず)
  • OH 45 螢田(ほたるだ)
いずれもホーム有効長は6両編成分で、10両編成の列車は停車できない。2019年3月16日のダイヤ改正で10両編成化されて急行停車駅に復帰した開成とは違い、利用者数が少ないことから未だに各駅停車のみの駅である。駅によっては踏切が駅を挟んでいるため、延伸が難しい点もある。
かつては6両編成の急行(赤丸急行)も停車していたが、2018年3月17日のダイヤ改正で全廃された。


  • OH 46 足柄(あしがら)
栢山~螢田間と同様に各駅停車のみの駅で、6両編成までしか停車できない。かつては6両編成の急行(赤丸急行)も停車していたが、2018年3月17日のダイヤ改正で赤丸急行も全廃された。
当初は付近の地名から「多古駅」とする予定だったが、語呂が悪いということで採用されなかった。
南新宿駅と肩を並べる小田急で最も利用者数が少ない駅のひとつ。とはいえ、曲がりなりにも毎時6本確保されているあちらと違って当駅はその半分しかなく、運行本数の面では大きく差をつけられている。

駅構造は上記の3駅とは異なり、単式ホーム1面1線と島式ホーム2面2線の計2面3線の構造になっていて、改札口も1か所のみである。上りのみ待避設備を備えているが、使用される頻度は少ない。
駅構内には留置線があり、かつて存在した足柄車庫の跡地である。かつては日本専売公社小田原工場専用線が延びていたが、1984年に廃止された。
なお、御殿場線に同名の駅が存在するが、「足柄」は箱根の枕詞を意味しており、同じエリアを指す広域地名を名乗る同名の駅が全く別の県に存在する珍しい例。
一応、神奈川県と静岡県の県境には足柄山(金玉山)や足柄峠があり、周辺の地名はそこから由来しているので決して無関係ではない。


  • OH 47 小田原(おだわら)
箱根登山鉄道線、東海道新幹線、JR東海道線上野東京ライン・湘南新宿ライン)、伊豆箱根鉄道大雄山線乗り換え。
小田急も含めて5つの会社が乗り入れている駅で、新幹線以外は地上ホームで乗り換え可能。
終点駅で、神奈川県西部の中心都市である小田原市の代表駅。
2面3線の島式ホームである7~10番ホームが組み合わさり、ホームに平行して北側に留置線が1線ある。中側2線の8・9・11番ホームは行き止まりの頭端式で、特に箱根登山線側の11番ホームにかかる線路は7・8番ホームに入り込んでおり、このために7番ホームの一部は切り欠きホームという特殊な構造である。駅構内アナウンスは全ホームで緒方氏が担当。
かつては箱根湯本まで乗り入れる一般列車も多かったが、2018年3月17日のダイヤ改正からは特急ロマンスカー以外の下り一般列車は全て当駅までの運転になった。


廃駅

  • 山谷(さんや)
南新宿~参宮橋間。各駅停車のみ停車していたが、駅間距離が非常に短かったことから利用者数は少なく*171945年7月1日に休止され、1年後の1946年6月1日に廃止された*18

  • 海老名国分(えびなこくぶ)
座間~河原口(現:厚木)間。現在の海老名駅よりも1.1kmほど新宿方にあった。
当時の海老名駅は神中鉄道の相模厚木駅(現:本厚木駅)への直通および線内折り返しのみ停車しており、東急の列車は当駅に停車していた。
その後、海老名駅で小田原線の旅客営業が始まり、神中鉄道を合併した相模鉄道との接続が実現したため、当駅は1943年4月1日をもって廃止された。


車両基地

現行施設

  • 大野総合車両所
経堂工場と相武台工場に代わる新たな工場として、1962年10月19日に相模大野駅近くに「大野工場」として開設。その後、2009年12月に海老名検車区大野出張所と統合され、「大野総合車両所」へと再編された。
相模大野駅の小田原方に位置し、全般検査および重要部検査が行われているほか、解体線も有している。
しかし、開設から60年以上が経過したことで老朽化が進み、2033年度を目途に伊勢原市串橋地区(伊勢原~鶴巻温泉間)への移転ならびに新駅の設置が計画されている。


  • 喜多見検車区
経堂検車区に代わる新たな車両基地として、1994年3月27日に複々線化事業の一環として開設される。地理上は喜多見駅の方が近いが、線路上は成城学園前駅からつながっており、かつては過去の車両が保存されていたが、列車増発による留置スペース確保およびロマンスカーミュージアム建設が具体化したこともあって解体ないし移設された。留置線の屋上は世田谷区立公園である「きたみふれあい広場」になっている。
かつては業務の一部を小田急車両工業が行っていたが、2008年7月からは完全直営に戻った。


  • 喜多見検車区唐木田出張所
1990年3月27日の多摩線唐木田延伸とともに開設。当初は経堂検車区の所属だったが、1994年3月27日以降は同区を引き継ぐ形で発足した喜多見検車区の所属になっている。
東端の2本は正確には本線の扱いになっているが、これは将来の延伸を考慮した措置であり、現時点では新型車両の試運転の折り返しなどに用いられている。


  • 海老名検車区
1972年12月18日に開設。毎年行われる「ファミリー鉄道展」の開催時には一般客も立ち入ることが可能。
多数の留置線が設けられており、時間帯によってはロマンスカーだけでなくJRや東京メトロの車両が停まっていることもある。
喜多見検車区と同様にかつては業務の一部を小田急車両工業が行っていたが、2008年7月からは完全直営に戻った。


過去の主な施設

  • 経堂工場
1927年の小田急開業当時より、経堂駅の北側にあった施設。当初は「経堂車庫」だったが、1940年に「経堂工場」に改称され、1950年には新設された経堂検車区に一部業務を移管した。
しかし、車両数の増加によって工場が狭くなった際、本工場と相武台工場は拡張が困難だったため、これらに代わる新工場の建設計画が進み、1962年に大野工場が発足すると同時に廃止された。


  • 経堂検車区
1950年に業検査と交番検査を行なう現業機関として、経堂工場の一部業務を引き継ぐ形で発足。複々線化工事により、1994年3月27日に喜多見検車区が設置されると同時に廃止された。
経堂駅の新宿方北側に位置しており、線路を挟んだ南側と4番ホームと旧小田急経堂アパートの間にいくつかの留置線があった。同駅新宿方の上り緩行線に設置されている留置線はこの跡地である。
旧小田急経堂アパートがあった場所に工場建屋が建っており、跡地は小田急不動産運営の賃貸マンションである「リージア経堂テラスガーデン」として再開発された。


  • 相武台工場
1927年の小田急開業当時より設置されており、主に電気機関車と貨車の各種検査を担当していた。しかし、経堂工場と同様に車両数の増加による拡張が困難だったため、大野工場が建設された1962年に廃止された。
その後、電気機関車と貨車は海老名検車区の所属になったが、通常は引き続きこの留置線を基地として運用され、月検査時などにのみ所属区へ回送されていた。
現在の相武台前駅の留置線は本工場の跡地である。


  • 足柄車庫
1927年の小田急開業と同時に開設された。現在の足柄駅の留置線は本車庫の跡地で、「はこね」で運用されるEXE・MSEの4両編成が小田原駅で切り離された後に入線することが多い。
かつては留置線から日本専売公社小田原工場専用線が延びていたが、1984年に廃止された。


  • 海老名検車区大野出張所
1954年9月に「大野検車区」として発足したが、2002年に大半の業務を海老名検車区に移管したことで「海老名検車区大野出張所」に縮小され、2009年12月に大野総合車両所に統合される形で廃止された。


列車種別

列車によっては、途中駅で種別変更を行う場合がある。いずれも1つ前の駅を発車・通過後に変更し、途中駅からは変更後の種別で案内される*19。行き先は変更されない。2018年3月17日のダイヤ改正までは種別も行先も変更していた。

同改正より「各停」が「各駅停車」に、急行の派生種別で表記されていた「○○ Exp.」が「○○ Express」になるなど、種別表示や英表記が略されずに表記されるようになった。

種別によって走行する線路が異なり、原則として優等列車(特急ロマンスカー・快速急行・通勤急行・急行)は急行線、通勤準急・準急・各駅停車は緩行線を使用する。ただし、上りについては経堂・成城学園前・登戸付近にポイントがあって転線が可能で、成城学園前発を除く通勤準急の全列車と一部の急行・準急・各駅停車は、一定の区間だけもう一方の線路も使用することがある。


小田急線内種別

有料・全席指定で特急券が必要な特急列車。停車駅や発着駅は列車によって異なる。
詳細は当該項目を参照。


  • 快速急行
遠近分離の実現および新宿~小田原・藤沢間で競合する湘南新宿ライン対策として、2004年12月11日のダイヤ改正で湘南急行を発展させる形で誕生した、一般列車では最速の種別。2018年3月17日のダイヤ改正で朝夜にも大増発され、大幅に運用が変化した。
全列車が10両編成で運行し、当初より途中駅での分割・併合は存在しないため、箱根登山線には乗り入れない。
複々線を利用して下北沢~登戸間をノンストップ走行するのが最大の特徴である。

日中時間帯は新宿~小田原・藤沢間をそれぞれ毎時3往復ずつ運行。そのため、新宿~相模大野間は毎時6本が運行されることになる。多摩線発着列車は平日下り4本と土休日朝上り2本のみの運行。
小田原線では朝下りの海老名発小田原行き1本を除く全列車が新松田~小田原間を急行として運転。江ノ島線では平日朝上りのみ、藤沢を8時台までに発車する急行全列車が相模大野から小田原線内快速急行として運行される。
2018年3月17日のダイヤ改正以降の江ノ島線系統は土休日のみ大半の列車が片瀬江ノ島発着で運行されていたが、2022年3月12日のダイヤ改正で全て廃止され、終日藤沢発着になった。

ちなみに、運行開始当初から2018年3月17日のダイヤ改正までは登戸を通過しており、下北沢~新百合ヶ丘間を無停車で運転していた。そのため、間違えて乗ったり寝過ごしたりすると悲惨なことになり、俗に「快速急行トラップ」とも呼ばれた。


  • 通勤急行
2018年3月17日のダイヤ改正で設定された種別(運転開始は19日から)。
平日朝上りのみの運転で、全列車が多摩線からの直通である。6本が小田急多摩センター、3本が唐木田始発で、最後の1本のみ8両編成だったが、2019年3月16日のダイヤ改正より全列車が10両編成に統一された。
同改正で廃止された多摩急行に近い設定だが、千代田線・常磐線直通列車はなく全て新宿行きである。
停車駅は急行に準ずるが、登戸と経堂は通過する。登戸に停車する快速急行との千鳥停車になっており、同駅で降りられなくなる「通勤急行トラップ」に注意。
かつての経堂通過の急行と同じく、成城学園前到着時には「この電車は経堂にはとまりませんのでご注意ください」という車内アナウンスが入る。

本種別は1955年3月25日から1971年4月19日まで存在しており、約47年ぶりの復活である。
初代設定当時の途中停車駅は下北沢・稲田多摩川・稲田登戸・新原町田・本厚木・伊勢原・鶴巻・大秦野・渋沢・新松田で、急行停車駅に稲田登戸を追加したものである。朝上りと夜下りに運行され、1960年3月25日のダイヤ改正からは上りのみ成城学園前にも停車するようになったほか、江ノ島線でも運行を開始した。1964年11月5日の改正からは全列車が成城学園前に停車するようになり、急行と差別化された。
しかし、1970年11月9日のダイヤ改正で稲田多摩川が急行停車駅に昇格し、成城学園前も1971年4月19日のダイヤ改正で同様に昇格したことで急行との違いがなくなったため、統合される形で廃止された。


  • 急行
日中時間帯は新宿~唐木田間・町田~新松田間・新松田~小田原間でそれぞれ毎時3往復ずつが運転され、順に「多摩線内は各駅停車」「新松田~小田原間は各駅停車」「新宿~新松田間は快速急行」と種別変更するいわゆる「化け列車」の設定も多い*20
江ノ島線発着列車は朝下り・朝夜上りのみの設定で、片瀬江ノ島・大和発の朝上り1本(後者は平日のみ設定。いずれも平日は相模大野から快速急行)を除く大半が藤沢発着で運行。

基本的に10両編成だが、新松田~小田原間を各駅停車として運行する列車は6両編成で運行される。
本厚木~開成間は各駅に停車する。

かつてはラッシュ時を中心に途中駅で分割・併合を行い、箱根登山線直通列車や相模大野で小田原・片瀬江ノ島方面に分かれる列車を連結していたりしたこともあった。
前6両+後ろ4両の現在とは異なり、当時は前4両+後ろ6両という組み合わせ(通称「逆10両」)も存在し、さらに4000形(初代)は5両固定編成もあったことから5+5両編成で運行されることもあった。
分割時の案内としてホーム上に「分割案内板」が掲示されており、車両長(以前は18m級もあった)や編成の関係で最盛期にはAからEまで存在していた。いずれも新宿方の車両によって決定され、18m級4両編成だと「A」・20m級4両編成だと「B」・20m級5両編成だと「C」・18m級6両編成だと「D」・20m級6両編成だと「E」で案内されており、前6両+後ろ4両はA・B、逆10両はD・Eに該当していた。
次第に18m級の車両は消滅し、4000形(初代)も全車両が6・4両編成に改造されてからもしばらくはそのまま残っていたが、後にB→A・E→Dにそれぞれ変更され、逆10両も廃止されたことからAのみが残った。
2008年3月15日のダイヤ改正より、風祭駅の新駅舎*21と小田原駅の箱根登山線用折り返し線の使用が開始されたことで、小田原~箱根湯本間で4両編成の列車による線内折り返し運転が可能になったことから、新宿~小田原間は10両編成が基本になり、箱根登山線への定期的な乗り入れは行われなくなった。
そして、2012年3月17日のダイヤ改正をもって一般列車の分割・併合が全て廃止されたため、急行の箱根登山線直通は終了した。
現在でも一部の駅に「分割案内板A」が残存しており、分割・併合が可能なEXE・MSEで運用される際には「ホーム中ほど、分割案内板Aを境に~」との放送が入る。

かつては、町田・相模大野発着で本厚木~小田原間の各駅に停車する6両編成の急行が運転されており、発車標に赤い丸が描かれていたことから「赤丸急行」とも呼ばれていた。
やがて本数が少なくなっていき、2018年3月17日のダイヤ改正をもって全廃されたため、開成~足柄間の途中5駅は急行停車駅から外れたものの、代わりに新松田~小田原間を各駅停車、町田・相模大野~新松田間を急行として運行する列車が設定されたため、事実上改正前の赤丸急行を維持している形になっている。
当初は上りのみだったが、2022年3月12日のダイヤ改正からは下りも設定され、日中時間帯(土休日はほぼ終日)はこれまで運行されていた新松田~小田原間運行の各駅停車をまかなっている。そのため、これまでの主力だった小田原線全線運行の10両編成は朝と夕方以降の時間帯に限られており、その関係で新百合ヶ丘~町田間は急行の運行が大幅に減少した。
このうち、開成駅はホーム延伸工事を行って10両編成化したため、2019年3月16日のダイヤ改正で急行停車駅に復帰した。


  • 各駅停車
日中時間帯は新宿~本厚木間で毎時6往復、新松田~小田原間(町田~新松田間は急行)と小田原~箱根湯本間で毎時3往復が運転されており、本厚木~新松田間を通る列車はほとんど存在しない。
大半が8両編成だが、ホーム有効長の関係上で新松田~小田原間を通る列車は6両編成以下、箱根登山線を通る列車は4両編成で運行される。2019年3月16日のダイヤ改正で代々木八幡駅の10両編成対応工事が完了したため、新宿~代々木上原間で10両編成の各駅停車の運行が開始している。

前述の急行の項目の通り、一部列車は途中駅で種別変更が行われる。
2018年3月17日のダイヤ改正前は、本厚木・新松田発で小田原を越えて箱根登山線に直通する列車があったが、同改正で廃止された。上りは平日朝に1本のみ新松田行きが現存している。
同改正以前では、種別幕などにおいて「各停」と省略されて表記していたが、改正後は省略せずに「各駅停車」と表記されるようになった。


千代田線・常磐線直通

特急ロマンスカーは全列車が千代田線の北千住駅、急行と通勤準急は最長で常磐線の我孫子駅、準急と各駅停車は最長で取手駅、および一般列車は北綾瀬駅まで乗り入れる。特急ロマンスカー以外は全列車が10両編成で運行され、千代田線・常磐線内は各駅に停車する。
基本的に成城学園前・向ヶ丘遊園発着がメインで、複々線を超えて本厚木・伊勢原発着で運転される列車は朝夜のみになっている。一方、千代田線・常磐線側は主に我孫子駅発着で運行される。
2021年3月13日のダイヤ改正より、各駅停車の我孫子~取手間は平日のみの運行になり、土休日の運行が廃止されている。

2018年3月17日のダイヤ改正までは常磐線・千代田線~多摩線間の運行が主力だったが、改正後の唐木田行きは平日の取手発の各駅停車1本のみになった。
2019年3月16日のダイヤ改正からは、10両編成化対応により北綾瀬駅発着の列車が新設されたほか、前述の取手発各駅停車唐木田行きは同駅始発に変更されたため、常磐線と多摩線を結ぶ列車は完全に消滅したが、2020年3月14日のダイヤ改正で松戸発急行唐木田行きが登場したことで1年ぶりに復活し、2021年3月13日のダイヤ改正では我孫子発に延長された。
しかし、2022年3月12日のダイヤ改正で廃止され、再び多摩線と千代田線・常磐線を結ぶ列車は消滅した。

種別表示については、千代田線直通の場合、車両に関係なく東北沢を発車・通過後に青地の「各駅停車」表記に変更し、車内LCDも代々木上原から変更される(同駅始発は最初からその表記で、全区間各駅停車の場合は変更なし)。さらに常磐線に直通する場合、種別幕・車内LCDともに綾瀬からエメラルドグリーン地の「各駅停車」表記に変更するが、東京メトロ16000系については、常磐線直通の場合は種別幕のみ代々木上原の段階で「各駅停車」と白地の黒色表記で案内される(あくまで種別幕のみで、車内LCDでは他の車両と同じく青地である)。
常磐線から千代田線・小田急線に直通する場合、常磐線内はいずれの車両も車内LCDではエメラルドグリーンで「各駅停車」表記(4000形とE233系2000番台は種別幕も)、16000系は種別幕のみ「各駅停車」と白地の黒表記で、綾瀬から小田急線内の種別で案内する(全区間各駅停車および代々木上原止まりは青地の「各駅停車」表記)。北綾瀬・綾瀬始発の場合は最初から小田急線内の種別または青地の「各駅停車」表記である。


北千住~箱根湯本間の「メトロはこね」を中心に、土休日のみ運行される北千住~片瀬江ノ島間の「メトロえのしま」、夜下りに運転される北千住・大手町(平日のみ)→本厚木間の「メトロホームウェイ」、朝上りに設定されている本厚木→北千住間の「メトロモーニングウェイ」の4種類がある。
詳細は当該項目を参照。


  • 急行
千代田線・常磐線直通列車としては最上位種別。日中時間帯は我孫子~向ヶ丘遊園間が毎時3往復運行されている。そのため、代々木上原~向ヶ丘遊園間は小田急線内列車も含めて毎時6本が運行されることになる。
上り列車は経堂から先は緩行線を走行し、下北沢には地下1階の4番ホーム到着になる。配線の都合上、成城学園前発着については原則として同駅~経堂間は緩行線を走行しており、さらに上りについては前述の通り、経堂以東も引き続き緩行線を走行する。


  • 通勤準急
2018年3月17日のダイヤ改正で設定された種別(運行開始は19日から)。
平日朝上りのみの運転。停車駅はダイヤ改正前の準急と同じで、経堂にも停車する。従来の準急は狛江・祖師ヶ谷大蔵・千歳船橋に停車するようになったため、区別の意味で新設された。
全列車が千代田線・常磐線直通のため、ダイヤ乱れ時を除き新宿行きの設定はない。
2019年3月16日のダイヤ改正より伊勢原始発と北綾瀬・松戸行きが新設された。

複々線区間では運用の関係上、緩行線・急行線の双方を走行する。向ヶ丘遊園からは緩行線を走行し、登戸で快速急行と連絡。成城学園前で急行線に入って各駅停車新宿行きと接続し、経堂でさらに1本前の各駅停車(主に千代田線・常磐線直通)と連絡。先発して再び緩行線に入るという、なかなか忙しい運用がされている。
なお、2本ある成城学園前始発については、引き上げ線の構造上4番ホーム発車になり急行線は走行しない。

同名の種別は1960年3月25日から1964年11月4日の間に設定されており、約53年ぶりに復活。初代の途中停車駅は下北沢・成城学園前・登戸以西の各駅で、当時は準急が喜多見~和泉多摩川間の各駅にも停車していたため、区別の意味で登場した。
しかし、1964年11月5日のダイヤ改正で日中時間帯の準急が快速準急に昇格し、朝ラッシュ時のみの運行になって区別の必要がなくなったため、準急に改称された。


  • 準急
登戸以東で通過運転を行い、それ以西では各駅に停車する種別。
2018年3月17日のダイヤ改正前は全体的に本数が少なく、平日は朝夜中心・土休日はわずか数本のみの運行という少数派で、平日9:00までの上り全列車は経堂を通過していたが、同改正により大幅に列車が増発された。
現在は全列車が千代田線・常磐線直通の設定になり、代々木上原以東や伊勢原以西での運行はない。また、全列車が経堂に停車するようになったほか、新たに千歳船橋・祖師ヶ谷大蔵・狛江も加わった。

基本的に朝と夕方以降の時間帯のみ運行。向ヶ丘遊園以西の下り列車は平日のみの設定であるため、伊勢原~向ヶ丘遊園間の上り準急は存在しない。
複々線区間では基本的に緩行線を走行するが、向ヶ丘遊園始発の列車は引き上げ線の構造上、登戸まで急行線を走行するほか、一部列車は下りの登戸・上りの経堂にて急行線ホームに発着することがある。

霞ケ関~代々木公園間の開業を見込んで、1974年6月1日のダイヤ改正からは朝ラッシュの上りのみ準急が代々木八幡に停車するようになって連絡運輸も行われていたが、1978年3月31日からは千代田線との相互直通運転開始に伴って代々木上原に急行と準急が停車駅するようになったため、同駅は再び通過し連絡運輸も解消されたが、同時に同線乗り入れ列車の運用の都合から、朝の一部に限り生田~百合ヶ丘間を通過する準急(通称「スキップ準急」)の運転が始まり、1990年3月27日のダイヤ改正まで実施された。

かつては小田原線全線で運行されており、急行と同様に途中駅で分割・併合を行って箱根登山線にも直通していたが、2008年3月15日のダイヤ改正をもって新松田以西への乗り入れは終了した。
前述の通り、2018年3月17日のダイヤ改正までは平日朝上りのみ経堂を通過していたほか、千代田線・常磐線に直通せずに小田急線内のみで運行される列車もあり、新松田発新宿行き・新宿発唐木田行き・成城学園前発新松田行きなどがあったほか、上りのみ経堂まで各駅停車として運行する「化け準急」もあった。
ただし、ほとんどが上り新宿行きであるため同駅発の下り列車は非常に少なく、平日は朝に唐木田・町田行きが1本ずつと終電頃に相模大野行きが2本、土休日に至っては終電頃に相模大野行きが2本あるのみで、極めて少数派だった。
また、運転区間こそ新宿~新松田間だったが、実際には全通する下り列車はなく、新松田行きは前述の1本のみであった。


  • 各駅停車
2018年3月17日のダイヤ改正より登場。基本的に朝と夕方以降の時間帯の運行で、平日朝上りの1本(本厚木発我孫子行き)を除く全列車が成城学園前・向ヶ丘遊園発着で運行される。
千代田線・常磐線と多摩線の運行が廃止された2018年3月17日のダイヤ改正以降、1本のみ残った取手発各駅停車唐木田行きは常磐線・千代田線から多摩線に乗り入れる唯一の列車になったが、翌年3月16日の改正で北綾瀬発に変更され、前述のように紆余曲折を経て現在は消滅している。


過去の主な種別

  • 直通
小田急が開業した1927年4月1日より登場した、小田急最初の優等列車。準急の前身。
開業当初は45分間隔で運行されていたが、わずか2か月後には60分間隔に減らされている。
設定当初の途中停車駅は経堂のみで、稲田登戸以西は各駅に停車しており、現在の快速急行と準急を足して割ったような感じだった。ちなみに、当時の各駅停車は新宿~稲田登戸間のみの運行だったため、稲田登戸以西はこの種別を利用する必要があった。
その後、稲田多摩川にも停車するようになり、1937年9月1日のダイヤ改正からは下北沢も加わった。
1929年4月1日に開業した江ノ島線でも設定され、「江ノ島直通」と呼ばれていた。
停車駅も異なっており、あちらは経堂~稲田登戸間が各駅停車の代わりに稲田登戸~玉川学園前間は無停車だった。
終戦直前の1945年6月に各駅停車に統合されて廃止され、終戦後の1946年10月1日のダイヤ改正より、小田原直通の停車駅に成城学園前を加えた「準急」として再登場した。


  • 快速準急
1964年11月5日のダイヤ改正より、日中時間帯の準急を置き換える形で登場。設定当初の途中停車駅は下北沢・経堂・成城学園前・登戸・向ヶ丘遊園・新原町田・相模大野・本厚木・伊勢原・鶴巻・大秦野・渋沢・新松田で、向ヶ丘遊園以東は当時の準急停車駅、以西は当時の急行停車駅である。土休日のみ、よみうりランドとこどもの国へのアクセスのために読売ランド前と鶴川にも停車していた。
当初は新宿~相模大野間のみだったが、次第に小田原線全線に運行が拡大していった。
しかし、通勤急行が廃止されて成城学園前に急行が停車するようになると、停車駅が急行と大差なくなったため、1972年3月14日のダイヤ改正で準急に統合された。


  • 湘南急行
2002年3月23日のダイヤ改正で多摩急行と同時に新設された種別である。
快速急行の前身でもあるが、小田原線内では現行の急行とほぼ同じであるため、あちらより停車駅は多い。
新宿~藤沢間で競合する湘南新宿ライン対策として誕生したが、複々線化が進行したことで、2004年12月11日のダイヤ改正より快速急行に昇格し、わずか2年で消滅。

その設置の経緯から全列車江ノ島線発着になっており、2003年3月29日のダイヤ改正までは土休日の4往復が片瀬江ノ島まで延長して運行されていた。
途中停車駅は代々木上原・下北沢・成城学園前・登戸・向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・町田・相模大野・中央林間・大和・湘南台・藤沢で、小田原線内は当時の平日夜下りの急行、江ノ島線内は快速急行と同じである。


  • 多摩急行
多摩ニュータウンと都心をつなぐべく、2002年3月23日のダイヤ改正で登場した種別。
多摩線の唐木田駅を発着し、全列車が千代田線・常磐線に直通していた。そのため代々木上原から先新宿方面や、新百合ヶ丘から先小田原・片瀬江ノ島方面には向かわないが、ダイヤが乱れた際は新宿行きになることがあった。
2016年3月26日のダイヤ改正までは代々木上原で新宿駅に発着する区間準急と連絡していた。

急行と違い経堂には終日停車するが、向ヶ丘遊園は通過する。そのため、間違えて乗車した人が向ヶ丘遊園で降りられなくなるという「多摩急行トラップ」もあった。
かつては日中時間帯に毎時2往復走っていたが、複々線・3線内では唯一通過する向ヶ丘遊園にとっては湘南急行の廃止以降、日中は快速急行と合わせると20分以上も優等列車が来ない事態になっていたため、2016年3月26日のダイヤ改正からは朝夜のみの運転になり、現在の多摩線直通の快速急行のような立ち位置になっていた。
その後、2018年3月17日のダイヤ改正で快速急行と通勤急行に置き換えられる形で廃止になった。
登場当初は「多摩急行」という緑と赤を半々にした種別色で、3色LEDの東京メトロ6000系・06系や一部の発車標などでは最後までこの表記だった。


  • 区間準急
2004年12月11日のダイヤ改正で快速急行とともに登場。新宿~梅ヶ丘間のみ通過運転し、それ以西は各駅に停車した種別。
複々線工事によって東北沢の待避線がなくなり、各駅停車が優等列車を待避することができなくなってしまったため、梅ヶ丘以西の各駅停車の本数を維持しつつこの区間に限って速達性を持たせて後続の急行に追いつかれないように設定された種別だが*22、そのあまりに色々と中途半端な存在からたびたびネタにされる。
新百合ヶ丘から多摩線に直通して唐木田発着で運行されるのが基本だったが、一部は成城学園前・向ヶ丘遊園・本厚木・伊勢原・新松田発着でも運行されていた。
当初は新宿~新松田・唐木田間で運行されていたが、小田原線は2012年3月17日のダイヤ改正で伊勢原までの運転になった。
登場した経緯の関係上、複々線完成までの臨時的な側面が強かったが、完成を待つことなく2016年3月26日のダイヤ改正で廃止された。

各駅停車を転用して設定されたこともあり、ほとんどが同種別と同じ8両編成(一部6両編成)での運転だったほか、新宿駅は各駅停車が入線する地下ホームからの発着だった*23

ちなみに、現在知られている区間準急は実は2代目で、1948年9月~1950年2月には初代の区間準急が運転されていた。運板が桜のマークだったことにちなみ、「桜準急」とも呼ばれた。
運行区間は新宿~新原町田間で、途中停車駅は下北沢・豪徳寺以西の各駅だった。
2代目とほとんど同じとか言ってはいけない。


車両

特急用車両については小田急ロマンスカーの項目を参照。

いずれも小田原・藤沢・唐木田方から順に1号車、新宿・片瀬江ノ島方が後尾車両になっており、下りは1号車・上りは後尾車両が先頭車両になる。
ただし、4両編成は併結を前提として製造されている関係で全て7号車から10号車となっているため、4両編成単独及び4×2編成の列車は下り先頭車が7号車となる*24
また、藤沢ではスイッチバックを行うため、同駅~片瀬江ノ島間は向きが逆になる。
なお、小田急では「系」ではなく「形」表記を用いる。

栢山・富水・螢田・足柄の4駅はホーム有効長が6両編成分(約120m)しかない関係上、10両編成の各駅停車と8両編成の列車は新松田~小田原間では運用されない。

かつては異なる形式同士での併結運転も数多く見られたが、2007年以降は新車が10両固定しか導入されなくなったこともあり、現在は1000形と3000形の併結がわずかにある程度である。
これは途中駅で分割・併合を行う列車そのものがなくなったことに加え、異形式同士だとブレーキの扱いが非常に難しく、乗り心地の面で問題があったことも大きい。
1980年代までは10両編成ながら制御方式・全長・ドア形状(片開き or 両開き)の違う編成が平然と混結されることが多く、ブレーキの取り扱いには極めて難儀したという。

マスコンは3000形以降の新形式で左手ワンハンドル式を採用しており*25、後に1000・8000形もリニューアルに際して改造された。関東の大手私鉄では唯一、両手式ワンハンドルの採用例がない。

かつては各中間車両の新宿方車端部が優先席だったが、千代田線の車両では小田原方車端部にあったため、小田急は2009年3月より優先席を小田原方車端部へ移動した。
しかし、交換するのが難しかったからか床材はそのままになっており、8000形や4000形の一部車両でモケットと床色の組み合わせがちぐはぐなのはこの名残りである。

自社車両


(出典:Wikipedia)

  • 8000形
輸送力増強および初期ABFM車の置き換えを目的として登場し、1983年3月22日より運行開始。
現行の車両では最古参で、小田急の通勤車両では唯一の普通鋼製かつアイボリー塗装の形式である。4両固定編成と6両固定編成のみ存在し、16編成ずつの計160両が製造された。
当初は従来の通勤車両と同じく貫通扉の部分に塗装がなかったが、出場直前に帯が入り、その姿で発表された。
1984年には白い車体に赤・茶・黄の帯を入れた特別塗装の「ポケット号」も登場し、1987年まで運行された。

主に優等列車での使用がメインである。新松田~小田原間や江ノ島線・多摩線では6両編成による各駅停車の運用もあるが、4×2編成や8両固定編成も存在しないため、2019年3月16日のダイヤ改正までは新宿発着の各駅停車には充当されなかった。

2002年から2013年までに全車両がリニューアルされたが、最初の6両編成2本は界磁チョッパのまま更新された。
6両編成からリニューアルされたため、今でも種別幕が3色LEDの車両があるが、4両編成は全てフルカラーLEDになっており、さらに一部編成はリニューアル1000形などと同じく優先席の照明が電球色になっている。
2008年までにリニューアルされた編成は、床が優先席仕様なのにモケットが一般席のカラーになっているが、これは前述したように優先席が新宿方車端部にあったことの名残りである。
2019年6月19日に踏切事故で被災した編成から廃車が開始され、5000形の導入後は保有車両数削減の方針もあって淘汰が開始された。
置き換えられた一部の編成は西武鉄道への譲渡が決定しており、国分寺線で使用される予定である*26



(出典:Wikipedia)

  • 1000形
1988年3月22日より運行開始。
10000形「HiSE」とともに開業60周年を記念し、2400形の置き換えも兼ねて導入された。
小田急の通勤車両では初のVVVFインバータ制御を採用。4両25編成・6両8編成・8両1編成・10両4編成の合計196両が製造された。
登場以来種別を問わず幅広く使用されているが、8両固定編成は1本しか存在しなかったため、各駅停車については4×2編成で運行される列車もある。
1989年からは千代田線への乗り入れも行っていたが、2003年に発生した韓国・大邱地下鉄放火事件の教訓から、6+4両編成では非常時に乗客の避難に支障が生じる可能性が指摘されたため、10両固定編成の4000形の登場によって2010年を最後に撤退した。

1990年からはドア幅を2.0mに拡大したワイドドア車両が登場。この車両は車両番号から1500・1700形とも呼ばれた。
しかし、ドア幅が広すぎて優先席は2人がけに縮小されたほか、ドア付近に乗客が溜まって車内の流動が悪化したことや冷暖気が即座にドアから逃げてしまうため、後述の2000形と同じ1.6mに改造された。ただし、開口部そのものは従来のままにしたため、外から見ると扉が開き切っていないように見えてしまう*27
当初は4両・6両編成が存在したが、2004年からは一部の先頭車を中間車化改造して組成を変更し、全車が6両編成となった。

2009年3月14日のダイヤ改正からは、4両編成4本が箱根登山鉄道と姉妹提携を結んでいる「スイス・レーティッシュ鉄道」をモチーフとした赤色のカラーリングに塗装され、小田原~箱根湯本間の箱根登山線内折り返し運用で使用されるようになった。
一部の本厚木・新松田発着列車、あるいはダイヤ乱れ時以外は原則として箱根登山線専任だったが、2020年7月23日の箱根登山線全線運転再開を記念し、同年8月にはオリジナルの6両編成と連結して全線で運用が行われたこともあった。
また、2021年2月には突如2020東京オリンピック・パラリンピックのラッピング車両が登場。このラッピングは下半分がアイボリー地という鋼製車を思わせるいで立ちとなっていたのが特徴。

デビューから25年以上が経過した2015年からはリニューアル車両が登場。走行機器や内装が4000形に合わせられたほか、一部の4両編成と6両編成は運転台を撤去し10両固定式に改造された。
当初はワイドドアを除く全ての車両をリニューアルする予定だったが、8000形と同様の理由から一部は未更新のまま廃車が始まり、2022年9月までにワイドドアを含めた全ての未更新車両が引退した。



(出典:Wikipedia)

  • 2000形
1995年3月4日から登場。1000形をベースに一部改良が加えられており、8両固定編成9本の計72両が在籍する。1995年グッドデザイン商品選定車両。
こちらもワイドドアの車両として製造されたが、1000形とは異なり1.6mと幅が抑えられている*28。また、1994年10月からは小田急の新型車両の甲種輸送は小田原から新松田に変更されており、当形式が初めて新松田で搬入された車両である。
現在の小田急では唯一となるツーハンドル式のマスコン車で、私鉄では数少ない縦横軸併用ツインレバー型を採用している*29
当形式以降は方向幕がLED式になっており、2009年2月からはフルカラーに変更された。

現在は専ら各駅停車での運用だが、かつては準急・区間準急・通勤急行にも充当されていた。



(出典:Wikipedia)

  • 3000形(2代目)
2002年2月10日より運行開始。現行通勤車では最多の製造数を誇り、2600形・4000形(初代)・9000形・5000形(初代)の4形式を一気に置き換えた。
種別幕・座席・案内表示器などの違いでさまざまな種類があるが、編成単位で製造された1~8次車(計312両製造)と、6・8両編成を10両化するために新造された中間車両の9・10次車に大別できる。
1次車のみ2000形と同じく1.6m幅のワイドドアで製造されたが、2次車以降は従来の1.3mドアで製造されており、側窓形状は東急5000系など東急車輛の標準車体に近いものになった。
これまでの他形式とは異なり、裾絞り構造ではなく直線の車体になっているため、車体幅が2786mmと狭くなっている*30
特別塗装は2007年に「でんしゃデザインコンテスト」の受賞作品、2011年8月からは「藤子・F・不二雄ミュージアム」開館を記念した「F-train」がそれぞれ運行された。ところが、後者は車体広告が東京都の広告条例に抵触しているという指摘を受け、わずか1か月で運行を中止。しかし、復活を望む声が相次いだことから、2012年7月からはラッピングを修正した「F-Train II」が登場し、翌年3月まで運行された。
ちなみに、3263Fは車両全部を防音カバーで覆った試作車両として落成しており、その異様な姿から「変態カバー」の愛称で親しまれた。

当初は6両編成と8両編成のみが存在し、6両は主に他形式の4両編成との連結による優等列車、8両は区間準急や各駅停車で運用されるのが一般的だったが、2010年からは7次車の一部と8次車全ての6両編成に新造した9次車の中間車4両を組み込み、10両化を開始した。
2017年以降は8両編成も10両編成化するようになり、5次車の一部と6・7次車全てに新造した10次車の中間車両2両(2・3号車)を組み込んだ。
9次車以降は車内照明のLED化や手すりの黄色塗装、ドア部分に点字ブロックの設置など内装が全体に明るいものとなっている。
さらに、2022年にはリニューアル車両が登場。省エネルギー化が図られる制御装置の搭載やオイルフリーコンプレッサーへの更新などによって環境面に一層配慮した車両になり、5000形と同様に各車両に車いす・ベビーカースペースが設置されたほか、椅子についても座り心地が改良された。



(出典:Wikipedia)

  • 4000形(2代目)
2007年9月22日から営業運転開始。非常時に通り抜けができないという問題が生じていた1000形の置き換えを目的に開発され、JR東日本のE233系をベースに設計された。そのため、3000形に続いて裾絞りのない直線の車体になっている。
全車両が10両固定編成で、16編成計160両が導入された。前面デザインはVSEなどと同じく岡部憲明氏の監修である。
この形式から車体の帯がそれまでのロイヤルブルーから若干濃いめのインペリアルブルーに変更され、ステンレス車の他形式についてもリニューアルもしくは工場入場時に変更が実施されている。
小田急の通勤型車両では初めて登場時から種別幕がフルカラーLEDで、さらに駅停車時には次の駅も表示しており、日本語と英語が交互に表示される。当初は3000形と同じ15インチの液晶ディスプレイを搭載していたが、現在では全編成が17インチに改良されており、左側には「小田急TV」も搭載されている。2012年の編成以降は車内の照明がLEDになっており、優先席は電球色になっていて一般席と差別化されている。
1次車の中間車両は、床が優先席仕様なのにモケットが一般席のカラーになっていたり、逆に床は一般席と同じなのにモケットが優先席のカラーになっていたりしたが、これは8000形と同じく優先席が新宿方車端部にあったことの名残りである。両先頭車両の優先席は当初より組み合わせが一致している。
2009年に登場した2次車以降は当初より正しい組み合わせになっている。

増備により1000形を乗り入れから順次撤退させ、2010年からは千代田線直通列車は当形式に統一された。
当初は常磐線に乗り入れることはできなかったが、JR直通対応工事を実施して2016年3月26日から乗り入れを開始。これにより、当形式は東京メトロ以外の関東の大手私鉄では唯一茨城県に乗り入れる車両になったほか、運用の関係で千代田線・常磐線内折り返し列車として使用されることもある。
2016年11月4日にはホームドア関連工事のため、大宮総合車両センターに入場。大手私鉄の通勤車両がJRの工場に入るのは非常に珍しいことであり、その後も2018年まで行われた。
千代田線直通用として生まれた本形式だが、デビュー当初から他の10両固定編成と同様に新宿発着列車にも使用され、2019年3月16日改正以降は新宿発着の各駅停車にも使用されるようになり、種別を問わず使用されている。



(出典:Wikipedia)

  • 5000形(2代目)
2020年3月26日より運行開始。10両固定編成で車体の帯は他の形式とは異なり、インペリアルブルーに加えて薄いアズールブルー帯もあしらっている。
「より広く、より快適に」をコンセプトに、8000形以来となる拡幅車体を採用しており、1編成あたりの定員人数が24人増加している。木目調の床や暖色系カラーの座席で温かみを感じる車内空間になっており、車両間の仕切り扉や荷棚・座席横の袖仕切り部などへの強化ガラスの採用により、複々線化による混雑緩和がより実感できるような解放感を演出。各車両に1か所ずつ車いすスペースが用意されており、これまで先頭車両にしかなかった小田急では初の試みである。
4000形やリニューアル1000形などと同じく「小田急TV」を搭載し、その横には小田急の通勤車両としては初となる防犯カメラが設置されている。
また、つり革には3000形1次車以来となる丸形のもの*31が採用された。
種別幕はリニューアル1000形と同じく、次の駅のみが日本語と英語に表示される。
なお、2023年11月末から5055Fの両先頭車前面に小田急の子育てマスコットキャラクター「もころん」をラッピングした特別車両が登場し、運転席にはもころんの人形も乗務している。椅子は整備時に交換したMSEのモケットを使用している。



(出典:Wikipedia)

  • クヤ31形
老朽化した軌道検測車の置き換えおよび営業時間帯でも作業ができるようにするため、当時増備中だった3000形をベースに開発された検測車両。公募により「TECHNO-INSPECTOR(テクノインスペクター)」の愛称がある。
制御車であることから他の車両に牽引される形で使用されており、当初は1000形(1700形含む)3編成と併結していたが、それらが廃車された現在は8000形2編成が牽引している。


乗り入れ車両

ダイヤ乱れ時は新宿駅に入線することもある。


(出典:Wikipedia)

  • 東京メトロ16000系
千代田線の車両。当初は常磐線・千代田線・小田急線の全てを直通できる唯一の車両であった。4000形やE233系2000番台とは違い、4次車以降は全車両に車いすスペースが設けられており、常磐線内の種別幕は「各駅停車」と白地に黒色表記で案内される。
2011年鉄道友の会ローレル賞受賞。



(出典:Wikipedia)

  • JR東日本E233系2000番台
常磐線の車両で4000形とは兄弟車。小田急線に乗り入れるJR車は371系以来で、JR東日本としては初。
当初は小田急線には入線できなかったが、直通運転対応工事を経て2016年3月26日より乗り入れを開始。開始前は新松田まで試運転を行っていた。
小田急線内では優等列車として通過運転をすることもある。また、乗り入れ先の種別という形ではあるが、急行・準急の運用が行われる数少ないJR車両でもある。


駅一覧

2018年3月17日のダイヤ改正より、車内アナウンスの英語放送で駅ナンバリングも放送されるようになった。
特急ロマンスカーの停車駅については当該項目を参照。

凡例
●…停車
▲…平日上りのみ停車
▼…平日下りのみ停車
|…通過
↓…下りのみ通過
↑…平日上りのみ通過
駅番号 駅名













接続路線
OH 01 新宿




新宿駅のページを参照。
OH 02 南新宿 |
OH 03 参宮橋 |
OH 04 代々木八幡 |
直通運転区間 東京メトロ千代田線北綾瀬駅、JR常磐線取手駅まで
OH 05 代々木上原 東京メトロ千代田線(表参道・霞ケ関・大手町・綾瀬方面)
OH 06 東北沢 |
OH 07 下北沢 京王井の頭線
OH 08 世田谷代田 |
OH 09 梅ヶ丘 |
OH 10 豪徳寺 | 東急世田谷線(山下駅)
OH 11 経堂
OH 12 千歳船橋 |
OH 13 祖師ヶ谷大蔵 |
OH 14 成城学園前
OH 15 喜多見 |
OH 16 狛江 |
OH 17 和泉多摩川 |
OH 18 登戸 JR南武線
OH 19 向ヶ丘遊園
OH 20 生田 |
OH 21 読売ランド前 |
OH 22 百合ヶ丘 |
OH 23 新百合ヶ丘 多摩線(小田急多摩センター・唐木田方面)
OH 24 柿生






|
OH 25 鶴川 |
OH 26 玉川学園前 |
OH 27 町田 JR横浜線
OH 28 相模大野 江ノ島線(大和・藤沢・片瀬江ノ島方面)
OH 29 小田急相模原 |
OH 30 相武台前 |
OH 31 座間 |
OH 32 海老名 相鉄本線、JR相模線
OH 33 厚木 | JR相模線
OH 34 本厚木
OH 35 愛甲石田
OH 36 伊勢原
OH 37 鶴巻温泉
OH 38 東海大学前
OH 39 秦野
OH 40 渋沢
直通運転区間 JR御殿場線御殿場駅まで(特急ロマンスカーのみ)
OH 41 新松田 JR御殿場線(松田駅)
OH 42 開成
OH 43 栢山 |
OH 44 富水 |
OH 45 螢田 |
OH 46 足柄 |
OH 47 小田原 東海道新幹線、JR東海道線上野東京ライン湘南新宿ライン
伊豆箱根鉄道大雄山線
箱根登山線(箱根湯本方面)
一部の特急ロマンスカーは直通


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最終更新:2024年03月17日 17:11

*1 他の大手私鉄では近畿日本鉄道(東海・西日本)、中小私鉄では近江鉄道(東海・西日本)、第三セクター鉄道ではえちごトキめき鉄道(東日本・西日本)がある。

*2 常磐線側でも7:10~9:30に綾瀬を発着する千代田線直通の全列車が対象になっているが、こちらも代々木上原到着か9:30で解除されるため、実施区間は取手および北綾瀬→代々木上原間になっている。

*3 乗り慣れている地元利用者は自力で操作していた人もいたという。

*4 ただし、ほとんどが上り新宿行きであるため当駅発の下り準急は非常に少なく、終電ごろに相模大野行きが毎日2本、平日はこれに加えて朝に唐木田・町田行きが1本ずつあるのみだった。

*5 新宿駅は所在上新宿区にあるが、甲州街道を挟んで南側は渋谷区であるため、JR駅の一部ホームや大江戸線は渋谷区に属する。

*6 改良工事前の山手線渋谷駅と同じ構造で、下りホームは上下線に挟まれていた。

*7 ただし、2005年9月30日までは東北沢に通過線があったため、実際に同区間を先着していたのは約12年半である。

*8 開業当時は停車駅だったが、1949年4月1日以降は終日通過しており、約半世紀が経った2004年12月11日のダイヤ改正で停車駅に復帰した。

*9 当時の国鉄駅は「原町田駅」という名称だった。

*10 後述の通りかつては一般列車も分割併合を行っており、後続の特急ロマンスカーをつかえさせないための措置だった。

*11 小田急は1942年5月1日に現在の東急電鉄に吸収合併されて大東急の一員になっており、分離・独立して再発足したのは1948年6月1日のことである。

*12 グループ会社である鉄道会社が3社以上乗り入れている駅を含めると、上越妙高駅と博多駅がある。

*13 相模川橋梁通過時は徐行運転が行われることもあり、ホームの安全確保の意味合いもある。

*14 なお、東京の地下鉄全体では都営浅草線を直通する三崎口~成田空港間の列車(営業キロ136.6km)が最長である。

*15 正確には2代目。1924年3月に初代秦野駅が台町駅に改称され、2代目秦野駅が新設された。

*16 1984年1月までは小田原駅に連絡線が設置されており、それ以降も1994年10月に当駅に変わるまでは同駅で行われていた。

*17 南新宿間0.4km、参宮橋間0.5km。

*18 「第二次世界大戦中の戦災によって廃止された」とする資料もあるが、この地区には戦災による焼失はない。

*19 車内LCDでは途中駅到着まで前の種別として表示され、扉が開いた瞬間に次の種別に変更される。

*20 2018年3月17日のダイヤ改正までは下りの相模大野行きのみで、新宿~相模大野間は「急行相模大野行き」、相模大野以西は「各駅停車○○行き」と案内されていた。

*21 かつては島式ホーム1面2線の構造でホーム有効長が箱根登山線の車両2→3両分(約30→49 m)しかなかったため、乗り入れてくる小田急の車両(6両編成)では1号車のみドアが開き、それ以外はドアカットされた。その後、2007年1月末から相対式ホームに改造した上で有効長を85 mに延伸する改良工事が開始され、2008年3月15日のダイヤ改正で正式に新ホームの運用を開始。これにより、特急ロマンスカー以外の箱根登山線内列車は全て小田急の車両による4両編成になったため、当駅でも通常のドア開閉が可能になり、非常用ドアコックによるドア開閉も終了した。

*22 元々は東北沢で優等列車を待避していた各駅停車の時刻で、日中時間帯の新宿~代々木上原間の時刻は新宿発着の準急(2000年12月2日のダイヤ改正より千代田線直通になり、2002年3月23日のダイヤ改正で多摩急行に昇格)からの転用。

*23 そのため、駅名標の「次の駅」の部分には南新宿と代々木上原の両方が併記されていたり、誤乗車防止のため停車駅が異なる旨の記載があったりした。

*24 このため、4×2編成では車内LCDの号車案内表示が7~10+7~10と同じ号車が2つずつ表示されることになる。

*25 これ以外ではロマンスカーのLSE・HiSE・RSEで右手式を採用している。

*26 小田急の一般車両が他社線に譲渡されるのは富士急行に譲渡された2200・2300・2320形以来42年ぶり。

*27 内部側は仕切りを延長しているため、中から見ると完全に開いているように見える。

*28 運転台に隣接した扉のみ1.3m。

*29 この構造は国鉄末期~JR初期の車両に採用例が多く、私鉄では阪神ジェットカーや関東鉄道の気動車など少数に留まる。

*30 小田急の通勤型車両の車体幅は裾絞り2900mmが標準で、地下鉄直通用として製造された1000形や同形式をベースにした2000形は2860mmである。

*31 関東の鉄道事業者では三角形の採用例が多く、丸形の採用例は京急を除くとごく少数となる。