九州南西海域工作船事件

登録日:2012/09/12 (水) 00:07:18
更新日:2023/05/28 Sun 14:35:37
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九州南西海域工作船事件

2001年(平成13年)12月22日に発生した北朝鮮工作船追跡事件。

工作船は海上保安庁巡視船と銃撃戦を展開、最終的に爆発を起こし沈没した。

当初は「不審船」と呼ばれていたが、事件後の調査で北朝鮮の「工作船」であった事が判明、改めて「九州南西海域工作船事件」と呼称されるようになった。


【事件に対する各所の対応】

在日米軍
防衛庁に工作船に関する情報提供。

日本政府
在日米軍から提供された情報を元に不審船の情報収集、海上保安庁や海上自衛隊に工作船の追跡を指示。

海上保安庁
第10(鹿児島)・第11(那覇)管区本部の稼動可能な航空機及び巡視船艇にて工作船を追跡し交戦。
また、第7(福岡)・第8(舞鶴)管区等にも警戒態勢を指示。

また大阪府に基地を置く海上保安庁お抱えの特殊部隊SSTも投入されたが、戦闘参加には至らなかった。

海上自衛隊
哨戒機P-3Cが喜界島近辺海域を哨戒して工作船を発見。

佐世保基地から護衛艦「こんごう」「やまぎり」(第2護衛隊群所属)を派遣。

さらに政府から、創設間もない海上自衛隊の特殊部隊、特別警備隊に出動待機命令が発令され緊張が高まった。


【追跡、交戦へ】

海上保安庁巡視船による度重なる停船命令を無視し続け、工作船は逃走。

この時点で「漁業法違反容疑(立ち入り検査忌避)」が成立、巡視船は「停船しなければ砲撃を行う」という意味の旗りゅう信号をマストに掲揚し、朝鮮語などの多言語で同様の射撃警告を行った後、逃走防止のため「警察官職務執行法第7条」を準用した「海上保安庁法第20条1項」を遵守しながら、RFS付20mm機関砲による不審船の上空及び海面への威嚇射撃を行った。

一方の工作船は、威嚇射撃をも無視して中国側EEZに向けて逃走、さらに立ち入り検査と威嚇射撃を止めさせるためか、乗組員が甲板上で中国の五星紅旗のような赤い布を振って見せた。

海保側は海上保安庁法第20条の規定によって、射撃に厳しい制約が課されていたが、今回「RFS付き機関砲であれば、乗員に危害を加えずに船体射撃が可能」という判断を基に船体射撃を行うことを決定。

そして巡視船「いなさ」が、工作船の船尾にあると推定される機関部を破壊するために、警告放送の後に20mm機関砲による船尾への船体射撃を行った。

しかし工作船は通常の船舶と構造が異なり上陸用舟艇を隠すために船首部分に機関を設置していたため、ダメージを与えられず工作船はさらに逃走。

次に「みずき」が警告の後、船首へ射撃。
この際、射出された曳航弾が船首の甲板のドラム缶に備蓄されていた予備の燃料に命中。
工作船は出火したが、工作員によって消火器や毛布を使った消火活動が行われ、30分で鎮火。

その際、工作員が何らかの物体を海中に投棄、すぐに海中に沈んだため回収するには至らなかったが、これは暗号表などの機密性の高いもの、あるいは覚せい剤などの違法な物品ではないかと推測されている。

その後「みずき」が再び船体射撃を行ったが、装填していた20mm機関砲の弾薬がなくなったため、弾薬を再装填するために「みずき」は一時離脱。

工作船は停止と逃走再開を何度か繰り返し、やがて逃走する方角に無関係の漁船団が多数操業していることがわかり、工作船の早急な拿捕が求められた。

このため22時00分、低速で逃走する工作船に対し、「いなさ」が距離を取って監視し、「あまみ」と「きりしま」がサーチライトを照射しながら左右から挟撃、海上保安官が64式小銃を構えて強行接舷を試みた。

その際、複数の武装工作員が対空機関砲や軽機関銃、自動小銃を巡視船に対して開始。

この銃撃を受け巡視船はサーチライトを消灯し全速力で退避、20mm機関砲にて正当防衛射撃。
さらに「あまみ」の海上保安官が64式小銃による射撃を行った。

しかし防弾の施されていない「あまみ」は銃撃戦による損害が大きく、船橋を100発以上の銃弾に貫通され、海上保安官3名の負傷者を出している。

さらに工作員は対戦車榴弾発射器RPG-7を用いて反撃。
これは幸いにも巡視船に命中しなかったが、もし命中していればさらなる犠牲者が出ていた。
当たり所が悪ければ撃沈されただろう。


【自爆、沈没】

22時13分、海上保安庁の巡視船と銃撃戦の末、工作船は自爆による爆発炎上を起こして東シナ海沖の中国のEEZ内で沈没。

自爆寸前まで工作員達は銃撃して反撃を続け、さらに北朝鮮本国に「党(朝鮮労働党)よ、この子は永遠にあなたの忠臣になろう」とメッセージを含んだ電波を発信して自爆沈没した。


【事件後に判明したこと】

事件後、警察の捜査により以下のことが判明している。

●工作船は以前「高知県沖覚せい剤密輸事件」に関連していたこと。

●押収された遺留品のJ-PHONEプリペイド携帯電話のメモリには国内指定暴力団と関係のある在日朝鮮人特別永住者の男性Uとの数十回におよぶ通話記録が残っていたこと。

※後年、Uは公安警察の捜査により逮捕、投獄されている。

●歴史的経緯により日本で生まれ育った特別永住者「土台人」と呼ばれる人脈を利用して行われたこと。

など。

何よりも重大視されたのは工作船の予想を遙かに超えた高性能&重武装。
  • 40mm機関砲(海保でもごく一部の大型船にしか搭載されてない重装備)
  • RPG-7(揺れでまともに狙えなかったが、当たれば巡視船くらい吹っ飛ぶ)
  • 12.7mm重機関銃複数
等々・・・
あまりの重武装に絶句した海自&海保は、以後対船舶銃撃用の機関砲(海自はファランクスCIWSの改良、海保は遠隔操作型30~40mm級重機関銃など)を普及させることとなった。


【事件後】

工作船の沈没地点が中国EEZ内だったため、引き上げに反対する自由民主党所属国会議員の野中広務ら、日本国内の「親北朝鮮派」政治家やマスコミを、時の首相小泉純一郎は一蹴、工作船を引き上げた。

その際、引き上げ作業を認証した中国に謝礼金1億5000万円を支払っている。

引き揚げ直後は、検証終了後にスクラップ処分される予定であったが、日本船舶振興会(現:日本財団)がすべての経費を負担して東京への移送と展示を実施。

工作員の使用した武器と共に、船の科学館・羊蹄丸船内にて、2004年2月まで一般公開された。

その後は資金難から、一般公開終了後にスクラップ処分される予定だったが、石原慎太郎東京都知事ら多くの人々の反対と、海上保安協会に寄せられた多くの人々からの寄付によって処分は中止され、横浜に移送された。
同年12月10日から横浜海上防災基地内の「海上保安資料館横浜館(工作船展示館)」で展示され、現在に至る。
ちなみに見学は無料。

この事件は、日本国憲法施行後はじめての日本国による船体射撃であり、また銃撃戦により海上保安官に負傷者が発生したため、事件後に船体防護能力などが強化された。

また海上保安庁や自衛隊など、関係機関の連携もさらに強化された。


なお、この事件で左派知識人や在日コリアン諸団体の中には、海上保安庁が「先制攻撃的」に船体射撃を行ったことを『違法』な戦闘行為と主張している者もいる。


また余談だが、この事件に出動して工作船と交戦した海上保安庁巡視船、「みずき」は、2010年に尖閣諸島にて領海侵犯した中国漁船とカチ合った。


  • 余談

事件当時工作船は悪天候の中、なぜか低速で逃走を続けていた。

引き揚げた工作船を徹底的に調べた結果工作船は波の高さが3メートル以上だと速力が大幅に低下する事が判明した。
これにより悪天候の中を低速で逃走していた謎が解明された。

日本はいわゆるスパイに対して取り締まる法整備がなされていないと言われており
現代でも充分ではないが当時はなおのことだった。
今回は日本のEFZ(出入りは自由だが資源等は独占できるエリア)で不審船が密猟の疑いがあって臨検を拒否したことや
不審船側が先に発砲したことから海保も強行手段を取れたものの、もし不審船が見られて困るものを処分した上で

「僕たち密猟も領海侵犯もしていませーんただ日本をスパイしに来ただけですけど何も悪いことしてませんよねーーww
とやられたら海保は臨検して何も見つからなければ 黙って返すしかなかった。
よかった先に発砲してくれて。

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最終更新:2023年05月28日 14:35