その先は言う必要ないですよね

登録日:2014/01/24 Fri 14:21:21
更新日:2024/04/19 Fri 20:45:46NEW!
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「その先は言う必要ないですよね」とは、とある企業の人事担当により生み出された迷言である。

■概要

2011年3月11日、マグニチュード9.0の大地震が襲った東日本大震災
東北地方を中心に日本中を混乱に陥れた未曽有の大災害の後、様々な情報が錯綜する中、
一部の著名人や企業などが不適切な発言を行い、槍玉に挙がる不祥事が多発した。

この記事はそんな不祥事のひとつで、とある企業(以下X社)の人事担当者(以下S)が、新卒者宛に送ったメールにおける文言である。
当時X社はS氏を含めた3名が新卒採用活動を行っていた。


■事件の経過

【3月1日】
説明会の予約を開始。
この説明会は先着制で、しかも予約開始時間が曖昧だったため、入社志望者の中には説明会に参加できない学生もいた。
この時、X社は予約ができた学生にエントリーシートを事前配布する。

【3月11日(震災当時)】
エントリーした学生らに対し、意味のない安否確認のメールを一斉配信。
回線を混雑させ、被災者の安否確認を妨害。

【3月13日】
問題となる「被害の報告及び学生への連絡メール(後述)」を配信。
このメールで、事前予約が出来なかった学生にエントリーシートを配布するが、締切を2日後の3月15日(消印有効)に設定。
被災者の状況を無視した挙句、上から目線の内容に激怒した一部の就活生の手により、問題のメールが2ちゃんねるに晒され炎上。
まとめサイトにも取り上げられ、X社にも抗議の電話が殺到。

【3月14日】
公式ホームページにて、ゼネラルマネージャーの名で謝罪文を掲載。
就活生にも謝罪メールが配信され、エントリーシートの締切も見送られる。
この事態に伴い、炎上騒動は急激に沈静化。


■メール内容

こんにちは、X社のSです。
<中略>

本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。 こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。

ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。

書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。

直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
会場で通り一遍等の説明・指示はします。
その指示が難しい場合は・・・その先は言う必要ないですよね。 自分で考えてみてください。
<後略>


■問題点

意味のない安否確認のメールも批判対象とはなったが、これだけならさほどのダメージにはならなかったと思われる。
東日本大震災クラスの未曽有の大災害は、電子メールの普及後には起きていない*1ため、Ⅹ社に限らずどこも対応は手探りの面が強かった。
内容も被災者を気遣うものであり、送るべきでないことをSが知らなかったとしても同情の余地がある所だろう。

まず批判の的となったのは、新卒者とはいえ社外の人間に対し、ビジネスマナーの欠片もないどころか驕り昂ぶった内容のメールを配信したことにある。
言葉遣いは丁寧だが、ところどころに「おまえらを採用してやるんだからありがたく思えよ」とでも言わんばかりのメッセージがにじみ出ている文章は、就職氷河期でナイーブになっている学生たちを激怒させる。

そもそもS氏の文章は
  • 説明会への事前予約ができた学生とできなかった学生をあからさまに差別している。
  • ビジネス用語の使い方がまったくなっていないのはもちろん、そもそも日本語として「てにをは」が怪しい*2
  • 抽象的で意味の分からない文言を使っている。これは社外文書としてありえない。
など「企業の窓口として明らかにおかしい」点がいくらでも出てくるもので、これだけでも炎上のための燃料としては十分だった。

これに加えて今回は未曽有の大震災が起こってしまったことで、その批判は一気に加速する。
他の企業が被災地への物資支援や支援金を送ったり、採用日程を大幅にずらすなどの対策を講じる中、X社はそういった対策を全く行わなかった。

それでも日程に余裕があるならまだしも、3月13日に公開されたエントリーシートは、本来は締切前日の14日に公開されるものだったという。
さらに被災地の就活生は、家族の安否確認や後片付けなどのために就活どころではなくなった人も多かったことは勿論、
そもそも郵便局が被災して郵送できない状況にあったのだ。そんな未曽有の大災害の中で就活を優先しろという配慮のなさはもちろん、
被災者の気持ちを無視したこの「上から目線メール」は、まさに就活生にとっては「言語道断」だったのである。

謝罪文の中には「当該担当者を厳しく指導」という文言がある他、事前に文書の内容を検閲する機関も設けたという発表もあった。
S氏には何かしら厳罰が下されたと思われるが、最終的にどのような処分を受けたのかは言及されていない。
クビになったという噂はあるもののあくまで論拠のない噂であり、そういった事実は確認されていない

2021年現在も彼は在職中であるのかもわかっていない。どちらかといえばまとめサイトのアクセス稼ぎに使われる定番の話題のひとつになってしまっている*3
また、「東北では現在もX社に対する不買運動が続いている」「S氏はその後○○している」などというものはすべて憶測の域にすら至っていないデマである。

同時期にも、「震災応援キャンペーン」などと銘打った広告を出した不動産会社もターゲットとなったが、
X社の騒動があまりにもツッコミどころが多すぎたため、比較的騒がれることはなかった。


■背景

X社の新卒採用担当部門においては「就活生との距離を近くするという目的で、彼らと同じ目線で接する」というトレンドがあったためだという。
就活生に近い目線を保つことで彼らをより深く理解することは多くの企業で行われていることであり、それだけならば全く問題はない。
ネットで出回っているSの写真を見る限りはSは就活生とほとんど年が離れていない若手であり、就活生に近い年代の人物をあえて採用担当にしたものと思われる。

しかしその風習はやがて慣習化し、本来の意図が忘れられてきた。
そうなると、Sと学生の年代が近いこともあってか、Sは就活生を「同年代の仲間内」あるいは「自分を慕ってくれる後輩」のようにとらえ、そこに暗黙の了解があるコミュニティができているような誤解が生じ始めた。
結果、Sは就活生に「仲間内ならこれくらい読めるよね?」という軽い感覚で指示をするようになり、自分が就活生の生殺与奪を握っている恐ろしい存在ということを忘れてしまったか、それを認識した上で思いあがってしまった。

我々が学生に親身に目線を合わせよう」というためのトレンドが「学生が我々に目線を合わせるべきだ」という本末転倒な入れ替わりを起こしてしまったのである。
こんなメールを送ったことやメールの文面が驕り昂ぶったように見えるのも、ここに起因すると思われる。


さて、これはX社に限った話ではないのだが、この時期の就職活動は「我が社に本当に就職したいのなら何にも優先して来るはずだから、開始時刻が曖昧な先着制でも予約ができて当然。これはやる気や熱意を確かめるためのテストなのだ」という風潮があった*4
だから温情を乞おうにも「それはあなたの責任でしょ?」「あなたのせいじゃないかもしれないけど、私たち優先で来てくれる人を採用したいのは当然でしょ?」とすげなく返される・そもそも相手にされないという現実が、X社のS氏に限らず就活で新卒を募るような企業全般に蔓延していたのである。

こうした学生にとって非常に不誠実なことが正当化されがちという事情や、ちょうど2008年のリーマンショックに端を発した未曽有の就職氷河期、「不安に負けるな!この人はこんな風に乗り切ったんだぞ!」とうつ状態を煽り立てるかのような就活サイトのメールマガジンなどにより、
先輩世代の就活氷河期の暗いニュースのせいで当時の就活生は必要以上にナイーブになってしまい、新卒以外を採用していないという時勢に合わせて故意に留年して新卒で居続ける就活浪人や、人生を悲観して自殺したり、心療内科に受診するような人もどんどん増えている時期だったのだ。

しかもこの時期は「就活生に内定を辞退するようにハラスメントを行う」ということが多くの企業で行われており、いくつかの企業ではニュース番組で取り上げられるほどにもなった。*5
もちろん人事部に対する悪い噂話も、就活生の間で絶えなかった*6のだが、こうした人事に対する不信感はまだあくまでも証拠のない噂の範疇でしかなかった。

いくら火のないところに煙は立たないということわざがあるとはいえ、さすがに明確な証拠がないまま批判することはできない。
就活に限らず、うまく行かなかった人物が僻みで悪口を言う現象はどこに行っても存在するものであり、それまでの悪い噂も第三者から見れば「志望する会社に就職できなかった者が僻んで悪口を言っているものが大半」という見方が主流だったし、「それがどうした、自分はこんなことをされたんだ」という仲間内での不幸自慢に話が逸れていって、結局大きな動きにはならなかった。

それがこの未曽有の大震災という非常にナイーブになっている人が多い中でメールの文面と言う動かしようのない証拠によって、自己陶酔的な文章とともに表面化したことで、就活生の怒りの矛先が向かってしまったのである。

つまりこの一件は「未曽有の大震災で知人が心配だ」「日本は、そして自分の人生はこれからどうなってしまうんだろう」という不安の中に送られてきて安否確認を妨害した迷惑メールというだけでなく、
就活生を自分と同じ人間と思ってないような人事担当者の言語道断な驕り昂ぶりが表面化したことで怒りを買ってしまった一件だったのだ。


翌日ゼネラルマネージャーの名義で掲載された謝罪文はこのS氏に対して静かな怒りを感じられる文面であり、
このなんか妙な面白味がある誠実さを感じられ、かつ速やかに行われた謝罪が事態の鎮静化に一役買った。一時期はAAも作られるほど人気のネタになっていたらしい。
そのため今ではこの一件を知らない人もだいぶ増えてきている他、最近知った人の中ではこういった背景をまったく知らない人も多い。そういう意味ではこの不祥事は風化したと言えるだろう。
後述のとおりSを非難する文脈で話題になることはあっても、X社を非難する文脈で語られるケースは少数である。*7

しかしこの一件は震災の思い出や、噴飯もののふざけきった怪文書としてだけでなく、
当時の就活のいびつな事情やネットの炎上対処にある程度成功したひとつの事例として、今も大きな地震が起きたり、3月11日が来るたびに各所で語られている。
また他の会社でも、これを反面教師として新卒採用に関する文章が引き締められるようになったことで、
少なくとも抽象的で意味の分からない文言を使っているような社外文書として言語道断な怪文書を送り付ける人事担当者はだいぶ少なくなった。*8

実はこの事件は単なる炎上や不祥事として片付く一件ではなく、歴史のマイルストーンとして優れた話題性を持っている。
そしてS氏の迷言は反面教師や炎上の見本、就活の史料として、ゼネラルマネージャーの対応は模範例として。
そしてえてして暗かったり、政治の話に踏み込んできな臭くなってくる震災の思い出話の中では比較的明るく話せるということもあり、今でも様々な場所で細々と語り継がれているのである。

ちなみに、「その先は言う必要ないですよね…」の真意とは何か。
これはX社の広報担当者にも実はよく分かっていないらしい。
S氏が勝手に考えて自己満足に浸っていただけなのである。*9



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最終更新:2024年04月19日 20:45

*1 一例として挙げられる1995年の阪神・淡路大震災の頃には、電子メールはそこまで普及していなかった。

*2 項目名にもなっている「その先は言う必要ないですよね」だけをとっても、「必要」と「ない」の間に何かしら助詞を入れたほうがいい、「ないですよね」ではなく「ありませんよね」にした方がいいなど日本語としても若干おかしい。

*3 そもそもどう説明してもX社の不祥事を蒸し返してS氏に対する個人攻撃のきっかけを作ってしまうし、単なる「不適切な言動」であって説明義務のある犯罪ではない。事件を風化させたいX社としては公開するメリットが何一つとして存在しないし、公開する理由もない。

*4 2010~11年当時の就活マナー本などにもたまに書いてあったし、OB訪問などでもOBがそういうことを説明するパターンがしばしばあった。

*5 実はこの事件も、地震に便乗して「本当に我が社に入社したいという気持ちがあれば、大地震の時でも説明会に来るはずだ!」という名目で就活生に圧力を与えて内定辞退を迫ろうとしていたのではないか、という見方がある。

*6 ES(エントリーシート)はいちいち目なんて通さずに紙飛行機にして一番とんだ奴のを採用している、人事部が説明会でこんな俺たちを人間とも思っていないような発言をした、など。

*7 ただし毎年3月11日になるとX社のTwitterにクソリプを投げる連中は現れるようだ。X社もこれが分かっているようで、3月11日前後や大地震が起きた後はTwitterでのつぶやきを停止するようになっている。

*8 また、ブラック企業が社会問題となってきたのもこの前後であり、ハラスメント言動が人事担当者により行われることは企業全体にブラックな印象を植え付け、翌年以降の就活生に敬遠されるという現状も影響していると思われる。

*9 このS氏によるメールとされている文章によれば、「X社に就職したいという熱意があるなら諦めないであの手この手で挑戦してくれるはず」という意味で言われていたらしい。