野沢那智

登録日:2011/01/22 Sat 20:26:01
更新日:2024/03/13 Wed 21:10:22
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野沢那智(のざわなち)は日本の俳優である。(生前、本人は最期まで声優という呼称を努めて使わないようにしてため、故人の遺志を尊重しこの場でもこのように扱わせていただきます)。

概要

1938年1月13日東京都生まれ。本名は芸名と同じ漢字で「のざわ やすとも」。なかなか正しく名前を読まれず、誤読をそのまま芸名の読みにした。
タレントの野沢直子は姪にあたる。
息子の野沢聡も役者をしており、後に散発的だが声優業を行っている。

その癖が強い、勢いのあるべらんめえ口調は一度聴いたら忘れられない。
洋画の吹き替えを数多くこなし、代表的役はアラン・ドロン、アル・パチーノ、ジュリアーノ・ジェンマ、ロバート・レッドフォード、ダスティン・ホフマン、そしてブルース・ウィリス。
また、長年の友人である山田康雄が死去した際、彼が務めていたクリント・イーストウッドの吹き替えを引き継いだ。

ベテラン俳優の山田のことをヤスベエと呼んでいたことからも分かるとおり、吹き替えや声優の世界を黎明期から知る重鎮の一人である。

来歴

野沢が本格的に芸能活動をし始めるのは、國學院大学を中退し劇団七曜会に演出家志望で入団したところ主催の高城淳一に「とりあえず役者やれ!」と言われた時から。
後に七曜会を退団して役者仲間を集めて自身の劇団を立ち上げるも、客入りが悪く借金ばかりが膨らんでいた。
借金返済に頭を悩ませていたある日、七曜会の先輩の八奈見乗児と偶然出くわす。そこで声の仕事を紹介され、東京俳優生活協同組合への所属を斡旋される。

また、その頃、火曜サスペンス劇場のオーディションに合格している。
しかし、与えられた役が『連続婦女強姦魔』だったことに仰天し、『できませんよ!』と叫んで飛び出してしまったという。

かつて、「機動戦士ガンダム」がヒットするまでは、声を当てる仕事というものの環境・待遇は非常に劣悪だった。
声優と言う仕事が安定した評価を得られるようになったのは、彼の弟子も出演したガンダムのおかげだったという。
(昔は声優の認知度はかなり低く、森山周一郎は自分の職業を言うと「デパートにお勤めなんですね」と返ってきたとか。それは西友だ。ヤスベエも同じネタで皮肉ってたけど。)

そのため「声優」という呼称は、舞台やテレビに出られない落ちこぼれ…といった侮蔑的な意味合いを含んでいた。
こういった扱いの中で野沢は、声の仕事は決して舞台やテレビの仕事に劣っていないということを懸命にアピール。
偏見を含む「声優」ではなく、自分たちも同じ「俳優」として扱ってほしいと世間に訴えかけた。

現在、世界一の声の俳優国として知られる日本の礎を作った人物の一人であると言えよう。

声の仕事をするにあたって基礎トレーニングは特に受けておらず、その代わりにトランペットの音やチェロの音など楽器の音を口で真似ながらクラシック音楽を1曲口で歌うという方法で発音・発声方法などを鍛えた。

薔薇座と弟子達

また、後進の育成にも熱心で、特に有名な弟子を挙げると、

鈴置洋孝(ブライト艦長天津飯など)

玄田哲章(シュワルツェネッガー、コンボイ)

戸田恵子(マチルダ・アジャン、トーマス)

などがいる。

しかし指導者としての野沢は鬼教官として有名だった。
彼の育成学校は入って1、2年の間は台本に触れることすらかなわず、徹底的な基礎づくりを強いられる。絶対に甘えは許されない。
指導方針も「人に聞くな!!自分で舞台に立って恥をかけ!!それを経て自分で学べ!!」、という正に叩き上げのスタイル。
授業の際はサングラスをかけ、サーベルを帯刀し、失敗すれば「死ね!!」というおぞましい罵詈雑言すら飛び交う修羅場が誕生する。
終いには怒りに任せて野沢が灰皿を投げ、それを生徒が避けると「なんで避けるんだ!!」と理不尽な叱責を飛ばしていた、というのは有名な話。

玄田哲章は練習のあと舞台ホールから出た際、泡を吹いて気絶してしまったと言う。

鈴置は『いい思い出は一切ないけどここでの経験があったから辛いことも耐えられた(意訳)』と後年コメントしている。

あまりの厳しさに、付いた渾名は『那智収容所』。そのスパルタ式の練習は『那智ズム』と呼ばれた。*1
(ちなみに、この渾名を付けたのは上記の玄田、鈴置の二人。)

もちろん、無闇やたらに厳しくしていただけというわけではなく、弟子たちとは卒業してからも親密な関係を築きあげていた。
アフレコ現場など仕事場では滅多なことで怒ることもなく、共演した宮本充などはこれだけの逸話がありながら「怒ったところを見たことないくらい現場では優しい先輩だった」と語り継いでいる。
決して仕事場で己の評価に驕ることもなく、本番前に練習しようとしてプロデューサーに静かにするよう言われたこともあったとか。
才能ある教え子の仕事をできる限り見つけ出し、弟子と一緒に仕事をした時には愛弟子トチらないかと心配しすぎるあまり、自分がNGを出すこともあったという。
2006年に鈴置が急逝した際には「芝居は教えたが、命を失ってまで芝居を守れとは教えたくなかった」とコメントし号泣した。

晩年は薔薇座時代と比べるとかなり優しくなったらしく(木刀こそ持っていたが
声優史の番組において指導風景が映された際、ある生徒が野沢の掛け合い役に指名されて「光栄です」と返されると
「なぁに言ってやがんだよ///」と照れ隠しに軽い膝蹴りを入れる程度であった。

演技

とにかく若い頃は色気があり、アラン・ドロンを演じていた時代は艶のある声で視聴者を魅了していた。

このイメージがあったこともあって、かつては二枚目ばかり演じており、それ以外の役がくることが少なかった。
これが後年ブルース・ウィリスの吹き替え担当として候補に上がった時に猛反対を受ける原因にもなったのだが、それは別の話。

一方で、後述するスペースコブラ辺りから二枚目以外の役でも知られるようになった。
先のブルース・ウィリスの吹き替えなどのがらっぱちな人間は、かつてなら野沢那智が演じるなどとんでもないという役だった。
本人すら「こんな胸板があって太い首の男をどう演じたらいいんだ」と何故自分のところに仕事が来たかわからないと語っていたが、
依頼を持ってきた演出家が
「薔薇座の頃から野沢さんを見てるけどいつも貧乏くじを引いて苦労してる、そういうところが「ダイ・ハード」だ。そんな野沢さんならブルース・ウィリスの気持ちを理解できる。だからキャスティングしたんですよ」
と説明。
いざ野沢にやらせてみるとアドリブ混じりのぼやきを見事に演じきり、野沢那智=二枚目というイメージから完全に脱却した。
野沢本人にとってもこのマクレーンという役は、人間臭くてユーモアを忘れないところがいい、とお気に入りになったという。


人柄

大の酒好きとしても知られ、山寺宏一並みの人気と仕事量があったにも関わらず、金の出入りは常に激しかった。
(上記の養成学校を自腹で創立・運営していたからというのもあるが、本人は片っ端から飲まなければ山寺くらいの家が持てたと語っている)
相当額の年収があったことは中央競馬の馬主としてシンジュサンゴを所有し、レースに出走させていたことからも窺い知ることが出来る。

嫌いなものに食べ物ではイクラを挙げ、テレビの企画で口にした際も苦笑い。
また、意外にも目立つことが大嫌いで、テレビの顔出しの仕事には消極的であった(フジテレビの番組のごきげんように出演したことはあり完全に断っていたわけではない)。

本人曰わく「顔出しできるほど好い顔をしていない」とのことだが、端から見れば素顔は十分にダンディーである。
アラン・ドロンの吹き替えの仕事をした時にタキシード姿で広告に出演したこともある。
宮本充も、いつも洒落た格好をしていて、当にアラン・ドロンのようだったと語っている。


仕事への姿勢

劇団員に対する厳しさを持っていたそれと同じく、アテレコへの意識は高く、アメリカ全土の何十万人の中から選ばれた百戦錬磨の猛者の代わりに、
自分達がアテレコをするのだから、まずは自分達が映像の俳優以上の演技力を持たないといけない、と語っている。
しかし晩年はアテレコ業界も様変わりし、本国からの圧力が強くなり、「声を似せろ」「声紋機にかけて選べ」というオーダーが増え、
これはよろしくない流れであり、日本のプロデューサーがしっかり選抜すべきだと語っていた。
また、自分がそういった流れをまた作ることも最後の仕事であるとしていた。

アテレコについて、自分がやっていた時代は恵まれており、滝口順平、富田耕生、大塚周夫といった先輩が脇を固めていて、
脇役に高い演技力があったからこそ自分もできたんだと語っており、脇役の配役が大事としている。
しかし低予算な番組だとベテランが外れ若手だけになることも多くなり、野沢は
「今の若い人は回りに同年輩しかいない(ベテランがいない)から可哀想、しかもそのベテランが次々と亡くなってしまっている(=ベテランに支えて貰ったり、あるいは学ぶ機会を失っている)」
ということを嘆いていた。
なお野沢が先にあげた3名はインタビュー時点(2008年)では健在で、それどころか彼等よりも自身が早く没してしまった。
この頃には自分の死期を悟っていたのか「技術を継承したいが、もう時間がない」と語っていた。

アニメ

意外と来歴を見ると、山田康雄と同様にそこまで熱心にアニメ出演していたわけではない。
主に出演するとしてもゲストが多く、大物として出ることが多かった。
が、山田康雄と比べるとレギュラー・準レギュラー出演が多い方で、こんな役を演じていたのかということも多い。


スペースコブラ

アニメにおける野沢那智の代表作。
二・五枚目といった風の軽口を叩く「不死身の男」を演じきった。番組が長続きしなかったことだけが惜しい。
スペースコブラはその軽妙な言い回しもさることながら、ほぼ一発撮りだったという次回予告が有名。
コブラとして話しているのだが、短い時間に猛烈な早口で、しかもしっかりその時々の細かな感情の変化を交えて演じきった点は今でも驚嘆する他無い。

晩年、コブラのアニメが新たに企画された際は、直訴してコブラ役を演じた。加齢により喋りがゆったりしたと言われがちだが、
これは音響監督からの指示によるもので、近い時期に演じたコブラ・ザ・アーケードではかつてのような軽妙な語り口を披露している。
新TV版でも出演する気だったようで、各種インタビューやイベントに出演しては自身の再演をアピールしていたが、志半ばで病に倒れ降板の憂き目に合う。(その後逝去)
ちなみに、このコブラのほうはOVA版の神隼人役でお馴染みの内田直哉が引き継ぐことになり、こちらも高評価を得ている。


いじわるばあさん

フジテレビ版において、主人公であるいじわるばあさんこと伊知割イシを演じていた。
アニメでオカマ役が振られることはしばしばあったが、これに至っては完全な女性役である。
まあドラマ版でも青島幸男が演じていたことを考えると由緒正しきキャスティングだが。


ゼフェル先生

ラグナロクオンラインアニメ版における敵役。アニメの番組記事よりキャラクターの記事が充実している、という屈指の愛されキャラ。
アニメのクオリティと野沢那智の演技の巧みさが全く比例していないこともさることながら、こんな番組に野沢那智が出ているという点でも注目されるものである。
ゲーム中のウィザードの魔法名をめちゃめちゃいい声でシャウトするがファン必聴と言える格好良さ。
野沢那智が演じた中でも屈指の狂人なので是非聞いてみて欲しい。


その他の有名な役

またヘルシングのアレクサンド・アンデルセンを熱演した。
健康状態の問題から、後にアンデルセン役は若本規夫が引き継ぐことになったが、未だに野沢のアンデルセンも人気があり、ファンの間でも好みが大きく分かれる。


死去

晩年はコブラの新シリーズに自ら直訴して参加するなど精力的に活動していたが、徐々に体調を崩しがちになる。
その矢先の2010年10月30日に、肺癌の為逝去。享年72。
奇しくも、弟子である鈴置洋孝と同じ病であった。
薔薇座時代のスパルタ教育について一切良い思い出はないと言っていた玄田哲章も、師匠の死を嘆き「戻ってきてください、早すぎます」と偲んだ。


合掌

生前はラジオDJとしても活動しており、主な番組としては『パックインミュージック』(ナチチャコパック)、『野沢那智のハローモーニング』(TBSラジオ)、『いう気リンリン那智チャコワイド』(文化放送)があった。

エヴェン「追記・修正者、どこにいる。返事をしなさい。」

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最終更新:2024年03月13日 21:10

*1 言うもないがこれはナチスドイツとかけた揶揄である。