由規(プロ野球選手)

登録日:2010/11/13(土) 22:44:46
更新日:2023/10/20 Fri 01:12:07
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由規(本名:佐藤由規)とは東京ヤクルトスワローズ東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍していたプロ野球選手。
身長179cm体重80kg(180cmという説もある)。
12月5日宮城県仙台市生まれの射手座である。

一部のマスコミから入団会見時に泣いている家族が目に入り感極わまって泣いており、「泣き虫王子」「剛球(号泣)王子」と呼ばれた。
そのことから涙もろい性格といえる。また、チームメイトから「人懐っこい」、「マイペース」などとも言われている。

もともと左ききであるが兄のおさがりのグローブを使っていたため、投手としては珍しい右投げ左打ちとなった。
自分から野球を始めたのではなく、小学校4年生のときに兄や両親に説得された末、嫌々野球をひたむきにしていた。
当時は外野手として練習を重ねていたが試合に初出場した際、いきなりサードとして起用され泣きべそをかいたと本人は語っている。

中学校の野球部には所属せず陸上部に所属し、野球はシニアに入り続けていた。

中学校1年時にリトルリーグの東仙台リーグの一員で全国制覇を果たし、東仙台は日本代表として世界大会に出場する。


初戦のロシア戦ではノーヒットノーランを達成する。その後決勝まで勝ち進むもアメリカに1-0で敗れ、世界2位となった。
高校では仙台育英高校に進学。

当時はMAX130km/hにも満たず、本人も投手の自信が無かったという理由で三塁手として入部。
しかし、監督に「1試合先発で投げてみろ」と言われ、投げてみると1球だけ143km/hをマークし、そこから徐々に球速を増していった。
3年夏の甲子園では、1回戦の智弁和歌山を相手に17奪三振を奪うなどの快挙を成し遂げるも、2回戦の智弁学園に2-5で敗北する。
ちなみにこの試合の4回に稲森翔大(当時1年)相手に甲子園最速の155km/hをマークした。

スリークォーターに近いフォームから、常時150km/h超の直球と、鋭く曲がるスライダー、カットボール、フォークが武器。

2007年ドラフトで、唐川侑己、中田翔と並んで高校ビッグ3と呼ばれ、注目を集めた。
楽天、ヤクルト、巨人、中日、横浜の5球団が1巡目で競合した結果、ヤクルトが交渉権を獲得した。

ヤクルトスワローズに入団後、高卒ルーキーでありながら、一軍で春期キャンプを過ごす。
ちなみにこのキャンプ中、伊藤投手コーチに「彼女いるのか?」と聞かれ、
思わず「はい」と報道陣のいるなかで即答してしまった。


2008年10月8日の横浜戦で先発し、8回1失点で完投勝利目前という機会があったが、
完投では規定投球回数を越えてしまい、新人王受賞権利を失ってしまうため、8回を投げ終えたあと、
荒木投手コーチに「完投か新人王どっちがいい?」の問に「新人王です!」と答えたため、投球回数29回2/3という寸止めで、そのシーズンを終える。
(規定投球回数を超えなければ、次の年のシーズンでも新人王を獲得できる)


2010年7月29日に日本人最速タイの158km/hをマーク。
すると同年8月26日の横浜戦で日本人最速(当時)の161km/hをマーク。

しかし、速度計測が甘いと言われる神宮球場であったことと、
テレビカメラ側のスピードガンには152km/hと表示されていたことから、真偽は不明である。

2010年は結果的に、初完投・初完封も記録。
最終的には12勝9敗と成績的にも大きく躍進し、本格的にヤクルトのエースとなることが期待された。

しかし、この年を境に由規選手は大きく苦しむこととなる。

2011年は2009年以来のオールスターに選出されるなど、この年も未来のエースとして順風満帆に見えた。
ところが、後半戦は右肩痛を発症してしまったことで殆ど活躍することなく終わる。
一応7勝6敗という成績は記録したが、二桁勝利には届くことはなかった。

翌年の2012年の春頃には肩の違和感を訴える。
5月には左すね剥離骨折にもなり、プロ入り後初の一軍登板無しという屈辱的な年になってしまった。
2013年には右肩のクリーニング手術を行うが、その影響で実戦復帰には時間がかかるとされ、この年も一軍への復帰は果たせず。

2014年の6月はイースタン・リーグ チャレンジ・マッチのフューチャーズ戦で実に792日振りに実戦登板を果たす。
この登板では1回を無失点に抑えた、故障明けながらも球速は最速155km/hを記録するなど、かつての甲子園の化け物だった実力はあまり衰えを見せなかった。
だが、残念なことにこの年も一軍での登板を果たすことなく終わった。
さらにこの年、同じくヤクルトに所属していた弟の佐藤貴規選手が戦力外通告を受ける。

2015年はオープン戦で登板し、2四球を与えたものの2回無失点・球速も151km/hを記録する。
前半戦である6月頃の復帰も噂されていたが、先に復帰したのは同じく怪我で苦しんでいた館山昌平選手だった。
由規も彼の復活には考えさせられた物があるらしく、自分も後に続くと力強く自身のTwitterで宣言している。

このように、怪我で思ったような活躍が出来ていない由規選手。
定期的に復活の噂が上がりながらも、気が付いたら一軍で登板していなかったという状況が続いている。

しかし、怪我してもなおその剛速球は衰えておらず、彼の早い復帰を望み期待をするプロ野球ファンは多い。

2015年オフには育成選手での再契約…つまり捉え方によっては枠を一旦どかされた扱いを受けてしまった。
ここで終わるわけにもいかず、イースタンでも9試合に登板する中で首脳陣からその球が評価され支配下契約選手として復活する。
7月9日に1771日振りの一軍登板を果たすが、ここでは炎上してしまう。
だが、同月24日に再度中日戦で粘投し、1786日振りの勝利投手となり、その後は投手不足に苦しむヤクルト投手陣の一員としてチームを支えた。

2016年の成績は5試合で2勝3敗、防御率4.56、翌2017年は10試合で3勝5敗、防御率4.31という成績で終わり、このまま完全復活を誓いたいところだったが、2018年の6月2日楽天戦で右肩の違和感から降板し、その後は一度も一軍で登板することなくオフに戦力外通告となった。

現役続行を望む由規であったが、2018年末に地元の球団であり、かつてドラフトで由規を指名したものの交渉権を獲得できなかった楽天が育成選手として契約することを発表。楽天としては10年越しの契約となった。

2019年は5月に二軍戦で実戦復帰を果たして2回を無失点に抑えると、その後も好投を見せて7月末に支配下選手登録となった。
地元・仙台での復活が期待され、9月26日の西武戦にて481日ぶりの1軍復帰登板をすると1回無失点に抑えた。

2020年は一軍登板がなく戦力外通告を受けると、現役続行を希望して12球団合同トライアウトに参加するが、皮肉にも元チームメイトのルシアノ・フェルナンド相手に被弾を浴びるなどあまり良い結果は残せなかった。
後に独立リーグのBCリーグの球団である埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。



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最終更新:2023年10月20日 01:12