神内靖

登録日:2010/09/13(月) 22:00:42
更新日:2023/03/05 Sun 12:44:08
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福岡ソフトバンクホークスに所属していた元投手。背番号38。左投げ左打ち。京都府綾部市出身。

小学生時代は綾部ファイターズに所属し、当時から豪速球で鳴らしていたが、中学時代は軟式ボールでは肩の故障の恐れがあるため、野球部には所属していなかった。高校は宮崎県の延岡学園に進学。2年生時に同校のエースとして甲子園に出場している。

2001年にドラフト4位でダイエーに入団。
なお、同期で4球団から1位指名を受けてダイエーに入団した寺原隼人は宮崎県内で凌ぎを削り合ったライバルでもある。


《プロ入り後》
2002-2003 制球難で結果を残せず一軍での登板なし。
2004 プロ初先発を遂げる。
2005 中継ぎとして一軍に定着。
2006 中日戦に先発し、5回1/3を投げ11奪三振。その後のリリーフ陣も三振を奪い、1試合19奪三振の日本タイ記録を達成(継投による達成は初)。
2007 オープン戦で好成績を残し、開幕ローテ入りを果たす。シーズン序盤で爪が剥がれるアクシデントに見舞われ好成績は残せず。
2008 靭帯断裂の重症でシーズンを棒に振ることに。
2009 開幕前は馬原に繋ぐセットアッパーとして期待されたが、新加入の攝津様とファルケンボーグが大活躍。大量リードの場面で他のリリーフ陣を休ませるための起用が目立った。

そして2010年───。彼はとんでもない大ブレイクを引き起こす。

4月14日、対オリックス5回戦(京セラドーム大阪)。3回途中7失点で降板を告げられると、自分の不甲斐なさの為かグラブを扇風機に投げつけベンチに腰を下ろすと、前の席に強烈な蹴りを二発見舞い、うっかりベンチを破壊(ブレイク)したのである。この行為により7万円の弁償金の支払いと謝罪文の提出、そして球団から無期限二軍謹慎を告げられることになった。

まあ地元である綾部市もうっかり京都府下最大の古墳の土手っ腹に風穴を空けたり(←別に綾部市は悪くないけど)、合気道の発祥の地であることをうっかり忘れていたりするのでしょうがない。
ただし、綾部市に新しく工事が完成した京セラとの関係は悪くしないでください。

2011 二軍では意外といい成績だったが一軍では2試合で防御率16.20というどうしようもない結果に終わった。
2012 開幕一軍→降格→昇格→降格。キャンプ時と6・7月はリリーフとして結構活躍して4H得ていたのだが…
そしてオフには多村仁志、吉川輝昭とともに横浜DeNAベイスターズにトレードされてしまう。(相手は山本省吾・江尻慎太郎・吉村裕基)
2013 一度だけ先発として使われる(結果はお察しください)謎起用もあったが中継ぎとしても目立った活躍は少なかった。
2014 一軍への登録はなく10月3日に戦力外通告。結局その年に引退することになった。

なおその時の「いつかホークスとベイスターズが日本シリーズで戦うのを楽しみにしながら新しい道で精進していきます!」というFacebookのメッセージは2017年に実現することになった。

神内自身が何をやってるかは不明だが…


《プレースタイル》
直球の最速は140q/h台後半で非常に球威があり、直球で空振りを取れる投手である。他の投手と比較しても直球の割合が非常に高い。加えて球速差の大きいチェンジアップを投げるため、直球の勢いを更に印象強いものにしている。
奪三振率は高いが、四球が多いのも特徴で、特に2009年は顕著である。2010年は課題の四球が格段に減り活躍が期待されたが…非常に残念なこととなってしまった。
先発も中継ぎもこなせる上にサウスポー(左利き)でもあるため、起用の幅が広いのも特長。ただしホークスには杉内・和田の強力な先発左腕が二枚、そしてSBMという鉄壁のリリーフ陣がいるという報われなさ。


《その他》
パワプロではペナントやマイライフを長時間こなすと、初期投手では神内が最強投手の一角になる。


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最終更新:2023年03月05日 12:44