茂野吾郎(本田吾郎)

登録日 :2012/02/11(土) 04:43:28
更新日 : 2017/09/23 Sat 08:23:16
所要時間 :約 4 分で読めます




茂野吾郎(本田吾郎)は『MAJOR』における主人公。
CV:くまいもとこ(幼少期)、森久保祥太郎(青年期)

幼少時代からポジションはピッチャーで、MAJORではピッチャーの吾郎を中心に描かれる。
苗字は作中では茂野吾郎となっているが、
実の父親・本田茂治が他界した後、茂野英毅が父親になったためである。
よって旧姓が本田吾郎。

直情的で熱血という、王道スポ根マンガにありがちな性格。
やや協調性を失う場面も多いが、周りの仲間や家族や指導者の支えもあり、
ぶっきらぼうだが思いやりのある人物に成長していく。

生まれつきから野球センスに溢れており、右肩を壊し、
左投げに転向(後述)したあとも類稀な努力とセンスで一流プレーヤーとなる。
左投げ転向後も打席には右で立つ。その為希少な「左投右打」のプレイヤーである。


【リトルリーグ編】
吾郎は小学4年生になり、やっと硬式野球チームに入れる年齢になった。
そして三船リトルへ入団しようとするが、 部員が5人しかいない。
そして、同級生の小森、清水、沢村などを誘い三船リトル復活を目指していく。
吾郎の野球人生初のバッテリーは小森と組む。打倒・横浜リトルを目標に、リトルリーグ大会に出場する。
一回戦は同じ顔の3つ子のチームと対戦するなど、これまたありがちな展開。
いろいろ怪我が多いのも吾郎の特徴だが、ここでも左腕を骨折している。

その後義父となった英毅の移籍の都合で福岡に転校し右腕も治り掛けていた為、
一時期別のチームの内野手として活躍していた。

しかし強豪チームを相手に窮地に陥った際に再びピッチャーに復帰し勝利こそしたが、
最終的に右腕を完全に壊してしまい、英毅の提案でサウスポーを目指す。
ちなみにこの話は映画で初めて映像化された。


【中学編】
5年ぶりに神奈川に戻る。右肩を壊したことからサウスポーの特訓をしていた。
旧友の小森達を助けるため、三船中学野球部に入部。
そして再会したダーク寿也に完成した左投げを披露しドヤ顔をかましたが、
まだ未完成な棒球であることを指摘され再び猛特訓をする。
最終的に寿也と和解するが、眉村率いる海堂高校の付属中学にコールド負けを喫し、
自分たちが井の中の蛙であることを知り、寿也と小森と一緒に海堂高校への入学を目指すことに。


【海堂高校編】
海堂高校の過酷なセレクションを突破し、
寿也とともに海堂高校入学を果たすが、海堂3軍の「夢島」で更なる試練が待ち受けていた。
海堂の保守的なマニュアル(指導方針)から、吾郎は投手としての適性を認められなかったが、
夢島を見にきていた大貫明の助けもあって無事投手として海堂2軍へ昇格。
海堂のレギュラー陣や、生涯のライバル・眉村健とも鎬を削ることになる。
さらには、オカマトレーナーの早乙女泰造の助力などもあり、
ついに茂野吾郎の代名詞となるジャイロボールを完成させた。
高校二年の夏、一軍対二軍の壮行試合で一軍相手に完投勝利。
海堂で自分の力を証明した吾郎は、最強の選手が集まる海堂高校と戦うために自ら退学した。

【聖秀高校編】
海堂高校退学後は野球部のある高校への編入が吾郎に恨みを持つ海堂のチーフマネージャー江頭哲文の策略によって、
出来ない為海堂高校二軍監督早乙女静香の助言により野球部の無い聖修高校への編入を決意する。
それでも諦めずにリトル・シニアリーグで捕手経験のある田代や自身との対決を元に野球部員第一号となった藤井を始めとした部員達を集め、
同じく聖修高校に通っていた清水薫の弟清水大河等も加わった事で漸く野球部として活動出来るところまでチームは出来上がっていった。

しかしながら江頭の妨害工作により海堂高校野球部二軍との練習試合で右足首靭帯断裂と骨折という大怪我を負う。
それでも諦めない吾郎は二回戦以降痛み止めを試合毎に打ちながらマウンドに立つことになる。
そして準々決勝でついに海堂と激突。

海堂の圧倒的な戦力に対して聖秀メンバーは根性と不屈の闘志で立ち向かうが、
吾郎自身も認識していたシュート回転気味の棒球を寿也に狙われていたこともあって、一度は突き放されるも天候や試合の流れ、
更に寿也の田代に対してのささやき戦術もバッテリーの強化に繋がる事となり一進一退の攻防を繰り広げる事となる。

しかし、徐々に痛み止めの効果が薄れていき、足の痛みが悪化していく中バント攻めで吾郎に揺さぶりを掛けようとする江頭の戦術の中、
一度は勝ち越しに成功するも後一人アウトに打ち取れば勝てる所まで行きながら、寿也に同点となる内野安打を打たれ試合は延長戦に突入。

海堂側もエース眉村をリリーフで出場させて吾郎の方は走者は背負いながらもお互い無失点のまま延長12回表、
無死満塁のピンチを招くが、体力も気力も限界を越える中眉村を三振に打ち取ったものの、直後の草野への1球目で力尽き、ボークでサヨナラ負けとなる。


【マイナーリーグ編】
おとさんをデッドボールで殺めてしまったジョー・ギブソンが吾郎に宛てた言葉がきっかけで、
巨仁と横浜(アニメでは横浜ブルーオーシャンズのみ)からのドラフト指名を拒否してまでメジャー挑戦の決意をして渡米。
到着早々置き引きにあい、路頭に迷っていたところを八木沼隼人に助けられ、共にアナハイム・サーモンズのトライアウトを受け合格。

チームのエース・サンチェスとのコントロール勝負に敗北し、オープン戦で打ち込まれ3Aクーガーズに降格。
ファルコンズとの試合中におとさんに対して暴言を吐いたジョー・ギブソンJr.と乱闘を起こして解雇されてしまう。
その後サンチェスから「真っ直ぐに本物のコントロールを身に付けろ」と助言を貰い3Aメンフィス・バッツに入団し、
チームオーナー代行陣内アリスに言葉巧みにクローザーを任されることとなりチームメイトとともに着々と力をつけ、
途中からバッツに合流したキーンとは一悶着あったもののリーグ優勝へとチームを導く。

バッツのチームメイトの大半がホーネッツへと昇格する中チームを見捨ててまで昇格は出来ないという一心で故障と偽ってバッツに残留。
プレーオフ決勝の第1戦で、ギブソンJr.に投じた直球が102mph(164km/h)を記録。
最終戦ではギブソンJr.のバットを打ち砕く球威で三振に抑え3A優勝を決めた。


【吾郎のプレースタイル】
  • 右投げだったリトル時代から球速は120キロ。リトル後半にはチェンジアップも完成させた。
  • 打撃センスも抜群で左打席、しかも右腕一本で策越えを打ったこともある。
  • 俊足といわれることはないが、盗塁を試みることが多いなど、多分足も速い。
  • 基本的に投手一筋だが他ポジションの守備も上手く、外野守備に必要な勘も一晩で身につけた。
  • 高校時代からは球の初速と終速の差が小さい ジャイロボール を習得している。
    このジャイロボールはクソg(ry……名作といわれるゲームやアニメにも大きく取り扱われた。吾郎の代名詞。
  • メジャー時代からはジャイロフォークを習得。一応カウント球でスライダーとカーブも投げるらしい。右投手時代に投げていたチェンジアップは左では制球不能らしい。
  • メジャー時代の最高球速は102マイル(164キロ)。左投げなのにダルビッシュより速い。そもそも日本人の左投手で150kmを超える速球を投げる人物でさえ殆どいないのに…



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