井上純(プロ野球選手)

登録日:2012/04/11(水) 22:34:29
更新日:2022/10/18 Tue 16:43:41
所要時間:約 3 分で読めます





いのうえ じゅん
プロ野球選手で、2012年まで横浜DeNAベイスターズの一軍打撃コーチを務め、2013年からは東北楽天ゴールデンイーグルスのベースボールスクールジュニアコーチに就任。


宮城県出身
1970年6月8日生
182cm77kg 左投左打

選手経歴:
東陵高校−大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ(1989-2002)−千葉ロッテマリーンズ(2003-2006)

コーチ経歴:
横浜ベイスターズ/横浜DeNAベイスターズ(2007-2012)
東北楽天ゴールデンイーグルスベースボールスクールジュニアコーチ(2013-)

プロ通算成績:
686試合 打率.269 302安打 18本塁打 105打点 28盗塁



高校時代から俊足強打の外野手として評価され、1988年のドラフト会議で大洋ホエールズ3位指名され入団。
しばらくはプロの壁にぶち当たり目が出なかったが、95年頃から代打出場の機会が増える。

96年7月13日の斉藤明夫投手コーチ勝手に乱闘事件の際には、波留敏夫、秋元宏作とともに必死で斉藤コーチを抑えつける活躍を見せた。

そしてあの98年。
欠場の波留の穴を埋めて前半戦は主にセンターとして活躍。
西武ライオンズとの日本シリーズ第5戦では8番DHでスタメン出場し、チームとして38年ぶりの日本一に出場選手として立ち会った。

その後もV戦士の一角として着実にキャリアを積んで


………いければよかったのだが、2002年に故障。
さらに古木克明や小池正晃など若手選手の台頭もあって出場機会が減り、同年オフに戦力外通告を受けた。

03年、入団テストを経て千葉ロッテマリーンズに入団すると、開幕当初は期待はずれと酷評される不振ぶりに喘ぐも、中盤から徐々に調子を上げ活躍。
チーム内での存在を確立していった。

04年も前年同様の活躍。

05年は成績こそ芳しくなかったものの、プレーオフ第5戦では8回から守備につき、リーグ優勝のウイニングボールを掴んだ。(打者はソフトバンク川崎宗則)
そしてチームはそのままの勢いで日本シリーズを勝ち進み、実に31年ぶりという日本一に輝いた。



冒頭から読んできて「大した選手じゃなくね?」と思っていた方も、もうお気づきだろう。

そう、井上は所属したセパ両リーグの球団で、チームとして30年以上ぶりのリーグ優勝、日本一を経験した唯一の(たぶん。少なくとも非常に珍しい)選手なのである。

ちなみに現在のところ、最も長く優勝から遠ざかっているのはセ・リーグでは横浜(1998年が最後)、パ・リーグではオリックス(近鉄時代の2001年が最後)である。
再び井上のような選手が現れるとしても、最速でも2031年まではお預けである。(無論、横浜とオリックスがそれまでに優勝出来なかった場合、であるが)

まったくもって稀有の存在なわけである。


そんな井上の記録。
記録談義好きの野球ファンの間では当然有名すぎる逸話であり、物知り顔で「知ってるか?」とか言うと嘲笑の的になるレベルである。

もちろんAAだって作られている(顔だけだが)


|⌒‥⌒|

↑これを他のAAに組み込めばなんでも井上純になる。
活用されたし。


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 ())ノ__○ニ○ニ⌒//
  / /|(二)(__//几
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l ◎リ((゚)/⌒/三三・)リ
ヽ_ノ  ̄(__) ̄ヽ_ノ
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なお、ピンクのリストバンドで有名だった選手はドラゴンズ井上一樹である。
お間違いなきよう。











追記・修正は30年以上優勝から遠ざかったチームを優勝させてからお願いします。



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最終更新:2022年10月18日 16:43