ベレッタ社

登録日:2011/03/16 Wed 22:36:32
更新日:2022/10/17 Mon 10:40:42
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ベレッタ社とはイタリアにある大手銃器メーカーである。
本社はイタリア北西部ロンバルディア州(ミラノがある州)ブレシア郊外のカルドーネ・ヴァル・トロンピア。

正式名称はファブリカ・ダルミ・ピエトロ・ベレッタ(Fabbrica d’Armi Pietro Beretta)で和訳するとピエトロベレッタ火器工業となる。
日本では主に「ベレッタ」や「ピエトロベレッタ」と呼ばれている。
ベレッタホールディンググループの一員であり、その中でもっとも創業が古い会社である。

公式記録では1680年の設立だが、ベレッタ家はそれ以前から銃を製造している。
確認される最古のものは1526年にヴェネチィアがバルトロメオ・ベレッタ氏にマスケット銃を注文したという記録がある。


1680年というと
徳川綱吉が将軍になった年
パッヘルベルのカノンが作曲された頃

1526年というと
室町幕府第12代将軍、足利義晴の頃
ドイツ農民戦争の頃
マヤ文明やインカ帝国が滅んだ頃である。

因みに、種子島にポルトガルの船が漂着し日本に火縄銃が齎された「鉄砲伝来」は1543年(±2年)である。

どれくらい古いかお分かりいただけただろうか。


○歴史
伝説的なバルトロメオ・ベレッタ氏(1498〜1565)に始まり、ビジネスを最初に拡大させたピエトロ氏(1791〜1853)やその息子であり国際企業へと発展させたジュゼッペ氏(1840〜1903)が基礎を作り固めたといえる。
近代的な生産技術を導入したジュゼッペ氏の息子、ピエトロ氏(1870〜1957)とさらにその息子達、ジュゼッペ氏(1906〜1993) とカルロ氏(1908〜1984)が軍需産業と民間産業の両面で成功し、多国籍企業へ発展していった。
経営は現在までベレッタ家の一族によってされており、1791年生まれのピエトロ氏はジュゼッペとカルロ兄弟の曽祖父にあたる。

第一次世界大戦中には拳銃不足に悩むイタリア軍からの発注でM1915を開発し、イタリア最大の銃器メーカーとなる。
1934年にはM1934を開発し制式拳銃として採用される。第二次世界大戦でイタリア降伏後はドイツに接収されたが、終戦後には生産を再開している。
1956年のメルボルンオリンピックのクレー射撃でベレッタ社の銃(を使った選手)が初めて金メダルを獲得し、1985年にはM92がアメリカ軍に制式採用されている。


○現在のベレッタ社
散弾銃メーカーのベネリやフランキ、フィンランドの狙撃銃メーカーのサコを買収・支配下にしている。
拳銃、ライフル銃、サブマシンガン、散弾銃など幅広い銃器類を生産しており、軍・警察・民間・競技用として世界各国で使用されている。
ベレッタ一族の指揮の下、ベレッタHDグループは銃器のほかに光学機器や競技用具(手袋とかアイウェア)も製造販売しており、2500名以上の従業員を抱える多国籍企業となっている。
ちなみに年商は約3億7千万ユーロ(約520億円)だそうだ。
歴史・規模ともに世界を代表する超名門銃器メーカーである。


○主な製品ラインナップ
  • 突撃銃
AR70/90
Rx4

  • 自動拳銃
M1915
(↑スライドをくぱぁした所謂ベレッタ・スタイル始まりの銃)
M84
M9000s
M92
90-Two
M8000
Px4
M93R(機関拳銃)
  • 機関銃
M12



追記修正はベレッタ製品購入者とベレッタLOVERSのみお願いします。

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最終更新:2022年10月17日 10:40