ミカ・ハッキネン

登録日 :2011/09/12(月) 03:28:40
更新日 : 2015/12/15 Tue 17:24:45
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ミカ・ハッキネン(Mika Pauli Hakkinen)は元レーシングドライバー。過去2度F1ワールドチャンピオンに輝く。


生年月日/1968年9月28日
血液型/A型(B型説もあり)
出身地/フィンランド・ヴァンター



【チーム遍歴】
1991年〜1992年 ロータス
1993年R14〜2001年 マクラーレン



【経歴】
幼少の頃からカートで速さを見せ付け、1990年のイギリスF3チャンピオンを獲得。
その足でマカオF3にも挑戦し、後に生涯のライバルになるミハエル・シューマッハと出会う。
レースではレグ1(第一レース)こそハッキネンが勝ち、実力は伊達ではない事を見せ付けた。しかしレグ2でシューマッハとドッグファイトを演じ最終ラップまで縺れ込む。
前に居るシューマッハを追い越そうとした瞬間、ハッキネンの車体と交錯し、ハッキネンはリタイア。悔しそうに泣きながらコース脇を歩く彼を尻目にシューマッハはそのまま優勝した。(実はハッキネンはシューマッハを抜かずともタイム差で優勝出来ていた為に無謀と批判された)


1991年に実力を見込まれチーム・ロータスからF1デビュー。
しかし当時のロータスは資金面で苦労し完走がやっとの状態だった。


翌92年はシーズン途中で石油会社のカストロールがメインスポンサーとなり、ある程度は余裕ができたものの、93年はアイルトン・セナが離脱するマクラーレンへ移籍を決意。

だがセナが撤回しもう一つのシートもマイケル・アンドレッティが確定していた為にリザーブドライバー(所謂、補欠)として在籍。
しかしアンドレッティがチームを離脱し第14戦ポルトガルGPから復帰。予選でセナよりも順位が良く、決勝でもトップ争いをするなど実力の片鱗を見せ付けた。


94年はエースに昇格。更にプジョーのV10エンジンで戦力アップしたと思われたが…、トラブルが多発しその原因の半分がエンジンが原因で不完全燃焼のシーズンを終えた。


翌95年は新たにメルセデス・ベンツがエンジンサプライヤーとなり安定した速さと信頼性を得たが優勝には至らず。
最終戦オーストリアGPでは予選初日にタイヤがバーストし、250km/hの速度でバリアに激突。
その際、舌を噛みちぎってしまい一時重体となってしまった。


96年、ハッキネンの現場復帰は難しいと言われたが、目立った後遺症も無く無事に復帰した。
しかしこの年も優勝争いには無関係に終わり解雇説が出る程だった。


1997年は正念場のシーズンとなる。
シーズン半ばから 空力の鬼才 と呼ばれるエイドリアン・ニューウェイがチームに加入し、そこからハッキネンはタイムは上昇したが、トップ独走でエンジンブローやポールポジションを取りながらもリタイアとまるで運に見離された様に初優勝が出来ずにいた。
そんな中迎えた最終戦のヨーロッパGPでタイトル争いをしていたシューマッハとジャック・ヴィルヌーヴが接触し、トップを走っていたシューマッハはリタイア。入れ代わる様にヴィルヌーヴがトップに立つもスローペースに。
更には前に走るチームメイトのデビッド・クルサードとチームオーダーが出て、二人を抜きトップでチェッカーフラッグを受ける。思わず表彰台で涙ぐむ場面が見られた。初優勝がデビューから96戦と当時最遅記録を樹立した。


1998年はシーズン前テストから好タイムを連発。この年からブリヂストンに履き変えた甲斐もあり開幕戦ではなんと 後続全て周回遅れにする 離れ業から優勝。ここでも表彰台で号泣した。

ハッキネンはその後も優勝を続け、気がつけばドライバーズランキングトップにいた。
しかしグランプリを追う事に様々なチーム側の努力と自身の才能からシューマッハがハッキネン擁するマクラーレンに肉薄し最終戦までチャンピオン争いは縺れ込む。
このレースで予選1位だったシューマッハがトラブルで最後尾に回され心理的にも有利な中スタート。シューマッハは鬼神の如く次々とごぼう抜きを敢行し一時3位まで順位を上げたが、31周目にタイヤ(皮肉にもこのレースが最後となるグッドイヤー製タイヤ)がバーストしリタイアを余儀なくされた。
追われる相手が居なくなったハッキネンはそのまま優勝。初めてのタイトルを獲得した。


99年は相変わらずの速さを持ち「カーナンバー1」に恥じぬ走りを心掛けていたそうだがマシントラブルで落とすレースもあった。
更に第8戦イギリスGPでシューマッハが負傷し、直接のライバルがシューマッハと同じくフェラーリのエディ・アーバインと争う事となる。
第13戦イタリアGPではトップ独走中にシフトミスから単独スピンを喫しコースアウト。怒りと悲しみとプレッシャーからか、思わずコース脇の木陰で号泣する場面を捉えられた。
そして最終戦までタイトル争いは縺れ込み、予選ではハッキネンがアーバインよりも上位に着け有利に。
復帰したシューマッハがポールを取ったもののスタートを失敗しハッキネンは独走から二度目のチャンピオンを自身の優勝で飾った。


2000年、序盤こそはマシントラブルで思った結果が残せないでいたが第12戦ハンガリーGPでシューマッハを逆転しランキングトップに。更には次戦ベルギーGPでは シューマッハを周回遅れのマシン共々ブチ抜く という離れ業を見せ付けた。

しかしその後再度シューマッハにランキングを逆転され第16戦日本GPでは予選からデッドヒートを繰り広げ2番手に。決勝スタートでポールのシューマッハを逆転したが、2回目のピットストップで再度逆転され、その順位のままフィニッシュ。
3年連続チャンピオンの夢は打ち砕かれたものの、このシーズンを象徴する様な素晴らしい争いを見せ付けた。


01年はマシンの不調(特に第5戦スペインGPでは最終ラップでリタイア)やシューマッハの速さを止められず、その合間のPR活動からかモチベーション低下を訴え、このシーズンをもって休養をすると発表した。
結局翌年には引退を発表しその後の去就が注目されたが2005年にDTMに参戦。しかし2007年にレーシングドライバーとして引退を発表し「フライング・フィン」は翼を閉じた。




【余談】
優勝した時に表彰台で見せるガッツポーズが「かなり」特徴的で度々話題になる。

一輪車が得意で小学校の通学時にも利用していた。チャンピオンが決定した98年末にはサーカスの会場に一輪車に乗って観客を湧かせた。

予選でチームがこの程度だろうと決めたタイムを大幅に上回った時があり、担当エンジニアですら 「説明がつかない」 と絶句した。

「爆走!ミカ・ハッキネン」なるCDをリリースされたことがある。独特なメロディーと突っ込み所満載の歌詞などでいつの間にかF1マニアの耳に付いているかも知れない。

元妻はイリヤ氏。98年頃からレース中に姿を撮られているが、腕を組み仁王立ちをしてモニターを見ている様は貫禄たっぷり。ちなみにメルセデス・ベンツのCMにも恐妻家のハッキネンの一面がある作品が存在する。



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