クロスオーバー(創作)

登録日:2011/08/26 Fri 15:47:39
更新日:2024/01/24 Wed 15:03:47
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クロスオーバーとは、同じ設定のキャラクター等が複数の作品にまたがって登場すること。
語源は音楽・美術用語のcrossover(交差・異分野にまたがる)。



一次におけるクロスオーバー

クロスオーバーも大別して『自己作品内でのファンサービス』と『他者作品からの引用・オマージュ』の二通りがある。
そのため広義には次回作に前作主人公などが出ることもクロスオーバーとなる。

以外と古くから使われる手法で、古典や近代小説にも見られる。
有名なのは芥川龍之介の『羅生門』で、老婆が死んだ女の髪を引き抜く古典に別の古典の蛇売り女の話を合わせ、
老婆が蛇売り女の死体から髪を引き抜くなど。
現代の小説家では伊坂幸太郎などが有名。

『自己作品内でのファンサービス』では池波正太郎が古い例。
具体的にいうと『剣客商売』は『鬼平犯科帳』・『仕掛人藤枝梅安』の過去世界の話であり、『鬼平犯科帳』のゲストキャラが『仕掛人藤枝梅安』でボスになっている。
他にも栗本薫・海堂尊・成田良悟(共に現代を舞台にした作品の殆どが同一世界観)・京極夏彦(『百鬼夜行シリーズ』・『巷説百物語』・『ルーガルー』が同一時間軸)・野木亜希子・武藤将吾(『ジョーカー』『3年A組』『ニッポンノワール』が同一世界観)などがいる。


漫画では手塚治虫、藤子・F・不二雄、鳥山明などの大御所も用いる。
ただし手塚治虫の場合、ヒゲオヤジなど顔や名前が同じで役所が違う場合がほとんど。
この場合は『スターシステム』というまた別のジャンルになる。

クロスオーバーを多用する作家としてはCLAMPが挙げられる。
CLAMPの作品はそのほとんどが別の作品のどれかと世界観を共有しており、別作品のキャラクターが登場することがままある。
例えば『xxxHOLiC』は同時期に連載していた『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』とは明確にリンクしており
同じ世界に『カードキャプターさくら』のさくらの存在が示唆されている。
また、『xxxHOLiC』および『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』に登場するモコナ=モドキは
魔法騎士レイアース』の創造主・モコナを模して造られたと語られていることから、
セフィーロとも何かしらのつながりがあると思われる。
また、『ANGELIC LAYER』と『ちょびっツ』は同一世界であり、
どちらにも三原一郎が社長を務める玩具メーカー「Piffle Princess」が登場する。
ちなみにこの世界の場合、『レイアース』は「前見たことがある漫画」として登場する。


最近では七月鏡一原作&藤原芳秀作画の『ジーザス』・『闇のイージス』などがクロスオーバーしており、
たかしげ宙原作の『死がふたりを分かつまで』ともクロスオーバーを行っている。
更に七月鏡一は複数の漫画家とも積極的に連携しアメコミのような巨大な世界観によるクロスオーバーを画策しているとか。


西洋でも当然クロス作品はあり、H・P・ラブクラフトのクトゥルフ神話作品など。

ただしクトゥルフ神話作品群はラブクラフト以外の作家にも書かれ、そもそも厳密には同人作品の範疇であるため、
手法的には『神曲奏界ポリフォニカ』シリーズのように『シェア・ワールド』というのが正しい。

アメコミの場合は元々国土が広く別の場所での活動というイメージを持ちやすいためもあってか「主役ごとに世界観を分ける」という意識が薄く、スピンオフによって始まるシリーズがが多いこともあって広く行われている。

もっと古いところで行くと、中国古典ファンタジー『封神演義』と『西遊記』がある。
『封神演義』で主人公・姜子牙の両腕として活躍した楊戩(楊セン)・哪吒(ナタ)は『西遊記』でそれぞれ二郎真君・哪吒太子として登場し、悟空と戦っている。
多少呼び方やエピソードは変わっているが、露骨に意識した登場をしていた。

また、楊戩は『封神演義』中に「梅山の七妖」という七人の妖怪を倒しているが、西遊記では逆に楊戩=二郎真君が「梅山の七兄弟」の一員となっている。
さらにさらに、昔楊戩が戦った時の「梅山の七妖」は「猿と牛の妖怪を中心とした七人の義兄弟」であり、
これはそのまま西遊記の「孫悟空と牛魔王を中心とした七人の義兄弟」とそっくりだったりする。


ゲームではスーパーロボット大戦シリーズがまさに好例。

CAPCOMの『ロックマンエグゼシリーズ』とコナミの『ボクらの太陽シリーズ』も有名。
エグゼ6にはボクタイの主人公ジャンゴを召喚する「クロスオーバー」というそのものズバリなプログラムアドバンスもある。
また同社格ゲーの『○○vsCAPCOM』などもクロスオーバーの典型であろう。

任天堂なら言うに及ばずスマブラシリーズがお馴染みだろう。
自社のみならず他社のファイターが入り乱れて乱闘している様はもはやゲームキャラオールスターと言っていいほど。
亜空の使者はもちろん、各種ムービーでもクロスオーバーが楽しめる。for以降では参戦ムービーでより顕著となった。
スマブラ以外でも昔から「ゼルダの伝説」に登場するカービィやゴルドー、「伝説のスタフィー」に登場するワリオなど自社におけるクロスオーバーは多く存在していた。
近年では「PROJECT X ZONE 2:BRAVE NEW WORLD」に「ファイアーエムブレム 覚醒」から参戦したりと他者コラボに顔を出す事例も増えてきている。

アニヲタ的にはTYPE-MOONにも触れておきたいが、『Fate/EXTRA』や一部の暴走企画を除き共通人物が出るのは稀。
喫茶店アーネンエルベや教会・協会など、これら世界観が同じことを仄めかすに留めたものは『ハイパーリンク』と呼ばれる。
なお、『氷室の天地』に沙条綾香やシエルが出てくるのは
「ドリフの西遊記に、悟空や三蔵に混じってごく自然に加藤がいるようなもの」と言ってしまって、後々作者は後悔した

KADOKAWAノベライズの作品がプチキャラ化して、一堂に会す『異世界かるてっと』は同一作者や同一シリーズではなく
レーベル単位のクロスオーバーであり、珍しいタイプ。
同タイプには、読み切り一作限りだが『スレイヤーズVSオーフェン』なども存在する。

特撮ではウルトラシリーズが古くからクロスオーバー要素を取り入れている。
昭和40年代以降、全ての作品の世界は時間や次元を超えて繋がっているという設定が徐々に構築されて行き、
現在では基本的に過去作に登場したウルトラマンはどこで共闘することもあり得る世界観となっている。
2010年代以降は劇場版で過去作のウルトラマンが頼もしい助っ人として参戦することがお約束。

東映作品では平成ライダーシリーズやスーパー戦隊シリーズなどがよくやる。
戦隊で言うと、前作のキャラと共闘するVシネマ『VSシリーズ』、及び『海賊戦隊ゴーカイジャー』、
ライダーで言うと「MOVIE大戦」でお約束となった劇場版への次回ライダー出演や、それを拡大した『オールライダー』シリーズ、
及び『仮面ライダーディケイド』『仮面ライダージオウ』がある。

最も、ディケイド以降はオールライダーを濫発している節があり、旧作へのリスペクトの面で疑問を持たれている。
最も極端な例はオールライダーと全戦隊が纏めて共演する『スーパーヒーロー大戦』である。

それと、例えば水都あくあの『ミルククラウン』と『M★G★ダーリン』、マクロスFの『鳥の人』のように、
一方に登場したキャラクターが演じている設定のものは『劇中劇』と呼ばれ、個人設定が異なるのでクロスからはほぼ除外する。



二次におけるクロスオーバー


「もし○○というキャラが××の世界にいたら」という誰もが抱く妄想の産物。
パターンとしては『共通世界型』と『召喚型』がある。


『共通世界型』は、読んで字の如く「××という作品と□□という作品の世界観が実は同じもの」という(こじつけの)設定に則ったもの。
この場合、キャラクターを出すだけなら簡単だが二つの世界をいかにして統合するかがポイントとなり、作者の力量が問われる。


『召喚型』も同じくそのまま「◎◎という世界に△△の○○というキャラが呼び出されたら」というもの。
有名どころでは「ゼロの使い魔でルイズに召喚されたのが〜〜だったら」というタイプや
聖杯戦争に~~のキャラが召喚されたら」というタイプが挙げられる。
既存の世界観に放り込むだけなので簡単と思いきや、常識や場合によっては言語の異なる世界で召喚されたキャラがどういうリアクションをすとるのか、
そのキャラに対する深い理解がないとなかなか難しく、別の方向で力量が必要。
また一時期は「パロロワ」と呼ばれるバトル・ロワイアルをベースにした多数の作品がクロスする作品群も人気が高かった。
殺し合いという性質上毛嫌いする人もいる一方で、「参加者がバラバラに散らばるため気軽にクロスできる」「戦闘、交流、心理戦、裏切りなどシチュエーションの幅が非常に広く燃える展開も鬱展開も自在」
「ほとんどがリレー小説の体を取っているため敷居が低い」とエンターテイメントとしては魅力的な点が多かった。


また、まれにこれら両方を含むものもある。具体的には東方Projectとのクロス、所謂『幻想入り』である。

これが取り上げやすいのは、舞台となる幻想郷が現実世界の日本と地続きである、博麗大結界の揺らぎやスキマ妖怪の気紛れなどで外の人間が迷い込むことがある、
岡崎教授のようにその気になれば外から意図的に侵入可能という、公式の設定に由来する。



オリジナルとくらべて下地があり、作者も読者もとっつきやすい、しかも「片方だけなら知ってる」という読者を考慮すれば単純に興味を持つ人間が二倍になるなど、
一見して良い事尽くめのように見える。
しかし、実際は非常に扱いが困難な爆弾ジャンルでもある。


一つ目の理由は、上に書いたように「既存の世界×既存の別世界」「既存の世界×別世界のキャラ」のようにベースを混ぜ合わせるため、
両方の作品に対する深い造詣が必要だということ。
中途半端な知識では綻びが出来やすく、かといって取材すると時に膨大なデータで矛盾を修正する度に新しい矛盾がうまれるなど、八方塞がりに陥るなんて事もある。
特に現代ファンタジー同士を掛け合わせるとこうした壁にぶつかりやすい。日常系ならあるいは、といったところか。


二つ目に、キャラの扱いの問題が挙げられる。

作者にそんなつもりがなくとも、片方のキャラがもう一方のキャラの踏み台のような扱いになる、ということも時にありうる。
某赤い弓兵が斬魄刀やらなんやら出しまくって無双したり、
某管理局の白い魔王が桃色の閃光で全てを薙ぎ払って毎回解決したりの展開に辟易した人も少なくはないだろう。
逆にパロロワなんかだと主人公補正を嫌ったり展開の意外性を意識された結果、主人公キャラが瞬殺されたり暗殺されたりとひどい目に会いがち。

ゲーム系なら「能力の相性の関係で序盤のボスや中間管理職ポジションだろうとラスボス・隠しボス級の敵でも簡単に倒せてしまうので、この時点で誰も対抗できなくなってもう一方の作品が空気になる」というケースもこれに該当する。
例えば、艦隊これくしょん -艦これ-東方Projectのクロスオーバーを描くとしよう。
村紗 水蜜(キャプテン・ムラサ)の能力「水難事故を引き起こす程度の能力」は、性質上海上が戦いの場となる艦娘・深海棲艦には致命的に相性が悪い。この能力で両勢力共に壊滅状態にされては、文字通り「お話にならない」だろう。
結果「艦これ世界の海で暴れまわる紅白巫女・白黒魔法使いと幻想郷の妖精・妖怪たち」を見せられては、双方のキャラクターの活躍を見に来たシューター兼提督達が辟易してしまうのは不可避である。
このように「特定のキャラクターが能力と世界観の相性の関係で致命的に相性が悪い」場合は、この辺りの調整も重要になってくる。

さらに性質が悪いのは、これらを意図的に行う場合。
早い話が流行りの作品をなんとなく使ったり、キャラマンセーで他を見下していることが読んでてありありとわかるようなもの、
要は一方のキャラをメアリー・スー化する事である。
そうしたものは作者のオナニーに終始して、まっとうな評価では駄作扱いもいいとこ、
最悪ギブアップもありうるという、読者にも作者の成長にもプラスにならない誰得な結果に終わることがほとんど。

これは有名な悪例だが、ゼロの使い魔の二次創作が流行した際、異世界から人間が召喚されるというシチュエーションが使いやすかったのか、自分の好きな作品のキャラクターをルイズに召喚させてゼロ魔世界で無双させるといった展開の物が激増した。
しかしその手の作品は大抵の場合、序盤のギーシュとの決闘イベントでギーシュをボコボコにして満足するようで、そのままエタる物が殆どであった。

だが、中には上手い具合に妥協点を見出し、キャラの能力や世界観を応用して「魅せる」作品を書く作者もいる。まさに玉石混交である。

この「上手い具合に妥協点を見出し、キャラの能力や世界観を応用」するというのは、案外難しいものである。
例えば、『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』と『機動戦士ガンダムSEED』のクロスオーバーを書くとする。
馬鹿正直に描写すると、『ガンダムSEED』の世界観を優先すれば「ニュートロンジャマーの影響で作動不能に陥るジャイアントロボ」、
『ジャイアントロボ』の世界観を優先すれば「動力源の差からあからさまにパワー負けするMS群」「いつも通りの十傑衆」という、片方を持ち上げもう片方を貶す描写になりかねない。
そのため、どのようにすればジャイアントロボがスーパーパワーを発揮し、かつMSが存分に飛び回れるかに頭をひねらなければならない。

また、アメリカでの漫画業界、通称アメコミに関してはキャラクターの著作権は会社(DC、MARVELが有名)が持っているので、
公式のクロスオーバーが多数存在している。
神とか死なない奴が居る一方、強化人間だとか弓上手いだけの一般人だとか、キャラごとのパワーバランスが派手に崩れている中、どうやってそれらをマッチアップさせるのか、マッチアップしたらどうやって面白いバトルに持っていくのかというのは創作のヒントになるかも。
中でも有名なのが日本でも映画化した『アベンジャーズ』や、その延長上にある『シビル・ウォー』など。
果てには両者がDC VS.MARVEL なんていう夢の共演があったりする。
また同じ作品でもリブートやパラレルが多いので単独作品のクロスオーバーなるちょっと理解不明な作品が出てくる事も。
東映版スパイダーマッと本家スパイダーマンが共演した「スパイダーバース」なんかが代表例。

そしてMARVELとCAPCOMがタッグを組んだ結果があのMvCシリーズである。こちらはアメコミ関係ない相手とクロスオーバーしたケース。
だからって「逆転裁判」からもプレイアブルキャラが出るとは誰が予想しただろうか。いいぞもっとやれ!



二次創作でクロスを扱う場合は、通常の創作に対しn(扱う作品数)倍以上の努力と愛情、そして広い視野と柔軟な思考が必要不可欠であると言えるだろう。




また、広い視野を持つ事、柔軟な思考を心がける事、原作(メディアミックスも含める意味で)の知識・設定・展開を整理する事は、
クロスオーバーを作成する上で必要不可欠である。

原作をリスペクトする事は大切な事だが、それに執着(当然悪い意味で)するあまり、視野が狭まり頭が固くなってしまっては元も子もない。
視野は狭いわ頭は固いわでは、例えば上記のような『ジャイアントロボがスーパーパワーを発揮し、かつMSが存分に飛び回れるか』の具体的な案や物語を創れるわけがない。

情報の整理という観点では、書籍(公式ビジュアルファンブック、設定資料集、漫画、小説)の読みっ放し、アニメの見っ放し、ゲームのやりっ放し、ドラマCDの聴きっ放しは
NGと言える。ただでさえ複数の作品の情報が必要なのに、それらが碌に整理されていないのであるならば、書き手が途中で行き詰ってしまうのは火を見るより明らかである。

加えて、クロスする作品数に囚われて『一作品当たりの登場人物の数』が抜け落ちてしまうのも不味い。少々極端な例を挙げると、
A:クロスする作品数 = 5、一作品当たりの登場人物の数 = 1ずつ ⇒ 登場人物数計5人
B:クロスする作品数 = 2、一作品当たりの登場人物の数 = 50ずつ ⇒ 登場人物数計100人

AとBのうち、どちらが書きやすいと言えるだろう?(無論、状況にもよるだろうが)
Bの100人もの登場人物を、本当に描ききれるのだろうか?(いわゆる『いるだけ参戦』は当然無しで)


このように、クロスオーバーを作る上で注意しなければいけない事は、結構多い。
作成するにあたり、かなりの労力、時間、そして技量を求められる。

しかしながら、それを凌駕するだけの魅力に溢れたジャンルである事も、また事実である。



追記・修正とアニヲタのクロスオーバーがここに!!

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最終更新:2024年01月24日 15:03