前田智徳

登録日:2009/11/03(火) 04:59:42
更新日:2024/02/14 Wed 08:48:54
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広島東洋カープでプレーした元プロ野球選手
ポジションは外野手。
1971年6月14日生まれ。年齢は52歳。


熊本県玉名市出身。
熊本工業高校時代は四番・センターとして三度甲子園に出場。
そのずば抜けた打撃センスがダイエー(現・ソフトバンク)と広島のスカウトの目に止まり、両球団ともドラフトでの上位指名を約束した。



そうして迎えた1989年のドラフト。
ダイエーからの指名は最後まで無く、広島が四位で指名。ダイエー入りを熱望していた前田はドラフトの結果を聞いた後一時間以上泣き続け、一旦はプロ入りを拒否。

しかし、何度訪問しても口を聞かない前田に痺れを切らした宮川スカウトが
「ダイエーは指名しなかったが、広島は約束を守ったぞ。男だったら約束を守れ!!」
と叱咤。宮川スカウトの人間性に惹かれ、結局広島入団を決める。




広島に入団してからは、
「コーチから新しい事を教わってもすぐ出来た。」
と本人が言っていたように天才としか言いようのない成績を後に残す。

同期入団で後に四番を打つ江藤と競うように育てられ、1992年から四年連続で打率三割を超える強打者に成長。
また、高い長打率に加え盗塁数・捕殺数・刺殺数でもリーグトップクラスの成績を残し、外野手として史上最年少の19歳でゴールデングラブ賞を受賞している。
イチローが唯一天才と認める男である*1


しかし、翌年大きな試練が前田に襲いかかる。


1995年5月23日のヤクルト戦、一塁への走塁時に右足首のアキレス腱を断裂。


まさに選手生命を揺るがす大怪我。


完璧主義者だった前田はひどく落ち込み、

「俺の野球人生は終わった」
「前田智徳という打者はもう死にました」
「プレーしているのは僕じゃなく、僕の弟です」
「あれは高校生が打っていたんです」

などといった発言を繰り返す。
それまで天性の素質だけで野球をやっていたのが全て崩れ去ったのだった。





しかし本人は絶対に諦めなかった。


1995年のシーズンこそ棒に振るものの、足を引きずりながらでも代打で出場。
1996年は序盤の数試合を怪我で欠場するが、5月には復帰しその後の試合をほぼフル出場し規定打席に到達。守備走塁こそ怪我前の様にはいかなかったが、1999年まで連続で打率三割越え、得点圏打率三割五分越えという素晴らしい成績を残した。
2000年はオールスター前に左のアキレス腱の状態が悪化。
2001年はホームラン0に終わるが、2002年には5番打者として定着しカムバック賞を受賞。
2007年には現役通算2000本安打という大記録を達成している。
2009年はブラウン監督の若手起用・守備走塁重視の起用のため出番はなかった。
しかし、強い肩とチャンスに強いバッティングはいまだに健在で、2007年のオールスターではソフトバンクの馬原孝浩からホームランを放っている。
が、守備走塁には不安が残るためDH制のあるパ・リーグに移籍を希望したが、折り合いがつかず移籍が実現することはなかった。

2010年は開幕戦から代打として出場。
4月は二年ぶりのHRを記録したりサヨナラヒットを打つなど、なかなか好調だった。
一方守備には不安が残っているので先発出場はあまりなかったが、守備の必要がないDH制がある交流戦では先発出場をすることも。
最終的には打率二割前半という数字だったが、代打としてはチーム最多出場だった。

2011年も先発出場はないものの、代打の勝負師として実力を発揮した。
打率も三割台という数字を残すことに成功する。
翌年も同じく代打要員として勝負強さを見せ、出塁率は四割を超えるという数字を残す。

2013年もこの調子で……と思いきや、ヤクルト戦で左尺骨骨折となり、戦線離脱。
その後は復帰を目指してリハビリをしていたのだが自分が限界だと思ったのか、引退を表明した。
引退試合では、初めてマツダスタジアムでの守備を行っている。

引退後は広島とアドバイザー契約を結び、解説者や評論家として働いている。


マスコミの前では寡黙でヒーローインタビューを断る事もあるため「侍」「求道者」と呼ばれることもあるが、実は饒舌。トークショーやファン感謝デーではたびたびジョークも飛び出す。また自他共に認める照れ屋である。特に引退後は、それまでの寡黙っぷりが嘘のように柔和になり、テレビ中継の解説には引っ張りだこ、宮島清盛祭りでは仮装行列の清盛役を務めるなどお茶目な一面も。


また、天才肌だがコツコツと努力を積み重ねていく姿はイチローを始め多くの選手から尊敬され、現役のプレイヤーからも憧れの選手や尊敬する選手として挙げられる事が多い。



【エピソード】

2002年4月6日対中日戦。
足に古傷がある為、全力疾走はできない前田。バッターはロペス(来期楽天コーチ予定)。
2塁ランナーの前田はロペスがヒットを打つも本塁まで帰還できない。それが原因でベンチに帰ってきたロペスが前田に掴み掛かった(ロペスは真面目な選手だったが、この時ばかりはぶちキレ)
10日間謹慎の後、話し合いの末和解。がシーズン途中に退団

サインを書かないことで有名だが、『アメトーーク』の『カープ芸人』では前田の直筆サインが書かれたTシャツが登場し騒然となったことも。

真偽は不明だが
ファンに「頑張って下さい」と言われて、『お前に言われんでも分かっとる!』と返した逸話はカープファンでは割と有名な話。

かなりの甘党で、若手時代は毎日のようにアイスを食べていた。また、交流戦限定で発売されていた選手プロデュース食品もソフトクリームだった。



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最終更新:2024年02月14日 08:48

*1 彼の背番号51は前田の背番号からとっている