三山/スリーマウンテンズ(プロ野球)

登録日:2012/10/28 Sun 23:52:11
更新日:2023/10/05 Thu 01:15:17
所要時間:約 7 分で読めます





三山/スリーマウンテンズとは、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属していた3人のプロ野球選手の事である。


  • メンバー
 小山伸一郎(こやま しんいちろう)
 青山浩二(あおやま こうじ)
 片山博視(かたやま ひろし)

東北楽天ゴールデンイーグルスのリリーフの軸となる3人。小山と青山が右投げ、片山が左投げである。
そして見ての通り全員名字に山が入っている。

起源は某掲示板とも、スカイA(現J SPORTS STADIUM。阪神と近鉄→楽天)の実況アナウンサーが使ったとも言われている。
どちらにせよ、この3人で勝利の方程式を組む事になった2010年からの呼称である。
それが週刊ベースボール、楽天の公式サイトも使うようになって定着した。

因みに当の小山自身が「変な名前」と思っているらしい。
ファンからも「もっとマシな名前は無いか」などという声が上がる事も。このパッとしない感じが楽天らしいとも言われるが。


また、その3人に山村宏樹投手を加えたマウンテンズ、ダレル・ラズナー投手を加えたD・マウンテンズなる呼称も派生したりしている。
山村投手は2012年シーズンをもって引退してしまうが……。

2012年には中日ドラゴンズから金銭トレードで小山(おやま)桂司捕手が入団。山でバッテリーを揃えられる事になった。
バッテリーを組んだ際はクワトロ・マウンテンズらしいがあまり目にする機会は無い。だって小山捕手が22試合しか一軍出場してないし……。


小山投手と山村は2004年秋からの創立メンバー、青山と片山は2005年秋のドラフト指名選手である。
つまり楽天ではかなり古株にあたる投手たちが基盤となっている。……片山は高卒でプロ入りということもあって他のメンバーよりは年齢的には若いが。
※創立メンバーの定義は楽天の▼歴史を参照。



【詳しいメンバー紹介】

  • 小山伸一郎
前述の通り楽天の創立メンバーの一人である。

投げる際に長袖だと腕や肘などの感覚が気になるらしく、登板する時は春先の仙台だろうと半袖。
だからか寒い春先は割と炎上気味。そしてシーズンが進むにつれて調子を上げていく。

調子が上がっても1試合毎の好不調の波は割と激しい。が、2008年以降は5年連続50試合登板など、1シーズン毎の成績はある程度安定する。
それに春さえ終わればセットアッパーだろうとロングリリーフだろうとこなしてしまう、所謂便利屋として働いてくれる。

また、大のサッカー好きであり、日刊スポーツにおいて何度もサッカー日本代表について寸評した事が有る。
わしせんWikiの項目にまとめられているだけでも、12は記事が有る。
また、W杯などの期間中は「半袖さんサッカー見てたから寝てない」とか言い出さないよな、などとファンが心配する時が有る。特に炎上しつつある時。

投手としては150km超のストレートが武器で、次に良く使うのがスライダー。カーブとフォークも頻度は少ないながら投げる。

そして何より、本人はシンカーと言い張る良く分からない球が有る。
140kmくらいで落ちる球なのだが、解説者からも「(縦)スライダー」だとか「フォーク」だの「シュート回転する何か」とか「速いチェンジアップ」、「(何を投げているのか)分からん」などに見解が分かれる。
この球はファンからも『謎球』、謎の曲がりをするシンカーこと『ナンカー』、変な曲がりをするシンカーこと『ヘンカー』などと呼ばれる。

まあ本人がそう言い張っているのだからシンカーで良いのだろう。多分。
しかしどういう握りでどう投げているのやら……。

引退後は投手コーチに転身。西武の元エースながらロッテからトレードされてやってきたという苦渋を味わっている涌井秀章に『ナンカー』を継承し、見事に復活させた。
その涌井が小山に敬意を払い「小山さんのシンカー」と言っているのでシンカーなんだろう。多分。



  • 青山浩二
ブルペンエース。


















……ブルペンエースだった筈の男である。
ブルペンで投げる球は素晴らしいようで、歴代の監督やら数多の解説者を惚れ惚れさせてきた。
だがチキンハートなのか、入団してすぐは結果を出したとは言えない成績だった。
かつての楽天の監督だったノムさんこと野村克也氏にも精神面の弱さを指摘されていて、本人も自覚は有る。

だが2010年後半に防御率1点台のセットアッパーと化すと、2011年は最初こそ先発転向をはかったが最終的にまたセットアッパーで働く。
そして2012年は2011年後半から守護神だったラズナーの離脱により、5月に暫定守護神へ。そして5月9日~13日に史上4人目の5日連続セーブを達成してしまう。

ただし2012年、残り数試合を全勝しないとCS進出の可能性が無くなるという場面の3点リードで炎上して楽天にトドメを刺したのも彼である。
最終的に22セーブを挙げた彼を戦犯とする訳にはいかないが……。

そんな彼の投手能力の話に入ろう。
まず彼は180cmのそれなりに高い身長から投げおろすMAX151kmのストレートを持つ。
このストレートと、キレの良いスライダーを主体にしている。
投球内容のうちストレートが40%強、(スライダーは高速スライダーと縦に落ちるスライダーの2つが有るがおそらく合計で)スライダーが40%弱。この2、3球種が投球の8割を占める。
他にもフォークやカットボールが有り、そう多くは投げないがシュート、カーブ、チェンジアップも。

この様に決め球も手数も有る為か、入団当初は先発としての働きを期待された。
だが今はリリーフで定着しており、本人も2011年オフには抑えを目指すと宣言。上記で説明したように実際抑えになった。

守護神となった年ですら先のトドメの件など度々チキンハートを作動させる為、見る側をハラハラさせる。
2020年で引退したことでスリーマウンテンズの中では一番選手生命が長く、通算600試合登板という大記録を達成するなど何だかんだで球史に残る中継ぎではあったのだが、引退するまでの間登板が宣告される度に球場で大悲鳴が起こることはあまりにも有名な現象であり、ファンからの信頼の無さは何故か変わらなかった。



  • 片山博視
視は本来『示見』を一文字にした漢字だが、携帯で変換出来ない。各メディアなどでも視なので、別にこっちで覚えてしまっても構わんのだろう。

2005年秋の高卒ドラフトにて1位指名された投手。同期の枡田慎太郎選手、銀次選手と同じく、楽天において最初に入団した高卒のドラフト指名選手の一人である。

ルーキーイヤーからの2年間は体力強化に務める為二軍。一軍デビューは2008年で、2006年秋の高卒ドラ1だった田中将大投手より遅い。
まあそもそも高卒ルーキーは本来即戦力より将来を期待されるものだから以上仕方は無い。田中が規格外だっただけだ。

2009年は故障して一軍で登板出来ずに終わるも、翌2010年から中継ぎに定着。53試合で防御率1.88を記録するも、統一球になってからの2年間は40試合以上に登板したものの防御率3点台である。
統一球に対応出来ずに成績を落とした為、上2人と比べると評価が落ちて来ている。

彼もスライダーが決め球。また、最速147kmの彼の直球は、ナチュラルに変化する『真っスラ』と呼ばれる類の球である。
投球内容はその直球が50%ちょっと、スライダーが約35%を占めている。
他にはシュートやチェンジアップ、さほど使われないがスローカーブとフォークも持ち球。

191cmの長身だが、2012年後半にはサイドスロー気味のフォームに変えてみたりもしている。

2010年は左のセットアッパー扱いだったが、11年12年は対左打者を切って落とす[項]1349546739:「左のワンポイント」になっていった。
だが被安打なり与四死球なりでアウトを取れず降板する事を何回もしでかした為、水差しワンポイントフォアボーラーワンポイントデッドボーラーなどと呼ばれるようになってしまった……。
やがて怪我に苦しむようになったことで完全に低迷し、野手への転向などにも挑むが2017年オフに戦力外通告。その後は独立リーグに活動の場を移した。



追記修正は名字を〇山にしてからお願いします。
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最終更新:2023年10月05日 01:15