藤村大介

登録日:2012/02/14(火) 02:58:49
更新日:2022/02/27 Sun 13:54:30
所要時間:約 3 分で読めます





藤村大介は、野球ゲーム「ファミスタ」に登場する架空の元プロ野球選手でコーチ。
熊本県熊本市出身。所属は読売ジャイアンツ

  • 選手データ
右投左打 背番号54→0→57 二塁手、三塁手、外野手
22歳の5年目。
熊本工業高校→巨人(ドラフト1位)

  • 概要
読売ジャイアンツには高校生ドラフトで、由規の外れ1位で入団した。当初の背番号は54。
入団時から高い守備力を誇っていたが、打撃は非力だった(現在も若干非力)。しかし、彼には人間離れした俊足があり、それが巨人に評価された。どれぐらい俊足かというと、打った瞬間からホームと1塁ベースの中間にいるぐらい。
藤村が高いバウンドのゴロを打つと、野手が捕球したときには藤村は1塁ベースの手前にいる。

入団から約3年間2軍生活が続いたが、2011年に不調の脇谷亮太に代わりセカンドでの出場機会が増える。俊足を活かした打撃と守備力が評価され、そのままレギュラーに定着。盗塁も高い成功率をキープし、途中加入ながら盗塁王(記録は28)を獲得。新人王の資格も見えていたが、新人王は同じチームの澤村拓一に譲った。
ちなみにこれは平成生まれの選手初の個人タイトル獲得である。

2012年は開幕一軍入りするも他の選手との併用ばかりだった。打率は.252とキャリアハイ(悲しいかな以降のシーズンを含めてもキャリアハイ)を記録したが肝心の盗塁は半分
になった上に盗塁失敗の数は前年と変わりないという状態に…(要するに成功率も半分)。そんなんだから鈴木尚広に代走されるのである。
プレーオフでは日本一を経験したもののエラー(0-0の延長12回で痛恨の落球をして無死12塁にしてしまった)したりノーヒットだったり本人は散々だった。

2013年以降は成績も出場機会も激減。打率は2割を切ってしまい、以降一軍でそれ以上に浮上したことは一切なかった。

2014年は片岡、井端が移籍してさらに内野の出られる枠を失ったので外野も試して可能性を広げようとするも8月に右わき腹を痛めてしまった。

2015年、2017年に至っては1軍出場ゼロ。

2016年は5試合6打席無安打。出塁は一回のみであった。オフには背番号0を吉川(ルーキーのほう)にとられてしまった。

そして2017年オフに戦力外通告を受け、引退を決意。以降は球団コーチを務めている。

1歳年上の坂本勇人からはパシリ扱いにされている。
2012年からは背番号が0に変更された。
藤村は「巨人の一桁の背番号は重い」と発言した。
果たして、今年からは年下の大田泰示や宮國椋丞をパシリにするのだろうか?


愛称は「ピノ」、「ピノ村」などがある。
元ネタはナムコのファミリースタジアムシリーズにおける俊足キャラクター、ピノにあやかったもの。


追記・修正はピノになってからお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • アニヲタ野球選手名鑑
  • 野球
  • プロ野球
  • 野球選手
  • コーチ
  • 読売ジャイアンツ
  • ファミスタ
  • ピノ
  • 盗塁王
  • 堅守
  • 二塁手
  • 架空
  • ピノ村
  • 愛すべきバカ
  • 韋駄天
  • 藤村大介
  • 熊本県
  • 熊本市

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2022年02月27日 13:54