24時間テレビ

登録日:2010/08/26(木) 23:25:09
更新日:2024/04/13 Sat 21:39:21
所要時間:約24時間 16分で読めます




24時間テレビ」とは、毎年の夏休みの終盤(8月最終土曜及び日曜)に日本テレビ系列で放送される特別番組。正式タイトルは「24時間テレビ『愛は地球を救う』」。

日本初の長時間特別番組であり、当時年末年始・緊急時を除いて民放が終夜放送を行う例は非常に画期的だった。

概要

「愛は地球を救う」という副題から分かるように国内外の社会的弱者(特に第1回から一貫して寝たきりのお年寄りや障がい者への福祉援助)の救済、環境保護、海外の貧困国や地域・災害被災地への援助をコンセプトとしたチャリティー番組であり、放送の時期が近づいてくると全国規模で募金活動を中心としたイベントが催され、その様子は放送中もリアルタイムで公開される。そのため、第1回から「テレビの前のあなたが主役になる番組」というスタンスを貫き通している。

番組のイメージカラーとして黄色が使われており、番組内でパーソナリティが着用する黄色いTシャツ(通称「チャリTシャツ」)は後述する「サライ」「負けないで」とともに番組を象徴する3点セットとして知られている。
これは、第1回放送前年に公開された日本映画「幸せの黄色いハンカチ」に因んだものだが、大勢の人が集まる会場でスタッフを識別する目立ちやすい色が必要という実用的な理由もあった。
2005年以降は当時のメインパーソナリティである香取慎吾のアイデアから、黄色以外のチャリTシャツも用意されるようになったが*1、時代が下るにつれて黄色い服を身につける人が多くなったという背景もある。
チャリTシャツは一般でも購入可能で、売り上げは全額募金へと廻される。

募金方法は会場への持ち込みのほか、日本テレビ本社や協賛している企業*2でも募金を受付している。他にも銀行振り込みやクレジットカード、2020年からはQRコードや電子マネーによるキャッシュレス募金も開始している。
なお、募金に関連した詐欺が度々発生しており、日テレ側ではその注意も呼び掛けている。

現在のパーソナリティはジャニーズ事務所所属アイドルグループと女優が務めることが多い。お笑いタレントは大御所等が後述するように番組に否定的な見解を持つ人が多いため、歴代では萩本欽一やダウンタウンなどごく少数に限られている。
総合司会は日本テレビアナウンサー(OB含む)が担当する。男性の総合司会は長らく徳光和夫が務め、第1回から全て出演している皆勤賞でもある。チャリティーマラソンを行った2011年以後は司会を羽鳥慎一に譲り、徳光は「24時間テレビサポーター」として出演している。女性の総合司会は当初外部タレントやフリーアナウンサーが務めていたが1995年以後は日本テレビの現役局アナに固定され、2014年からは水卜麻美が担当。羽鳥・水卜によるコンビでの総合司会は歴代で最多回数を記録している(2022年現在)。ちなみに3人とも揃いも揃って涙もろい事を色んな番組でしばしばネタにされる。

番組は土曜夕方(日本テレビはこの時間に事前特番を会場の玄関から生放送)と日曜日の9時・12時・16時半頃に系列局が自社放送を行うローカル枠も設けられており、一部の系列局では地元出身タレント等独自にパーソナリティを起用する局もある。これ以外にも司会者の「続いてはこちらです」の一言の後に各地域での募金方法などを案内するローカル枠(日本テレビはこの時間にダーツの旅の本編から漏れたVTRやこの後のコーナーの予告、マラソンの最新の状況を流してから募金に関する告知や協賛企業の取り組みなどを紹介する)もある*3

名前のとおり放送時間は24時間にも及んでいる…という事になっているが、文字通り24時間放送したのは第1回だけであり、その後は伸び縮みを繰り返して2002年以後は現在まで基本的に土曜18:30 - 日曜20:54までの26時間30分になっている。1989年と1990年に至っては土曜12:00 - 日曜19:00という31時間の長丁場になった事もあった。なお、現在は前座・後座番組の『満天☆青空レストラン』『行列のできる(法律)相談所』の2番組も24時間テレビ特集が組まれており*4、これらを含めると事実上28時間放送となる。

会場

第1回は郵便貯金ホール(現:メルパルク東京)でオープニングを行い、他のコーナーは麹町の日本テレビのスタジオ、エンディングは代々木公園と場所を転々としながら放送した。しかし、代々木公園には人が溢れかえるほど殺到し番組中にも子供や体の不自由な人が押し寄せた観客に押されて下敷きになりかけたり迷子の子供が出たりとトラブルが頻発した。
第2回は日本青年館、第3回から第41回までは以下の例外を除き日本武道館が使われていた。1996年までは武道館に来て募金さえすれば、そのまま客席に入って翌日の番組終了まで夜通しで観覧する事が出来たが、今は警備上の問題や出待ちによるトラブル対策で事前に応募する抽選・時間別交代形式になっている。
ただし諸事情で武道館が使えない場合もあり、第14回が東京都庁舎*5、第32回は東京ビッグサイトで開催。
第42回以降は両国国技館を使用している。当初は武道館の東京オリンピックでの使用およびそれに合わせた改修工事実施のためだったが、改修工事完了以降も国技館で放送されている。

歴史

笑いあり涙ありの人々の心の温かさと善意、そして一人一人の心のこもった募金の様子…長いようで短い一日が始まる。

第1回が放送されたのは1978年。当時日テレで放送していた深夜番組「11PM」の世界の福祉特集から生まれ、「テレビを通じて何が出来るか」という理念のもと、開局25周年記念企画の一つして立ち上がった。当初はスポンサーが難色を示したこともあって局内からも反対の声が多く、1回限りの予定だったとか。
しかし集まった募金額が予想以上に多かったこともあり、当時の日本テレビの社長も実際に番組に出演して「ご支持いただくなら何度でもやります!」と宣言し、以降毎年放送されることに。
ちなみに今ではおなじみの「チャリティーマラソン」や「サライ」はこの頃にはまだ存在していなかった。第1回の総合司会は萩本欽一(休養していた1985年を除いて1989年まで毎年出演)やピンク・レディーや竹下景子のほか、「11PM」から大橋巨泉も加わった。また、大阪のスタジオからは横山やすし・西川きよしも参加した。

初回のエンディング、大橋巨泉は「(募金額の)99%が1円玉、5円玉、10円玉だと思うんですね。金額は少なくとも量は。ということは、決して豊かでない人たちが僕たちの企画に賛成してくれて、募金してくれたと思うんです。僕が言いたいのは、福田(赳夫)総理大臣を始め、政府の方、全政治家の方に、本来はあなた方がやることだと思うんです。ですから、福祉国家を目指して良い政治をして頂きたいと思います」と時の政権に訴えかけ、募金のために集まった観衆にも「お金を寄付したから終わりでは無く、一番大事なのは意識。強い者が弱い者を蹴飛ばすのではなく、弱い人たちと一緒に行く。そういう意識が大事だと思うんです。」と話して番組を締めている。

その後も24時間テレビは毎年放送されてきたが、1989年を最後に第1回から出続けていた萩本欽一が番組を降板した*6一方で、当時の人気アイドルやタレントがパーソナリティを務めるようになったり、ボランティア・福祉などの現状を考えさせられると言った趣旨のドキュメンタリーやドラマが多く、悪く言えば説教臭くも見えていた内容も年々マンネリ化して次第に募金額や視聴率が低迷。
第14回(1991年)放送では視聴率が6.6%にまで落ち込み、番組そのものが存続の危機に陥った。

そのため、翌年の第15回(1992年)からは方向を転換。
今までチャリティー番組としてのお説教臭さが強すぎるという意見が多かったこともあり、啓蒙色を薄めてエンターテインメント性の強化を図ることになる。スタッフも当時の日テレの人気クイズ番組を手掛けた「クイズプロジェクト」の面々に交代した。

そのリニューアルを象徴付けるかのようにパーソナリティに2人とも当時29歳だったダウンタウンと、なんと当時15歳だった観月ありさを起用したり、懐かしの歌謡曲から当時のヒットソングまで「愛の歌99曲」をパーソナリティ陣や電話で呼び出した有名人が、カラオケの感覚で音合わせなしのぶっつけ本番で歌い続けるというそれまでからは考えられないバラエティな番組となった。

間寛平を初代ランナーとしてチャリティーマラソンがスタートし、上記した愛の歌の100曲目及び新しいテーマソングとして「サライ」が誕生したのもこの回から。
その代わり、前年をもって大野雄二が音楽担当から降板したため、大野が番組のために手掛けた楽曲は事実上全て封印されてしまった*7

この回のエンディングでは徳光和夫が「(今までの)チャリティーは堅苦しいとか、重いとか、真面目すぎるとか、わざとらしいという声も結構あったが、今回はよそ行きではなく普段着のままで、ニコニコ顔でチャリティーに参加してもらえたのではないか」と述べている。

その言葉通り、このテコ入れが功を奏して低迷していた寄付金は前年よりも7千万円以上増加、視聴率も17.2%まで回復した。
以降はこの路線で続けていくことになり、おなじみの「24時間テレビ」のスタイルが確立したといえる。

そして2023年現在まで45回以上も続いており、募金額も40年以上の歴史で400億円を超えるまでになった。


子供の頃、全部は観られないのを承知で、テレビにかじりついていたという人もいるのではないだろうか?

自分達の少ないお小遣いが、全人類を助けられる…

強い使命感や、夢と期待に燃えて、募金した人も多いのではないだろうか?


番組に対する批判

しかし、情報の発達した現在では、批判的な意見も年を追うごとに強まりつつある。

同様のチャリティー番組は海外にもあるが、それらの例を見ると、特にアメリカのチャリティー番組はノーギャラを貫いている場合が多い。
一方、24時間テレビは出演者にギャラが発生していることが明言されており、アメリカを見習ってノーギャラにするべきだという声は根強い。

当初から番組に反発的な姿勢を示していたのがビートたけし明石家さんまであり、
特にビートたけしは自身が受け持つ「オールナイトニッポン」の放送内で、
「ヨダレ垂らした芸能人どもがめちゃくちゃ高いギャラ稼ぐくせに、これ以上貧乏人から金巻きあげんな。チャリティーっていうくらいならお前ら全員ノーギャラで出ろよ!」
と発言し、偽善番組と非難している。
番組に対するアンチテーゼとして、上述のお笑い芸人をメインに据えて生まれたのが『FNS27時間テレビ』である*8
また、かつて系列局の読売テレビで放送されていた『鶴瓶&上岡パペポTV』では阪神・淡路大震災発生直後の収録分で番組に対する批判が出たこともあった*9

反面、「謝礼があることによって結果的に敷居が下がり、芸能人側も参加しやすくなっている」「募金が集まるなら問題ないのでは」「労働に対して対価が出るのは当然であり、無報酬にこだわる事こそ危険」という肯定的な意見もある。
また、番組に出て謝礼を受け取ったものの、受け取った謝礼を全部寄付に回し実質ノーギャラで参加した芸能人もいる。
第一回放送の司会者であり、後年チャリティーマラソンの走者にも選ばれた萩本欽一は、出演を打診された際に日本テレビが提示したギャラの額を交渉によって徹底的に吊り上げ、もうこれ以上は出せないというレベルの金額を受け取った後、それを全て寄付に回したという話は美談として語り継がれている。

かつてフジテレビで放送されていた『ラスタとんねるず』内の人形劇コントにおいて24時間テレビを模したパロディが作られたことがあり、その内容は「電光掲示板に表示された募金額が状況に応じて減額される=24時間テレビでは募金から出演者のギャラを捻出している」というブラックジョーク的なものであったが、それに対して日本テレビは大激怒し、「募金は全て寄付をし、謝礼金は番組制作費から支払っている」と公式声明を発表して抗議。フジテレビは後に非を認めて謝罪した。
幸か不幸か、この騒ぎがきっかけで、24時間テレビの募金額の正しい使い道が人々に認知されることになった。
24時間テレビは社会福祉法に基づき厚生労働大臣の許可を得て募金活動・慈善活動・資金配分などを行っているため、
国からの厳しい監視を受けており、募金からギャラや経費が支払われたりすることは絶対にない。一切差し引かれることなく全額がきちんと募金されているはずだったのが2023年に募金の横領が発覚した。

他に『募金を得た団体が(募金者が想像しているような)全額を適切な活動(※適切な人件費も込み)や資金拠出に使っているか?』には疑問を抱かれていることが多い。
24時間テレビだけの問題ではないし一つの団体だけ取り上げて見ても時と場合によるのだが、法的には問題無くとも問題視される行動を取っている団体も存在する。
流石に募金を更に寄付した先まで監査しろというのは無茶なので、テレビ局側ばかり責められるような話ではないのだが…気になるのなら自分で募金先を選んだ方が良いだろう。選択肢は一つではない。
ちなみに税金が厳しいアメリカではチャリティーの寄付には税金対策という面もあるので、一概に「海外のチャリティー番組はノーギャラで素晴らしい」とは言い切れない。

一方、健常者の視点に立った御涙頂戴の方向に偏りすぎな演出で「感動ポルノ」と言われることも多く、近年批判の矛先は募金よりもこちらの方に移りつつある。

そのきっかけになったのが2016年の「バリバラ〜障害者情報バラエティー〜」(NHK教育)で、『検証!「障害者×感動」の方程式』という本作についての批評・検証を行う企画を放送。
この企画は何と24時間テレビに似せたセットを作り出演者が黄色いシャツを着用し、番組の真裏で生放送を実施するというとんでもなくブッこんだ内容であったことから大きな話題を呼び、ネットのみならず全国紙の社会面でも取り上げられた。
日テレ側もさすがにこの内容は堪えたらしく、以降一部の企画で路線変更を実施するきっかけにもなった。

しかし、この番組をキッカケに憧れのスポーツ選手に会える障害者など本当に夢を叶えている人がいたり、この番組の力で募金を得られる団体もいるのである。先述のようにエンターテイメントであり、この点については完全に中立とは言い難いが、チャリティーとしての役割を完全放棄しているわけではない。


これらの点は十分考慮する必要がある。

主な企画

チャリティーマラソン

毎回「チャリティーランナー」となった芸能人がスタート地点からゴールである番組会場までの道のり(回によって異なるがおおよそ100km前後)をマラソンする。

初代ランナーは間寛平で、1992年は新潟県の苗場プリンスホテルから200km先の武道館まで走るというものだったが、出発地や経路を全て公開してしまった結果、車や自転車で後ろから追っかけられたり、歩道や休憩ポイントに人が溢れたりとパニックが発生、さらに大雨などで体力を消耗した結果50kmを残して棄権した。それでも翌年、再び200kmに挑戦し見事武道館へゴールを果たした。この年からはそういった経緯により、スタート地点及び経路は原則非公開。それでもランナーによっては道路の渋滞・混雑が発生したということもあり、基本ルートの変更は毎年行われている。

1995年には自身も阪神・淡路大震災で被災した寛平が3回目の挑戦。今度は復興祈願として神戸→武道館の600kmを1週間で走破するというものもあった。ただ、酷暑には耐えられず放送前日の金曜日までは炎天下の日中を避けて夜通しで一睡もせず走り切った。なお、寛平さんのマラソン挑戦はこれで最後になっているが、翌1996年以降も様々な企画で「24時間テレビサポーター」として参加し続けている。

ランナーはその時々の人気芸能人や、実際にマラソンで想いを届けたい人がいるなど選出理由は様々。2022年は漫才コンビ・EXITの兼近大樹が自らランナーに立候補して選ばれている。
2023年は放送一週間前にマラソンの開催が発表され*10、ランナーは当人の意向から放送当日に発表された。

マラソンでは20:35ごろから「負けないで(ZARD)*11」、20:45以降に「サライ」が流れるのが恒例となっており、ゴールを見届けて夏の終わりを感じる人も多い。

全行程が放送されていない事から、放送してない間はロケバスに乗ってワープしているのでは無いかという疑惑が絶えなかった。
特にテロップミスで「1時間で20km進行」していた2002年にこの疑惑が表面化し、それ以降は実際に走っているかの確認のため、ネット有志による追跡班が昼夜通して自転車による追跡を行うのが恒常化している。
あくまで番組への検証という非公式の形ではあるが、最近では番組スタッフからもエールを送られたりと「追跡検証も込み」で楽しむ人も多い。

2019年はランナーが複数人でリレーして走破する方式に変更された。2020年は新型コロナウイルスの流行から公道での走行を断念し、番組兼福祉車両のスポンサーである日産自動車のテストコースをリレー形式で回る形式に変更された。2021年は前年と同じ理由と震災などからの復興を祈願するため、福島県にあるJヴィレッジで行われた。
2022年には5年ぶりとなる公道での単独マラソンが復活している。

因みにだがその手のプロは6時間強で100kmを走破する。24時間走だと290kmが世界記録。
これらと比較すると24時間で100kmというのがスローペースに感じるが、普段の仕事量からトレーニングを十分に取れないチャリティランナーを比較すること自体がナンセンスである。

スペシャルドラマ

実際に難病や障害などと闘った人の奮闘や手記などを基に作られるスペシャルドラマ。メインパーソナリティの1人が主演を務めることが多い。
前述のとおり「感動ポルノ」扱いされるせいか、2017年以降は著名人の生涯など難病・障害以外を題材にした作品が多くなりつつある。マラソンの様子がCMの前後に随時挟まれる。

チャレンジ企画

義足や義手、ダウン症などハンディを負った人達が番組のサポートを経て登山やスポーツ、歌などに挑戦する企画。
この企画には近年『世界の果てまでイッテQ!』のスタッフが関与しており、同番組のレギュラーがサポーターとして登場することが多い。

普通では達成することが難しい「夢」を叶える企画ではあるが、前述のとおり「感動(ryとしてやり玉にあがることも多い。

スペシャルアニメ

開始から1990年まで日曜日の午前中に放送されていた企画で、2時間のテレビアニメというのは世界初であった。
手塚治虫と手塚プロが番組に賛同し、毎年オリジナルの長編アニメを制作していた。そのアニメも放送当日のギリギリまで制作に追われるのが常だったという。

初回放送時には24時間テレビ内で最高の28%という高視聴率を記録し、大成功をおさめたことから以降レギュラーコーナーとなる。
また、これを皮切りに2時間枠のテレビアニメが各局で放送されるなど、テレビアニメのあり方に大きな変化をもたらしたと言えるかもしれない。

しかし、手塚先生が1989年の放送を前に亡くなったことから手塚プロごと24時間テレビから撤退し、アニメコーナーは1990年(第13回)の「それいけ!アンパンマン みなみの海をすくえ!」を最後に惜しまれつつも廃止となった。

世界記録チャレンジ

特番で放送された『徳光&所の世界記録工場』の派生企画。生放送で様々なギネス記録の更新や、十種競技に挑戦し記録更新に挑むなどの挑戦を行う。

深夜企画

深夜使用不可のメイン会場から日テレのスタジオに移り*12、バラエティ色強めのコーナーを行う。
内容はお宝映像集やトーク番組が多いが、時には番組そのものにケンカを売るような過激な企画も行われることがある。

1981年放送分ではタモリが当時同局で持っていた冠番組『今夜は最高!』をベースにした『タモリの素晴らしき今夜は最低の仲間達』という企画が放送され、赤塚不二夫とのSMショーやミゼットレスラー*13ごっこなどの企画を行い苦情が殺到し、担当ディレクターは翌年以降番組への関与を一切禁止されたという。

1992年放送分では『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』をベースに深夜の大喜利大会を実施。こちらは罰ゲームで「ヘルメットの上からチェーンソーを当てる」という企画に苦情が殺到した。担当プロデューサーのガースーこと菅賢治は以降毎年この時期に有給休暇を取るよう日テレから指示されており、事実上の出入り禁止を喰らっていたとか。

チャリティー笑点

日テレが誇る国民的演芸番組の『笑点』も内包されて放送される。
基本的な流れは通常放送と同じだが*14、2問目の前にCMが入ったりする。
当然ながらこのパートも生放送で行われる*15
1988年の5代目圓楽司会時代から開始され、最初の2年間は日本武道館の中に大喜利のセットを立てて実施していた。その後は銀座日産ギャラリー(建て替え前)、1995年からはお茶の水のJCBカード*16本社、2003年からは汐留の日本テレビ本社と場所を変え、現在は武道館に近い麹町の日本テレビ番町スタジオから放送している。
第1回のチャリティー笑点では大喜利でつまらない回答でも座布団をどんどんあげるという大盤振る舞いだったが、実はこれには裏があり、獲得した座布団×1万円を寄付するというオチが最後に発表された。
大半のメンバーが8~9枚獲得していたため明らかに嫌そうな顔をしており、これがまた視聴者から苦情が殺到することとなりすぐに取りやめとなった。

近年は女性パーソナリティが演芸・大喜利に参加することが多く、メンバー一同鼻の下を伸ばすのとたい平から次期座布団運びのオファーが来るのがお約束となっている。


―追記・修正は地球を救う

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最終更新:2024年04月13日 21:39

*1 図柄も毎年変更されており、年によってはメインパーソナリティがデザインを担当することもある。

*2 代表的なものではスーパーがあり、1984年から2004年まではイトーヨーカドー系列、2005年以降はイオングループ店頭に募金箱が設置されている。

*3 1991年以前は「チャリティーのお知らせ」というコーナー名があった。

*4 通常は事前収録だが、放送日は出演者がチャリTシャツを着用し、一部パートが生放送になる。

*5 武道館が放送前後の時期に改修工事をしていたため。この時は都民広場のステージにセットを組んだ。なお、この回は当時日本テレビが放送権を持っていた世界陸上が東京で開催される絡みから7月に前倒しとなった。

*6 とはいえ数年に一度くらいのペースで番組に出演したり、2007年にはマラソンも走っている。

*7 1992年はサライが完成前だったので、一部の系列局では番宣で使用されたが、サライがすっかり定着した現在は殆ど使用されていない。

*8 これ以外にもフジテレビでは放送日の真裏にあたる土日ゴールデン・プライムタイムの番組で24時間テレビをパロディした企画を放送している。

*9 この影響からか、以降国内で大規模な災害が発生した際は「24時間テレビ緊急募金」の告知が行われる。

*10 通常は毎年春に行われる制作発表前後に明らかにされることが多い。

*11 元々はこの番組のために作られた曲ではなく、フジテレビのテレビドラマの主題歌だった。

*12 ただし1990年までは武道館から放送していた。

*13 低身長症のレスラーのこと。当時低身長症の人間は就職口がほとんど無く、プロレスラーとして生計を立てることが多かった。

*14 ただし、開始当初から歌丸司会時代まではオープニングで先に笑点メンバーがその回のテーマにちなんだ答えで挨拶してその後演芸→大喜利となっていた。また、5代目圓楽司会時代は演芸が無かった年もある。

*15 年によってはパーソナリティチームとの対抗大喜利など事前収録分が後半に構成されることもある。

*16 番組の協賛スポンサーで、同カードを利用して募金も可能。