斎藤佑樹

登録日 :2012/10/27(土) 07:39:36
更新日 : 2017/05/05 Fri 00:23:05
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斎藤佑樹とは、日本を代表するピッチャーの1人である。
群馬県大田市出身。

Mr.MINTIAと並んで「持ってる男」として認知されている…はずだった。

彼が脚光を浴びたのは高校生の時である。
当時の高校野球は甲子園大会三連覇を目指す駒沢苫小牧の田中を初め、
前田健太、坂本、大島、宇高、2年ながら怪物と言われた中田翔など通常では考えられないほどタレント揃いであった。
甲子園は毎日熱戦が繰り広げられ、この年の甲子園は近年で最も盛り上がったという人も少なくない。

その中で斎藤はこの世代を代表する投手になったのである。

MAX147キロの速球は終盤まで球威を落とすことなく、追い込んだら最後ストライクから鋭くキレるスライダーで三振の山を築く。
何より優れていたのがコントロールであり、1試合通して甘い球を投げることはほぼなかった。

そして彼をさらに有名にしたもの、それは ハンカチ ※ちなみにルール違反 (投球モーションを誤認させるため厳密にはボーク行為にあたる)で汗を拭う姿だ。
ハンカチ王子として世の中の女性をおおいにキュンキュンさせた。
彼の青いハンカチはブランド等が不明だったが、それでもそれっぽいハンカチがオークションに出る始末。マスコミも調べ始め、一大ブームとなった。

そして8月20日、 田中を擁する駒沢苫小牧斎藤率いる早稲田実業 は決勝で火花を散らすことになる。

両者1歩も譲らぬ白熱した投手戦が繰り広げられ1対1のまま試合は終了。
実に 37年ぶりとなる決勝戦引き分け再試合 が行われることとなった。


次の日、それまでの疲れか田中は4点を奪われる苦しい試合となる。
4対1で迎えた最終回。
だが、まだ夏は終わらない。
1点差に迫る2ランホームランが駒沢苫小牧から飛び出した。

しかし後続が倒れ、ついに9回裏2アウトランナー無し。
ここでバッターはなんと 田中
野球の神様の悪戯としか思えない展開に甲子園もテレビの前の全国民も最高潮にヒートアップした。

追い込まれてなおファールで粘る田中。
ここにきて147キロを計測する斎藤。
1球ごとに甲子園はどよめいていた。

そして7球目、田中のフルスイングはボールに当たらなかった。


この瞬間、あの王貞治も成し得なかった早稲田実業の初優勝が決まったのである。

それからの斎藤フィーバーは凄まじく、まさに斎藤は日本を代表するピッチャーになったのである。
同年秋の国体決勝でも同じ顔合わせとなり、やはり斎藤が田中に投げ勝ち優勝を決めている。

なお、この夏の甲子園で斎藤が投げた球数は948球。一大会の投球数としてはダントツの1位である。(2位は820球)




高校卒業後、田中はプロ入りして楽天に指名され、斎藤は早稲田大学への進学を選択した。

しかし、この判断が彼の野球人生を大きく狂わせることになる。


大学ではその知名度もあり1年次から先発として起用。斎藤も期待に応え、2年次まで無双と言っていい成績を残す。
しかし本来身体作りに専念すべき時期に実戦起用を繰り返され、また 9日間5先発 という酷使起用もあり少しずつ調子を落としていく。
3年次には球速を求めてフォーム改造に挑戦するも失敗。
ろくな指導者のいない状況でのフォーム改造は無謀であり、大学時代初の防御率3点台を記録するなど劣化が垣間見えていた。
それでも4年次は主将を務め、30勝300奪三振を記録するなど早大の優勝に大きく貢献した。


2010年ドラフトで4球団競合の結果日本ハムファイターズに指名を受け入団。
翌年4月17日ロッテ戦でプロ初勝利。ASにも出場し、6勝を上げるなどまずまずのスタートを切った。
2012年は2年目にして開幕投手を務め、9回1失点でプロ初となる完投勝利。 「今は持ってるのではなくて、背負ってます」 という言葉を残した。
しかし夏に入る頃から不振に陥り二軍落ち、5勝に終わる。日本シリーズでも中継ぎとして登板し1イニングを抑えるも2イニング目で捕まり2回2失点。
この年オフに肩関節唇損傷と診断される。(※肩の酷使が原因で起きる怪我。この時点で投手生命は尽きたと言ってもいいレベルの怪我である。)
2013年は二軍スタート。しかし二軍でもまともに抑えられない日々が続く。二軍守備に対する批判をするなど苛立ちが垣間見えるようになる。
(ちなみにハム二軍守備は 内野陣だけで100失策を記録したこともある 程の酷さなのは事実)
一度一軍に上がるも炎上して即降格。
2014年もパッとしない出だしだったが、先発陣不調のタイミングで一軍に昇格、785日ぶりとなる勝利を上げる。
終盤にも勝てばCSという試合で勝利投手となり、久々の2勝を記録。
ちなみに久々の勝利の少し前にヤンキースへ移籍した田中が怪我で離脱し、「田中の危機を感じついに復活したか」と期待されたが、気のせいだった。なお田中は9月に復帰している。
2015年は一軍ローテとしてスタートするも、1巡目は抑え2巡目に打たれるの繰り返し。成績を残せず一軍と二軍を行ったり来たり、先発と中継ぎも行ったり来たり。
終盤に1勝をあげるもそれ止まり。
2016年は勝利数0以外は去年とほぼ同じような感じの成績だった。


上記のように、現状では『甲子園で活躍したのにプロでは……』というよくある例の一つと化してしまっている。
甲子園でのライバルと言われた田中がNPBをほぼ制圧し、MLBでも活躍している現状と比較すると悲しくなるほどの差がついてしまった。
「ハンカチ世代」ももはや死語である。
同様に甲子園で活躍した後進学し、目も当てられなくなっている東浜巨や島袋洋奨などと並んで
「高校時点で有望な投手は進学すべきではない」という例として引き合いに出されることも多い。


なお、贔屓起用と揶揄されることもあるが実際はそこまで贔屓されているわけではない。
単に日本ハム先発陣の現状が酷過ぎて(斎藤自身もその一員だが、二軍でそこそこの成績を残している斎藤を使わざるを得ないという状況なだけである。


  • ビッグマウスについて
後述の迷言集にもあるように、彼を語る上で欠かせないのがビッグマウスである。
高校・大学・プロでも常にマスコミに付きまとわれ、コメントを求められる度に飛び出るビッグマウスに反感を持つ人は少なくない。
たとえ大炎上した試合でも 「方向性は間違っていない」 と言い出す。
ポジティブな事自体は悪くはない(栗山監督も姿勢自体は非難していない)し、揚げ足取り上等なマスコミにそこまで踏まえてしっかり対応せよ、というのも
酷な要求ではあるだろうが、いつまでたっても結果が伴わない現状からか妄言と取られてしまう。
ドキュメンタリーでの 「カイエン乗りてぇ。青山に土地買うってヤバいですか?」 発言を揶揄して「カイエン」や「カイエン青山」とも呼ばれたりする。
2016年は 「鎌ヶ谷の二軍練習場に通うための車が欲しい」 とベースボールマガジン社の社長へポルシェをおねだりして見事マカンをゲットした事が発覚してからは「おねだり王子」「マカン鎌ヶ谷」と新たな愛称で呼ばれたりもしている。


【名(迷)言集】

「大勢の観客の中で投げるのに慣れた。今じゃあれがないと物足りない」
「高校で注目されすぎた。大学で騒がれる予定だった」
「秋頃のフォームに戻れば自分は今でも普通にプロで通用するレベルにいる」
「大学野球くらい今の自分なら普通に抑えられる」
「六大学にはライバルと思える人はいない」
「自分が調子が悪くても抑えられる大学野球のレベルに萎えたのは事実」
「大学野球の投手は大した事ない」
「(ドラフト)一位指名ならいってやる」
「いずれ160キロ出したい」
「(田中は)基本的には四年前と変わらない印象」(これは田中は今でも甲子園の同級生の印象と言うニュアンスだったが、今でも俺と同格と言うニュアンスで報道された)
「マジですか!フハハ!」
「何かを持っていると言われ続けてきたが、今日何を持っているかが分かった。それは仲間」
「カイエン乗りてぇ。青山に土地買うってヤバいですか?うわぁ頑張ろうビッグになろう」 (※実際の彼の現在の愛車はスバル・レガシィアウトバックとマツダ・デミオ)
「(記者に)"斎藤世代、襲来"っていう見出しはどうですかね?」
「北海道民の皆様、ファンの方、こんにちは。東京都の早稲田大学から来た投手です」
「50歳まで現役でやりたい」
「プロ野球だけが仕事じゃない」
「これからも10割の力で投げることは無い」
「先発と中継ぎは違いますよね。自分は先発でやりたい」
「日本一の18番といえば斎藤?それを目指したい」
「持ってるんじゃない。背負ってます」(後にこの発言を自身で振り返って「言わなきゃよかった」と後悔)
「二年目のジンクスという言葉があるなら使いたい」
「筋肉がいなくなった」
「(3回までは好投だったが4回から11失点で)四回以降はなしと考えて次に進む。気にしない。進んでいる方向は間違っていない」(悪いところを気にしすぎず良いところを良くすると言う考え方は間違っていないが、大炎上しているため気にしないと言う表現は大変に語弊がある)
「来季の目標は 25勝 です!」(インタビュアーの失笑に対し)「本気なんですけど」





追記してぇ。項目に追記修正するってヤバイですか?うわぁ頑張ろう。ビッグになろう

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