国鉄(JR東日本)203系電車

登録日:2012/10/21 Sun 11:57:49
更新日:2023/07/09 Sun 12:49:42
所要時間:約 3 分で読めます




国鉄(JR)203系とは、かつてJR東日本が保有していた常磐緩行線向けのアルミ製通勤型車両である。


東京メトロ(旧営団)千代田線に乗り入れ、代々木上原まで顔を出していた。

走る電熱器と呼ばれた103系1000番台を駆逐するため、1982年から0番台8編成・100番台9編成の合計17編成が導入された。

201系を参考にして国鉄自慢の電機子チョッパを採用し、車体はアルミ製にして軽量化を試みた。のちに増備された100番台は台車を後発の205系と同一のボルスタレス台車に改め更なる効率化をめざした。

当初は真新しいアルミ車体が光輝く最新鋭の電車だったが、時の経過とは残酷なもので…。
アルミ車体は次第に茶色く汚れていき、直流モーターを用いていたためにJR型に比べるとモーター音のうるささが目立ち、アルミのドアはパタパタと大きな音を立てていた。いわゆる陳腐化である。

これらのことから一部の人たちからは散々な言われようだったとか…。

そんな203系もE233系2000番台に置き換えられる事が決まり、2010年11月から廃車が開始。
最後まで残ったマト55編成も2011年9月26日をもって営業運転を終了。10月15日には松戸車両センターを去っていった。
29年間、常磐緩行線と千代田線一筋で走ってきた歴史に幕を下ろした。
なお、一部編成は解体されずに海外へと譲渡され、第2の人生を歩み始めた。


以下は各編成の廃車回送日とその後。


【0番台】
マト51・2011年6月7日廃車
インドネシア譲渡

マト52・2011年6月14日廃車
→インドネシア譲渡

マト53・2011年9月3日廃車
→フィリピン譲渡

マト54・2011年10月1日廃車
→フィリピン譲渡

マト55・2011年10月15日廃車
→フィリピン譲渡

マト56・2010年12月27日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト57・2010年12月2日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト58・2010年11月5日廃車
→郡山総合車両センターで解体


【100番台】
マト61・2010年12月16日廃車
→郡山総合車両センターで解体

マト62・2011年1月18日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト63・2011年1月25日廃車
→1〜9号車は郡山総合車両センターで解体され、10号車(クハ203ー103)は鉄道ファンに引き取られた。

マト64・2011年2月22日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト65・2011年2月28日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト66・2011年5月24日廃車
→インドネシア譲渡

マト67・2011年7月27日廃車
→フィリピン譲渡

マト68・2011年8月23日廃車
→インドネシア譲渡

マト69・2011年8月17日廃車
→インドネシア譲渡


なお、マト67編成は地下鉄サリン事件の際に車内にサリンを撒かれた編成で、1号車のクハ202-107には林郁夫が傘でサリン袋に穴を開ける際で出来た傷が床に残っていたという。


追記・修正のついでに洗車もお願いします。


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最終更新:2023年07月09日 12:49