斎藤佑樹

登録日:2012/10/27 Sat 07:39:36
更新日:2023/05/22 Mon 18:38:44
所要時間:約 6 分で読めます





「『斎藤は持っている』と言われたこともありました。」

「でも本当に持っていたら、いい成績を残せたでしょうし、こんなにケガもしなかったはずです。」

「ファンの皆さんも含めて、 僕が持っているのは『最高の仲間』です。

「皆さんと過ごした時間は、僕の一生の宝物です。」


2021年10月17日
現役引退セレモニーでのスピーチより

斎藤佑樹とは、日本プロ野球選手。
そして日本を代表するピッチャーの1人である。
群馬県太田市出身。

Mr.MINTIAと並んで「持ってる男」として認知されている…はずだった。

略歴

【甲子園のアイドル】

彼が脚光を浴びたのは高校生の時である。
当時の高校野球は甲子園大会三連覇を目指す駒沢苫小牧の田中将大を初め、
前田健太、坂本、大島、宇高、2年ながら怪物と言われた中田翔など通常では考えられないほどタレント揃いであった。
甲子園は毎日熱戦が繰り広げられ、この年の甲子園は近年で最も盛り上がったという人も少なくない。

その中で斎藤はこの世代を代表する投手になったのである。

MAX147キロの速球は終盤まで球威を落とすことなく、追い込んだら最後ストライクから鋭くキレるスライダーで三振の山を築く。
何より優れていたのがコントロールであり、1試合通して甘い球を投げることはほぼなかった。

そして彼をさらに有名にしたもの、それはポケットに忍ばせていたハンカチ*1で汗を拭う姿だ。
ハンカチ王子の愛称で呼ばれ、世の中の女性をおおいにキュンキュンさせた。
彼の青いハンカチはブランド等が不明だったが、それでもそれっぽいハンカチがオークションに出る始末。
マスコミも話題にし始め、2006年の流行語大賞トップ10にもノミネートされるほど一大ブームとなった。

そして8月20日、田中を擁する駒沢苫小牧斎藤率いる早稲田実業は決勝戦で火花を散らすことになる。

両者一歩も譲らぬ白熱した投手戦が繰り広げられ1対1のまま試合は終了。
実に37年ぶりとなる決勝戦引き分け再試合が行われることとなった。


次の日、それまでの疲れか田中は4点を奪われる苦しい試合となる。
4対1で迎えた最終回。
だが、まだ夏は終わらない。
1点差に迫る2ランホームランが駒沢苫小牧から飛び出した。

しかし後続が倒れ、ついに9回裏2アウトランナー無し。
ここでバッターはなんと田中
野球の神様の悪戯としか思えない展開に甲子園もテレビの前の全国民も最高潮にヒートアップした。

追い込まれてなおファールで粘る田中。
ここにきて147キロを計測する斎藤。
1球ごとに甲子園はどよめいていた。

そして7球目、田中のフルスイングはボールに当たらなかった。


この瞬間、あの王貞治も成し得なかった早稲田実業の初優勝が決まったのである。

それからの斎藤フィーバーは凄まじく、まさに斎藤は日本を代表するピッチャーになったのである。
同年秋の国体決勝でも同じ顔合わせとなり、やはり斎藤が田中に投げ勝ち優勝を決めている。

なお、この夏の甲子園で斎藤が投げた球数は948球。一大会の投球数としてはダントツの1位である。(2位は820球)


【早稲田進学】


高校卒業後、田中はプロ入りして楽天に指名されるものの、斎藤はプロ志望届を提出せずに早稲田大学への進学を選択した。

しかし、この判断が彼の野球人生を大きく狂わせることになる。


大学ではその知名度もあり1年次から先発として起用。斎藤も期待に応え、2年次まで無双と言っていい成績を残す。
しかし本来身体作りに専念すべき時期に実戦起用を繰り返され、また9日間5先発という無茶な酷使起用もあり少しずつ調子を落としていく。
試合を見にくる客はほとんどが斎藤目当てであり、彼が登板しないと客が来ないという理由から、とにかく実戦で起用された。

3年次には球速を求めてフォーム改造に挑戦するも失敗。
ろくな指導者のいない状況でのフォーム改造は無謀であり、大学時代初の防御率3点台を記録するなど劣化が垣間見えていた。
それでも4年次は主将を務め、30勝300奪三振を記録するなど早大の優勝に大きく貢献した。

【NPB入り、そして…】

2010年ドラフトで4球団競合の結果日本ハムファイターズに指名を受け入団。
翌年4月17日ロッテ戦でプロ初勝利。ASにも出場し、6勝を上げるなどまずまずのスタートを切った。

2012年は2年目にして開幕投手を務め、9回1失点でプロ初となる完投勝利。「今は持ってるのではなくて、背負ってます」という言葉を残した。
しかし夏に入る頃から不振に陥り二軍落ち、5勝に終わる。日本シリーズでも中継ぎとして登板し1イニングを抑えるも2イニング目で捕まり2回2失点。
この年オフに肩関節唇損傷と診断される。
(※肩の酷使が原因で起きる怪我。この時点で投手生命は尽きたと言ってもいいレベルの怪我である。)

2013年は二軍スタート。しかし二軍でもまともに抑えられない日々が続く。二軍守備に対する批判をするなど苛立ちが垣間見えるようになる。
(ちなみにハム二軍守備は内野陣だけで100失策を記録したこともある程の酷さなのは事実)
一度一軍に上がるも炎上して即降格。

2014年もパッとしない出だしだったが、先発陣不調のタイミングで一軍に昇格、785日ぶりとなる勝利を上げる。
終盤にも勝てばCSという試合で勝利投手となり、久々の2勝を記録。
ちなみに久々の勝利の少し前にヤンキースへ移籍した田中が怪我で離脱し、「田中の危機を感じついに復活したか」と期待されたが、気のせいだった。なお田中は9月に復帰している。

2015年は一軍ローテとしてスタートするも、1巡目は抑え2巡目に打たれるの繰り返し。成績を残せず一軍と二軍を行ったり来たり、先発と中継ぎも行ったり来たり。
終盤に1勝をあげるもそれ止まり。

2016年以降(1勝した2017年を除き)は勝利数0以外はほぼ同じような感じの成績だった。
毎年オフシーズン間際になると斎藤の進退情報が出つつもなんだかんだ残留していたが…

2021年10月1日、現役引退を表明。
そして17日にオリックス・バファローズ戦で引退試合と引退セレモニーが執り行われた。
7回表にオリックスの福田周平の打席に登板し、四球を与え1人で降板したものの、スタンドからは温かい拍手が送られた。
試合は4-3で日本ハムが勝利し、試合後には引退セレモニーを執り行い、栗山監督、斎藤を見出した梨田昌孝氏、早実の先輩である王貞治氏からのビデオメッセージや、 斎藤が一番過ごしたであろう、そして一番苦楽を共にした最高の仲間 でもある鎌ヶ谷の選手がビデオメッセージで斎藤の登場曲である『佑樹勇気100%』を合唱し、引退試合に華を添えた。

プロ11年での通算成績は 89試合、15勝26敗、投球回364.2回、209奪三振、防御率4.34

上記のように、現状では『甲子園で活躍したのにプロでは……』というよくある例の一つと化してしまっている。
甲子園でのライバルと言われた田中がNPBをほぼ制圧し、MLBでも活躍している現状と比較すると悲しくなるほどの差がついてしまった。
「ハンカチ世代」ももはや死語と化し、同世代の選手からは「僕らはマー君世代。ずっと彼を目標にやってきた」とこの呼び方を明確に拒絶されている。*2
(ちなみに、2012年に田中将大、坂本勇人、前田健太の3人が中心となって“1988年度生まれ”にちなんだ「88年会」というグループが発足した)

同様に甲子園で活躍した後進学し、目も当てられなくなっている島袋洋奨などと並んで、
「高校時点で有望な投手は進学すべきではない」という例として引き合いに出されることも多い。


なお、贔屓起用と揶揄されることもあるが実際はそこまで贔屓されているわけではない。
単に日本ハム先発陣の現状が酷過ぎて(斎藤自身もその一員だが)、二軍でそこそこの成績を残している斎藤を使わざるを得なかったという状況なだけである。


引退後

大学時代に人気が殺到した関係で止むに止まれず両親がマネジメント会社を設立していたため、引退後はその会社の代表になっている。
野球を愛する気持ちは引退しても変わらず、野球の未来を育てるために活動して行くらしい。
テレビ番組で高校野球を取材したときには、自分がプレーしないのに練習風景を見て嬉しそうに話すなど、野球への愛は引退しても変わらないようだ。

また、彼はカメラが趣味であり、現役時代から一眼レフカメラで風景などを撮影していたらしい。
引退後、テレビのレポーター役で高校野球を取材した際にはその練習風景なども撮影しているが、腕は悪くないようだ。

余談だが日ハムは2022年シーズン終了後、阪神とのトレードで「斎藤友貴哉(さいとうゆきや)」選手を獲得したのだが漢字が「さいとうゆうき」と読めるせいで「さいとうゆうきが去ってさいとうゆうきが来た」等とネタにされた。


ビッグマウスについて

後述の迷言集にもあるように、彼を語る上で欠かせないのがビッグマウスである。
高校・大学・プロでも常にマスコミに付きまとわれ、コメントを求められる度に飛び出るビッグマウスに反感を持つ人は少なくない。
たとえ大炎上した試合でも「方向性は間違っていない」「課題は見つかった」と言い出す。
ポジティブな事自体は悪くはない(栗山監督も姿勢自体は非難していない)し、揚げ足取り上等なマスコミにそこまで踏まえてしっかり対応せよ、というのも酷な要求ではあるだろうが、
いつまで経っても結果が伴わない現状からか妄言と取られてしまう。

ドキュメンタリーでの「カイエン乗りてぇ。青山に土地買うってヤバいですか?」発言を揶揄して「カイエン」や「カイエン青山」とも呼ばれたりする。
2016年は「鎌ヶ谷の二軍練習場に通うための車が欲しい」とベースボールマガジン社の社長へポルシェをおねだりして見事マカンをゲットした事が発覚してからは「おねだり王子」「マカン鎌ヶ谷」と新たな蔑称愛称で呼ばれたりもしている。
ただし、カイエンに乗りたいという目標自体はプロ野球のスーパースターとしての可能性も(当時の時点では)現実的に見えていた若者が語る夢としては別に不思議でもなく、カイエンの価格自体もドラフト上位の選手ならば契約金で購入可能な範囲である。
これらの事情から「金のある若者に対する単なる妬みではないか」「斎藤の立場から見れば無理でもない目標で馬鹿にされることでもない」としてこのネタに対する反論もあり、後に呼び名として「さいてょ」が定着したことや斎藤自身が引退したこともあってあまり見かけなくなっている。

ちなみに、かつてDeNAや楽天に所属していた熊原健人が学生時代にTwitterにてカイエン青山のネタを揶揄したことがあったが、2017年に1軍の交流戦において先発投手として直接対決することになり、結果は斎藤が勝利を収めた。


【名(迷)言集】


「大勢の観客の中で投げるのに慣れた。今じゃあれがないと物足りない」
「高校で注目されすぎた。大学で騒がれる予定だった」
「秋頃のフォームに戻れば自分は今でも普通にプロで通用するレベルにいる」
「大学野球くらい今の自分なら普通に抑えられる」
「六大学にはライバルと思える人はいない」
「自分が調子が悪くても抑えられる大学野球のレベルに萎えたのは事実」
「大学野球の投手は大した事ない」
「(ドラフト)一位指名ならいってやる」
「いずれ160キロ出したい」
「(田中は)基本的には四年前と変わらない印象」(これは「田中は今でも甲子園の同級生の印象」という意図だったが、「今でも俺と同格」というニュアンスで報道された)
「マジですか!フハハ!」
「何かを持っていると言われ続けてきたが、今日何を持っているかが分かった。それは仲間」
「カイエン乗りてぇ。青山に土地買うってヤバいですか?うわぁ頑張ろうビッグになろう」(※実際の彼の現在の愛車はスバル・レガシィアウトバックとマツダ・デミオ)
「(記者に)"斎藤世代、襲来"っていう見出しはどうですかね?」
北海道民の皆様、ファンの方、こんにちは。東京都の早稲田大学から来た投手です」
「50歳まで現役でやりたい」
「プロ野球だけが仕事じゃない」
「これからも10割の力で投げることは無い」
「先発と中継ぎは違いますよね。自分は先発でやりたい」
「日本一の18番といえば斎藤?それを目指したい」
「持ってるんじゃない。背負ってます」(後にこの発言を自身で振り返って「言わなきゃよかった」と後悔)
「二年目のジンクスという言葉があるなら使いたい」
「筋肉がいなくなった」
「(3回までは好投だったが4回から11失点で)四回以降はなしと考えて次に進む。気にしない。進んでいる方向は間違っていない」(悪いところを気にしすぎず良いところを良くするという考え方は間違っていないが、大炎上しているため気にしないという表現は大変に語弊がある)
「来季の目標は25勝です!」(インタビュアーの失笑に対し)「本気なんですけど」


【あだ名】

  • ハンカチ王子
第一のあだ名。甲子園での活躍の際、ハンカチで汗を拭く姿が印象的であったこと、端正な容貌から。
かつての栄光を称えるあだ名であり、現在ではほとんど皮肉を込めてしか使われない。

  • さいてょ
第二のあだ名。2011年3月21日の阪神タイガース戦で、女性ファンが掲げた「SAITHO」のプラカードから。「SAITOH」のスペルミスと思われ、これを日本語入力で打つと「さいてょ」となることから。
微妙に間の抜けた響きから、低迷が目立ち始めた彼を嘲笑うあだ名として定着している。

  • カイエン青山
前述通り、「青山に土地買うってヤバいすか?」「カイエン乗りてぇ」という発言から。

  • マカン鎌ヶ谷
前述通り、マカンに乗っていること、日ハム二軍の練習場がある鎌ヶ谷にひっかけて。カイエンからマカン、青山から鎌ヶ谷というランクダウンへの皮肉を込めたもの。

  • おねだり王子
前述通り、ベースボールマガジン社社長におねだりしてマカンを買ってもらったこと、ハンカチ王子というかつての愛称から。



追記してぇ。項目に追記修正するってヤバイですか?うわぁ頑張ろう。ビッグになろう

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最終更新:2023年05月22日 18:38

*1 ※ちなみにルール違反。投球モーションを誤認させるため厳密にはボーク行為にあたる

*2 同世代の選手の中で当時の野球関係者に最も注目されていたのは田中将大であり、斎藤の方が(報道の演出で生まれた)「ぽっと出」だったという話も散見される。