池田七三郎/稗田利八(新選組)

登録日 :2012/02/21(火) 17:25:35
更新日 : 2017/03/11 Sat 22:12:33
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池田七三郎とは、新選組隊士の一人。嘉永2年11月13日(1849年12月27日)~昭和13年(1938年)1月16日。
上総国山辺郡田間村(現・千葉県東金市)の商人の三男。本名は稗田利八。

1865年、17歳の時に江戸に出て天野静一郎の道場で剣術を学んだ後、幕府の家臣であった永見貞之丞の家来となるが、
そこでの暮らしに退屈していた所、同じく家来であり後の御陵衛士である毛内有之介が新選組に入ったので、自身も入隊を決め、応募した。
ちなみにこの時は慶応3年(1867年)。土方歳三が江戸に最後の隊士募集をした時である。

なおこの時、土方は黒い紋付を着て仙台平の袴をはいた正装で挨拶をしたとのこと。







そして京に向かい、局長付見習、つまり近藤勇の小姓に任命され、二条城への出仕に同行した。
この時の近藤の姿はどうみても大名で忘れもしないほど衝撃的だったと語っている。

それから程なくして、鳥羽伏見の戦いが勃発。右わき腹に銃弾を喰らい、負傷。
さらにその後の甲州勝沼の戦いで銃弾が 顔の右半分を貫通する重傷、あるいは右半分を吹き飛ばされる重傷を負った。

何とか隊に合流した後、久米部正親と共に会津に向かい、会津戦争に参戦。
母成峠の戦いの後、斎藤一と共に会津如来堂の戦いで戦死したと言われたが、
実は久米部らと共に脱出しており、獣道という獣道を歩き回ったが、銚子警備の高崎藩兵についに捕まる。
その後、明治3年に釈放され、日本橋材木町にあった出店に戻って商人となり、昭和13年に90歳で死去。彼の死で新撰組隊士は全員鬼籍に入った。
墓は東京都港区麻布台の真浄寺にある。

昭和4年に子母澤寛の取材を受けて回顧録「新選組遺聞」を残している。


…と、最後の新選組隊士でありながらマイナーな存在だったが、浅田次郎氏の小説「壬生義士伝」では語り部の一人として登場。
ここで彼を初めて知ったという人も多いのではないだろうか。
本作では、「穏やかな隠居の爺さん」といったキャラ付けになっているが、
事情を知らず毛内がいる御陵衛士を訪ねてしまったり、また実際には参加していない油小路の変に参加しているなど小説特有のアレンジがなされている。
また顔を銃弾で吹っ飛ばされているのも史実通りで、
それを踏まえた上での「ほんとうにひとごろしをしてきたやつは、口が裂けても武勇伝などしない」、
「手柄話を平気でするやつはみんな偽者」という台詞は説得力がありすぎる。

また、「一刀斎夢録」では斎藤の家に毎年お中元を送っていたことが判明した。礼儀正しいお人である。









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