ヒップホップ東西抗争

登録日:2012/04/16 Mon 00:15:42
更新日:2023/11/21 Tue 22:10:33
所要時間:約 6 分で読めます




かつて、ヒップホップ界を東西に分断した深刻な対立があった。


ヒップホップ生誕の地、ニューヨークを中心とした東海岸

それに対するロサンゼルスを中心とした西海岸


アーティスト同士のBeef(詳しくは『ディスる』の項目参照)から発展したこの抗争はアメリカ全土を巻き込んだ問題となり、ヒップホップ界に暗い影を落とす事となる。







【抗争に至るまで】

ニューヨークで生まれたヒップホップは当初東海岸を中心にシーンが形成されていったが、Run-D.M.Cの全国的なヒットを皮切りにアメリカ全土にヒップホップが浸透。
そして真っ先にニューヨークへの返答を行ったのが、ロサンゼルスに拠点を置くレコードレーベル『ルースレス・レコード』所属N.W.Aを始めとするギャングスタ・ラップ擁する西海岸シーンだった。
西海岸らしい爽やかなトラックに本物のギャング達が暴力・強盗・レイプ・殺人・麻薬等の実体験を歌うギャングスタ・ラップは瞬く間にシーンを席巻。東海岸シーンには強烈な逆風が吹く事になる。


当初、東海岸のヒップホップシーンはギャングスタ・ラップに拒否反応を示した。
ギャング同士の抗争で無駄な血を流さぬ為の方法として、ヒップホップを進歩させてきた東海岸のアーティスト達にとって、
ギャングライフを肯定するようなギャングスタ・ラップは到底歓迎すべき代物ではなかったのだ。

しかし西海岸出身のSnoop Doggy Dogがアメリカ全土で大ヒットを飛ばすと、次第に東海岸の流儀でギャングスタ的なラップをするMC達がデビューし始める。
実は東海岸シーンはギャングスタ・ラップを否定しながらも、アーティストにはギャング出身の者も多く、*1
ギャングスタ・ラップで歌われる血なまぐさい出来事は東海岸シーンでもリアルな響きをもっていた。



そんな状況の中、二人の男がデビューする。
2PacNotorious B.I.G.である。





【2PacとNortrious B.I.G.】

2Pac(トゥーパック)
1971年6月16日生まれ。ニューヨーク州出身。
当時はアメリカ指折りの黒人スラム街の一つであったハーレム地区で誕生し、育ったその男は警官等を始め公権力や女性をこれでもかと鋭く皮肉り、こき下ろす過激なライムを武器に成り上がっていった。
ちなみに本名は「トゥパック・アマル・シャクール」。何故そうなったのかは不明だが名の由来は最後のインカ帝国皇帝「トゥパク・アマル」で、日本の競走馬「エアシャカール」は彼のファミリーネームが由来とされる。

Notorious B.I.G.(ノトーリアス B.I.G.)
1972年5月21日生まれ。ニューヨーク州出身。
カリブ海系移民が多く住み暮らすブルックリン区ベッドフォード•スタイベント地区で産声を上げたその男は、10代の頃には既にドラッグと銃の売人として、同時に地元のフリースタイルのキングとしても名を上げており、そのデモテープをショーン•コムズが拾い上げた事で栄光の階段を登り始めていった。
ちなみにB.I.G.は「Business Instead of Games」の略であり、本来は「ビー・アイ・ジー」と読むのが正しいが、単に「ビッグ」「ビギー」と読まれることも多い。


東海岸流ギャングスタ・ラップの旗手として多大な期待を受けた彼らは、高いラップテクニックとキャラクター、カリスマ性で着実にファンを増やしていく。


当初良好な関係であった両者だが、ある日2Pacが何者かに銃撃されるという事件が起きる。

五発もの銃弾を受け2Pacは重傷を負ったが、結局犯人は分からず事件は迷宮入りしてしまった。
だがNotorious B.I.G.とショーン・パフィ・コムズ(後の大物プロデューサー、現P.ディディ)が現場に居合わせた事実や、Notorious B.I.G.の新曲のタイトルが『Who Shot Ya(誰がお前を撃ったのかな?)』であった事により、2Pacは銃撃事件の黒幕は二人だと思い込んでいった。


その後2Pacはファンにアナルセックスを強要した罪で投獄されるが、刑務所で人生の転機を迎える事になる。

獄中で二人への憎悪の炎を燃やす彼の下に、西海岸のレコード会社『デス・ロウ・レーベル』の代表シュグ・ナイトが訪れたのだ。
彼は「デス・ロウ・レコードへの移籍を条件に保釈金を支払う」*2と取引を持ちかけた。

2Pacはこれを快諾、出所するとすぐさまデス・ロウ・レコードに移籍。
移籍後Dr.Dre(N.W.Aの初期メンバーにして名プロデューサー)のプロデュースでリリースした『California Love』が大ヒット。一気に西海岸を代表するギャングスタ・ラッパーとなる。

当然Notorious B.I.G.達への憎悪も健在で、『Hit E'm Up』*3という曲で二人を始めに東海岸の著名なMC達を散々こき下ろす。





【抗争】

東西のシーンのトップアーティスト同士のBeef。

私怨で始まったこの対立はそれぞれのシーンを巻き込み肥大化していく。


この対立に真っ先に参戦したのは、2PacとNotorious B.I.G.のアーティスト仲間、そしてファン達だった。

アーティスト仲間は各々の楽曲で互いを挑発。ファンもそれに呼応し、ライブの妨害やファン同士の喧嘩、アーティスト自身への襲撃等が多発するようになる。

アーティスト達は元々ギャングであり、当然ファンの中にもギャングが多勢いた。
そして遂にギャングの裏で糸を引くマフィアまでこの抗争に参戦。ヒップホップの東西抗争は、アメリカ裏社会の東西抗争へと発展する。


暴行・襲撃・発砲事件が多発し、緊張がピークに達した時、事態は最悪の結末を迎えてしまう――





【抗争の末路】




2Pac、何者かに銃撃され死亡



1996年9月7日、ラスベガスのMGMグランドホテルで親友のマイク・タイソンの試合を観戦し市内をBMWで移動中に四発の銃撃を受け、6日後の1996年9月13日に死亡が確認された。
この事件においては、後にロサンゼルス市警の元警官の証言により、とある人物がタイソンの試合後に2Pacとその取り巻きに暴行される一幕があった。それがロサンゼルスに本拠を置く全米でも最大のストリートギャングである「クリップス」のボスだったキーフィー・Dことドゥエイン・デイヴィスの甥のオーランド・アンダーソンであったとされており、このアンダーソンが実行犯と目されるも、翌年ロサンゼルスで銃撃され死亡し真相が解からずにいた(後述するが27年後に解決する事になる)。

ともあれ西海岸シーンは若きカリスマの突然の死により深い悲しみ包まれる事となる。



ところが2Pacの死の翌年、更なる事態が発生した。





Notorious B.I.G.が何者かに銃撃され死亡する





1997年3月9日、ロサンゼルスでヒップホップ雑誌『VIBE』主催の「Soul Train Music Award」のパーティーで訪れていたピーターセン自動車博物館からの帰途に銃撃を受け帰らぬ人となってしまったのだ。

こちらも元FBI捜査官の証言が存在し、実際に暗殺を計画したのは2Pac暗殺時に運転手を務めていたシュグ・ナイトであり、本来のターゲットはショーン•コムズだったと語っている。そして別々のSUVで出発するも銃撃されたのはビギーだった事が語られているが、ロサンゼルス市警に証拠を揉み消された為進展していないとされる。

結局2023年現在においてB.I.G.を殺害した人物は捕まっていない。

かくして全米を巻き込んだ史上最悪の抗争は、それぞれのシーンの先頭に立っていた二人が死亡するという最悪の結末となった。








【抗争の余波とその後】

事態を重く見たDr.DreやK.R.S-Oneなど東西の大御所は、この悲劇を繰り返すまいと事態の収拾に奔走する。

また渦中のデス・ロウ・レーベルは裏社会との密接な関係が露見したため求心力を失い、Dr.DreやSnoop Dogが次々移籍してしまう。
この二人に対しデス・ロウ・レーベルは若手と残留組を使い激しくディスるが、そこにかつての勢いはなく数年後に倒産してしまう。
この内紛により西海岸のシーンは縮小していき、ただでさえ風当たりの強かったヒップホップシーン全体の衰退を招く。

この事件以降ヒップホップは完全に下火になる事はこそなかったものの以前の勢いはすでになく、逆にヒップホップからの影響を受け進化したR&Bダンスホールレゲエが躍進する。



結果的に抗争自体は沈静化したが、この事件はヒップホップ黄金時代終焉の象徴となり、2000年代のアメリカ南部シーンの台頭の遠因となった。

余談であるが、前述のDr.Dreは後にプロデューサーとして世界的に有名なEMINEMを発掘。
Snoop Doggy Dogは現在もソロ・コラボ・プロデューサーとしてヒットを記録している。







この抗争の犠牲となった二人を未だに尊敬する後続は多く、そこに西も東もなくなった。

なお、事件から22年後の2018年にNetFlixで公開されたドキュメンタリー「UNSOLVED:未解決ファイルを開いて」において、上述のキーフィー・Dが殺害の実行を自白した事で長らく謎に包まれた捜査は進展を迎え、2023年9月に2Pac殺害を指示した犯人として逮捕されるに至った。


もしも天国に西も東もないのなら、二人は今どうしているだろうか。






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最終更新:2023年11月21日 22:10

*1 実際Snoop Doggy Dogもアメリカ黒人ギャングの二大勢力の一つ「クリップス」の元メンバー

*2 ただしこれは半分は嘘であり、保釈金自体は支払われたものの後になって2Pacに支払った分を難癖付けた挙げ句借金として押し付けた事、及びシュグ・ナイトは強権的な人物で黒人裏社会との太い繋がりを持ち、表立って逆らえば命の危険があった為に2Pacはデス・ロウから安々と抜けられなくなってしまった

*3 「そっちに行くからな」というニュアンスになるのだが、転じて日本で言うところの「お礼参り」の宣告を意味するスラングでもある