梨(駆逐艦)

登録日 :2012/06/20(水) 20:53:10
更新日 : 2017/03/18 Sat 09:08:19
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諸君は旧日本海軍の艦船と言えば何が思い浮かぶだろうか。


世界最大の戦艦である大和武蔵か、BIG7として名を轟かせた陸奥&長門、航空戦の要と駆けた赤城加賀蒼龍飛龍といった空母たちか、
はたまた駆逐艦の雪風不知火か…


おそらく真っ先に松型および橘型駆逐艦が思い浮かぶ方はほとんどいないであろう。


しかしそんな彼女らの中に、一隻だけ 数奇な運命を辿った艦がいた…








駆逐艦『梨』





起工:1944年9月1日
進水:1945年1月17日
竣工:1945年3月15日
除籍:1945年9月15日


駆逐艦「梨」は、橘型(改丁型)駆逐艦の10番艦として1945年3月15日に竣工した。
しかし同年7月28日、瀬戸内海西部の山口県光沖で回天と連合訓練の最中にアメリカ軍の空母機動部隊の空襲を受け、
後部弾薬庫にロケット弾を喰らい、柳井沖で沈没した。
ちなみにこのロケット弾を発射したのは 艦上戦闘機である グラマン鉄工ことグラマンF6Fヘルキャットであった。
このため梨は 戦闘機に撃沈された駆逐艦 というある意味不運な記録を持つ事に…
ただしこのHVARと称するロケット弾の炸薬量は21kgと米8インチ砲用榴弾の2倍以上もあり、小型艦艇にとっては侮れない威力を秘めていた。
乗組員のうち155名は僚艦の萩に救出されて一命を取り止めたが、この戦闘で60名以上の乗組員が犠牲となった。
そして梨は柳井沖に沈没したまま終戦を迎え、9月15日に除籍。
そのあまりに儚い生涯を閉じたのであった…












…かに思われたが…
なんと1956年5月







\何度だって蘇るさ!!/




彼 女 は 蘇 っ た



  • 護衛艦『わかば』(DE-261)

編入:1956年5月31日
除籍:1971年3月31日


事の始まりは1954年、スクラップにする目的で柳井沖で眠っていた梨を引き上げたところ、状態が比較的良好であることがわかり、警備艦に改装して運用する事が決定した。

この時に民間企業が保有していた梨の船体を国が高値で買い取った事が問題となり、国会で一悶着あったとか。

こうして1956年5月31日、駆逐艦『梨』は 海上自衛隊護衛艦 『わかば』として就役した。
日本海軍の艦船が海上自衛隊に引き継がれて使用されたのは、掃海艇などの小型の艦船にはいくつか事例があるが、駆逐艦は 本艦のみである。
「わかば」は当初無兵装で練習艦として就役したが、1958年の改装時に兵装や電子装置が設置された。

その後も1960年、62年、63年に度々改装工事が行われ、その都度高角測定レーダー(1967年に撤去)やソナーなどを装備。

また、1962年の三原山噴火の際には、避難民を輸送する活躍を見せた。
末期は実用実験隊に編入され、ソナーや魚雷といった新兵器の試験を行う実験艦としての役割が与えられた。
そして1971年に除籍され、75年に解体処分。

…梨の波乱の生涯はひっそりと幕を閉じた…





ちなみに改装時に取り外された

主砲の第一番砲塔と

高角砲、そして

魚雷発射管は広島県の江田島に展示されている。

「余談」

  • 末期の松型駆逐艦にはかの特攻兵器「回天」を搭載していたと言う説が囁かれていたが、本艦の引き揚げ時に回天を固定する木製の台が見つかったため回天を搭載していた事が判明した
  • 本艦は護衛艦となった時同型艦がなく、実験用の艦だった為に運用は難しかった。


  • 10年以上も機関が海水に浸けられていた為に会話すら出来ない程機関の雑音が酷かった。

  • 激戦の末に沈められた船だったので旧海軍の乗組員の幽霊が出る等の噂が多く幽霊騒ぎが起こった事もあった。

  • わかばは旧海軍の後継組織を自負する海上自衛隊が血統書代わりとして高値で買い戻して整備したという話が当時から現在まである。






追記・修正は梨を食べながらお願いします。

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