田代まさし

登録日:2012/04/20(金) 20:57:30
更新日:2024/03/20 Wed 19:11:54
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田代まさしとは、日本で活動していた元タレントであり、複数回の服役を経験した受刑者である。

1956年8月31日生まれ。佐賀県唐津市出身。
細面の顔にサングラスをトレードマークとし、かつてはレギュラー番組を何本も持ち、芸能界においても「不動の中堅」とも呼べる地位を築いていた存在だった。


タレント活動
芸能界進出の最初は1980年、ドゥーワップグループである「シャネルズ(後のラッツ&スター)」での歌手デビューであった。
高校時代の不良仲間だった鈴木雅之、桑野信義等と共にリリースした「ランナウェイ」がミリオンセラーとなり、これがタレントとしての大きな一歩となった。
その後、志村けんからそのお笑いのセンスを見出だされ、芸人としてもデビューする事となる。
特に、ダジャレと小道具の使い方には定評があり、「ダジャレの帝王」「小道具の帝王」との呼び名を戴くほどであった。
また、芸能活動の他、作家や作詞、更には、自分をモチーフとしたファミコンソフト「田代まさしのプリンセスがいっぱい」を発売するなど、その活動はまさしく多岐に渡っていた。
ある漫画では、「芸能界において、落ちこみも浮かび上がりもせずにずっと存在し続ける理想的な立ち位置」とまで比喩された事すらある。
だが、実はこの時から、些細な事で怒り狂い暴力を振るうなど、後の彼の姿を納得せしめるような情緒不安定な一面も見せていたと言う…。


転落
彼の転落の契機となったのは2000年9月24日、東急東横線の都立大学駅における盗撮騒ぎである。
彼は、サングラスにマスクと言う出で立ちで、鞄に仕込んだカメラを用いて女性の下着を盗撮していたのだ。
この時点では書類送検こそされたものの、実はそれほど騒ぎになっていなかったのだが、
それを不服とした通報者が各メディアに情報をリークし、全国的に知られる事となった。
ちなみに、当の田代はインタビュー等では逆ギレの態度を見せ、「ミニにタコができる」と言うダジャレ映像を作ろうとしていたと言い訳した(側近の入れ知恵らしい)。
それからしばらく芸能活動を休止していたが、一年ほどして各種番組にて復帰。
心境の変化があったのか、「誠意を込めて頑張ります」と、謙虚な姿を見せた。
が、その姿には明らかにかつての精彩さは無く、昔のふてぶてしい態度からは信じられないほどのおどおどした姿で、共演者達も困っている様子だった。


逮捕へ
芸能活動再開からわずか半年ほど後の2001年12月に、男性宅の風呂を覗くなどの不祥事を次々と起こし、
そして、家宅捜索の結果、大量の覚せい剤が見つかった事から、あえなく彼は逮捕と相成った。
この時点では執行猶予がつき、またテレビにも姿を表していたのだが、2004年6月、今度は自動車での人身事故を起こしてしまった*1
さらに、同年9月にバタフライナイフや覚醒剤が次々と見つかった事により逮捕され、とうとう懲役を避けられない事になってしまった。

彼は公判にて、「普段から芸能活動に対してものすごいプレッシャーを感じていた事」や、
「最初の盗撮スキャンダルをきっかけに家族との折り合いが悪くなり、やけになっていた事」などを告白。
更に、裁判官の「元々芸能界に向いていなかったのでは?」と言う質問に対し、「そう思います」と答えた。
彼の代名詞たるあのサングラスは、実は上がり症である自分を守るためのものだった事も話している
(彼の上がり症はかなり重度で、本人曰く「カメラの前ではサングラスか伊達眼鏡をかけていないとまともに話せない」ほどであったという)。
公判の最中も緊張から、身体も声も震えっぱなしだったという。
2005年2月、懲役3年6か月の判決を受けて服役。


活動再開
だが、かつての彼を知る者、更にはパソコンにてネタにした者の中にも彼の復帰を願う者は多く、
2008年6月の出所後、志村けんを始めとした芸人仲間も田代の復帰を支援し、
主にインターネットやラジオなどで芸能活動を再開し、徐々にではあるが、また彼の姿を見かけるようになっていた。
更に、有志による応援本「帰ってこいマーシー」の出版が発表されたり、
元シャネルズのリーダー鈴木雅之も「田代が居ない限り再結成しない」と告げるなど、確実に彼の帰りを待っていた者は存在していたのだ。


再再転落
…だが、彼は2010年9月、横浜にて、またまたコカインをポリ袋に入れ持ち運んでいた事が判明。再び逮捕と相成った。
2011年7月に懲役3年6か月の判決を受け、控訴を取り下げ、またまた服役。
この時の彼の顔はかつての顔からは想像もつかないほど痩せこけ、薬物がいかに人を変えてしまうかをまざまざと見せ付けてくれるので、検索してみるといいだろう。
「帰ってこいマーシー」というエールは耳に入ることはなく、ここまで信じていた人々も、「今度こそ終わった」と落胆した事だろう…。
これには流石の志村けんも、「あいつは最低なことをしたんだから、芸能界から消えてもらいたいね」とコメントし、以降彼のことを擁護しなくなった。
また、鈴木雅之に至っては「あれだけ家族や周りの人たち、そして自分自身がつらい思いを味わったわけだからその思いを肝に銘じて生きていって欲しかったです」「本当にあいつは大馬鹿です」と田代を完全に見限ることになった。

その後刑期を終えて2014年7月に釈放され、元受刑者が覚せい剤から抜け出すための互助団体「ダルク」に通い、講演などもするようになっていた。
覚せい剤阻止のキャンペーン役としては、ある意味ではうってつけと言えなくもなく、リハビリの一環でもあるという。
「覚せい剤使用経験者のタレント」として、有名人が覚せい剤を使ったニュースが流れた時にはメディアの取材が集まったことも。


…が、出所から1年を迎えたばかりの2015年7月、二子玉川駅で女性のスカートの中を携帯電話で盗撮した疑いで書類送検され、罰金刑を受けていた。
一応これについては警察の事情聴取の末、冤罪であるという判断にはなったようだが、いずれにせよそれらしい動きをしたことには違いない。
ちなみにその1か月前には「コカイン所持で捕まった」という情報が拡散したが、それは以前逮捕された記事でデマであると
本人が公表したばかりだった。…一体どうなってんだ!?

そして…
平成から令和に改元して間もない2019年11月、宮城県塩竈市の宿泊施設での覚醒剤を使用、及び都内で覚醒剤を所持していた覚醒剤取締法違反の疑いで宮城県警に四たび逮捕された。
ネットでは落胆や批判は勿論の事、その依存性から改めて覚醒剤の恐ろしさを思い知らされることになった。

懲役2年6か月の判決を受け、2022年10月に釈放された。
出所後に撮られた映像では手が震えていたが、禁断症状なのかストレスによる心身の不調の現れなのかは明らかになっていない。
(以前のyoutubeチャンネルでは通常時こそ震えやすく、むしろ平常にしているときの方が怪しむべきと語っていた)

2023年にはYouTuberとして再スタートを果たす。
また、小さな企業のCM(ネット専門だが)に登場するなど、なんだかんだ言っても人柄自体は好かれており、彼をメディアで使うとする企業は多い。
出所後、遺族に許可を得て志村けんの墓前にも手を合わせたという。(写真あり)


■お笑いタレントとして
志村けんの相方は誰か?と言えば加藤茶の次に来るのがこの田代まさしである。
特に弟子を取らなかったこともあって師弟関係というわけではないものの、志村は田代が不祥事を起こすまで田代を非常に頼っていた。
後年、志村が後輩達が自分達に遠慮してツッコんでこないということに不満、というか煮えきらなさを持っており、
容赦なく罵倒し殴ってくるダウンタウンの浜田雅功を高く評価していた。

その観点で見ると田代は目上である志村相手でも容赦なく叩いたりするツッコミなどを行っており、
まさに志村にとっては理想的な相方であった。

タレント・芸人として一般的には期待されてはいないものの、ネットではしばしば動画に出演。
内容も往年のようなキレが見える程の面白さがあり、未だに評価している人は評価している。

なお、2020年に志村けんが死去したことにより、志村と田代の師弟コンビ復活は永遠に叶わぬものとなってしまったが、
「志村さんより僕が逝くべきだった」と自身のYoutubeで語るなど、田代自身もこれまでの所業に罪悪感はあったようである…。

また、逮捕直前まで彼を支援していたロックバンド「クールス」のリーダーにして盟友の佐藤秀光も、今後も田代を見捨てないとコメントし現在も交流を続けている。
ちなみに保釈金を払ったのも彼で、クリスマスだったこともありサンタが本当にいるんだと泣いたという。
志村とは「いつかあの世でコントがしたい」とも語っているようなので、いずれにせよいつか必ず薬物と手を切り身を清めてほしいものである。


■インターネットスラングとして
今や、彼を「小道具の帝王」「ダジャレの帝王」として認識しているものは少ない。
彼は、今や「盗撮の代名詞」と言う不名誉を戴いてしまっているのだ。
インターネットで「タシーロ」「タシロする」とは、盗撮するストーキングすると言う意味となってしまった(実は彼はストーキングはしていないのだが)。

また、どこぞのマザコン英雄も、テーマ曲の空耳から田代呼ばわりされることがある。
なおこの空耳、公認ネタである。

2010年8月のコミックマーケット78では音楽サークルとコラボして東方Projectのボーカルアレンジ曲に参加したこともある。
歌詞は田代のここまでの所業と前科を自虐するような内容だった。
……まさかマーシーが射命丸 文のコスプレするとは誰も思わなかっただろうが。
田代自身も『東方風神録』をプレイしたことで文のことを気に入いったという発言をしている。シンパシー?
まぁ上述の通り、曲を出した1ヶ月後に逮捕されたわけだが。気づいた時にはもう手遅れ。...一部では「逮捕されることで完成されるネタだった」とも
片翼の田代を公認したのもこの曲。


ネタ人物としての彼を好きな者はいれど、「芸人・田代まさし」の真の復帰を望む者は、もはや少数となっている。


■田代祭り
前述の覗き・覚醒剤所有で逮捕された際に2ちゃんねるで起こった祭り。
米雑誌『News Week』の年中企画「Person of the year」(その年で話題になった人)に田代を推薦し、ネット投票で一位にしようという悪ふざけ。
当時は9.11アメリカ同時多発テロが起きたばかりであり、容疑者ウサマ・ビン・ラディンが最有力であったため、
強力すぎる対抗馬に挑むというシチュエーションも参加者を燃え立たせたようである。

素早い多重投稿を可能とする田代砲なるスクリプトも制作され、圧倒的な票数で一位を獲得したのだが、
不正投票であることは誰の目にも明らかであったため、当然無効票。
その年(2001年)の「Person of the year」は、ニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニとなった。

ビンラディンは田代に次ぐ二位だったのだが、やはり世論への配慮か無効となった。

単なる悪ふざけで、世界的なメディアに対し、サイバー攻撃とも取られかねないアクセスを繰り返すという、
非常にたちの悪い企画ではあったものの、この田代祭りは、今なお2ch史上最大の祭として語り継がれている。

なお、田代砲の使用はDDos攻撃として犯罪になるため、使用は控えるようにしよう。
今となっては古代兵器だが。


■薬物との関わり
田代自身や関係者が言っているように、田代はいわば「薬物依存症の反面教師」となっており、数度の逮捕後は生々しいエピソードを披露している。
本人も三度目の逮捕後は「二度とやりませんとはお約束できませんが、今日はやらないということはお約束できます」
という、一日一日約束を重ねていくことで薬物を少しでも断つ、という施設でも行われていた方針にそって薬物と手を切ろうという努力をしていた。
プラスに見れば、逮捕ごとに薬物断ちの期間が伸びており、少しずつ良くはなっているのは確か。

そもそも薬物事件というのは使った側ばかりに非難が集中し、売るだけ売って雲隠れする売人の方への批判が向きづらい。
かつ、薬物中毒は薬物断ちだけではなく、熱心なカウンセリングを合わせて行うことが求められるのにもかかわらず、
日本の薬物依存症からの更生プログラムは懲罰的であり、世界的にもかなり遅れているものである。
使ったことは悪いことであるが、その過去を変えることはできない。
大事なのはそこから抜け出すためのプロセスだが、そこが日本はあまりにも古臭く、結局薬物依存症を助長しているまである、のである。

よって現在ネット上で田代の残している発言の数々は、ただ安易に自己弁護をしているわけではない、ということは批判するうえで理解しておくべきである。


追記、修正お願いしマーシー。

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最終更新:2024年03月20日 19:11

*1 転回禁止区域でUターンしたため完全に田代に非がある。この時は代わりに鈴木雅之が謝罪した。