片山右京

登録日 :2011/02/05(土) 04:55:07
更新日 : 2016/10/08 Sat 18:37:34
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片山右京(かたやま うきょう)は日本の登山家でレーシングドライバー


生年月日/1963年5月29日
血液型/A型
出身地/神奈川県相模原市


F1チーム遍歴

  • 1992 ヴェンチュリ・ラルース
  • 1993〜1996 ティレル
  • 1997 ミナルディ


経歴

全日本F3000での活躍によりヴェンチュリ・ラルースからF1デビュー。

F1初年度となる1992年は試練そのものとなった。
第2戦メキシコGPでは食あたりになり、腹痛と吐き気の中レースをする。持ち前の 気合いと根性 でオーバーテイクを見せるなどして完走、しかしコックピットから出るや否や脇を抱えて貰う程疲弊していた。レース中に嘔吐し、胃の内容物を全て吐ききった為、吐血をしてしまい、レーシングスーツが真っ黒になっていた。
第7戦カナダGPでは途中5位を走行するが、エンジンブローによりリタイア。その際「僕のミス(オーバーレブ)です」と言いスタッフは驚いたという。

1993年はティレルに移籍。ただしマシンは3年目になる020(中嶋悟が乗っていたマシン)に手を加えただけという代物。
当然、シーズンの大半は苦戦。ニューマシンの021が登場しても時既に遅し。この年もノーポイントで終える。

1994年、開幕戦ブラジルGPでは初ポイント獲得。その後もポイントを獲得し、予選でもシングルグリッドが珍しくなかった。
特に第9戦ドイツGPは当時予選最上位の5位を獲得し、決勝スタートの混乱も避け2位を走行。しかし3周目にスロットルトラブルでリタイア。初優勝が見えたかも知れないレースだと後に語った。
ちなみに、一説によるとこのシーズンの突然の飛躍には姉の逝去と自身の癌(後に誤診)が発覚したためと言われる。

翌、1995年は更なる高みを望んだが、革新的なサスペンションと自身のトレーニング方法がアダとなり中段以下の走行を強いられる。第14戦ポルトガルGPのスタートでは錐揉み状態で宙を舞い病院送りになるなど、期待ハズレのノーポイントに終わる。

なんとか1996年もティレルに残留。ヤマハが超小型エンジン「OX11A」を開発。ところがエンジンの初期トラブルで完走どころの状態ではなくなり、終始下位に沈む。

ティレルを追われる格好になり、1997年はこの年デビューのヤルノ・トゥルーリの教育係としてミナルディに移籍。
だが全くと言っていい程、いい所なくこの年をもってF1から離れる。

F1後はGT選手権やルマンなどに参戦。フジテレビF1中継の解説者やレーシングドライバーとして活躍をしている。



  • 登山家

「本業が登山家で、ドライバーはバイト」と冗談を言う程、登山家として世界各地の山岳を登頂し、幾度か成功している。
しかし2009年の末、富士山において遭難。右京自身は無事だったものの、同行したスタッフ3人が亡くなる痛ましい事故が起こった。
当初、2010年は全活動休止を宣言したが、遺族からはこれからも頑張って欲しいと逆に励まされ、重い十字架を背負い活動をするつもりでいる。



  • 負けず嫌い

バラエティ番組で女芸能人とカート対決をするというものがあったが、右京は最初から全力全開で攻め、最終的にぶっちぎりでゴールした。

別の番組では、子供と三輪車でレースというのがあったが、ここでも全力全開っぷりを見せ、これまたぶっちぎりでゴール。
実はレース前、何度もスタッフに「 本気でやっちゃっていい? 」と聞くとこから彼は勝負事となると、女子供関係無く、常に本気を出す人間だというのが伺える。

最近は『水曜日のダウンタウン』でゲームで有名な「高橋名人」(車はあんまり乗らない)と『マリオカートとカートレースを交互に競うタイムアタック』という無茶な対決に挑戦。
ゲームでの不利をリアルレース力で補い接戦の末勝利した。


  • カミカゼ・ウキョー

フランスF3時代、まるで恐れの知らない様なドライビングから畏怖と皮肉を込めて呼ばれた。
ちなみに右京が尊敬するドライバーはジル・ヴィルヌーヴ。その為かアグレッシブなドライビングになってしまっている。




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