一休さん(一休宗純)

登録日:2012/03/09 Fri 01:47:03
更新日:2024/04/12 Fri 17:39:47
所要時間:約 5 分で読めます




すきすきすきすき すき すき
あいしてる
すきすきすきすき すき すき
いっきゅうさん


1.実在の人物で、室町時代の臨済宗のお坊さん、詩人。

2.1975年から約7年間放送されていたテレビアニメ。一休さんの子供時代の説話が元になっている。上の歌詞はそのOPの一節。


どちらも「このはし渡るべからず」や「屏風の虎退治」等の「頓知(とんち)」で有名である。


※以下、開始早々ネタバレ














いつから私がとんちを言ったり、屏風の虎を退治したり、橋の真ん中を渡ったと思っていた?


なん……だと……?まさか……


後 付 け だ



一般的にはとんちのイメージが強い一休さんだが、とんち云々は江戸時代に一休さんをモデルとした『一休咄』という読み物の中の後付け設定が元である。
つまりあのキャラは創作モン。アニメや絵本等の一休さんは大体これが由来。


★創作された一休さん
所謂、キレイな一休さん
大体絵本とかだと幼少期は頓知小僧で、青年期には厳しい修行を経て名僧になっている。アニメだと若干の腹黒さが見られもするが。

幼少期には、決まって和尚や3代将軍足利義満をとんちでやりこめる話が挿入されたり、幼い頃から度胸があり優秀であることが描かれたりしている。
こんな感じで一休さんが描写されるのは親しみやすさを与える為だとか。

因みに実際の一休さんが生まれた頃には、足利義満はもう将軍ではない
さらにいうと一休さんが実際に活躍したのは8代将軍義政の時期である。


★リアルな一休さん
前述の通り室町時代の人で京都出身。
実はかなり高貴な生まれの人らしく、父親は天皇、母親は藤原氏の血筋といわれている。
だが、天皇の寵愛を受けていた母親を気にくわない人物がいたらしく、罠に嵌められて母親は宮中を追われ、民間に入って一休さんを産んだとされる。

幼名は千菊丸。6歳で仏門に入ってからは周建と名付けられた。
この他にも結構な頻度で名前を変えたらしいが、17歳以降は一休宗純に落ち着いたようだ。
なお「一休」という名の由来は、輪廻転生を繰り返して解脱を目指すという仏教の思想から、
「今の人生なんて、延々続く輪廻の中で、ちょっと一休みしているだけさ」という意味でつけられた。
アニメのアイキャッチで「あわてない、あわてない。一休み、一休み」と言うのはこれが由来か。


こっちの一休さんは詩才に優れ、漢詩も上手く、13・15歳の時の漢詩は周囲から絶賛されていたんだとか。また能筆家としても有名で、彼の書を欲しがって大勢の人が訪れていたらしい。
これらのことからも、かなりの教養人であったことは間違いないようだ。

しかし、とんちに富んだ人だったという記録は無いという。


だがそんな一休さんも一度自殺をしようとしたことがある。敬愛する師匠の死が原因らしい。
橋の上から川にダイブしようとした寸前に、一休を心配した母親の手の者に止められ、母の愛を知った一休さんは二度と自殺をしようとしなくなった。
因みに一休さんはアニメでも自殺しようとしたことがある。一応言っとくが子供向けアニメである。


その後はなんやかんや堅い人生を過ごしたらしく、88歳で死去。当時としては超御長寿、現在から見ても大往生である。

なお、悲しいことに歴史的には特に大きなことをした人でもないので、突出して書くことが無い。
絵本等であまり大人時代が描写されないのはこのあたりの事情がある為。
一休さんを歴史的に書くのはこのあたりが限度である。



……そう、歴史的には。
これだけだと、なぜ一休さんが後世まで有名になったかがイマイチわからないだろう。

ではなぜ有名になったかを一言で言うと……。




変人だから




実際の一休さんはお坊さんにしては変わり者過ぎる人物なのである。
肖像画の外観も無精髭を生やした汚いオッサンみたいな感じである。小坊主時代の可愛らしい一休さんのイメージがぶち壊しになるほど。
余談になるが平成教育委員会で問題として出された時には、落語家の立川談志に似ていると複数の回答があった。

おまけに、その人柄は自由奔放で奇行が目立つ。そりゃもう頓智話が創作だとか心底どうでもよくなるレベルで。

実際に一休さんが行ったとされる奇行としては……

  • 正月に杖の頭にドクロを設え、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩く。
    つまり、周りが正月を祝っている時に「新しい年が来るたびに死が一歩近づいている」と言ってるようなモンである*1

  • 様々な由緒ある文書を火中にポイ

  • 仏教の戒律を破るのは当たり前。飲酒・肉食や女犯を行い、隣には側女がいた。一説には80を過ぎても30歳以上年下の恋人がいたとか……お盛んなことで。

  • 友人のお坊さんのお寺に留守中勝手に上がりこみ、さらに阿弥陀如来像を枕に昼寝。因みにその友人からのお咎めはなし。類は友を呼ぶ……。


……もう、やりたい放題である。

だがこうした行動には深い意味があり、仏教の権威や形骸化を批判や風刺、仏教の伝統や教えの風化に対する警告の意味が含まれている。
実際彼が属した大徳寺は、当時支配的だった五山派の禅宗の腐敗に抵抗し、本来的な立場から慈善活動などを行った勢力である「林下」の筆頭であった。
また幕府の権威に従わないという意思表示もあるかもしれない。

また、一休さんはあの応仁の乱で焼け野原になった京都を経験しており、その原因である足利義政及びその妻・日野富子のことはボロクソに批判していた。
あの奇行もこういう悲劇があったからこそ始めたのかも……?

やっていることは変人の沙汰だが、その戒律や形式にとらわれない人間臭い生き方は共感を呼び、いつ頃からか一休さんは民衆の人気者になっていったのだ。

こうして、どこの誰かが江戸時代に『一休咄』に代表される頓知咄(とんちばなし)を創作し、
一休さんは今もキレイに調整された状態で語り継がれているのである。

因みに、死ぬ間際に言った最後の言葉は「死にたくない」だったらしい。


また自身の死に備えてか、弟子達に遺言書が入った箱を残し、

「もしも自分達にどうしようもない困難が降りかかったらこれを開けろ。一度だけ困難から脱却する術が書いてある。」

と言い残した。

弟子達は「一度しか使えないなら大事に取っておこう。」と思い、それ以後どんな困難も自分達で解決していった。

長い月日が経ち、年老いた弟子達は
「もう大きな困難は来ないだろうし、せっかくだからあの箱開けてみようぜ。」
と思い、例の遺言書を取り出すと、そこには…


心配するな。何とかなる。


とだけ書かれていたらしい。……こんだけ?
弟子達は( ゜Д゜)ポカーンである。

ただ、この話に関しては原典が不明であり、創作の可能性も捨てきれないとか。
一休さん、よくわからん男である……。


さらに余談だが、アニメの方の一休さんは超合金が発売されたことがある。青年時代はありません。

おそらく、実在の人物(がモデルになったキャラクター)で超合金になった人は後にも先にもこの人くらいであろう。



追記・修正は画面の向こうのキャラを現実世界に引きずり出してからお願いします。

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最終更新:2024年04月12日 17:39

*1 アニメ版だと子供のころにこれをやって民衆に石を投げられたという描写になっているが、実際は大人になってからやっていたパフォーマンスである。