アフガン戦争(1978年)

登録日:2011/04/08(金) 23:23:35
更新日:2024/02/19 Mon 06:06:07
所要時間:約 4 分で読めます




1978年~1989年

  • 主要交戦国
ソ連

VS

アフガニスタン



イスラム国家化しようとするアフガニスタンと共産国家化させようとしたソ連の間で起きた戦争。

ソ連の命脈をかなり削った戦争であり、中東がヨーロピアンを跳ね返した珍しい戦争の1つ。


名称については諸説あるが、年がら年中戦争ばかりなので解りづらい事この上ない。




  • ぷろろ~ぐ(アフガニスたん
1960年代、国王の近代化政策と平行して反国王勢力が水面下で力を伸ばす。
1973年、クーデターにより王制は廃止。
1978年、アフガニスタン共産主義政権が誕生した。

どっからどう見てもお隣ソ連の傀儡政権である。
前政権から続く、イスラム文化や地元の習慣を無視した近代化政策に、いい加減我慢の限界であったイスラム教徒たちは反政府組織を結成。


みずからを
ムジャヒディーン(聖戦を遂行する者達)」
と名乗りジハードを開始した。






  • ぷろろ~ぐ(ソ連
世界を革命する力を!!
を合い言葉に世界赤化政策を実行中のソ連。

アジアを真っ赤に染めた現在は、東西どちらにも付かずで第三世界を自称していた中東にもソロリソロリと触手を伸ばしていた。


そんな中、イランで「古き良きイスラムの国へ帰ろう」を合い言葉に『イラン革命』が起こる。


ソ連内部には結構な数のイスラム教徒が存在する。
これに飛び火したら大変である。


ソ連はイランと対立していたイラクへ軍事援助を行う代わりにこれを潰してくれるよう打電し火消しを図る。


しかし、飛び散った火の粉は既に隣国アフガニスタンで粛々と燃えていた。





  • 本編
1979年、アフガン政府に反乱軍の鎮圧は無理だと判断した同盟国ソ連は軍事顧問団、及び軍隊を派遣。

ついでに特殊部隊であるスペツナズを派遣して、最近言うことを聞かなくなってきたアミーン大統領を暗殺。

新たにカールマルをトップに立てる。



当初の計画では、この新しい首相の元アフガン国軍を再訓練して反政府軍を鎮圧させる。
それまでの間はソ連軍が駐留して治安維持に勤める。


期間としては短くて半年、長く見て一年くらいを見ていた。




しかし、そうは問屋が卸さなかった。

この際の問屋が何を扱っているかは知らないが卸してくれなかった。

ソ連のアフガン侵攻は国際社会から批判を浴び、
アフガン侵攻翌年に行われたモスクワオリンピックでは日本、アメリカなど西側諸国を中心にボイコットが続出した。


さらに、普段いがみ合っていた中東諸国から


ムジャヒディーンにだけ良い思いはさせませんよ!

中東が駄目になるかならないかなんだ、やってみる価値はありますぜ

てこずっているようだな…手を貸そう


と、中東諸国を守る防波堤となるためにイスラムゲリラ達が続々とアフガニスタンへ集まってきたのである。



更に、先の『ナム戦』による自閉症から立ち直ったアメリカが影からゲリラ屋共を支援。
パキスタン経由で資金援助や武器を供給。


テロとゲリラ戦の複合技でソ連軍に手痛い被害を与える。






ソ連というのは「ソ連に対する恐怖」という鎖によって形を保っている国である。

『イスラムゲリラにソ連が敗北した』
こんな事実が世界に蔓延したら各国は疎か、国内でも反共運動が過激化してしまう。



このままではソ連の面子に拘わると、ソ連軍主力の約20%近くを動員してゲリラ狩りに当たった。


しかし、岩山の多い地形で得意の戦車・戦闘機は役に立たない。
頼みの戦闘ヘリMi-24は「スティンガーミサイル」に落とされる。

補給路もゲリラに寸断されもう散々である。

二次元で言えば我らが姉御ことバラライカ大尉が奮戦していた頃である。



そんなこんなで約9年、ソ連はムジャヒディーンに対し一度も『決定的勝利』を果たせぬまま撤退を決定。

国連仲介のもと「アフガンに関する事態の調停の為の相互関係に関する協定」に調印。


多くの犠牲を払ったものの、イスラムは共産主義を打ち払ったのであった。






  • 終幕
この9年の代償は大きく、
ソ連はこれから二年後に崩壊。

アフガン側も成人の半数以上が死亡し教育水準が大幅に低下。
近代国家として再起不能に陥った。
更に、勝利したムジャヒディーンが国政を牛耳りアフガン国軍と対立。

元々一枚岩でないムジャヒディーン内部でも内乱が起こり、
完全に泥沼状態となった隙にタリバンがビンラディン率いるアルカイダをバックにアフガニスタンのほぼ全土を占領し、
イスラムの規律に乗っ取りアフガン国民を恐怖政治で支配した。
が、9.11テロの欧米諸国と反タリバンの『北部同盟』による報復攻撃をきっかけに一気に崩壊していった。
……と思われたが、2021年。アメリカとタリバンの和平が合意に至り、米軍が撤退を開始した時を見計らい、タリバンは再びアフガン政府に対し攻勢を開始。破竹の勢いで支配域を広げ、首都を陥落させ、再びアフガンの全土と政権を掌握したのだった。

アメリカ「……」

タリバンの新政権は、会見にて、「自分たちに敵対した奴らの罪は問わない」「(イスラム法の範囲内ではあるが)女性の自由や権利は尊重する」と言っているが果たして……?








  • おまけ
ソ連の衰退は独りの男の野心に火を付けた。
曰く
「ソ連の衰退は世界を冷戦という鎖から解き放つだろう
中東では我々が…
そして、アジアでは日本が…」



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最終更新:2024年02月19日 06:06