八重樫幸雄

登録日:2011/09/23(金) 11:21:30
更新日:2022/10/18 Tue 01:14:49
所要時間:約 3 分で読めます





八重樫幸雄(やえがしゆきお)は、東京ヤクルトスワローズの元選手・コーチで現在はスカウト。

宮城県の仙台商業から1969年にドラフト1位で入団(当時の球団名はヤクルトアトムズ)。
「東北球界始まって以来の大型捕手」と言われたが、同期に入団したのが大卒即戦力の大矢だったため長年二番手捕手としてすごす。その後大矢が衰えたあとレギュラーを獲得し1985年には打率三割を日本一に輝いた阪神タイガースの木戸を押さえベストナインに輝く。
晩年は右の代打の切札として活躍。現役は24年に渡り同一球団で同じ背番号(28番)をつけた日本記録を保持している。また、通算100号ホームランまで21年かかるという記録も持っている。


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さて、この選手。数字だけで見れば地味な長持ちしただけの選手であるが、なかなか印象深い選手だったりする。

まずビジュアル

なんとこの選手、眼鏡でピザなのだ。
パッと見草野球の数合わせに野球なんてやったことがない塾がない日のクラスの秀才くんを連れてきたようにしか見えない。
一時期パンチパーマにしていた時期なんて正直そこらのオバハンを野球に参加させたようにしか見えなかった。
アニヲタwiki的にはSteins;Gate橋田至(ダル)とかなりそっくり。彼にヤクルトのユニフォームを着せたような感じである。
日村と並び、「あー、こーゆー人いるなぁ」としみじみ思わせてくれるユニークビジュアルの持ち主だった。

しかもビジュアルだけでインパクトがあるのに打撃フォームは更に奇怪だった。
ヤクルト→巨人のラミレスに似た極端なオープンスタンスで、更にピッチャーに対し正面を向いていた。
しかもタイミングを合わせるときはケツをプリプリさせ、かつ半笑いを浮かべている。
中井正広のブラックバラエティでの物真似の定番であり、80年代から90年代初頭の野球少年で彼の物真似ができない人間はまずいないのではないだろうか。
ちなみに現役最終打席は西武ライオンズとの日本シリーズだったのだが、相手投手が童顔の潮崎でありなんか日本シリーズではなく草野球大会の雰囲気になってる。中学生対信用金庫の課長辺りみたいな感じ


そんなわけで暗黒時代のスワローズでは数少ない全国区の知名度を誇る選手であり、味方も敵も出てくるだけで盛り上がる稀有な選手だった。


○エピソード
  • 実は王貞治の756号を打たれた時の捕手
  • 入団当初は痩せており、投手以外の全てのポジションを守らされた
  • ランナーがいない時は全くボールを捕る気がなく、当たり前のように逸らす。後にこの芸風は晩年の古田にも受け継がれた
  • 古田入団時に「レギュラーをとり易そう」といわれ憤慨するも実力を認め和解した。
  • 王貞治から古田まで選手生命は長く一番100号ホームランを打つのが遅い選手という記録をもっている。
99本目から100号ホームランを打つ間が非常に長く、用意していた花束の生花が八重樫に渡された時には「いつ100号ホームランを打つか分からない」という事で造花に代わっていた。

  • 通算100本塁打達成の時には、普段選手を出迎えることのないノムさんが「お祝いごとやからな」とベンチから出てきた。どう見てもツンデレです。本当にありがとうございました

成績は決して一流とは言えないが、野球ファンに残した印象は超一流選手だったと言えるだろう。



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最終更新:2022年10月18日 01:14