読売ジャイアンツ/読売巨人軍

登録日 :2012/10/24(水) 16:52:54
更新日 : 2017/06/09 Fri 12:15:51
所要時間 :約 7 分で読めます




ジャイアンツ ジャイアンツ


ゆけ ゆけ それゆけ


 巨 人 軍 


【球団成績】


リーグ優勝 43回
日本一 21回
アジアチャンピオン 2回
セ・パ交流戦優勝  2回

保護地域:東京都
本拠地:後楽園球場→東京ドーム

読売ジャイアンツor読売巨人軍とは、1931年に結成された「大日本東京野球倶楽部」を前身とする日本で一番古いプロ野球チームである。

野球を知らない人ですら名前を知っているほどの高い知名度を誇り、
TV中継が多く各スポーツ紙・スポーツニュースにも多く取り上げられる等メディア露出度が高いチーム。
また上記の球団成績からもわかる通り、非常に強い球団。
多くのファンがおり、選手への金払いも良い。

一方で初代オーナー正力松太郎の残した言葉に基づき選手には社会人の規範となることを求めており、
ヒゲや長髪は禁止、ニックネームによる登録も原則禁止など、厳しい規則も定めている。

その強さや知名度から 12球団の中でも1・2を誇る人気の高いチーム だが、
FAを利用して他球団の主力選手を金で引き抜くような金銭力に任せた補強や、江川事件(1978年)など球界を巻き込む騒動、
メディア露出度の高さからか週刊誌にすっぱ抜かれる等不祥事も多く、それ故 アンチも多く存在する球団でもある。

しかし、近年では2005年に育成選手制度が採用されると方針を変え、2008年はFA戦線不参加を宣言するなど、
現在では生え抜きの若手を多く輩出する球団へと変容しつつあるとされるが、やはりFA補強は重視している。
若手育てるのって難しいし、何やかんやでFA選手は権利取得できるまでやれただけの実力はあるから仕方ないね。


【球団史】


1936年に「東京巨人軍」という名称に変更された際に大方今のチーム体制となった。
戦時中の混乱で一旦チームは事実上解散したものの、1946年にリーグ戦が復活、チームが再編成。
1947年からは読売新聞社が正式に球団を買収したため、「東京読売巨人軍」に改称。
1950年に毎日新聞社がプロ野球新規参入を図った際、中日新聞社と共に猛反発したため、
1950年よりセリーグに加盟して現在のセパ2リーグ制が出来たきっかけを作った。
(もう一方の当事者の毎日は毎日オリオンズ→ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズ
1965年〜1973年まではペナントレース及び日本シリーズ9連覇を果たすいわゆるV9(ブイナイン)時代。
この9年間の巨人は日本野球史上最強のチームと言っても過言ではない無敵ぶりを誇り、
日本野球史でも最強クラスのクリーンナップの王貞治、長嶋茂雄を有した事もあり、
子どもが好きなものが「巨人、大鵬、卵焼き」と言われるほどに一時代を築いた。
その後はV9世代の衰えと引退が重なり、暗黒期に入った時期もあったが、概ねAクラスの実力を持つ。歴代監督はほぼチームのOBで占められている。
2015年には一部の選手による野球賭博が発覚。ミソがついた格好となり原監督はこの年限りで退任(賭博問題が直接の原因かは不明)。
現役だった高橋由伸がこの年限りで引退し監督の任を引き継いだ。


【チームの特徴】


短い暗黒時代もあるが、ほぼ何時の時代も投打共に高い水準のチーム(どちらかと言えば打高投低)。
特に打撃に関しては、特にV9時代以後に顕著となったが、時代が進んでも、必ず一人は輝かしい記録を持つ名選手・スター選手がおり、
打撃の地力が高く、少しばかり負けていても逆転する力を持っている為、他のチームから恐れられている。
統一球が導入されてからは盗塁やバントといった小技を絡めた隙のない繋ぐ野球をしているが、
基本的にはランナーを貯めて長打で返すのが特徴。
自前の助っ人はいわゆるダメ外人が多いためファンはある種諦め気味。
そのためフロントは国内FA選手をとるとか。
ただ、前述した通り近年は自前の選手が多く活躍しているため一概には言えないようである。

2015年以降、賭博事件やドラフト失敗、主要選手の怪我や衰え等で選手層が急速に悪化、
一部の球界トップ級の生え抜きを除いてFA戦士や外人選手など不安定な戦力でAクラスを維持している。



<主な関係者>


永久欠番選手】


  • 沢村栄治…14
日本プロ野球界黎明期のエースピッチャー。戦場で戦死してしまった悲劇の投手。
史上初の永久欠番指定された選手の一人。

  • 川上哲治…16
ご存知「打撃の神様」。引退後は巨人の第三次黄金時代かつ絶頂期である、V9時代の監督としても名声を上げた。
2013年11月、楽天との日本シリーズの最中に逝去。

  • 長嶋茂雄…3
こちらもご存知「ミスタージャイアンツ」or「ミスタープロ野球」。
男前であることに加え、魅せるプレイと器用さがウリの確かな実力でファンを魅了した。
絶頂期の華々しいプレイが有名だが、意外にも晩年は加齢で青年期の実力を出せなってきており、自身の衰えに悩んでいたという。
その後1975年から6年間、1993年から9年間監督を務め、6度の優勝(第1期に2回、第2期に4回)、第2期には2度の日本一に輝いた。
2004年に脳梗塞で倒れたが、精力的なリハビリにより、日常生活には支障がない範囲まで回復。
テレビでリハビリの様子が紹介されたが、リハビリと言うよりトレーニング並みのハードなメニューを毎日のようにこなしている。
元プロ野球選手だった事で基礎体力が常人より高く、一時代を築き上げたほどの現役時代の活躍と名声でお金を稼いだがために出来ることでもある。
現在は読売ジャイアンツ終身名誉監督にして常務取締役。
2013年に国民栄誉賞を受賞。授賞式後の試合の始球式でバットを持ってスイングするほどに体が回復していた。

  • 王貞治…1
こちらも(ry)世界のホームラン王。現役時代は長嶋と並び称されるほどのスター選手であった。
ただし、晩年は二人で道が分かれており、長嶋は晩年、急速に衰えていったのに対し、
王は晩年までコンスタントに高い実力を発揮していたという違いがある。V9時代から直後の暗黒期まで巨人のクリーンナップを担った。
藤田氏の退任後は巨人の監督も務めたが、当時は自身の監督としての経験不足や、西武が絶頂期を迎えつつある時期と重なった事もあり、在任中には残念ながら日本一にはなれなかった。
その後1995年に暗黒真っ只中の福岡ダイエーホークスの監督に招聘され、色々言われたものの就任5年目に日本一を達成。2003年にも日本一を勝ち取り、黄金期を到来させた。
2008年に退任し、現在は福岡ソフトバンクホークス球団会長。
ワールド・ベースボール・クラシック初代優勝監督でもあり、ダイエー最後の監督、ソフトバンク最初の監督でもある。
愛称は「ワンちゃん」

  • 金田正一…34
日本球界で唯一400勝を達成した大投手。
高校時代からまともに捕球出来る捕手がおらず、国鉄時代、巨人時代を通じて金田のボールを受ける捕手は左手が試合後は常に痺れていたらしい。
後にロッテで監督を努めたほか、名球会を立ち上げた。

  • 黒澤俊夫…4
現役中に腸チフスで他界した悲劇の外野手。
実は沢村と並んで史上初の永久欠番指定選手。


【監督】


24 高橋由伸
プロ入り前から突出した野球センスで走攻守全てに秀でた天才。
近年は怪我がちで年間を通しての活躍は難しくなっているが、積極果敢なプレーは健在。川上憲伸は大学時代からのライバル。
2015年に電撃的に引退を表明し、原監督の跡を引き継ぎ監督に就任した。


【現役選手】


10 阿部慎之助
ツイスト打法で緩急も統一球もなんのその。
15年間巨人軍の扇を支え、2012年には二冠を達成した球界を代表する強打の捕手。前主将。
現在は内野手登録だが思い出したように捕手に座ることも。
ネットでのあだ名はうなぎ。

6 坂本勇人
現巨人軍主将(戦後最年少)にして走攻守揃ったイケメンショート。
プロ10年目28歳で既に通算安打数1400本超え。勝負強い打撃と変態と名高い内角打ちが特徴。
プロ4年目に30HRを記録するもその後低迷する成績を危ぶむ声も多かったものの、
2016年は打撃が再覚醒。セ・リーグ史上初のショート首位打者と出塁率で二冠を獲得など打ちまくった。
守備面では4年連続遊撃手最多エラー記録の持ち主だがそれは広い守備範囲と積極姿勢ゆえ、指標はむしろ現役選手最高値な上歴代6位である。
8歳年上の村田を友達と呼ぶなど言動はなかなか畜生である

7 長野久義
ドラフトで巨人愛を貫いた選手。
ホームベースから離れて打つ独特の打撃からヒットを量産する走攻守揃った選手。
「毎年打率.280、10本塁打、10盗塁」をコンスタントに記録するとは本家ウィキペディア談。
1シーズン3度のライトゴロを記録した事もある。
改名前のTBS横浜最後の試合では代打逆転サヨナラ満塁首位打者確定&内海最多勝決定HRを放った。

9 亀井善行
本名は義行。内外野守れるユーティリティープレイヤー。
打撃面ではそれなりに率を残すこともあるがどうにもパッとしないことの方が多い。

12 脇谷亮太
亀井と同じくユーティリティープレイヤー。
片岡の人的補償で西武に行ったがわずか2年でFA宣言して巨人に戻って来た巨人愛の持ち主。
亀井に比べれば打撃面でのムラは少ない。

19 菅野智之
前監督原辰徳の甥っ子にして右のエース。制球力を最大の武器に三振とゴロを量産する本格派右腕。
リーグトップクラスの成績を残すもののなぜか人気がいまひとつ。
そして深刻すぎるムエンゴ病持ち。負け運って何?

39 マイルズ・マイコラス
2015年から加入した外人右腕、外国人投手初のシーズン一年目11連勝を達成
妻のローレン・マイコラスはその美貌から芸能界入りを果たした「スタンドの女神」
米球界時代のあだ名は「リザード・キング」。由来はYouTubeにも現存する 生きたトカゲの踊り食い
勝ち運持ちで、大炎上しても打線が負けを消してしまう。

26 内海哲也
巨人の元エース左腕。
チームの雰囲気を大切にする技巧派投手。
ネットでのあだ名はうつどんor偽侍(禁句)。

15 澤村拓一
筋トレオタク。
力のある直球でバッターをねじ伏せる豪快なピッチングが持ち味。
ルーキーイヤーから長年に渡り勝ち数<負け数のムエンゴ病持ち。
2015年からは抑えに転向したが、4者凡退は基本、5者凡退も珍しくない「マッスルミュージカル」なる状況を多発しファンの胃に穴を開けている。
2016年では菅野の勝ちを3つ消し彼の2桁勝利未達成の要因となった。
「明日も勝〜つ!」←勝ちました。「明後日も勝〜つ」なお・・

47 山口鉄也
スコット鉄太朗の鉄。
育成から這い上がってきたシンデレラ・ボーイ。
チーム内でのあだ名は「ぐっさん」
9年連続60試合登板ととんでもない記録を残しているが、最近は過労が祟って打たれることもしばしば。

35 西村健太朗
スコット鉄太朗の太朗。
投げるアニオタ。
右バッター胸元へのシュートボールが持ち味。

20 スコット・マシソン
スコット鉄太朗のスコット。
抑え候補として獲得するもシーズン前は乱調が続き、期待外れと思われたが150q台後半から160qを越える球で好投を続けボウカーとは対照的に評価が一変した。
ストッパーをやっていた時期もあるが澤村の抑え転向後はセットアッパーに。ただ澤村が劇場型なので抑えに回る事も。

25 村田修一
元ハマの主砲。
「巨人が嫌い」という発言もあったが、荒れる原因に成りかねない為、ここでは省略する。
以前は守備に難があったが、現在はむしろ守備が評価されるようになってきた。ネギが嫌いでネギマを出されても「マ」しか食べられない。
何故か契約最終年によく打つ。

18 杉内俊哉
ソフトバンクからFAで移籍。
当時の銭闘やFAのいざこざについてはここでは触れないようにする。
積極的に奪三振を狙えるドクターK。最近はやや投球内容が不安定に。
2015年に大怪我を負い、自身の希望でのとんでもない大減俸が行われ、現在は復活に向け精進中。

17 大竹寛
広島からFAで移籍。当該項目参照。
人的補償で出て行った選手?何の事ですか?

8 片岡治大(易之)
西武からFAで移籍。
移籍後は怪我を定期的に発症していることなどが原因で、どうもパッとしない。

27 実松一成
永遠の二番手捕手。ただ日ハム時代はレギュラーだったことも。
打撃面では異常なレベルの三振率を誇る扇風機だがたまにとんでもない飛距離の当たりを飛ばすので通称「スララガー」。

22 相川亮二
横浜やヤクルトで活躍していた捕手だが、暗黒請負人だったことで優勝を求めて巨人にFA移籍。
偶然か必然か、相川の移籍以降は巨人も優勝に届かない(皮肉にも相川が移籍した一年目は古巣ヤクルトが優勝した)。
自身がスタメンマスクを被った試合で菅野を2回9失点と爆発炎上させてしまうなど捕手としては劣化しているため現在は専ら代打要員。
人的でプロ二年目の奥村展征が移籍したのは大騒ぎとなったが、あちらはあちらで慢性的な腰痛を発症して苦しんでいる。

54 高木勇人
タカギボール(命名原前監督)が武器に、巨人投手としては55年ぶりの開幕シーズン新人初先発初勝利を達成した期待の新人。
一方ヒーローインタビューで「オムハヤシ食べます」発言をするなど言動は危うい。
因みに三菱重工名古屋でボーイング787ジャンボ主翼最終検査を担当していた社会人出身。

23 小林誠司
阿部の後継者と期待される社会人出身のイケメン捕手。
内角への強気なリードと強肩が売りだが打撃に課題が残り賛否が別れるが、他にマトモなのもいないので実質正捕手の座についている
バッテリーを組むエース菅野とは同い年の友人。 「負け運ってなに?」事件の立会人でもある

2 陽岱鋼
台湾が日本球界に送り込んだスーパースター。
日本ハムのスターだったが、球団の経営方針と噛み合わなくなってきたため、追い出しに近い形で巨人に移籍した。

13 森福允彦
元ソフトバンクのセットアッパーにして、最強の左キラー。
対左ワンポイント中心の登板方針に不満があったためFAで巨人に移籍した。
なお昨季の年俸は1億2000万円と結構高いにも関わらずソフトバンクの年俸10傑には入っていないため巨人側には補償が発生しなかった。


【OBなど】


  • 堀内恒夫
現役時代は「悪太郎」という不名誉なあだ名を付けられていたが、投手としては一流のお方。ただ新人の頃は王さんとツルんで悪行を繰り返していたとか…
しかし監督としては2004〜05年まで務めるも、巨人の監督経験者で唯一リーグ優勝出来なかった。
その後紆余曲折あって現在は参議院議員。

  • 中畑清
ご存知「絶好調男」。
生涯成績は平凡だが、チャンスやここ一番でのところで結果を出す選手であった。
引退後は巨人のコーチやオリンピック野球日本代表の監督代行を務め、2012年から2015年まで横浜DeNAベイスターズ監督を務めた。

  • クロマティ
数少ない生え抜きの当たり外人。
米国では現役バリバリの大リーガーで、入団後も大活躍し外国人初となる四番を打つなど80年代後半から90年代の巨人を支えた。
プロレス挑戦?何のことですか?

  • 斎藤雅樹
桑田・槙原とともに90年代の巨人を支えた三本柱の筆頭。沢村賞を3度受賞した『平成の大エース』である。
無尽蔵のスタミナとウイニングショット『真っスラ』を武器に89年には 11連続完投勝利 とかいうキチ○イじみたことをやってのけている。
三本柱で唯一巨人軍のコーチとして残り、2016年からは2軍監督に就任。

  • 桑田真澄
PL出身の巨人の元18番。
華麗な投球術に加えて天才的なバッティング技術を持つ選手。甲子園で一番ホームランを打ったのは清原だが、実は二番目が桑田(と元木)。ショートになっても巨人のショートは10年安泰と言われたとか。
自身のグラブには“I'm a professional among the professional”(俺はプロ中のプロだ!)と刻まれている。

  • 槙原寛己
三本柱のなかでは3番手扱いを受けることが多いが、2015年現在、日本プロ野球 最後の完全試合達成者 である。
しかしたびたび彼がテレビで映されるのは完全試合達成の瞬間よりもバース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発(この時の投手が槙原)だったりする。それか新庄の敬遠サヨナラヒットか。

  • 清原和博
プロ野球界の「番長」にして、オールスター戦ではめっぽう打ったお祭り男。
巨人に入りたかったものの巨人は代わりに桑田を指名し、自身は西武に1位指名されたため、巨人を見返すために西武に入ったというのは有名な話。
1997年に西武からFAで11年越しに念願の巨人に入団し、驚異的な得点圏打率を叩き出してチームの貴重な戦力として活躍。
ただ怪我に苦しみ戦力外に。オリックスに移籍しそこで引退した。

  • 松井秀喜
巨人時代の10年間で332本塁打を記録したご存知「ゴジラ」。
2003年にニューヨーク・ヤンキースに移籍。
2012年に現役引退を発表し、2013年には国民栄誉賞も受賞した。

ネタになった漫画としてはコロコロコミックの『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』と、竹書房の雑誌・『月刊ジャイアンツ』に連載された『マツイ日記は知っている!』(作:荒木ひとし)がある。
しかしギャグ漫画とはいえ前者では文字通りの怪物的超人として、後者では「悪意無く他人を振り回し、日記にすらツッコまれる(というか日記くらいしかツッコめない)天然ボケ」として描かれていた。

  • 江川卓
(いろいろな意味で)巨人愛を貫いた80年代巨人のエース。
浮き上がるようなストレートとストンと決まるカーブで真っ向から勝負を挑み続けた。
燃えプロ1作目のタイトルに映ってる選手は江川をモデルにしている。
入団時の騒動は歴史に残るほどで(江川事件)、本人と関係ないところでダーティーなイメージがついてしまったのは有名。
今なお、そのイメージで見られてしまう事も多く、彼が未だに指導者となれていない要因ともされる。
当時を知る世代の間では、彼の選手としての寿命が10年あまりと一時代を築いた選手の割に短かったのは、
『江川事件の報いだ!』と、まことしやかに囁かれているという。
なお、この時にトレード要員となった小林繁とは和解したものの小林は…

FAで巨人に移籍した選手第一号。
現役全盛期や監督に長らく在任していた事から、中日ドラゴンズでのイメージが強い氏だが、
現役時代は巨人への在籍経験もあったのである。
移籍1年目で長嶋監督を男にして有言実行し、松井秀喜を独り立ちさせるための指導もした。
その年後述の篠塚との折り合いと球団設立60年を記念して背番号60をつけた。現在は中日ドラゴンズのGMを勤めている。

  • 小笠原道大
ご存知「北の侍」。
契約年数と家族が首都圏住みな事を理由に日ハムからFA移籍してきた。
トレードマーカーのヒゲを剃って別人みたくなってしまったがその打撃は健在で原巨人を支えたが故障で低迷。出場機会を求めてFAし、中日に移籍した。
現在は中日二軍監督であり、「尾張の侍」になっている。
ぐう畜・人類の戦犯である巨人小笠原とは全くの無関係である。

  • アレックス・ラミレス
ご存知「ラミちゃん」。
契約年数・原采配への興味を理由にヤクルトから移籍した。
小笠原との大砲コンビで「オガラミ」で活躍したが守備難だったため巨人終盤は代打起用ばかりになったためゴタゴタを切り抜けた旧横浜である横浜DeNAに移籍。
意外と理論派で、ヤクルト時代末期から半ばコーチみたいなこともやっており、巨人時代も色々な選手にアドバイスをしていた。
現在は中畑の後を継いでDeNAの監督。

  • 篠塚和典
三遊間を綺麗に抜ける流し打ちと、類稀な守備技術を持った二塁手。
二塁手ながら首位打者を2回獲得。当時の女性人気は非常に高かった。

  • ボウカー
オープン戦では不調な打撃陣で唯一高打率を維持。ファンは当たりと信じて疑わなかったが、現実は厳しかった。2013年にはそこそこ活躍したものの契約終了。
2014年に助っ人外国人の不振に悩む楽天とボウカーの日本で野球をしたいという意見が一致しシーズン中に楽天入り…しかし、そこでも戦力外に。

  • 原辰徳
2015年までの監督で二代目WBC優勝監督。
現役時代は「若大将」として知られ、同ポジションのレジェンドである長嶋茂雄の後継者的存在となり、
ON後第一世代の巨人選手としてはトップレベルの人気を持っていた事は有名。
ネットだと顔芸で人気。

  • 鈴木尚広
代走一本で200盗塁を達成した代走のスペシャリスト。
2016年のCS横浜戦での牽制死を最後に引退して、以降は評論家として様々な場所に出現しているが、意識高い発言には賛否分かれる。

  • 小久保裕紀
2003年に無償トレードでやって来た鷹の強打者。
2004年は本塁打数リーグ4位だったが、それでも6番。
そして2006年にはキャプテンに就任。まさか生涯巨人なんじゃ?と思われた矢先FAして福岡に舞い戻った。
その後「ミスターホークス」と呼ばれるようになって2012年引退。その後日本代表の監督を務めた。

  • 元木大介
曲者。元木〇ね。
勝負強さに定評があったが、それ以上に隠し球、ゲッツー崩しなどの狡猾なプレーから一部ファンからは「元木〇ね」と言われるハメになり、本人も認知している。
かつて縁のあったホークスを蹴ってでも巨人に入り、引退する時も「要らないと言われたら辞めようと思っていた」と語るほどの巨人愛の持ち主。
その後はタレントとして活躍するが、出演した番組で大縄跳びで転んでアキレス腱を切るというプロ時代しなかったケガをしてしまったことも。

【キャラクター】


  • ジャビット
うさぎをモチーフにしたマスコット。1991年誕生。
他球団のマスコットに比べて紳士的であり特にこれといった特徴はない良い子。
ちなみにジャビットファミリーは5人家族(+おじいちゃん、いとこ&はとこ)。2007年に固有名が付けられ、一番馴染の「ミスタージャビット」は「ジャビィ」・「ジャバ」の兄弟と設定された。
アクロバティックなパフォーマンスを披露することもあり、かつては相方(?)のラミレス選手と息のあったパフォーマンスをたくさん披露してくれた。



【余談】

王選手、金田選手、広岡選手、吉田選手が現役だった当時は特にこの4名の活躍が目立ち、インタビューを受けたり、スポーツ誌などを賑わしていたので

「おう!金だ!拾おうか?よした!」

と言う洒落が流行った。



追記・修正は永久に不滅です!

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