マハラジャ(ディスコ)

登録日:2009/09/22(火) 00:09:36
更新日:2022/03/06 Sun 11:27:40
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概要


マハラジャとは、NOVA21グループ(現・日本レヂャー開発)が経営していた高級ディスコチェーン。
1980年代〜1990年代に日本全国に展開し、ディスコブームの中心となっていた。

1982年8月、大阪府のミナミに1号店をオープンして以降、北は北海道・南は沖縄県まで日本全国に展開した。
中でも、1984年12月に7店目として東京都港区の麻布十番*1にオープンしたマハラジャ麻布十番店は、社会現象と呼ばれるほど人気を博した。
当時の麻布十番は陸の孤島とも呼ばれており、交通の便は良いとは言えなかったが、それを逆手にとり、遠くからクルマで来る比較的裕福な人々をターゲットとした。「花のある場所に蝶が集まる」的商法で成功したともいえる。
さらに89年5月には、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルルにも小さい店舗ながらオープンし海外進出も果たした。


設えとサービスやシステム


「マハラジャ」という名前から連想されるようにインドの大王宮をモチーフとしており、またその手の込みようとクオリティの高さには目を見張るものがあった。

  • 大理石を使用した絢爛豪華な内装
  • コンサートホールにも及ぶ音響効果にきらびやかな特殊照明
  • 一流ホテルマン並みのきめ細やかな接客
  • 高級レストランのような本格的な料理(寿司職人握りたての寿司すら食べることができた!)

などなど。

これらによりディスコの概念を打ち破り、バブル景気とともにその人気を獲得した。

加えて、様々なシステムも特徴で、VIPルームや服装チェック(ドレスコードと呼ばれ、またこれに併せて社員証などがなければ入店できなかったため、客層のレベルを一定以上に保つことに成功した)、それからお立ち台などもマハラジャが元祖で、その後のディスコの大きな基板となる。


著名な楽曲や関連アーティスト


東京地区のマハラジャの社長だった成田勝氏は、マイケル・フォーチュナテイ(イタリア出身のユーロビート系ミュージシャン)の楽曲で、当時日本で大流行していた『GIVE ME UP』や『INTO THE NIGHT』などのカヴァーで歌手としてもメジャーで活動し、それと同時に全国のマハラジャ・チェーンのイメージリーダーになる。

その後 東京マハラジャウェスト、東京マハラジャイースト、青山キング&クイーンなど人気ディスコを次々とオープンし、1980年代のディスコブームを象徴する人物となった。


終焉と復活


88年に第二次ブームが終焉し、人気が下火となるもののジュリアナ東京のブームの影響で再人気が出る。

しかしブームが完全に過ぎ去るとともに客足は遠のいていき、バブルがはじけた不況の影響もあって97年9月に麻布十番点が閉店。
98年4月には「最後のマハラジャ」と呼ばれたマハラジャ横濱店が閉店となり、惜しまれつつもマハラジャは15年の歴史に幕を下ろした。

2003年8月六本木に「マハラジャ東京」が復活オープンするも2005年1月に閉店。同年5月に改装し「キング&クイーン」として再オープンしたが、こちらも既に閉店した。

なお「マハラジャ」を冠するディスコ自体は2020年代でもまだいくつかある。


余談


「マハラジャ」と命名したのは、かのデヴィ夫人ことデヴィ・スカルノである。


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最終更新:2022年03月06日 11:27

*1 アニヲタ的には『美少女戦士セーラームーン』の主な舞台としてお馴染みだろうか。