大竹寛

登録日: 2009/07/08(水) 23:37:56
更新日:2024/04/21 Sun 09:24:02
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1983年5月21日生まれ
身長183cm
体重85kg
右投右打
背番号17

概要

広島の(万年)次期エースであり、愛すべき男…だったが2013年にFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍。

経歴

浦和学院高校を経て、2001年ドラフト一巡目指名で広島東洋カープに入団。

プロ2年目に早くも一軍初登板を果たして初勝利を挙げると、翌年はシーズン途中からクローザーに転向して17セーブをマーク。
2005年には再び先発に復帰し、10勝をマークしてローテーションを支えた。しかし防御率は5点台で失点は三桁という不安定な内容で苦しいピッチングが続いた。

その後は防御率も3点台とよくなり、勝ち星も伸ばしてローテーションを守りきり、ジャーリーグ移籍が決まった黒田博樹の後釜のエースとしての期待を高めた。

球速はMAX155km/hで試合後半でも150km/hを超えるストレートを投げるスタミナとキレのあるスライダーが武器。他にもシュート、カーブ、フォーク、カット ボールなど豊富な変化球を投げられる投手だが、コントロールに難があり球数が多くなることがしばしばある。

しかし2008年後半は1年通しての9回平均の球数が149球なのに対し、8月14日の中日戦で9回を投げ114球、10月1日のヤクルト戦では8回を投げて105球と改善の兆しが見えた。

打者の気持ちのなかには「大竹は直球とスライダー、シュート」という先入観があるようで、それを逆手に取ったチェンジアップを覚えブレイクした2009年の前半は、4/28から5/31の6回途中までの43イニングを無失点に抑え、佐々岡真司の持つ30イニング連続無失点の球団記録を更新し、セ・リーグでも歴代6位を記録。また、同年5月は4勝0敗防御率0.51の成績で、自身初となる月間MVPを受賞した。

2010年はコルビー・ルイスが抜けた後を盛り返すべく、キャンプで発憤。
投げ込み脳の大野に言われるがまま、調子にのって300球投げ込んだ結果、肩を壊し開幕絶望となる。
その後も肩の痛みが取れないまま、必死にリバビリを続けるも、前田健太以外の投手陣が壊滅状態であった夏前、痛みが取れないまま一軍のマウンドへと召集がかかる。
MAX140km/h前後のストレートとスライダーとチェンジアップをコーナーに投げ分ける技巧派っぽいピッチングでお茶を濁してみるも、シャレにならないレベルで肩を壊して二軍落ち。 2010年はこれ以降一軍で投げることはなかった。

再起をかけた2011年は夏前までほぼノースロー調整ながら、ぶっつけ本番で二軍戦に登板。
なぜかそこそこ結果を出したので秋前から一軍へ。
球速は150km/h近くにまで戻り、統一球とはいえ防御率も一点台(ただし30イニングしか投げてない) となり2012年の飛躍が期待され、自身最多の11勝&規定投球回数によってカムバック賞を獲得。

2013年に読売ジャイアンツに移籍すると、ギリギリ二桁には届かなかったがチーム優勝に貢献する。
それ以降は戦力として貢献しなかったわけではないが微妙な成績の年が続き、2018年には年俸は減額制限越えの50%ダウンを受ける。この年には戦力外の可能性もあったようだ。
大竹の人的補償として放出された一岡竜司は広島で中継ぎとして大車輪の活躍を見せてチームの黄金期を支えたことから、「FAと人的補償と言うよりはトレードだったのではないか」とネタにされるまでになってしまった。

しかし、2019年に原辰徳による第三次政権が発足すると、原監督に見出された大竹は中継ぎとしてまさかの復活を果たし、通算100勝も達成して優勝に大きく貢献する。
第2回WBSCプレミア12の日本代表に追加選手として徴収されるなど、地獄からの帰還を果たした。
2020年も中継ぎとして一定の貢献を見せ、大竹が復活したと同時期に一岡は成績が降下して低迷を始めた(ついでに広島のチーム自体も低迷を始めた)ことも重なって上述の人的補償ネタも空気化した。

ところが、引き続き戦力として期待された2021年は身体にガタが来ており、引退を決意することになった。


選手としての特徴

あわや完全試合や完投、完封という試合を作ったと思えば、次の登板では立ち上がりにKOされたりと好不調がはっきりしている所があり、
実際大竹寛の実力は簡単には測れない。そこから大ケケ(炎上時)、神竹(好投時)と呼ばれ、広島ファンからはやきもきさせつつも期待をされていた。
良い時は凄まじいのだが、一度崩れ始めると『高確率』という言葉ですらお茶を濁した感じの表現な割合で崩壊し始める。
具体的には一度制球がダメになって四球を出すか、一発大きいのを打たれた後は「もうダメだ」という感想を抱くのが、本気でカープファンの日常と化していた。
よくある話なので大竹だけが特別だとかダメだとかではないのだが、頻度と落差が余りに凄まじかったことが印象を強くしている要因なのだろう。

巨人の小笠原や阪神金本など、被打率が5割を越える左打者に対した時には変化球が多くなるのが特徴で、
近年は横の変化が主体だったため打者に見極められつつあったが、前述のチェンジアップを覚えたおかげでピッチングの幅が広がっ た。

腕をぐるぐる回し始めたら死亡フラグ。本人は「腕をよく振らなきゃ」というイメージからやっているらしいが、その後は高確率で炎上している。

近年では弱点とされてきたメンタル面強化に力を入れ、2009年には帽子のつばに“野球中継 平常心 ゆっくり投げきる 15”と書かれている。
ちなみに、15とは尊敬している黒田の広島時代の背番号であり、この言葉を見てマウンド上の黒田を思い浮かべている。
その甲斐あってか、昔に比べればかなりマシになっていた。
大ケケの場合もあったけどそれは仕方ないことだろう人間だもの。

また、野球中継とはピンチの際、実況や解説者、視聴者の視点になり、自分自身を客観的にみながら投げようという意識を表したものである。
決して、テレビ写りを気にしている訳ではない。

その将来性、期待の高さからか、松田元オーナーの携帯の待ち受け画面は大竹のイラストらしい。FAしちゃったよ…どうすんのこれ…

先に述べた通り、期待は大きいものの実力を測り切れていないファンも多く、大竹に関しては実力未知数として余程の予想屋でない限り、シーズン前期待勝ち星は全く触れられない。




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最終更新:2024年04月21日 09:24