塩瀬盛道

登録日:2011/07/09(土) 04:20:03
更新日:2024/02/23 Fri 10:34:52
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塩瀬盛道(しおせもりみち 1931年〜2001年)は元プロ野球選手。右投げ右打ち。
茨城県稲敷郡牛久村(現:牛久市)出身。生まれは東京都大田区。
東急フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に投手として所属した。

1950年、國學院大學に所属していた塩瀬は、学籍を置いたまま東急に入団。背番号14を与えられる。

初登板は同年5月11日、後楽園球場で開催された対大映スターズ(現千葉ロッテマリーンズ)9回戦、5回裏2死、0―18と大幅に負け越している場面であった。
プロ初対戦の相手は先発投手の姫野好治。
塩瀬は三振を奪った。
6回表、東急の攻撃。
2死1塁の場面で、塩瀬に打順が回ってきた。
敗戦処理ということで塩瀬はそのまま打席に立った。
プロ初打席の相手は姫野。



塩瀬は初球の外角ストレートをライトスタンドへと運んだ。


初奪三振と初ホームランを記録した塩瀬であったが、6回裏、先頭打者に四球、さらにボークを与え、タイムリーなどで2点を失う。
7回裏も四球2つと安打1本で無死満塁のピンチを招き、降板となった。

悲喜こもごものデビュー戦は、塩瀬のプロ野球人生最後の試合でもあった。
塩瀬が公式戦に出場することは二度と無かったのである。

よって、塩瀬の生涯成績は、デビュー戦の成績と完全に一致する。

  • 投手成績 1試合登板、1回3分の1、48球、被安打2、奪三振1、与四球5、自責点2、ボーク1、防御率9.00

  • 打撃成績 1打数、1安打、1本塁打、打点2、打率10割、出塁率10割、長打率40割


通算打率10割、通算長打率40割という記録は、日本プロ野球の歴史の中で、塩瀬とドン・シュルジー投手(元オリックス)の2例のみであり、通算出場試合1試合での記録は塩瀬のみである。

塩瀬はプロ野球選手としては大成しなかったが、たった一振りで球史に名を残した。
また、引退後、社会人野球の選手として都市対抗に出場、母校國學院大學の野球部監督に就任するなど、野球人として足跡を残した。

塩瀬の野球人生は、素晴らしいものであったと言ってもよいのではないだろうか。



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最終更新:2024年02月23日 10:34