ゲルハルト・ベルガー

登録日:2010/12/18(土) 01:17:02
更新日:2024/01/06 Sat 18:38:38
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ゲルハルト・ベルガー(Gerhard Berger)はオーストリア・チロル出身の元レーシングドライバー。



チーム遍歴

1984 ATS
1985 アロウズ
1986 ベネトン
1987〜1989 フェラーリ
1990〜1992 マクラーレン
1993〜1995 フェラーリ
1996〜1997 ベネトン


  • 出走回数 210

  • 優勝回数 10



経歴

ニキ・ラウダやBMWの後ろ盾によりF1デビューし、2年間下位チームで過ごす。86年メキシコGPで初優勝し翌年は名門フェラーリへ移籍。当初はエースドライバーだったが89年にナイジェル・マンセルが加入しセカンドドライバーに。さらにこの年の第2戦サンマリノGPで大クラッシュ。欠場と度重なるリタイアで散々なシーズンとなった。

90年にはマクラーレンに加入。アイルトン・セナのチームメイトになるが終始水を空けられたシーズンになる。

91年もセナには敵わずマシントラブルも何故かベルガーのみに多発。第15戦日本GP(鈴鹿サーキット)の予選では1分34秒700のフライングラップを出し7年間破られることがなく、絶対レコードとされた。その日本GP決勝、ポールポジション(PP)からスタートし、チャンピオン争いをしているマンセルが自滅するまで首位を逃げ切るが途中セナに譲る。
しかし最終ラップの最終コーナーでセナに譲られる格好で2年ぶりの優勝を獲得。表彰台でこそおどけてみせたりするが、実は怒り心頭だった。*1

92年はマシンのポテンシャル不足によりウィリアムズの独走を許す。最終戦オーストラリアGPで一時撤退するホンダへ71回目の勝利を贈った。

93年、古巣のフェラーリへ復帰。しかし、マシントラブルや自身のドライビングミスで半数近い7レースをリタイアで終えるという精彩を欠くシーズンとなった。

94年は戦闘力のアップしたマシンのおかげ第2戦のパシフィックGPで2位表彰台を獲得。しかし、直後の第3戦サンマリノGPで起きた相次ぐ大事故で親友のセナや同国の後輩であるローランド・ラッツェンバーガーが帰らぬ人となってしまい、ベルガーは大きなショックを受ける。
これを機に本気で引退を考えるものの、その中でF1を愛する気持ちがまだ残っていることに気がつき、現役続行を決意。
また、相次ぐ事故に心を痛めたことから、F1界においてGPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)の再結成を果たし、F1の安全性やスポーツマンシップの再確認を促した。
その後、ドイツグランプリでポールポジションを獲得し、決勝でもそのまま優勝。復活を遂げ、ドライバーズランキング3位となり健在ぶりを見せた。

95年はフェラーリ最後の年となるがドイツ、ベルギーと自身の得意な高速コースでPPを獲得。しかし、結局未勝利でシーズンを終えた。

96年にベネトンにシューマッハと(フェラーリ時代のチームメイト、ジャン・アレジと一緒に)トレードの形で移籍。
序盤は慣れないマシンに手を焼くが、第11戦ドイツGPにおいてトップを走行。久々の勝利かと思われたが、残り3周でエンジンブローによりリタイア。ハイライトはこれぐらいでシーズンを終える。

97年は開幕3レースでポイントを獲得するものの、その後の3レースは逆にノーポイントで終えてしまい、精細を欠きはじめる。さらに慢性蓄膿症のため、第7戦カナダGPから3戦の欠場。この間に父親を飛行機事故で亡くすなどの不幸が重なり、再び引退が囁かれる中、復帰戦の第10戦ドイツGPに臨んだ。
このレースでベルガーは2年ぶりのPPを獲得、決勝ではジョーダンのジャンカルロ・フィジケラと終始デッドヒートを繰り広げ優勝。結果的にファステストラップ(FL)、PPも含め完全勝利を果たし、再びファンや関係者に強いインパクトを与えたものの結果的にこれが現役最後の表彰台となる。
86年の初優勝がチーム(ベネトン)の初優勝であり、結果としてこれがベネトン最後の優勝でもあった。
そしてこのシーズンをもって本人の口から「休養」宣言が出る。しかし、休養後にF1に復帰することはなく、そのまま引退となった。



エピソード

ベルガーはイタズラ好きで有名な人物でもあった。しかも被害者がほとんどセナだったりする。
一例とすれば、「セナのアタッシュケースをヘリコプターから放り投げる」「セナのホテルの部屋に大量の魚を入れる」「セナのパスポートの写真をチ〇コ(または女性の全裸)の写真にすり替える」…等はちゃめちゃ。
しかし神経質なセナはそんなベルガーに対してプライベートは最後まで友好的な間柄だった。

ベルガーはプレイボーイでもあったせいか、当時フジテレビのF1中継の実況をしていた古舘伊知郎からは「女好きのチロリアン」「私生活のワールドチャンピオン」と呼ばれた。

通算10勝を記録しているが、全てが自身やチームにとって記念となるものであり、記録よりも記憶に残るドライバーとしてよく名が挙がる。


その後はBMWのF1活動に参加したり、2006年から2008年までレッドブル傘下チーム、トロ・ロッソの共同オーナーを勤めたりとF1に参加していたが、現在はDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)を率いる代表として活躍。SUPER GTとDTMの交流戦の際には日本に再び来日を果たした。


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最終更新:2024年01月06日 18:38

*1 当初、紳士協定で一コーナーを先に取った者が優勝というものだったのだが、あからさまなセナの譲り方に対しての怒りと言われている。