細川忠興

登録日:2009/11/03 Tue 11:58:17
更新日:2024/02/05 Mon 05:10:49
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細川忠興(ほそかわただおき、1563~1645)は戦国時代の武将、大名、茶人である。
細川藤孝の長男として生まれる。父と共に足利、次いで織田に仕え、1580年、宮津城主となる。
妻は明智光秀の娘、玉(ガラシャ)である。
1582年に本能寺の変が起こると舅である光秀には付かず、羽柴秀吉に付く。その後、豊臣政権下、天下統一に邁進する。

秀吉死後、次第に武断派になり、徳川家康に接近。
関ヶ原の戦いでは妻・ガラシャの死という悲劇に見舞われながら東軍として活躍し、戦後、豊前中津藩藩主となる。

1620年、三男忠利に家督を譲り、最後は熊本・八代で生涯を閉じる。


父、藤孝と共に高名な文人であり、利休七哲にも数え上げられる。利休切腹時は自らの危険を省みず見送りに出向いている。

しかし、この男、戦国ちょっといい話・悪い話スレではDQN四天王と呼ばれる。
時代屈指の文人である父の薫陶を受け、茶聖利休の直弟子、と四人の中でDQNともっとも遠い彼だが、ある事が関係すると、豹変する。


そう、妻・ガラシャである
明智光秀の娘であり、絶世の美女とされるその容貌、そして彼の異常なまでの愛。
司馬遼太郎はその著書でガラシャの口から「食い合わせが悪かった」と言わせている。

以下、忠興の愛妻家ぶりを示す逸話

  • 本能寺の変後、ガラシャを殺さず人里離れた場所にほとぼりが覚めるまで匿う。一応、謀反人の娘なんですが…
  • ガラシャと言葉を交わした御用商人を自ら手討ちに。
  • ガラシャと目が合った(一説によるとガラシャに見惚れて間違った枝を切った)庭師をその場で惨殺。妻の目の前に生首献上。
  • 手討ちにした数、三十六。刀に付けた名「歌仙」。
  • ガラシャの部屋に爆薬設置。
  • ガラシャがこっそりキリシタンになった事を知り、侍女の耳(一説には鼻とも)を削いで脅迫。でも改宗せず。
  • ガラシャは関ヶ原の戦いの際、西軍の人質になる事を拒んで命を落としたが、キリシタンで自害が出来なかったため、留守居であった弓馬術礼法師範・小笠原少斎が刺殺した。
    この時、ガラシャの部屋に入ったために少斎の遺族、追放処分。
  • 一方でガラシャの警護そっちのけで逃げ出した銃の名人・稲富祐直は追放+奉公構い(他の大名に登用禁止を通達)。
    人材マニアの家康に頭を下げられ、しぶしぶ許すも、謝罪に来た(人目を憚り、夜に)稲富を大量の篝火&一同総出で御出迎え。
  • ガラシャの元にはいたが↑とは別で逃げていた長男(嫡男)忠隆の妻(前田利家の娘)も離縁要求、拒否した忠隆ごと勘当。*1

だが、ガラシャが絡む事以外は至って常識人で、同じくDQN四天王と呼ばれる伊達政宗島津忠恒らの振舞いを醒めた目で見つめながら国元の三男に手紙で伝えている。
…というのはある意味で大嘘。
父である幽斎の依頼によって義理の兄を護衛ごと 自 ら 暗殺したり、
職務を果たしていただけの関所の門番をイチャモンつけて殺害するなど、ガラシャ関係ない奇行やDQN行動の逸話も数多く残っている為、
実際の所は常識人気取りのDQNであったというのが正解だろう。

実際、敵にも味方にも容赦しない冷徹な人物であったと伝えられており、
妹婿の一族(一色氏)を騙し討ちして滅ぼした上に敗残兵も容赦なく皆殺しにして妹に恨まれ、戦後に顔を切りつけられて傷を負ったり
あまりの苛烈さに舅である光秀から「降伏してきた者を無闇に殺してはいけない」と苦言を呈されるなどしており、「天下一気の短い人物」と言われたという。
織田信長「ひくわー」

なお彼は一時期(父と共に足利義昭を裏切った後)姓を「長岡」としており(大阪の陣までは「羽柴」の姓も貰っていた)、
「細川」に直した後も勘当した息子や分家した息子の家名、幕末に養子先から出戻りした細川家子息の姓として「長岡」は使われている。


また、かの有名な剣豪・佐々木小次郎は忠興が小倉城主だった時代に剣術指南役として雇っていた…とされるが、詳しい資料は残っていない。
ただ二天一流・宮本武蔵がガンリュウなる剣士と立ち合い、舟島で勝利したという後の世の「巌流島の戦い」を仕切っていたのは事実である。
武蔵はこの一戦を経ても士官叶わず、大坂の陣の後に忠興の三男・細川忠利に仕えている。


彼を取扱った作品


小説
  • 司馬遼太郎「胡桃に酒」
  • 永井路子「朱なる十字架」

  • 川上稔境界線上のホライゾン」(正確には彼の名・役割を継いだ人間だが、設定が大阪の陣前なので「長岡・忠興」(14歳)として登場。歴史のままに自爆せんとする嫁(28歳)を主役陣の助けもあり救った)

漫画

ゲーム
  • 決戦
  • 采配のゆくえ
  • 信長の野望
  • 太閤立志伝
  • 戦国無双3 猛将伝・Z
  • 戦国大戦(ver2.0より やはりというか妻大好き)
  • 刀剣乱舞(愛刀・歌仙兼定の台詞内に登場。やっぱり怖がられていた)

余談だが児童向け漫画に妻「ガラシャ」を扱ったものがあるが、忠興に関してはそのまま書くわけにはいかない為。
  • ガラシャの事を愛しているだけの好青年へとなる。
  • 奇行のほとんどをカット。唯一語られた侍女の鼻削ぎ落しに関しては「侍女がガラシャをかばって罰を受けた」と言いえて妙な説明となった。
  • ガラシャを弔う際にキリスト式の葬式で送り出した
等、良いところだけをどうにかピックアップした綺麗な忠興と化した。逆に誰だこいつってなるが。
シナリオ考えた人はかなり苦労しただろう。


追記・修正宜しくお願い致します。

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最終更新:2024年02月05日 05:10

*1 ただし忠隆は後に許しており、その間に後妻との間に男子2名をもうけていた。この忠隆の次男が細川家家臣として存続しており、養子も取らずに細川珠代氏へと続いている。つまり細川忠隆のお陰で明智光秀の系譜は残ったと言えるのだ。光秀様歓喜!