松尾鉱業鉄道

登録日:2012/10/19 Fri 09:37:49
更新日:2023/01/21 Sat 07:28:41
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かつて、岩手県の八幡平には、日本最大の硫黄の鉱山があった。
その名は松尾鉱山。1914年に操業を開始したこの場所は、一時は東洋屈指の鉱山となり、そこに隣接する鉱山街は「雲上の楽園」と呼ばれるほどの近代化が図られた。しかし、その全盛期は短く、1960年代以降は硫黄の需要が減り、採算が悪化。さらにはわざわざ鉱山から硫黄を採掘しなくても石油の精製工程から出る硫黄を用いるという動きが活発化し、完全に存在意義を失った。

そして1969年に松尾鉱山は倒産。その後も細々と黄鉄鉱を掘っていたが、それも1972年に終了。

その後、残された建物は自然の中に廃墟として今も残りつづけている…。

さて、鉱山から採掘された産物を輸送する手段として、かつて日本各地に様々な鉱山鉄道が建設、運用されていた。
ここ松尾鉱山も例外では無く、「松尾鉱業鉄道」という路線が国鉄路線から分岐していた。


★歴史

鉱山が開かれると同時に誕生したこの鉄道、最初の頃は手押しトロッコで硫黄を輸送していたが、年代を経るごとに次第にグレードアップされていく。馬車鉄道から軽便鉄道を経て、やがて蒸気機関車が走るようになり、1948年には晴れて「地方鉄道」として新たな一歩を踏み出している。
当時は貨物運用のみならず、鉱山街への通勤路線、八幡平への観光路線としての側面も持っていた。

その後、1951年には直流電化が行われ電気機関車が客車や貨車を牽引するようになり、1968年には電車も登場。
東北本線などの当時の東北地方の国鉄路線よりも早く電化した事もあり、ここの電化施設を参考にするべく国鉄の職員の方が見学に訪れた事もあったと言う。しかし、鉱山の衰退には敵わず、松尾鉱山が倒産した事により一時運行休止。その後は貨物運用のみ再開するも、1972年一杯で廃止となってしまった。


★車両

勾配が多かった事もあり、この鉄道に投入された動力車(蒸気機関車や電気機関車、電車)はそれぞれモーターが強力なものとなっている。

  • ED25形(ED251、ED252)
電化に合わせて登場した小型の入れ換え用機関車。ただし本線運用も可能で、時々貨物列車や客車列車を牽引する事も。

  • ED50形(ED501、ED502)
同じく電化に合わせて登場した本線用の主力機関車。出入り口は先頭部にあり、乗降用のデッキが備えてあるという私鉄によくある典型的な大型機関車であった。

  • モハ20形(モハ201、モハ202)
元は阪和電気鉄道(現在の阪和線)の電車であり、登場当時は日本最速と言われるほどの性能を誇っていた。国鉄買収後もその性能が買われ、国鉄生まれの車両たちに混ざって長期にわたって活躍を続けた。
ただ、大事にされ過ぎたが故に私鉄への移籍車両はこの2両のみとなっている。国鉄からの払下げとなったのだがその際に高速運転用に強力なモーターを備え付けてあったのが、購入の決め手となったらしい。
1968年に登場したこの車両だが、松尾鉱業鉄道での活躍の時間はかなり短かった。

  • 客車
戦前に製造された木造客車を改造し鋼体化したものや事故で廃車になった車両を改造したものが在籍していた。現在でも一部車両の車体が残っている。

なお、客車の色は青色に窓の部分が水色、そこに赤や白のラインが入っているという、旧型車両にしてはやたら派手なものであった。一時期は機関車もそれに合わせた塗装だった。


★その後

閉鎖後、前述の通り雲上の都市と共に松尾鉱山は自然の中に放棄され、静かな時を過ごす事となった。
運命を共にした鉄道も、その用地を道路など様々な目的に使用されて現在に至っている。

…一方で、それとは逆に廃止後の車両たちはそれぞれ様々な道を辿る事となった。

ED25形はED251がしばらく放置状態にされたものの、その後松尾村歴史民俗資料館にて大切に保存されている。

モハ20形はその大型車体を活かし、青森県の弘南鉄道へ移籍し平成まで活躍を続けた。阪和電鉄の電車で最後まで生き延びた車両ともなっている(電気機関車は一部が現在も保存されている)。

そして、恐らく一番華々しい転機を迎えたのは、ED50形の2両であろう。
廃止後にこの機関車が揃って移籍したのは、埼玉県にある秩父鉄道。貨物輸送が盛んな事で知られるこの鉄道には、彼らと同時期に製造された電気機関車が多く在籍し、誕生から半世紀を超えた現在も彼らに混ざって活躍を続けている。大馬力だった事が功を奏し、重量級の貨物列車を多く担当しているようだ。

…そして、この電気機関車は秩父鉄道をある意味松尾鉱業鉄道にしてしまったのである。

現在の秩父鉄道の電気機関車は、明るい青色が全体に塗られ、裾の部分や前面に白い帯がついているという塗装となっているが、これが採用されたのは1970年代以降。ED50形改めデキ100形107・108が移籍して以降となる。
そして、そもそもこの塗り分け自体、元々は松尾鉱業鉄道に在籍した電気機関車に塗られていた色なのである。

秩父鉄道の人たちがその色を気に入ったのか、その後在籍していた電気機関車の大半の形式が同じ塗装になり、旧型電気機関車たちも青一色となっている。今や松尾鉱業鉄道の名残どころか秩父鉄道を代表する色になっているのだ。
?「まさに侵略完了じゃなイカ!」


…山の歴史は終わり、その場所は永遠の休息に入っている。
だが、そこで活躍を続けた車両たちはその歴史を残しながら、今もなお元気に貨物を運んでいるのである。


なお、松尾鉱山の廃墟は私有物なので、無断で敷地内に立ち入ると不法侵入となるので注意して欲しい。
ただし、この項目の追記・修正は自由ですので、どうぞよろしくお願いします。

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最終更新:2023年01月21日 07:28