小田氏治(戦国武将)

登録日:2012/02/13(月) 12:27:03
更新日:2024/03/18 Mon 16:05:03
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戦国の関東には多くの名将が集った。

相模の獅子”北条氏康
鬼義重”佐竹義重
道灌の再来”太田資正
そして“越後の軍神上杉謙信


そんな凄い奴らを相手に戦い続けた一人の男がいる。

小田氏治
人は彼を不死鳥(フェニックス)と呼んだ――
























※呼びません




小田氏治(1534-1602)は日本戦国大名

関東常陸(現在の茨城県)の名門・小田氏の第14代当主小田政治の嫡男として生まれ、後に第15代小田氏当主となる。
父・政治はなかなかの名君で、三男でありながら小田家のお家騒動を纏めて当主となり、小田氏の勢力を拡大させる事に成功していた。
しかし、晩年は河越城の戦いに反北条連合側に参戦し、北条氏康に散々に破られる(河越夜戦)などしており、若干傾いた状態で家督を継いだ。
家督を継いだ氏治だが、斜陽の小田家を狙う北常陸の佐竹氏や北関東の結城氏・多賀谷氏諸侯からの圧迫に苦しめられる。

当時は戦国時代真っ只中。
諍いが起これば当然武力衝突に発展し、戦になる。



◎最強? 最弱? 不死鳥氏治様ってどんなヒト?



さて、ここからが彼の本領である。


上杉謙信を常勝の将、北条氏康を無敗の将とするなら

小田氏治は必敗の将であった。


そう、彼は天才的なまでの超絶戦下手だったのである。



戦に出ればとにかく負ける。
有能な家臣の諫言は耳に入れない割に、敵の挑発や偽報にはあっさり引っかかるという残念仕様。
本拠地・小田城も防御力が当時の城郭としては最低ランクだったらしく、あっさり根城を奪われる事も珍しく無かった。
と、ここで終わるならだだの凡将であるが、彼は違った。


彼の真骨頂は負けた後、たとえどれだけの大敗を喫し、本拠地・小田城を奪われようとも、必ず小田城に返り咲くのである。

戦に敗れては再び舞い戻る。
その数、記録として残っているものから分かっているだけでも奪還8回

氏治が不死鳥と呼ばれる所以である。




戦下手なのに復活劇を繰り広げられた理由としては諸説あるが、基本的には小田家300年の歴史と配下の菅谷政貞・範政親子の有能っぷりにある。

小田領民は氏治(小田家)の統治に完全に手懐けられており、他国人が小田城領主になっても心服せず、氏治だけに年貢を納めたという。
また、寺社勢力との強い結びつきから、本来軍隊など入れない境内に特別に軍を入れることができ、言わば完全な安全地帯を持つことができたとの話もある。

そして領民だけに留まらず直接の家臣団からも信頼が篤かった。
例えば、毎年の大晦日には氏治主催の年忘れの宴会が居城で開かれており、無礼講で飲んで歌って大騒ぎしながらみんなで楽しく新年を迎えるのが恒例行事だった。

なんだかんだでこの人柄の良さが様々な人間を惹きつけたのか、それともカリスマだったのかはわからないが、どれだけ負けても不思議と多くの兵を集める事ができた。

ちなみにその宴会のスケジュールが漏れたため太田資正&佐竹義重に襲撃されて城を奪われたこともある

そして、氏治を語る上で外せないのが菅谷政貞と範政の親子。
的確な助言を行える知略と殿軍を引き受ける勇気、さらには決して裏切らない忠節をも持ち合わせた名将であった。
仕える人間間違えたとか言うな


ちなみに氏治の戦の基本パターンは
敵侵攻→出陣→敵の計略→配下の助言(無視)→計略に引っかかる→敗走→小田城陥落→氏治「助けて菅えも~ん!」→小田城奪還

この流れである。このパターン8回も続けていても離れて行かない家臣って一体……。




後に北条家と同盟を結び、佐竹氏に対抗するもやっぱり敗れる。

さらには佐竹氏と同盟関係にあった越後の龍・上杉輝虎(謙信)が襲来。北条方の一員でもある小田家に牙を剥いた。

なお、この時氏治は数も質も勝る上杉軍に対し、正面から挑んだ。(結果は当然ながら敗北し、菅えもんの息子が殿軍を買って出て討死した)
謙信は当然夜討ち・朝駆けを警戒していたが、氏治はその斜め下を行くまさかの無策正面突破
しかも、川岸で背水の陣を張るという、死ぬ気満々としか思えないものだった。
その後も小田城を取ったり取られたりしていたが、佐竹氏所属の太田三楽斉(資正)により陥落、
小田城に防備増強(魔改造)を施され、以後小田城を取り戻す事はできなかった。

以来土浦城などに拠って小田城奪還の機会を窺い、佐竹に(表面上)臣従したり、上杉に臣従したりしていたが、
1590年に豊臣秀吉の小田原の役が起こる。
豊臣と懇意だった佐竹を敵対視し、北条への恩義もあって小田原に参集しなかった小田家は当然改易。

ここに戦国の不死鳥・小田氏治の野望は潰えた。


なお、氏治自身はその後、徳川家康の息子・結城秀康に拾われ、1602(1604年説も)に天寿を全うした。
あれだけ戦に負けたのに人生を最後まで生き抜いたのは驚嘆に値しよう。



◎不死鳥・氏治様の華麗なる戦歴


1556年 結城氏に海老島の戦で敗れ小田城落城

約半年後、氏治小田城奪還

1558年 上杉、佐竹らに山王堂の戦で敗れ小田城落城、氏治藤沢・土浦に落ちる

半年後、氏治小田城を奪還

1564年 佐竹勢に攻められ、小田城落城、氏治土浦へ

一年後、氏治小田城奪還

1566年 上杉、佐竹勢らに攻められ、結城勢と交渉の上、小田城「開城」

当然の如く、氏治小田城を奪還

1569年 太田三楽、梶原、真壁らに手這山合戦で敗れ小田城落城、氏治土浦、藤沢に
(こののち小田氏の主力は、土浦、藤沢両城に移る)

二年後、氏治小田城を奪還

1572年末~1572年元旦、太田三楽により、小田城最後の落城
(これが上述してある宴会襲撃での落城

藤沢城→土浦城→手子生城と順に落されていき、滅亡



◎なんでこんなに落城・奪還を繰り返したの?


北条氏や佐竹氏親子2代に加え、上杉謙信まで出てきて奪い合いが繰り広げられたこの小田城。
ココってそれだけ戦国史においてそんなに重要な戦略要衝なの? と思われるだろう。

結論から言うと、大大名たちが血眼になって奪い合うほどの価値は特に無い

どちらかといえば欲しかったというよりかは、その他大勢の勢力が持つその他大勢の城の1つでしか無いのだが
小田氏治が必死になって取り返しに来るからこっちも取り返し、取り返され、また取り返しが繰り返されただけとも言える。


小田城は1192年、鎌倉殿こと源頼朝の部下・八田知家が築城。八田知家の息子である知重が名字を「小田」に改めた。
築城された頃の鎌倉時代のお城のメジャーな作り方は『平城(ひらじろ)』と呼ばれるもので、いわゆる石垣で高さを盛ることもなく平地にそのまま立てていた。
ゆえに大阪城や名古屋城のような天高いタイプの城ではなく、田んぼの真ん中にデカめのお屋敷がある姿をイメージしてもらいたい。

そう、平地にあるから攻めやすいのだ

小田氏治のへっぽこさも原因だが、場所が場所なので数で襲いかかればあっという間に負ける作りも原因。
だから奪い返した分だけ落城回数が増え続けるのもしょうがないのだ。


そんな危険すぎる城が重要拠点になり得るのは到底無理。
実際奪った側も「こんな攻めやすいし攻められやすい城いる????」と思ったのか、
1556年の第1回落城後に奪還できたのも、結城氏がなかば放棄に近い形の扱いにしていたため空き家を襲撃する形だったから勝てたというのも大きい。

にも関わらず、ここまで氏治は奪還と居住にこだわったのは、鎌倉時代から数百年続く由緒正しい先祖代々の『誇り』を守りたかったからなのかもしれない――。


◎小田氏治と愉快な仲間たち


☆菅谷政貞・範政
みんな大好き、菅えもん。
うじ太くんが困った時には必ず救いの手を差し伸べてくれる忠義の士。
小田家滅亡後は忠節が認められて徳川家の旗本になり、明治維新まで代々続いた。

☆沼尻又五郎・野中瀬鈍斉
土浦城落城の際に、ボンクラ氏治様の身代わりとして切腹し、見事主君を逃がした。
菅えもんの陰に隠れがちだが、立派な忠臣。

☆佐竹義昭・義重
うじ太くんの永遠のライバルというか天敵
小田家にとっては父の義昭ですら手一杯だったのに、息子が鬼義重(ジャイアン)という無理ゲーを強いられた。
ただし義昭は氏治の事を「優れた才覚の持主」と評価している。

☆太田資正・梶原政景
北条キラーと名高いが、実態は小田キラーな親子。
召し抱えて対佐竹の先鋒として前線の城を任せたところ、城ごと佐竹に寝返ったスネ夫のような武将←なんて言っていたら2019年の朗読劇『信長の犬』で本当にスネ夫の中の人が資正に。
氏治の性格を熟知しており、幾度となく彼を罠に嵌めた。

☆上杉謙信
戦国最強と名高い越後の軍神。
小田城を舞台に最強vs最弱の戦いが繰り広げられた。

豊臣秀吉
ラスボス。虫の息だった小田家の息の根を止めた。

☆結城秀康
うじ太くんにとってのささやかな救い(ついでに政景ら資正の息子2人も家臣に)。でも本人は家康の次男坊なのに生まれた時期など色々な意味で間が悪かったせいで徳川家を継げなかった可哀そうな人。


【各種ゲームでの活躍】


モブ。
たまーーーーーに上杉軍シナリオで敵で出てくるくらいしか出番がない。


  • 戦国大戦、英傑大戦
出番なし。カードになるどころかNPCとしても未登場であった。
精神的続編の英傑大戦でも2023年10月現在未実装。
太田資正・梶原政景兄弟は優秀な騎馬隊として登場した。


  • 信長の野望シリーズ
比較的威厳がありそうな顔グラを頂いているが、能力は40~50前後という微妙に残念な状態。
しかもこれでも持ち直したほうであり、酷いときは武勇19という低すぎる数値だった事もある。
圧倒的なカリスマを持っているのだからその辺りは再現してやってもいいと思うのだが…。
「大志」では各戦国大名に「志」という要素があり、特に著名な武将には固有のものが設定されている。
そんな中我らが氏治も「不死鳥が如く」というらしいものを所持、しかもその効果は
「無謀なる勇」
大名部隊が潰走しても戦況悪化なしなだけでなく、潰走した部隊の復帰が早い上強化されるが、家臣が提案しにくい
「皆の声が聞こえる」
勢力の民忠、仕官10年以上の家臣の忠誠が上がり、拠点を失っても民忠が下がりにくいが、デメリットとして必要収穫を下回ると民忠が大幅低下する。
という、弱小勢力で進めるにはうってつけの内容となっている。

  • 戦極姫シリーズ
3から登場し、以後シリーズの顔として大活躍する。
と言ってもネタキャラなのには変わりなく、氏治の勘に頼るなというイベントまである。
能力は政治はそこそこだが戦闘系は絶望的。放っておくとすぐに国が滅んでしまう、ある意味らしい扱いであった。
人気が出たためか、4の追加コンテンツである遊戯強化版弐ノ巻ではとうとう小田家シナリオが追加され、メインヒロインの一人となった。
以降の作品でもリストラされる事なく、デザインは変更されつつも最新作まで連続出演中。
そしてなんと、シリーズ10周年記念作品の真戦極姫では織田信長と並ぶ二大ヒロインとして抜擢された…のだが、ブランド母体であるシステムソフト・アルファーがゲーム事業から撤退してしまい、残念ながら発売日未定のまま音沙汰が無くなってしまった。


氏治「菅えも~ん、追記・修正してよぉ~」
菅えもん「しょうがないなあ、うじ太くんは」

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最終更新:2024年03月18日 16:05