小坂誠

登録日:2009/12/05 Sat 01:11:52
更新日:2024/02/21 Wed 07:20:19
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彼のいる方向へ飛んだ打球は
ゴロであれライナーやフライであれ、
守備範囲が広く、正確無比な彼に
大概片付けられてしまうことから
ある種の諦めと
敬意と
ほんのちょっとの妬みからこう言われた。

「小坂ZONE」





小坂 誠(こさか まこと、1973年7月2日‐)は、宮城県出身の元プロ野球選手で千葉ロッテマリーンズの二軍内野守備走塁コーチである。
通称こさっち。あるいはまこっちゃん。ポジションは遊撃手、二塁手。二塁手もそこそこだが、特に遊撃手を得意とする。

広い守備範囲を持っており、そのあまりの範囲の広さから、イチローのエリア51、手塚国光の手塚ゾーンと並ぶ三大ゾーンの一つ、小坂ゾーンと呼ばれるリアルチートを持っている。
小坂ゾーンに引き寄せられた打球はまるで意思があるかのようにこさっちのグラブに吸い込まれる。
イチローに「彼から内野安打を打つのは無理だ」と言わせたほど。

嘘だと思うなら、某動画サイトに動画があるので是非見てほしい。見た後に必ず「嘘……だろ」と思ってしまうだろう。
派手なダイビングキャッチなどは少ないが、確実に、さも簡単そうにヒット性の当たりに追いつき、送球してアウトにしてしまう姿は紛れもなく一流の中の一流の守備である。
あるファンは言う。『守備だけならあの「オズの魔法使い」ことオジー・スミスと互角レベルだ』、と。

走塁技術も高く、盗塁王を2度、リーグ最多三塁打を4度記録している。その俊足は右中間が狭い東京ドームで右中間に放った打球で楽々三塁に到達してしまうほどである。実は新人王も貰っていたりする。


また、非常に謙虚な人物であり、バッターボックスに入るときに審判に軽く会釈することが多い。

なお、真の小坂ゾーンの発動には初芝神の存在が不可欠という説もあるが定かではない。
真の小坂ゾーンの前では、サードゴロはおろか、セカンドゴロ、揚句の果てにはセンター前ヒットすらショートゴロにしてしまう。



〇小坂ゾーンの主な犠牲者

  • 城島健司(阪神)
こさっち1番のお得意様。彼がアメリカ行きを決意した理由の1つに、小坂ゾーンがあったとかなかったとか。
曰く「小坂さんが守備に就いていると、毎試合ヒット1本を損する」。



【経歴】
1996年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズからドラフト5位指名を受けて入団。背番号は00。
プロ1年目の1997年、ルーキーながらショートのレギュラーを獲得。シーズン全試合出場を果たすなど活躍を見せて新人王に選ばれる。
この年に記録した56盗塁は、それまでの新人の盗塁最多記録(佐藤孝夫選手が持つ41盗塁)を遥かに塗り替える最多記録であり、現在も破られていない。
普通なら盗塁王にも手が届いておかしくないほどの数字だったが、この年は松井稼頭央が大ブレイクしており、
62盗塁という驚愕の数字を残したため惜しくもタイトルは獲得できなかった。
その後、1998年と2000年にパリーグの盗塁王を獲得しているが、シーズン盗塁数としては自身の一年目の記録に及んでいない(俊足を警戒され、徹底的にマークされたため)。

1999年にゴールデングラブ賞を初受賞し、以後2001年まで受賞し続ける。その後も「小坂ゾーン」を発揮し、安定した守備をみせる。彼の存在でチーム防御率が1点台は下がっていたと言われていた。
がしかし、2004年からボビー・バレンタイン新監督の方針で西岡との併用を余儀なくされ、次第に出場試合数は減少する。

さらに2005年のオフに金銭トレードで読売ジャイアンツへ移籍。
この金銭トレードはバレンタイン自身が主導したもので、不要な選手を放出して資金を捻出しただけとバレンタイン自身はMLB出身の監督らしく極めて冷静に振り返っている。
小坂の守備力を高く評価していた一方で打撃力の低さを短所とみていたとのこと。しかも小坂自身はこのトレードについて全く知らされていなかった。
ふざけんなバレンタイン

巨人に入ってからは不振の仁志に代わり、小技や持ち前の俊足と守備を生かし、二塁のレギュラーを勝ち取るが、シーズンが進むにつれ打率1割台と極度の打撃不振となり、後半は守備代走要員に回り、ルーキー脇谷亮太が優先起用された。
さらに2008年には坂本勇人などの若手と中堅選手の台頭や、打撃不振もあり出場試合数は自己最少になってしまった。
その年のオフに金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルス移籍する。

楽天にとっては初の地元(宮城県)出身選手となる。

2009年の当初は守備・代走要員としての起用法だったが、5月にレギュラーの2人が相次いで故障し、出場機会が増え、「小坂ゾーン」が健在であることを見せつけた。
オマケに4年降りのホームランを打ったり、古巣ロッテからサヨナラ打を打ったりとバッティングでの活躍を見せた。

2010年は1月の自主トレ中に腰を痛め、全治3週間の椎間板ヘルニアと診断され春季キャンプ合流が大幅に遅れた。公式戦は7試合の出場のみで、10月1日付で戦力外通告を受けた。

当初は現役続行の意思を示していたが、腰の状態が思ったよりも悪く、「現役時と同じプレーをすることが難しくなった」という理由で惜しまれながらも現役を引退。

その後11月1日、楽天二軍・育成コーチ(野手担当)に就任した。
2013年にイーグルスを退団後は、2014年から2016年まで北海道日本ハムファイターズで二軍内野守備コーチを、2017年はジャイアンツで二軍内野守備走塁コーチを務めていた。
2018年からはマリーンズの二軍内野守備走塁コーチに就任。13年ぶりの古巣復帰となった。



ちなみに、彼が日本代表に選ばれなかったのは、彼が送球する球を誰も取れなかったからではないかと言われている。
全盛期の彼の投げる球を取れた人物として確認できたのは、元同僚の福浦和也(千葉ロッテ)だけであると言われており、小坂自身も「自分の守備が巧いと言われるのは福浦さんのおかげ。もし、福浦さんでなかったら僕のエラーはもっと増えています」と口にしている。

ロッテから離れて何年も経つが、未だに小坂を応援するロッテファンは多く、移籍してから対決する際も小坂には惜しみない拍手・歓声を送った。











野球選手としてはすでに引退している身だが、球界最高のショートは?
という質問に解説者たちは10年前と変わらず皆さん口を揃えてこう答えます。


「小坂です。」
と。




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最終更新:2024年02月21日 07:20