YF-23 ブラックウィドウⅡ(戦術機)

登録日:2012/11/09(金) 07:09:09
更新日:2024/03/21 Thu 18:15:28
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沈み行く落日に照らされて聳え立つYF-23を
開発主任を務めた男はただ黙って見上げていた


TSFIA“#8 Question of honor”より


概要


YF-23とは、1983年にアメリカ陸軍によって提案された次世代戦術機開発を目的とする概念実証計画『ATSF計画』において、合衆国戦術機メーカー、ノースロック社とマクダエル・ドグラム社が共同開発した作中最強候補の試作戦術機である。
1号機がPAV-1“スパイダー”、2号機がPAV-2“グレイ・ゴースト”の愛称を与えられている。違いは、塗装と搭載主機が異なる点。

PAV-1…YEE120-GE-100
PAV-2…YEE119-PW-100

2機ひっくるめて『ブラックウィドウⅡ』と呼ぶ


武装


固定装備
  • 近接戦闘短刀 ×2
  • 兵装担架×4(予備として胴体にも装備できるため最大6)

携行装備
  • XCIWS-2B 試作近接戦闘長刀
  • XAMWS-24 試作新概念突撃砲
  • XM-9 試作突撃砲装着型短刀(XAMWS-24に装着)


開発経緯

史上初の戦術機であるF-4 ファントムが1974年以来、BETAと戦い続けてきたが、“対BETA決戦兵器”とはなり得ないと考えるようになっていた。
数で迫るBETAに対し、軍部やメーカーは「守り」=「盾」よりも「攻め」=「剣」の戦術機を求めていたのである。
やがて、それは「対BETA戦に特化した強力な戦術機」の待望論に発展し、各国独自の新型戦術機の開発に繋がっていくことになる。
そんな風潮の中、アメリカはというと、F-4やF-5などの第一世代機開発と並行して次世代である第二世代機開発を早々に承認。試作機開発をスタートした結果、10年足らずで結実する。
設計はトータルイクリプスでXFJ計画の技術顧問をしているフランク・ハイネマン。

  • 1982年
史上初の第二世代機F-14“トムキャット

  • 1985年
“最強の第二世代機”F-15“イーグル

  • 1986年
安価かつ高機動なF-16“ファイティング・ファルコン”

猛スピードで開発が進められたのがお分かりいただけるだろう。
だが、これらすべては「自国本土へのBETA上陸を阻止したい」という本心からの行動である。
自国領土がBETAによって蹂躙されていないアメリカは、ユーラシア各国やBETAの脅威と真っ向から向かい合う国家群とはかなり異なった観点を持つ。
それは、終わりがまったく見えないBETA大戦の最中にあっても一際に目立っていた。


“ATSF”計画発令

1982年、F-14が配備される直前、“戦術機の父”アメリカ陸軍のバンデンブルグ中将はこう言った。

「第二世代機投入により、BETAとの戦いはその耐用年数前後に決着する。その後、BETA支配地域の地下資源、特にハイヴに眠る稀少物質の獲得を巡り、各国の利害対立が激化する」

BETA大戦後の世界戦略のことを指すこの発言は、本編である2001年現在を見ても、未だ終わりの兆しすら見えない状況にあるので、獲らぬ狸の皮算用も甚だしい……
しかし事実としてソ連も研究を始めたりしてるし横浜の人も扱えることからあながち間違いじゃないよね。
これはあくまでも中将個人の発言であって、国家総意というわけではなかった。そう、少なくともこの時点では。

だが、中将が後に「BETA大戦末期の戦線を担う戦力となり、その後発生する人類との戦闘に於いても充分な優位性を発揮する戦術機」の必要性を唱えた文書を国防省に提出した結果、『ATSF計画』が開始される。
というのも、直接BETAの脅威に晒されていないとはいえ前線国家を支援し続けていたアメリカも相当に疲弊しており、なかなか戦況が改善しない状況に危機感が募り、やがて後方国家の資源や領土を狙うであろうと警戒するようになっていたため。

極端な話、米国内には前線国家を「自国のリソースを食い潰す癖にクソの役にも立たず、挙句自国産戦術機開発で遊んでいるスネ齧り共」とみなす声が渦巻いていたのである。
この判断が間違いではなかったことを証明するかのように、同じくATSF計画で開発され採用されたライバル機のラプターは、その本来の用途で絶大な戦果を挙げている。
“ATSF”計画とは自国の安全の為に必然と言える措置であった


そんなATSF計画で各メーカーに要求した仕様は以下の通り。

  • 戦術機を含む対人類保有兵器戦闘能力
  • 高度なファストルック・ファストキル能力
  • 各種電子機器による被発見率の低減=ステルス能力
  • 低燃費高速巡航および長距離飛行能力

ガチガチの対人戦闘仕様。

幾つかの試作案が挙がったが、最終的に残ったのは、YF-22を提出したロックウィード社案と、当機を提出したノースロック社。試作案選定コンペで残ったライバルとは
  • 圧倒的なステルス性能
  • 接近戦重視
に勝れる反面、射撃性能・調達・運用コスト、燃費の面で劣っていた。

概念実証試験当初は本機がリードしていたが、中盤からYF-22が実用機に迫る完成度を見せ始めたことで拮抗。
最終シーケンスの模擬戦も、2週間で40回に及び、14対18、ドロー5、無効3と言うスコアでYF-23が勝利した。
勝因は、ステルス性と近接格闘戦能力でYF-22に勝っていたため。
ステルス機同士で戦うと、相手を視界に入れて戦闘するしかないために近接格闘能力に優れたYF-23が有利となった。
その正式採用を競合相手でさえ確信していたが、とんでもないどんでん返しが


『G弾ドクトリン』

1987年、“サンタフェ”計画と言うBETA由来の稀少物質である“グレイ11”を使って製造された、日本帝国臣民のトラウマにして本編で迷惑な印象を残していった五次元効果爆弾…通称“G弾”の実用化である。
影響は、アメリカの世界戦略と開発機体の運用に関する軍事ドクトリンの転換を呼び、アメリカ軍の対BETA戦略はG弾運用前提に大転換されてしまった。
それに伴い、“サンタフェ”計画と同時期に進行していた“HI-MAERF”計画(XG-70(凄乃皇)開発計画)が凍結され、計画に参加していたロックウィードとマクダエル・ドグラムが割を食う結果となり、開発競争が激化したのである。
選定落ちの理由は、機体の優劣よりも、この軍事ドクトリンによるものだった。

採用されたYF-22はというと、G弾と言う災厄が議会を毒したせいで、


「G弾あるなら戦術機いらなくね?」

という、「戦術機不要論」が起こってしまい、採用から量産機が配備されるまで、10年近く眠らされ続けることになってしまう。
まぁおかげで問題点の改修とかできたし最終的には予定調達数生産される予定である。

G弾の登場は、計画の一部を歪めてしまったがBETA戦略の希望にもなりえる発明であった。


JRSS

政治に翻弄されたとされるYF-23だが実は不採用になった理由にはこのJRSSも関係している。
JRSS(統合補給支援機構)とはアタッチメントなしで全ての戦術機と推進剤、電力補給を共有化されるシステム。
不知火・弐型開発にも携わったハイネマンが生み出した技術で、YF-23が高額になったのもこれが原因の一つでもある。
YF-23は不採用にしつつもJRSSはF-22に搭載させその技術流出を恐れたため、YF-23を使った売り込みは全て失敗している。
しかしこの機能はハイネマンによってYF-23のパーツを組み込んだ不知火・弐型Phase3の1号機のみに極秘に搭載されている。

ハイネマンとしてはあくまで自身が考える「現場が最も必要な機体」を設計したに過ぎず、JRSSはその一環ではあったものの
ステルスはコンペの関係で仕方なく搭載したものであり、コンペの条件になければ絶対に付与しなかったという。


『黒衣の未亡人』『世界一高価な鉄屑』

YF-22を越える戦闘能力を持った史上最強の戦術機の最期は哀れなものだった・・・
計画終了後のYF-23は、エドワーズ空軍基地で外装やら電子機器を外され、野外駐機ガントリーに放置された挙げ句、アメリカ各地の航空博物館に展示される。
この後、ノースロック社はF-14の後継機として、本機を艦上戦術機に再設計したYF-23Nを海軍に提出したが、F-18が採用されたためお流れとなった。
制式採用こそ見送られたものの設計思想は世界各国の戦術機開発に影響を与えるなど大きく貢献している。


記録に残らない戦い

…がTSFIA#77にて1993年頃にオルタネイティブ3絡みとされる極秘任務で予備パーツで組まれた新造のYF-23が実戦に参加していたことが判明。
この作戦は戦術機母艦を商船と偽装、作戦説明に厳重なセキュリティがかけられ、衛士同士の会話でもボイスチェンジャーを使うほど秘匿されていた。
作戦自体も戦術機2機だけでBETAの大群を掻い潜って目標を確保するという過酷なもので、故にアメリカで野ざらしにされており公式的にはその機体しかなく
米軍機でもBETA戦に強くステルスによる秘匿性の高いYF-23が作戦機として選ばれた。

搭乗衛士はTSFIAのYF-23登場回での出演数も多く2号機の開発衛士も務めたポール・サンドバーグ大尉、1号機も名前が不明だが同じ開発衛士が務めていた。
サンドバーグはボイスチェンジャーを使っていても1号機に乗っているのは苦楽を共にした衛士であることを察しており、彼に何故自分が選ばれたか問いかけたが
彼からは「君のポリシーに反することは理解していてもそれでも君の力が欲しかった。」と彼が一回りほど年の離れたサンドバーグを推薦していた。
サンドバーグはそれを肯定しつつも自分を推薦し再びYF-23を駆り、実戦参加する機会をくれたことを感謝するなど強い信頼関係があったことがうかがえる。

サンドバーグは作戦終了後解体されると予想していたがこの作戦に参加したであろう機体はTE本編に登場しており、この機体のパーツが不知火・弐型Phase3に組み込まれた。


立体化

ボークスのA3アクションフィギュアシリーズでは1号機が一般販売、2号機はイベント限定で発売された。
その人気から長らくプレミアがついていたが2019年時点では定価以下で買える。
が監修ミスによって本来は兵装担架を4つ付けられるはずが2つしかつけることができないため改造が必要である。
その後コトブキヤから1/144スケールプラモデルで1号機のみが立体化され、こちらで初めて4つ装備できるようになった。
ちなみに不知火・弐型Phase3はこの1/144でしか立体化されなかったため両機を並べたい場合はこの製品しかない。


モデルとなった戦闘機

他の戦術機同様本機も元ネタとなった戦闘機が存在している。
1980年代に計画された先進戦術戦闘機計画(ATF計画)で最終選考まで残り実機が制作されたロッキード社のYF-22に対しノースロップ社が提示したのがこのYF-23であった。
一般的にはYF-22は汎用性の高さ・機動性・操作性を重視、YF-23はステルス性・高速性・巡行性能が高かったとされている。
2機が制作され黒い1号機は「スパイダー」、グレーの2号機は「グレイゴースト」と呼ばれた。
しかし同時に新型エンジンのコンペも実施され、大型ハイパワータイプと小型ローパワータイプで後者の物が採用、軍も生産性・整備性・汎用性などYF-22の方が条件が合致。
更にYF-23よりも小型で採用されたエンジンと相性がいいということもありYF-22を採用しYF-23は不採用となった。

その後も戦闘爆撃機の計画もあったが計画中止になり同社で保管後NASAに移管されたが、特に実験に使われることなく雨ざらしにされた
戦術機で不採用になったYF-23が高価な鉄くずと揶揄されたのは史実が同様だったことによるもの。
結局NASAも本機を手放し、両機とも現在は博物館に展示されている。
なおその当時では先進的な見た目から人気があり数多くのプラモデルなど立体化がされている。
中にはその完成度の高さからノースロップ・グラマン社が本社に展示するほど気に入り、オフィシャルライセンス商品として発売されたモデルも存在している。


余談

それまでの戦術機と比較するとかなり外連味があったためデザイナーとしては受け入れられるか不安だったとのこと。
A3では先に2号機が限定販売されたときは3日間開催イベントでの販売だったにもかかわらず2日目で完売してしまった。
その後1号機は通常ラインナップで発売されるも2号機と比較しいくつか改善されたこともありこちらも人気商品になった。

それだけ人気だったためかその後雑誌連載での登場回数はそこそこ多く、中には前述した予備パーツで組まれた機体が実戦参加した話もあった。
更にオルタ本編後の可能性の一つで不知火・弐型Phase3が「極光」として採用された世界線では、YF-23と共にデモ飛行をしている話もある。
これらはTSFIA連載末期の頃に掲載されたが、その頃の話をまとめたムック本は発売されていないため当時のホビージャパンを買うしか見る方法がない。

とオルタ本編に登場していない・元は設定集で公開された戦術機にもかかわらず、様々な設定が追加されるなど高い人気を得ることとなった。
それゆえ不知火・弐型Phase3では賛否両論になるなど当初デザイナーが抱いた不安は杞憂であった。



追記・修正は、YF-23で極秘任務に関わる人にお願いします。

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最終更新:2024年03月21日 18:15