宮本武蔵(剣豪)

登録日:2009/12/05(土) 23:07:41
更新日:2024/04/06 Sat 22:51:34
所要時間:約 26 分で読めます




宮本武蔵とは、安土桃山~江戸時代初期の剣豪である。


【経歴】

1584年生~1645年没。

「武蔵(守)」は通称で、本名は宮本玄信(はるのぶ)。姓は新免(しんめん)とも。号は二天(にてん)。
播磨国…現在の兵庫県生まれ(吉川英治の小説などは岡山の出身とするが、武蔵の書いた『五輪書』には播磨生まれと明記してある)。
室町時代の守護大名として有名な赤松氏の末流という。
断絶した新免家を継ぐ、よく新免無二斎と親子のように語られるが無二斎は子を残さず死に、その数年後に武蔵が継いでいるので
面識すらない可能性が高い。

13歳の時に有間喜兵衛という新当流の剣客に勝利、更には16歳で秋山某という兵法者に勝利。若いながら剣客として実力は高かった。

同じく16歳の時、関ヶ原の戦いに西軍として参加したという説も有るが、五輪書や黒田家伝記によると
豊前中津藩前藩主・黒田孝高(官兵衛。当時は出家して如水と号す)に従って九州で東軍に加わり、
数々の武巧を挙げたとする説が正しいようだ。

この辺りから正確な記録がないが、宮本伊織貞次が1654年(宮本武蔵の没9年後)に建立した小倉碑文によると



吉岡清十郎や吉岡伝七郎らの吉岡一門と戦い、ことごとく勝利。清十郎は出家し、伝七郎は死亡し、吉岡流を壊滅させた(清十郎に関しては、引き分けたとする書物も有る)とあるが、そもそも吉岡側の資料もあやふやで、清十郎、伝七郎についても実在が怪しい。
ただ数多く行ったとされる立会いの内ほぼ唯一詳細に記している辺り当時の京都でなんらかの決闘を行い大きな成果をあげた結果、諸国での立会いの中では一番の功績であると考えられかもしれない。


時期不明ながら長門舟島(厳流島)にて、「岩流」と名のる剣客と決闘し、これに勝利する。
武蔵にとってはあまり重要でもなかったのか本人は何も記していない(五輪書にも一切この話は出てこない)。
また、宮本伊織はこの決闘を直接は見ていない為、時期はもちろん「岩流」が佐々木小次郎であるかもはっきりとはしていない。
「岩流」を佐々木小次郎としたのは、1776年に編纂された「二天記」であるが、武蔵の没後約130年も経ってからの編纂であるため、史実に忠実であるとは言い難い。
なお、武蔵がわざと試合に遅刻したというのは吉川英治の小説の設定である(小倉碑文には記載されていない)。


1615年、三河刈谷藩主・水野勝成(のち備後福山藩主)勝俊の護衛につき、また彼に戦功を挙げさせる役を引き受けたらしい。
    武蔵がどのような活躍をしたかは不明だが、水野隊が夏の陣では最も激しい戦いを潜り抜け、藩主親子も前線で戦ったこと
    とその後武蔵が水野家家中の人間を養子に貰っていることから水野家で大いに信頼されるだけの成果は上げたのでないかと思われる。



1618年 本多忠政、小笠原忠政の姫路入り
    この時期に両者と深い交流を結び、明石での城下町の街割りに関与、他にも明石城内の茶室や庭園の設計などを行っている。
    また水野家で得た養子三木之助は、本多忠政の嗣子・忠刻の小姓(側近)となり、武蔵の息子として700石を与えられた。

1627年 明石の小笠原忠政に仕える田原貞次、宮本武蔵の養子になる。
    ちなみにこの前年に三木乃助が主君忠刻の病死に合わせて殉死している。

1629年 海上物語にて明石で無想権之助との試合をして勝ったとされるが、所載不明。
    二天記では江戸で戦っていることになっているが、二天記の元ねたである武公伝には記載すらない。

1632年 小倉藩への移封にあわせて養子の伊織共に豊前に移る。

1638年、小倉藩へ移封となっていた忠真と共に、天草四郎の起こした『島原の乱』の鎮圧軍に同行、武蔵は投石にて負傷する。
    伊織は戦後この戦での功を理由に1500石加増、4000石となり小倉藩の家老筆頭になる。

1640年、細川忠利の招きで肥後熊本に移り門下生の育成に力を入れる。
    大名や著名な人物がこぞって武蔵に教えを請うた為、武蔵の屋敷は常に人で溢れていたという。
    またこの時期は絵画や工芸にも精を出し、のちに自らの武術・理論を纏めた『五輪書』を著す。


そして…


1645年6月13日
    熊本にて死去。死因ははっきりとはしていないが、立花峯均の丹治峯均筆記には
    「兵書五巻ヲ記サル。地水火風空ト号ス。清書ナキ内ニ病噎膈ノヨシ生ズ」とあり、
    この嘔吐症状から胃癌ではないかと推測される。
    生涯で戦う事66回、敗北は只の一度として無かったという。

もっとも、他の歴史上の大剣豪よろしくすべては自伝、伝承をそのまま記述したものである事を留意しなければならない。




【刀】

宮本武蔵が使っていた太刀としては以下の物があり、古刀を好んだとされる。小太刀については明確化されていない。
  • 大和国住国宗(室町時代の備前鍛冶。二尺二寸。熊本の島田美術館に展示)
  • 無銘金重(南北朝時代初期の関鍛冶。大磨上げ。吉岡戦に使用。熊本の島田美術館に展示)
  • 和泉守藤原兼重(江戸時代初期の武蔵国の鍛冶。二尺七寸五分)
  • 了戒(鎌倉時代後期の山城国の鍛冶。二尺八寸余の直刃、板目流れの鍛えに沸(にえ)出来の刃文)
  • 伯耆安綱(平安時代中期の伯耆国の鍛冶。国宝の童子切もこの安綱の作品。三尺八寸。)
  • 武蔵正宗(鎌倉時代末期の相模国の鍛冶。磨上長が二尺四寸四分半、幅九分一厘、肉二分)

主な様式として、
  • 柄巻き:牛衷皮黒捻巻
  • 鞘:黒、もしくは栗色朱うるみ塗り
  • 鍔:海鼠透し(なまこすかし)
を好んだ模様である。刀身は刀工によって異なるが、組糸は滑るとして柄には皮を好んだ。また、鞘については落ち着いた色を好んだ。
鍔の海鼠透しについては宮本武蔵が考案したデザインである。


なお、老年になってからの武蔵は日常は刀を差さず、外出する時には五尺ほどの杖を携えていたとされる。
その杖には、のべ鉄が隠してあり、頭と石突きには胴金が付けられていた。そして紙捻で作った緒を通して腕貫としていたという。


【二天一流】

俗に言う二刀流。
なお、鎖鎌の達人である宍戸梅軒との戦いで武蔵が編み出した、もしくは一条寺下り松で吉岡一門と戦った時に無意識で使ったなどというのは吉川英治の小説の設定である。
脇差を左手に中段、太刀を右手上段に構え、脇差で防御、太刀で攻撃を基本とする。また左利きの人はその逆となる。
だが本来は二つの刀を同じように捌けるまでに熟練された『虎振之型』が真の型であり、二天一流の奥義でもある。
そもそも二天一流には『構え』という概念は存在せず、最も斬り易い、又は斬られ難い位置に剣を置くという事が理念である。
昭和の頃、邪道な剣術(後述)として嫌われた為に二刀流を教える人が減り、現在では使い手を殆ど見なくなってしまった。実に悲しい。


ちなみに、現代の剣道では高校生以下の試合では禁止されているものの、大学生以上の試合では二刀流を使用して良い決まりになっている。
ただし、太刀は通常品よりも6センチほど短い物と決められているおかげで間合いは狭く、片手での打ち込みは軽いように思われ、残心も勢いが出にくいため、審判には有効打として認められにくい。
これは、一刀流での上段構えからの片手面と同じ傾向であり、「二刀流に切り替えたら弱くなった」という話は珍しくもない。

また、もう一方の小太刀での有効打突は事実上取れない事から、主に防御用として扱われる為、
剣道での二刀流は主に小太刀で受け流して太刀で面、もしくは小手を打つ(そのスタイルから抜き胴等がやりにくい)という、どちらかというと攻撃よりも防御に特化したスタイルとなる。
この事から、昭和初期での団体戦で引き分け狙いが横行した為、長らく試合での二刀流は禁止される事となってしまった。
実戦では小太刀の攻撃も有用な二刀流ではあるが、剣道では引き分け要員に成り下がってしまったのが実情とも言える。
伝統が断絶するのを危惧する声もあって近年では解禁こそされたが、そもそも指導者が少ない為に使用者も少ない。
更には審判さえも二刀流に慣れていないので打突を判断しきれない。実に残念である。


【余談】

宮本武蔵が街道で蕎麦を啜っていた時、ハエが飛んできたので箸で捕まえたというのは吉川英治の小説の設定である。
これについて武蔵は蕎麦は確実に食べていないと意義を申した研究家がいた。
武蔵は戦国時代の人間で、我々の良く知る細長い蕎麦は江戸中期以降に出来、当時は蕎麦粉に小麦粉を混ぜる事はなく、蕎麦粉のみで作っていたので我々の知る蕎麦ではボソボソして切れやすく美味しくなかったのだ。
この時代は、恐らく蕎麦粉を丸め串に差して焼いた蕎麦団子であったと思われる。
なので、もし麺類というならば宮本武蔵は街道で「うどん」を食べていたと言うのが正しい事になる。ハエはどうなったか?いや知らないってば。

しかし、それから時代が下って戦後になると蕎麦歴史の研究が進んでくる。
なんと、武蔵存命の年代に僧侶が「そば切り」を食したという資料が見つかり、それより半世紀前にはお寺で「そば切り」を振る舞ったという資料も発見された。
やっぱり武蔵は蕎麦を食べていた時にハエを箸で捕まえたのだ!

しかし、それからさらに時代が下ると吉川英治の小説や吉川英治自身の研究も進む。
この「箸でハエを捕まえる」という話はなんと、岩国出身の宇野金太郎という幕末の剣豪の伝説であったことが判明する。
武蔵の来歴に不明点が多いため、吉川英治が小説を膨らませる際に多数の創作を投入し、(失礼な言い方だが)無名の剣客である宇野金太郎の伝説も取り込んだという見方が多い。

また、数多くの書画や彫刻を残していた事から、かなり手先が器用だったと言われている。
絵は水墨画を好んでいたが、墨の付け方から筆は左手で使用していたとされ、元々は左利きだった(かつての日本では左利きが言語道断の扱いであり、子供の頃から無理矢理変えさせられたのが当たり前であった)か、あるいはクロスドミナンスと思われる。


【アニヲタ的には】

有名な剣豪だけにあちこちでモチーフにされており、講談でも小説でも実写でも漫画でもアニメでもラノベでもゲームでも引っ張りだこである。

  • 吉川英治の小説「宮本武蔵」
 司馬遼太郎が描いた新選組や坂本龍馬と同様、宮本武蔵のイメージとして影響を与えた昭和を代表する大衆小説で、朝日新聞に1935年から39年にかけて連載された。
 上述の他タケゾウという幼名、沢庵和尚との邂逅、又八やおつう(実在はしているが武蔵との面識はない)、柳生石舟斎との問答などは全てこの小説の設定である。
 その一方、史実では「数回戦った、勝ったかもしんねーや」としか書いていない杖術の開祖・夢想権之助が中盤で仲間になる展開はあまり知られていない。
 序盤こそ、ただひたすらに相手を殺し続けることしかできなかった武蔵は、沢庵和尚に諭され「人」であることを気づかされる。
 姫路城での3年の猛勉強、吉岡道場との死闘、槍の宝蔵院・杖の権之助・鎖鎌の宍戸との異種格闘、佐々木小次郎との宿命の対決。
 そうした果てなき死闘の陰で、断ち切れなかったおつうへの思慕、弟子と慕う城太郎や伊織との絆。
 吉野太夫や本阿弥光悦との出会いにより、武蔵は文化人としての教養や知恵を身に着けていき、やがてその覇道は「剣の道」とは何かという哲学を導き出していく。

  • 魔界転生(おぼろ忍法帖・忍法魔界転生)
 山田風太郎の「忍法帖」シリーズの一作。
 島原の乱を生き延びた森宗意軒の忍法「魔界転生」により、天草四郎らと共に魔界の者として生まれ変わり、主人公である柳生十兵衛の敵として登場する。

 「人類史最強の男」としてブルース・リーと共に生き返らされ、主人公に挑みかかる。

 「名刀“電光丸”」に登場。詳細は該当項目を参照。

 江戸時代からそのまま生きていたという設定で、主人公である鉄刃の師匠として登場する。
 詳細は宮本武蔵(YAIBA)を参照。

  • 天下無双 宮本武蔵
 カラオケ「DAM」の採点ゲーム「YOUR STORY」の一つ。武蔵が巌流島で小次郎と戦うまでを描く。
 他のゲーム同様中間発表があり、ひどい出来だと敵からボコボコにされてしまう。
 戦う敵はお決まりの吉岡や宍戸に加え、百地三太夫(死んでね?)や伊藤一刀斎など江戸時代初期の武芸者・達人オールスターが揃っている。

  • 刃牙道
 バキシリーズの第4作。武蔵を現代に蘇らせ刃牙以下の強豪たちと戦わせるという相変わらずの超展開。
 詳細はこちら→宮本武蔵(バキシリーズ)

  • バガボンド
 吉川英治の小説を原作とした『スラムダンク』の作者の漫画。
 2015年以降休載が続いており、完結を危ぶまれている。

  • 修羅の刻
 第1章「宮本武蔵編」のキーパーソン。27代目陸奥出雲と戦い、生涯で唯一引き分けたという。

  • ガンリュウ
 主人公・ガンリュウ/佐々木小次郎の最大のライバルとして登場。柳生一門に命を狙われてからはタケゾウ読みに改名。

 2から初登場。吉川版に描かれた「剣とは何か」「何をもって最強とするのか」という問いを探し続ける設定。

 2以降から登場。→宮本武蔵(戦国BASARA)

 男塾シリーズの完結編。同姓同名の宇宙人が登場。2本の刀と2本の触手の4刀流で戦う。
 キャラデザは『天より高く』の原始時代編に登場したミヤモトンのまんま流用。

 四剣鬼(ダークサムライ)として登場。木刀で石すら真っ二つにするツンデレである。

 主人公・天空寺タケルの変身する仮面ライダーゴーストのフォームの一つ「ムサシ魂」として登場。
 タケルにとっては「幼い頃、父から託された刀の鍔の持ち主」という最も深い思い入れのある偉人であり、最初に得たフォームチェンジでもある。
 劇場版及び、TV本編第46話では生前の姿でも登場。『555』の海堂直也や『侍戦隊シンケンジャー』の不破雷蔵役でお馴染みの唐橋充が演じた。

 『ルパン三世』のモンキー・パンチ原作の時代劇ガンアクションアニメ。二刀流ではなく二丁拳銃のスタイルでアヤカシと戦う。
 紹介メディアによって作品名表記が「GUN道MUSASHI」「GUNDOH ムサシ」等と異なっている。作者にとって望ましくない形で名前が売れてしまった作品

 ロボポンのムサシが登場。櫂型木刀二刀流で闘う。
 漫画版では主要キャラであるコジロウの宿敵であり、原作ゲーム同様闘志を燃やすコジロウにそっけない対応を取るも、その実力に一目置いている。

  • 小次郎破妖録 エクスカリバー武芸帖
 電撃文庫のライトノベルで、エクスカリバーで戦う主人公佐々木小次郎の仲間。

  • からくり剣豪伝ムサシロード
 主人公がムサシで、ライバルはコジロウで、ガールフレンドにおつう…ではなくオツルがいる。
 大食いでバカで迂闊で奇麗な女性にすぐ騙されるが、心は誰よりも熱い。
 主人公の癖に、敵に捕まった回数が両手の指で余るくらいある。

  • 戦国ベースボール
 第2巻「龍馬が来る! 武将VS維新志士」で、桶狭間ファルコンズが幕末レッドスターズへの代打として登板させる。
 その後、第9巻「開幕地獄甲子園! 武蔵&小次郎」では巌流島ソードマスターズの4番(ただし主将は小次郎)で登場した。
 必殺技はでかい櫂でとにかくボールを当て、勢いが弱まった所を木刀バットでフルスイングする二刀流打法。

  • 磯部磯兵衛物語
 既に故人だがまだ霊として現世をさまよっており、自身の著書で春画を挟んで買おうとした不届きな主人公に制裁を下した。
 ちなみに小次郎とは死んだ後久々に再会したが、既に小次郎から恨まれておらず、めっちゃ親しくなっていた。

 宮本武蔵(Fate)がサーヴァントとして登場する。詳細は該当項目を参照。

  • オリエント
 主人公の名前が武蔵だが、まだ話の序盤の為二刀流は使用していない。相方は「鐘巻小次郎」。

 正当派の剣道漫画。ライバルの乾俊一が試合中に左腕を骨折し、それを克服するため右手で小太刀を持つ『逆二刀流』を極めて、再び六三四と対決する。
 ただし、高校生での二刀流の公式試合は禁止事項なので、作中の描写はフィクションである。

 実在の空手家・大山倍達*1の一代記。暇つぶしに読んでいた吉川英治の小説に衝撃を受けて、空手の道を志す。
 なお、空手バカ一代(に限らず、梶原一騎原作のノンフィクション全て)はかなりの部分に創作が入っているが、大山自身が宮本武蔵の大ファンなのは事実であり、
 道場訓の監修を吉川に頼んだりしている。

 アニメ349話『まる子たちの巌流島』で3年4組が巌流島を題材とした劇をやる事になり、「卑怯だから」という身も蓋もない理由で藤木が武蔵役に。
 我等が主人公まる子は「迂闊だから」という理由で小次郎役に選抜される。
 迎えた当日、藤木は緊張しすぎるあまり主演にも拘らず体育館から逃げ出すが、あまりの卑怯ぶりに見かねた武蔵の霊が登場し、藤木を一喝した。
 果たしてその霊は本物の武蔵だったのか、あるいは藤木の心の奥の勇気の表れだったのか、それを知るすべは無いが、この時の武蔵の激励は本作でも指折りの名言である。

  • あずみ
 巌流島の戦いで天下に広く名が知られており名前だけは序盤から出ていたが、中盤に本人が登場。
 作中ではほぼ無敵とも言えるあずみを追い詰めた、名実ともに最強クラスの大剣豪。ただし途中であずみの仲間により戦いが中断させられたため、決着はついていない。
 あずみが無傷だった一方武蔵は手傷を負っていたが、当のあずみは内心で「中断させられなければ斬られていた」と負けを認めている。
 武蔵も武蔵で「あのまま続けば斬っていた」と確信していたものの、あずみの性格的に相手を殺すまいと手を抜いていた疑念が拭えず、最後まで自分は勝ったのか負けたのかを悩み続けていた。


【宮本武蔵をモデルとしたキャラ】



追記・修正は二刀流で同時によろしくお願いします

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 剣豪
  • 剣聖
  • 無双
  • バガボンド
  • 木刀
  • 播磨国
  • 兵庫県
  • 魔界転生
  • 武蔵伝
  • 戦艦
  • YAIBA
  • 634
  • 二天一流
  • ヘタレ疑惑
  • 大帝の剣
  • 巌流島
  • 五輪書
  • 宮本武蔵
  • 名勝負製造機
  • ムサシ
  • 刃牙道
  • 極!!男塾
  • 仮面ライダーゴースト
  • 唐橋充
  • 緒形拳
  • 決闘!ズバッと!超剣豪!!
  • Fateサーヴァントネタ元項目
  • 二刀流
  • 文武両道
  • 画家
  • 熊本県
  • 岡山県
  • 福岡県
  • 勝てばよかろうなのだ
  • 生涯不敗
  • 達筆
  • 左利き?

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年04月06日 22:51

*1 愚地独歩もこの人がモデル。