ダウンタウン(お笑いコンビ)

登録日:2011/05/27 Fri 09:29:03
更新日:2024/01/11 Thu 15:08:25
所要時間:約 15 分で読めます




ダウンタウンとは、吉本興業所属のお笑いコンビで、日本を代表する芸人である。
1982年にデビューし、80年代後半にブレイク。
以降30年以上芸能界で活躍している“お笑い第三世代”*1の代表的コンビの1組で、東西を問わず後世の芸人に与えた影響は大きい。

メンバー

浜田雅功

通称は浜ちゃん。またの名は子ゴリラ、前田敦子、唇お化け。
主にツッコミ担当。
ツッコミのパターンは頭を叩く、デコピン、ゲンコツ、回し蹴り、かかと落とし、頭突き、ビンタ、尻を蹴る、額を指4本で突く、ほっぺに噛み付きといった様々なバリエーションがあり、際立ってメリハリのあるツッコミが松本のシュールなボケとは対照を成す。
ただ、絵の方ははっきり言って櫻井翔やはいだしょうこらと並ぶ画伯レベル。
若い頃からMCの手腕には定評があり、個人でも幾つもの番組を担当している。
また年齢を重ねた現在でも変わらず声を張り上げる様に、思わず松本からツッコまれ苦笑してしまったことも。

先輩でもほとんど臆することなく、容赦なしにドツいたりタメ口を利いたり呼び捨てにしたりなどツッコミを入れる。
…が、それはあくまで芸の一環であり裏ではちゃんと礼儀正しいし、挨拶もするなど人格者。後述する息子のラジオにゲスト出演した際も「ハマ・オカモトさん、本日はゲストに呼んでいただきありがとうございました」と丁寧な感想を残している。
意外にも後輩への面倒見が良いらしく、松本曰く「本当に悩んでる奴は浜田に相談する」、馬場裕之(ロバート)曰く「楽屋の中の浜田さんは優しい浜田さん」と語っている。

生粋のドSとして知られており、「生まれながらの超ドS芸人」という二つ名がある。
実の妹を濡れタオルでしばき倒したり、同級生が留守だったためノコギリでドアを破壊して勝手に中へ侵入したりなど、幼少期から青春時代まで恐ろしいエピソードがわんさか飛び出してくる。
ドツきは所謂芸風の1つであり、意図的に殺伐な雰囲気を出して松本を含む共演者を萎縮させることもある。
『ごっつ』の収録時に遅刻した今田や東野をドつき回したことが度々語られていたが、本人曰く「先輩方の手前、自分が世話をしている若手が遅刻して示しを付けなければいけなかったとのこと。
…ただしその一方、今田やほんこん(蔵野)に理不尽な暴力を振るっているのでやっぱり単なる性癖かもしれない。
『ガキ使』でもイキり期だったのか挨拶の無かった品川をドツいたこともあったが、その後もゲストには起用している。

…しかし近年はキャラが丸くなってきたこともあってか、持ち前の天然や老眼に代表される老化現象ネタをイジられることも少なくなくなった。

本名の濱田雅功名義で『明日があるさ』『龍馬におまかせ!』『検事・鬼島平八郎』などのドラマで俳優としても活躍。
各種アーティストとコラボしてのシングル曲が複数存在し、代表作としては
  • 小室哲哉とのデュオ『H Jungle with t』での『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』(ミリオンセラー、紅白出演*2
  • 槇原敬之と共に歌唱した『チキンライス』
  • ガキ使の企画できゃりーぱみゅぱみゅをパロディした「浜田ばみゅばみゅ」での『なんでやねんねん』(中田ヤスタカ筆頭に本家スタッフ監修)
  • 出前館の歌
が挙げられる。
美声ではないのかも知れないが本人も自負するように音域が高く、カラオケ企画等でも歌うのが難しい高いキーの曲でも声が出せるのが強みである。

実生活での趣味はAV観賞。しかし愛妻家*3

アメリカンカジュアルに造詣が深く、ジーンズはフラットヘッドやヴィンテージリーバイスなどを愛用していたりする。
知名度の獲得と共にファッションセンスへ注目が集まり、90年代には浜田のファッションを真似た“ハマダー”が流行。時を経て『水曜日のダウンタウン』でハマダーが生き残っているのかを検証されたこともあった。
スポーツ好きで、プロ野球関連だと選手側とも後述の経緯で知り合った星野伸之を筆頭にイチロー石井一久などとも仲がいいが、本人は長らく巨人ファンと公言していた。
しかし、2006年オフに仁志敏久を横浜に放出したことで巨人ファンを辞めてしまったという。本人曰く「抜けたと思ったところにいるんですよ。球団は何度助けられたかわかってへん!」とのこと。
後に『ジャンクSPORTS』で仁志と初対面した時には、平身低頭でプレゼントを受け取っていた。

また、シュレックヤドキングの声も当てている。
なお、ヤドキングの声をあてた際に描いたヤドキングのイラストはポケモンカードゲームのプロモカードとして配布され、効果も浜田に因んだものがあったりする。
ヤクザ系のものを好み、それ系の雑誌などを読んでいるほか1991年にはヤクザ映画の主演も務めた。
「ンナッハッハッハッハッハ」
とサル8匹分の声で笑う。

妻は女優の小川菜摘。「なつみ、生きとったんかワレ」の元ネタの人と覚えよう。
この小川とある番組で共演していた女性タレントが後に星野伸之との結婚がきっかけとなり、星野とは家族ぐるみでの交友がある他、自身の番組『ごぶごぶ』でもオリックス・バファローズのコーチを務めていた星野の元を訪れるという企画をやったことがある。
ちなみに、訪れた先には自主トレ中のイチローもいて浜田にイジられようがほとんど喋らなかったものの、浜田と東野が別に訪れた飯屋に現れ、収録前の日に貰った「お年玉」のお返しかユンケルを置いて帰っていった。

息子は3人いて、内1人はOKAMOTO'Sのベーシストであるハマ・オカモト。
親子で共演した『ラブレター』という曲でレコーディングの際、「うぃっすー^^」と挨拶した息子に激怒した。「30年やっててそんな挨拶、松本にだってされたことない」とのこと。
前述のように根が礼儀正しいため躾には相当厳しく、息子たちが小さい頃の子育ての様子は「浜田刑務所」とネタにされていた。

また、番組の企画構成をしたり映画にも挑戦している松本に対して、個人でできる活動以上のことはしない(意訳)と発言していた。

母校は当時日本一のスパルタ校として有名で、当時の映像がネタMADとして使われることもある全寮制の学校『日生学園』の第二高校で、その時のエピソードが壮絶すぎて松本に「刑務所か!」などとツッコまれている(今は普通の学校らしい)。
ちなみに、そんな学校に送られる羽目になったのは上述の青春時代のやんちゃが過ぎて「ヤクザの世話になるか日生学園か」で親が悩んだからとのこと。
そんな高校でも、最終的には副寮長にまで昇格し卒業している(同校の後輩だった今田耕司は1年の秋に脱走、後に退学した)。
しかしその浜田にも脱走の経験はあり、松本に金持って迎えに来てくれと連絡してきたという。
この際の立ち食いうどん屋で「腹へってたんでしょうね。熱々のうどんを一すすりで食べた」は、この話題が出た時の松本の定番ネタになっている。


松本人志

通称は松ちゃん、またの名を「尼崎の黒光りピータン」「金髪ゴリマッチョ」。

主にボケ・ネタ作り担当。ロシアのスパイ疑惑がある
非常にシュールで独創的・即興的な発想力による笑いのスタイルを持つ。
ダウンタウンでのネタ作りは松本が行い、番組を任されてからは自身のレギュラー番組や舞台などには出演者としてだけでなく、番組の企画・構成を行い制作にも積極的に関わる。
M-1グランプリを筆頭としてお笑い賞レースに関与する機会が多く、自らも大喜利大会・IPPONグランプリをチェアマン名義で主催している。
ネタでは上記のようにボケだが、タレントとしては的確な喩えツッコミ等で場を沸かすタイプである。
様々な人物やメディアから「天才」と評されミュージシャンや俳優、作家などにも多くのファンを持つ。
相方・浜田と同じく多くの人々から受け入れられる汎用性がダウンタウンの強みだが、松本自身の笑いの志向はややマニアックで笑いには「悲哀」が込められているものと語るなど、ともすれば前衛的な方向へ向きたがるのが節々から滲み出ている(そのため、その方面の笑いで才能を発揮する板尾創路には身内ながら嫉妬していた時期もあった)。
後の映画にも、そうした一般には理解し難いであろう松本ならではの美学が反映されている。

「大日本人」「しんぼる」など映画監督としても活躍。2011年6月には3作目「さや侍」が公開された。評価は前述の理由からか賛否両論。
後に庵野秀明と対談した際は「映画作りはエネルギーを使う」「何を作っても批判される事が嫌になっていった」と、ビートたけしとの対談では「自分は映画があまり好きではなく、バラエティのほうが好きだということに気が付いた」今後映画を作る可能性自体は否定しないまでもそこまで前向きではない様子を見せている。
「サブい」「スベる」「逆ギレ」といった言葉を定着させたのはこの人。

昔は不健康なイメージがあったが、中年期に入った辺りから現在までに色々と変化してきた。髪型がリーゼントだったがある時突然坊主頭になり、近年は銀→金髪頭に。
その上現在はトレーニングに精を出し、Tシャツ姿でムッキムキの上腕二頭筋を見せたりもしばしば*4
このため『水曜日のダウンタウン』の企画内で外国人を対象に「松本と浜田、どっちがゴリラに似てる?」という調査を実施されたところ、圧倒的に松本へ票が入った。

ゲーム好きでもあり、特に任天堂の『マリオ』『ピクミン』シリーズを好んでいる様子で宮本茂氏とも対談していた。
他にもガキ使のトークで開口一番「ドンキーコング64は面白いですねえ!」と発言したり、週刊ファミ通に載っていた知識を披露したことも。
特番内で腕に自信のある『ぷよぷよ』対決を行なったこともあるがスタジオの空気のせいで実力を発揮できず、「パジャマに着替えてコタツでやらせて」と要望を出した。
『リンカーン』にて好きなゲームを紹介する企画で、他レギュラーが『ギャラガ』『ファミスタ』など子供の頃の思い出のゲームや『みんなのゴルフ』『マリオカート』のような一般にもよく知られる作品を挙げる中、『ワンダと巨像』を紹介して一人浮いたことも。
特撮好きとしても知られており、特にウルトラセブンの大ファン。
なんでも幼い頃に観て衝撃を受けたらしく、度々関連インタビューに答えている。
『リンカーン』の企画でローラにTwitterを始めさせられてからは発言が注目される機会も増え、吉本の闇営業問題の際に発した「芸人たちは不安よな。松本、動きます」の一文はちょっとしたブームを巻き起こした。

長らく独身だったものの、2009年に地方女子アナとデキ婚。
これがきっかけで『放送室』やガキ使のフリートークを終わらせたとも言われている。
現在では親バカとしても知られるようになった。

2024年1月に前月に報道された週刊誌記事を巡り訴訟提起を表明。同時に「今の状況ではお笑いに集中することが出来ない」として、当分の間芸能活動を休止することを発表した。

意外に思われがちだが両者とも下戸であり、酒がらみのエピソードは極めて少ない。

来歴

2人は尼崎市立潮小学校からの友人であった。
※出会いは幼稚園。
実際に同級生となりつるむようになったのは中2からだというが、2人の同級生で構成作家として長年に渡り一緒に仕事をしている高須光聖と共に松本は浜田の実家に入ることを許された、気のおけない友人の1人であった。
高校は浜田が日生学園、松本が尼崎工業高校に進むが、その間も交友があったのは前述の通り。
高校卒業後、競艇選手の試験に落ち仕事も決まっていなかった浜田が、印刷工場の内定が決まっていた松本を誘って1982年4月、吉本の芸人養成所『吉本総合芸能学院(NSC)』に入学。NSC大阪校1期出身(漫才コース選択)となる。同期はトミーズ、ハイヒール、内場勝則など。
コンビ名は当初「松本・浜田」「ひとし・まさし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」と変遷していたが、
1983年5月、浜田が喫茶店で何気なく開いた雑誌に偶然記載されていた「ダウンタウン」という文字が由来となり、現在まで続く「ダウンタウン」となった。
その後も知名度を上げて言ったが、1987年4月、毎日放送が関西ローカルで制作した初の看板番組『4時ですよ~だ』でブレイク。
1988年10月からはウッチャンナンチャン・清水ミチコ・野沢直子と共に深夜番組『夢で逢えたら』に出演、少しずつ全国的知名度も上げていく。
1989年10月には、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』が関東ローカルで開始。
そして1991年に始まったゴールデンでのコント番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』によって国民的な人気を得る。

ただデビュー当初は養成所出身ということで、当時漫才師といえば師匠がいるのが当たり前だったが故に冷遇されることも多かった。横山やすしから「お前らの漫才はチンピラの立ち話」と痛烈なダメ出しを受けたのは有名な話*5
そして、先輩の島田紳助がその実力をいち早く見抜いていた*6
紳助は当時無名の若手だったダウンタウンの漫才を見て、「これからはダウンタウンの時代が来る。自分達は彼らに敵わない」と悟り、85年に漫才コンビ「紳助・竜介」を解散するに至った。
紳助の見立ては的中し、ダウンタウンは数年後にブレイクを果たすこととなる。

東京進出後は同時期に心斎橋筋2丁目劇場および吉本新喜劇で活動していた芸人(今田耕司・東野幸治・130R(ほんこん/板尾創路)・木村祐一)を招集し、自らの冠番組内のレギュラーとして出演させた。これらのメンバーは「ダウンタウンファミリー」と呼ばれ、二人の理不尽なしごきに耐え、いずれも芸能界の第一線で活躍することとなった。リットン調査団というアングラ芸人を忘れてはいけない。

浮き沈みの激しい芸能界、しかも同じお笑い第三世代の中でも今なおコンビでゴールデン・プライムタイムの番組でMCを務め、それぞれピンでも人気番組を持つ貴重な存在。タレントとして長続きしている理由として、高須光聖は「時代毎に少しずつスタイルを微調整しており、それが上手くハマっている」と分析している。全年齢層からの知名度もあり、2025年に開催予定の大阪・関西万博のアンバサダーにも就任した。

吉本の芸人以外では欽ちゃんこと萩本欽一もその才能を見抜いており、「4時ですよーだ」でブレイクする前の1986年に東京での初レギュラーとなる「欽ドン!」のレギュラーに抜擢した。共演者には細かい演技指導を行うことで知られる欽ちゃんだが、二人には番組内で好きなように振舞わせるようにした。その理由は「(指示をしても)聞かなさそうだから」。これは、二人には好きなことをさせたほうが伸びしろがあるという判断したもので、後に松本は「あの頃にそういう判断をした欽ちゃんはすごい」と畏敬の念を抱いている。
このことから欽ちゃんとの共演も多く、「欽ちゃんの仮装大賞」にもいち参加者として出場している(芸能人の参加者はダウンタウンが初めて)。

このほか、「てなもんや三度笠」等を手掛け、関西演芸界の生き字引として知られた香川登志緒はいち早くその才能を見抜いており、当時審査員を務めていた「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」では唯一2人に握手を求めたという。この時ダウンタウンは結成わずか3ヶ月の出来事だった。
香川は後年ダウンタウンに対し「昭和16、7年にいとしこいしが登場してきたときと同じ衝撃を受けた」と語っている。

2023年までの吉本興業トップ3役(大崎洋・岡本昭彦・藤原寛)は全てマネージャーとしてダウンタウンの担当実績があった。
大崎は駆け出しの頃に2人を見出し、遊び仲間としても接しつつ二丁目劇場を立ち上げて2人を送り出すことに貢献。
岡本は90年代のガキ使において「ブリーフの貴公子」という人気キャラでもあった。
藤原はガキ使を中心にダウンタウンの番組で進行役を務めることもあり、「笑ってはいけない」でお馴染み。



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最終更新:2024年01月11日 15:08

*1 少し上のとんねるず、『夢で逢えたら』で共演したウッチャンナッチャン等同世代の芸人たちを指した俗語。ちなみにこれから逆算し60年代にデビューした芸人や喜劇系の面々が「第一世代」で、70年代デビュー組や『オレたちひょうきん族』組を「第二世代」と呼ぶようになった。

*2 シークレットゲストとして松本もゲイシャガールズに扮して出演。

*3 某グラビアアイドルとのひと悶着があった際には、菜摘曰く「伸ばし切った羽をバキバキに折られた意気消沈ゴリラ」と比喩されながらも許してもらえた。…その浮気相手が嫁はんの若い時に似ていると評されたのも要因かも?

*4 ちなみに体重およそ70kgだが、ベンチプレスは140kgをマークしているとんでもない膂力の持ち主。例を挙げると筋肉芸人と知られるなかやまきんに君でさえベンチプレスの最高記録は20代の時にマークした135kg。

*5 ただし、当時に披露していたネタは「父親を殺す」という内容の漫才で、お昼の時間帯にやるネタとしては過激すぎるという意味で注意したもの。また短気で知られるやすしにしては、珍しく丁寧に諭すような語り方をしていた。

*6 当時は紳助を筆頭にさんまやオール阪神・巨人等の現役芸人がNSCの講師をしていたが、皆が揃ってすごい生徒としてダウンタウンの名を挙げていたという。