エンツォ・フェラーリ

登録日:2011/01/25(火) 22:12:55
更新日:2023/05/04 Thu 21:10:11
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@ エンツォ・フェラーリ(Enzo Anselmo Ferrari)(1898年2月18日-1988年8月14日)は自動車メーカー及びF1チーム、フェラーリの創始者。イタリア・モデナ出身。愛称はコメンダトーレ(イタリア共和国功労勲章の勲三等位の名称)。



  • 来歴
モデナでアルファロメオのディーラーを営む傍らレースチームを創設、「スクーデリア・フェラーリ」の第一歩である。

F1やスポーツカー選手権に積極的に参戦する傍ら自動車(と言っても高級車ばかり)を製作する。

エンツォは良くも悪くも尊大かつ豪快だった。1960年代にフォードとの買収話の際は大金を積まれたが一蹴し、フィアットの傘下になる事を選ぶ。
市販された車があまりにもトラブルが多くクレームが出た際に「買ったドライバーに非があり、我々は最高の車を製作している」と言い放ったのである(これはランボルギーニ誕生にも関わる)。
エンジン至上主義の為か、「車の命はエンジンだ。その他の部品は付属に過ぎない」と古い考えも。ちなみにフェラーリ製のエンジンはどれもハイパワーな仕上がりになっている。

F1がフロントエンジンからミッドシップ(エンジンを車体の中心に設置した形式)に転換する時期にも「馬は後ろから車を押すものか」と一蹴。フェラーリは数年間タイトルを逃す時期があった。


イタリアではカリスマとして今なおその影響力はあり、現代もフェラーリや傘下のマセラティなどはエンツォがこだわったエンジン形式であるV型12気筒のエンジンを搭載したスーパーカーを製作している。


モータースポーツ界に偉大な足跡を残したエンツォだが、家庭人としては必ずしも幸せとはいえなかった。

若い頃に父と兄を亡くし、妻ラウラとの間にもうけた一人息子アルフレード(愛称ディーノ)は24歳の若さで夭折した。
アルフレード本人も優秀な技術者としての素質を持っていた為、彼に後継者としての期待をかけていたエンツォにとってその死は衝撃的だった。
また、妻ラウラも1978年にエンツォに先立って世を去っている。

しかし、愛人との間にもうけたもう一人の息子ピエロ・ラルディ・フェラーリは成人後に身分を隠してエンツォの下で働き、ラウラの死後正式に認知されて現在ではフェラーリの副社長をつとめている。
ちなみに、フェラーリの50周年記念モデルであるフェラーリF50を企画立案したのはピエロその人である。


A フェラーリが製作したスーパーカー。フェラーリ創設55周年を記念し世界限定399台*1が製作された。

  • スペック

最大馬力 670馬力
最大トルク 67kg/m
ギアボックス 6速セミAT
駆動方式 MR
サスペンション 前後ダブルウィッシュボーン
全長 4702mm
全幅 2023mm
全高 1147mm
ホイールベース 2650mm
車両重量 1365kg
ブレーキ カーボンセラミック製ベンチレーテッドディスク

創始者エンツォ・フェラーリを冠したこの車はF1譲りのハイテクデバイスを惜し気もなく使用。車体はカーボンを採用し、セミAT、トラクションコントロール、発車時のラウンチコントロール…。さらにはフェラーリのアイデンティティーとも命とも言えるエンジンにはV12を選択。約670馬力を発揮し、1365kgの車体を350km/hまで導く。フォルムから見て取れるがまさに公道でF1マシンを走らせる様な感覚を味わえる夢の車である。

価格はプレミア性が高く1億を超える物もある

しかし何を隠そうこの車、創設者の名を冠する車だがデザインしたのは日本人デザイナーのケン奥山こと奥山清行氏である。




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最終更新:2023年05月04日 21:10

*1 中途半端な数だが、これはわざと「見込まれるオーダーよりちょっと少なめにしてプレミアム感を煽る」という商業戦略によるもの。その他のフェラーリの限定車も全て半端な数になっている。