爆笑問題

登録日:2011/09/12(月) 17:39:15
更新日:2024/03/17 Sun 13:20:58
所要時間:約 6 分で読めます




爆笑問題は、日本を代表するお笑いコンビ。株式会社タイタン所属。
メンバーはリーダーの田中裕二とサブリーダーの太田光*1の2名。

コンビ名の由来はたまたま太田が書店に立ち寄った際に問題小説というタイトルの雑誌*2を発見、
「自分から問題って名付けるってすげぇな」と思い、その「問題」にテレビの番組欄でよく見かける「爆笑」というフレーズを付け足した。
ちなみに田中は「コンビ名を「爆笑問題」にする」と太田に言われた際、
自分達から「爆笑」を名乗るのが相当恥ずかしく、「微笑問題とかじゃなくて?」と反対したが、
結局太田の一存で押し切られたとのこと。

▼芸風
漫才、司会、コントなどおよそお笑いで重要な事は何でもできるが、時事ネタ漫才で知られている。
次から次へとネタが自動供給される反面、鮮度が落ちるのが非常に早いネタを次から次へとネタにし続けるのが彼らのスタイル。
そのネタの製作スピードは驚異的で、紅白歌合戦の出来事を翌日の元旦の特番で披露した漫才でネタにしたこともある。

その一方で気に入ったネタはどれだけ風化しようとたまに使い続け、ある種の「定番ネタ」にさえしている。
具体的に言うと田中の身長ネタ。クレーンキャッチャーの景品として入ってたとか麻雀牌をめくったら張り付いていたとか。
ちなみに一番使いまわされているであろうネタは田中の睾丸摘出(2000年)であり、20年以上経った今でも頻繁にネタにする。
もっとも、田中がタマを取ったことがわかった際太田は「ここで真面目になったら芸人として終わってしまう」と会見では全力で笑いを取りに行って緊迫した空気を変えた他、
田中も会見の件に加え、当初は「良性の睾丸肥大」とされていたものが、実際は悪性腫瘍で完治に数年もかかった上に父親にも言っていなかった中、ある意味で明るい話題として捉えられるようにしてくれた太田への感謝を述べている。
時事ネタではヒデとロザンナや奈美悦子、船場吉兆のささやき女将もお気に入りで、何年経とうと時折ネタにし続け、
挙句の果てにはいつまで経ってもヒデとロザンナをネタにし続ける自分たちをネタにしたことすらある。

多くのMC番組を持っている現在でも、事務所ライブへの出演も欠かさず、ENGEIグランドスラム、THE MANZAIや正月三が日のテレビ番組では漫才を披露している。


▼経歴
二人の出会いは日本大学芸術学部であり、受験の際に試験官をネタにする太田を田中が見掛けたのが発端。
この時田中は「関わりたくない」と思ったが彼は野球のユニフォームで受験していた(田中はこの時「どうせ受からない」と思っていたらしく、終わったら草野球をしに行こうと思っていたらしい)。
その後二人とも合格したが、太田が英語の初回の授業で早くも嫌気が差し、後ろの席の人間を誘って授業を二人でサボタージュした。
この時、たまたま後ろの席で誘われたのが田中である。
(ちなみに二人はこの時点で英語の授業の単位無しが決定した)

その後太田が大学を辞め、疎遠になるかと思われたが、
田中が先輩と組んでいたお笑いコンビを解消し、それまで出演していたライブハウスへの出演をどうしようかと考えた結果、
何となく太田を誘い、太田がこれに乗りお笑いコンビを結成。
渋谷のクラブハウスラ・ママでコントを披露したところ観客が大爆笑、
すぐに幾つかのテレビ局からオファーが来るほどの騒ぎとなった。
ちなみにこの頃は田中がボケで太田がツッコミを担当していた。


その後、次第にコントから漫才を主体にするようになり、太田の鋭い毒のようなボケと田中のストレートなツッコミという現在の爆笑問題のスタイルが確立、
人気を博すも二人が所属事務所を飛び出したため、一時的に干される形となりテレビから姿を消してしまう。

しばらく太田はニート暮らしで、当時の彼女である太田プロのタレント・松永光代(後の妻)に養ってもらうヒモ状態、田中はコンビニのバイトで生計を立てる生活が続いていたが、コンビは解消せず、爆笑問題としての営業は続けていた。
だが田中が廃棄のコンビニ弁当を太田に届ける際にも太田は顔を見せないほど太田は荒んでおり、
一方の田中はコンビニで非常に優秀な働きをして、正社員への誘いすらあった。
(ちなみに田中の働いていたローソンは当時日本全国で売上げNo.2を誇っていたらしい)

その後太田が一念発起し、全国各地の高校の予餞会などの仕事を大量に入れ、ひたすら爆笑問題としての復活のために奔走。
様々なネタ見せ番組に出演し、審査員からも「今更あんた達が・・・」と酷評されるもめげずにネタ見せを続け、
元から実力があったためか一気に再ブレイクへのきっかけを掴み、軌道に乗り今に至る。


▼太田光(おおた ひかり)
爆笑問題のボケにして実質的な顔。埼玉県ふじみ野市出身。
彼らの代表的な著書である「日本言論シリーズ」と「日本史言論シリーズ」は田中は殆ど何もしておらず、実質彼一人で書いている。
テレビでは非常にテンションが高いオッサン、と言うイメージだがプライベートでは気の弱いオッサンであり、
自著で「恥ずかしくて仕事以外では騒げなくなった」と書いているほど。

「芸能界一」を自称するほどの読書家であり、家に積み本が常に100冊以上あるとのこと。
中学生にありがちな「聡明な俺カッコいいアピール」ではなく、日本史言論シリーズ(雑誌掲載時)では隅っこに最近読んだ中で面白かった本と
具体的に何がどう良かったのか・考えさせられたのかを熱く語っているほどである。

背が高いと思われがちだが、実際には身長170cmと平均的な値である。にもかかわらず、ガリガリな体系と横に並ぶ田中のおかげで高い身長だと勘違いされている。

明確な趣味は読書くらいしかないが、'97年頃のハイパーヨーヨーブームの折には常にハイパーヨーヨーをポケットに入れて持ち歩いていた。

タクティクスオウガの大ファン。

好きな言葉は 未来はいつも面白い


また、自衛隊を否定する発言などから左翼的な人間であると見られる事もあるが、
彼自身は「政治的なメッセージを送っているつもりは無い」と言っており、自分の思想的な立ち居地を明確にしている訳ではない。
具体的に言えば、第二次世界大戦での日本の真珠湾攻撃に対して
「なぜ負ける戦争を始めたんだ」と批判する一方で、
「当時の日本には美意識があった」と擁護もしており、
戦争に対して一概に善悪の判断も下していない。
他にも、皇室に敬意を示す、靖国の合祀に理解を示す、北朝鮮への強い態度を望むなど、一般的には「右翼的」と思われる主張も多数行っている。
そのため、特に右寄り、左寄りと言う訳ではなく、「個々の事例に合わせた主張を行う」と言う人として当たり前の主張をしているだけであり、「一つでも左寄りの発言をしたら左翼」と言うネットの過激な政治厨によって広められた、誤ったイメージと言うべきだろう。

一方、「最近の女子高生はあんな一瞬でメールで文章作っちゃってさ、すげぇ頭良いと思うよ」と言っているかと思えば、
過去の自分の看板番組で「メール禁止」を言い出したりするなど、
思想的な立ち位置が無いと言うよりはすぐに思想がコロコロ変わっているのではないかと思われるエピソードも多く見受けられる。

ちなみに相方の田中の事は罵倒していながらも、田中がピンで出演しているテレビ番組は全て録画して保存しているらしい。

妻の太田光代はタレント業も行いつつ、所属事務所・タイタンの社長も務めている。
大の恐妻家らしく、どんなにバラエティではしゃいで暴走していても、光代の話を振られると急激に大人しくなる性質がある。


▼田中裕二(たなか ゆうじ)
爆笑問題のツッコミであり、身長153cmの小人。東京都中野区出身。
一般的に「奇人の太田、普通の田中」というイメージを持たれているが、その内心はかなりのナルシストの変態。
ナルシストは年齢を重ねるごとに治っていき、大学生の頃のナルシストエピソードを語られた際は恥ずかしそうにしていたが
変態な部分は今でも全く治っておらず、本として出版すらされた。
特に伊集院光でさえも「太田さんは変な人、田中さんは化け物」と評している。

暗算が苦手でお釣りを多めに渡すためコンビニバイトすらまともに勤まらなかった太田と違い、
環境適応能力が非常に高く、太田も「あいつは漫才師でなくてもやっていけるんです」と断言している。
その一方で彼らの師匠的存在でもある立川談志は「太田の相方が務まるのは田中しか居ない」と高く評価している。

彼の素はというと、とにかく野球と競馬と猫が大好きな変態。
野球に関しては仕事がない時期に「毎日野球ができて楽しい」と公言するレベルで、一旦語り始めると全く歯止めが掛からない。
例えば『とくダネ!』で司会の小倉氏がWBCでの原監督の采配を批判した際は、その小倉氏を「お前」呼ばわりして罵倒しながら全力で原監督の弁護をし(1週間後に謝罪)、
北海道のローカルテレビの企画で「アドリブでドラマをやる」と言う企画があった際、容疑者と被害者が同じ野球チームに所属しており、野球に対する考え方で対立している、という設定だった際には容疑者と野球トークで意気投合し、
自分の意見にそぐわなかった持論を持っている(という設定の)死体役の役者を罵倒している。
競馬に関しては、情熱大陸の取材でカメラを止めた後にやっていたことが競馬予想だったというほど。冠ラジオ「日曜サンデー」や東スポのコラムなどでその競馬愛が見え隠れすることがある。
穴党として知られ、2007年皐月賞でヴィクトリー軸の三連単を当て500万円を手にして話題になったことも。
猫については、再婚前までは猫を複数匹飼っていた。しかも猫を相手にすると赤ちゃん言葉になる。このため来客にもすぐ懐いていたという。
太田夫妻も猫を飼っているが基本的に夫妻の対応は素っ気ないのであまり人に寄り付かないという、

上記のエピソード以外にも一度暴走したら歯止めが掛からないエピソードが幾つか存在し、
羽柴秀一氏は「田中さんがこうなっちゃうと誰にも止められない」と呆れ返っていた。

地味に大病を患った経験も多く、カタタマのほかキス病や心筋梗塞なども患っている。

実は太田と同い年ではなく、一浪しているため実は太田より一つ年上。
また、何気に紙粘土での造詣が上手で、TV Bros誌上の太田のコラムの隅っこに紙粘土の作品をいつも載せており、
一度個展が開かれた事もある。
一応、爆笑問題のリーダーだが、これは立候補したのではなく、太田の指名によるもの。ただし、爆笑問題の全ては太田夫妻が握っているため、彼の権限は無に等しい。

2000年に結婚していたが、2009年に離婚。
その後、2015年にタレントの山口もえと再婚した。
田中はもえの才能を90年代の駆け出しの頃から評価していたが、お互いの離婚後に付き合い再婚に至った。
またもえは再婚当時2人の子持ちであったが、田中は連れ子であるその2人の子供に対しても、分け隔てなく愛情を注ぐ子煩悩としても有名である。
芸能界内部でもその子煩悩ぶりはかなり有名な話であり、後に山口が3児(田中との子)を出産した際にとあるリポーターが田中に「第一子のご誕生おめでとうございます」と祝福の言葉をかけた際、周りの芸人たちが一斉に「違う、あの子は田中さんの3人目の子供だ」と否定したという逸話もあるほど。
また実家は芸術家家系らしく、従姉にならはしみきがいる他、実姉はデザイナーをしている。


追記・修正はあだなが○○パンから○○チャカに発展した方にお願いします。

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最終更新:2024年03月17日 13:20

*1 田中がリーダーである理由は、結成当時に太田が田中にリーダーになるように言い、田中がそれを受けたため

*2 問題小説は1967年から2011年まで刊行されていた由緒正しき月刊誌であり、現在は後継誌の『読楽』が刊行されている