トウカイテイオー(競走馬)

登録日:2011/08/18(木) 15:31:42
更新日:2024/02/19 Mon 06:41:58
所要時間:約 7 分で読めます




91年 日本ダービー

七冠の父のプレッシャーに勝った

トウカイテイオー

天才はいる 悔しいが


──2011年 JRA 日本ダービーCMより

トウカイテイオーは、日本の競走馬。
幾度もの故障と挫折を乗り越え、競馬界の頂点に立った不屈の名馬である。
ウマ娘 プリティーダービー』におけるトウカイテイオーはこちら→トウカイテイオー(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】


父:シンボリルドルフ
母:トウカイナチュラル
母父:ナイスダンサー
馬主:内村正則氏
調教師:松元省一
通算成績:12戦9勝
主な勝鞍:皐月賞 東京優駿 ジャパンカップ 有馬記念

【悲劇の名牝】


トウカイテイオーの誕生から遡ること51年。
1頭の牝馬が東京優駿大競走―――日本ダービーをレコードタイムで制した。
牝馬のダービー勝利は日本競馬の歴史上初めてのことであり、その走りは「無人の野を行くが如く」「空を駆ける豪脚」と讃えられた。
同じく牝馬の身でダービーを制し、JRA顕彰馬となったクリフジでさえも敵わないと激賞された至高の名牝。
その名をヒサトモという。

……しかし、ヒサトモの末路はあまりに悲惨なものであった。
繁殖牝馬としては凡庸な仔しか出せず、ついには病気で繁殖能力を喪失。
戦後の混乱の中で競走に復帰させられ、酷使の末に倒れ伏し、そのまま息を引き取ったのである。
ダービーを制した至高の名牝は、人の都合に振り回された悲劇の馬としてその名を記憶されることになってしまったのだった。

そして、ヒサトモの死から20年近くが経った1966年。
ヒサトモの第四仔であるブリユーリボンの仔、トツプリュウが1頭の牝馬を出産する。
この牝馬がひとりの馬主を動かし、競馬界に数々の奇跡を引き起こすこととなる。


【名牝の血脈】


トツプリュウの仔は当時気鋭の馬主であった内村正則氏に購買され、トウカイクインの名を与えられた。
この時点でもうヒサトモの系統は断絶寸前だったが、トウカイクインは中央競馬で通算6勝という上々の結果を残す。
これによって内村氏は競馬に深い興味を抱き、そしてトウカイクインの曾祖母―――ヒサトモの存在を知った。

「この系統は、いつかきっと大物を出す」

内村氏は私財を投じ、ヒサトモの血を引く牝馬を買い集めた。悲劇的な最期を迎えた名牝の血が、再び日本競馬の頂点を極める日を夢見て。
その情熱は10数年の後に結実。トウカイクインの孫であるトウカイローマンがオークスを制し、内村氏にクラシック制覇の栄光をもたらした。
そして、トウカイローマンの引退レース―――新潟大賞典からトウカイテイオーの物語はスタートする。


【無敗の二冠馬】


トウカイローマンの引退にあたり、内村氏はひとつの夢を思い描いていた。
無敗でクラシック三冠を制し、「皇帝」と称された七冠馬、シンボリルドルフとの交配である。
種付けの権利も確保し、あとは無事に引退するだけ……だったのだが、なんとトウカイローマンはこの新潟大賞典を2着と激走。
引退は冬まで延期となり、せっかくの種付け権が宙に浮いてしまった。
内村氏は思案の末、代役を立てることを決定。トウカイローマンの半妹であり、一足先に繁殖入りしていたトウカイナチュラル*1に白羽の矢が立った。

そして1988年4月20日、北海道新冠の長浜牧場。
いくつもの奇跡と偶然が重なった末に、トウカイテイオーは生を受けた。
当初は華奢な体つきで見栄えも悪く、それほど高い評価は受けていなかったという。

そして2歳(当時)になった頃、トウカイテイオーはちょっとした事件を起こす。

130cmもある柵を飛び越えてしまったのである。

一歩間違えば骨折、最悪予後不良の事態だったが、当の本人は怪我するどころか元気よく走り回り、そして何事もなかったかのようにまた柵を飛び越え、
放牧地に戻っていった。
並外れた柔軟性とすさまじい瞬発力を兼ね備えていたからこそできた芸当であろう。

その後のトウカイテイオーは順調に育ち、松元省一調教師の元に預けられた。
松元師はこの馬ならクラシックを狙えると確信し、出入りの装蹄師も「ダービー馬が来たな」と口にしたという。
トウカイテイオーもその期待に応え、皐月賞までの4戦を無敗で、しかも鞭を一発も入れずに完勝。
本番の皐月賞では、重賞未勝利にもかかわらず3歳(当時)王者イブキマイカグラを抑えての1番人気に支持された。
レースでは先行策を取り、直線早めに抜け出して押し切る横綱相撲で完勝。
鞍上の安田隆行騎手*2は記念撮影の馬上で人差し指を挙げ、事実上の三冠奪取宣言を行った。
続く日本ダービーも直線大外から抜け出し、レオダーバンに3馬身差をつけての完勝。
見事に無敗の二冠馬となった。

ダービーの勝ちっぷりは父馬シンボリルドルフをも上回るものであり、親子による無敗のクラシック三冠達成はもはや確定的とみられていた。
年末の有馬記念においては最強古馬メジロマックイーンとの対決も見込まれ、ファンの期待は膨らむ一方であった。

……しかし、ダービー勝利の僅か3日後、陣営から絶望的な発表が成される。

「左第3足根骨骨折・全治6か月」

帝王の身体を苛む、終わりのない苦難の始まりであった。


【墜ちた天才】


翌1992年、骨折の癒えたトウカイテイオーは大阪杯から始動。
この頃安田騎手は調教師試験へ挑戦するためテイオーと騎乗タイミングを合わせづらくなっており、秋以降の海外遠征に備える意味も込めて、鞍上は海外経験の豊富な岡部幸雄騎手に乗り替わった。
レースはまたも鞭を使わずの完勝。大目標である天皇賞(春)に向けて上々の滑り出しを見せた。

天皇賞(春)ではついにメジロマックイーンとの対決が実現。
岡部騎手が「地の果てまで駆けていく馬」と語れば、メジロマックイーンの主戦騎手を務める武豊騎手が「こっちは天まで昇っていく馬」と反駁。
レース前から大いに対決ムードが盛り上がった。

当日はトウカイテイオーが単勝1.5倍の1番人気。メジロマックイーンは単勝2.2倍の2番人気となった。
……しかし、レースはメジロマックイーンの圧勝。
トウカイテイオーは直線失速し、メジロマックイーンから10馬身近く離されての5着に終わった。
無敗の二冠馬が味わう初めての敗北であり、そして初めての明確な挫折であった。

とはいえ、京都3200mの天皇賞(春)がメジロマックイーンに向いた舞台であったことは間違いなく、松元師も敗因は距離の壁と断じた。
宝塚記念での再戦を望む声も多かったのだが、レース後に両馬共々骨折が判明。
その後も互いの状況が嚙み合わず、結局この2頭が再びレースで相まみえることはなかった。

トウカイテイオーは同年の9月に復帰。
調整が思うようにいかず、天皇賞(秋)は前哨戦なしのぶっつけ出走になってしまう。
レースではメジロパーマーダイタクヘリオスが作り出した1000メートル57秒という殺人的なハイペースに折り合いを欠き、
掲示板すら外す7着に敗退する。

この時点で、トウカイテイオーは「もう終わった馬」と見なされるようになった。
度重なる故障と府中2000mでの無様な敗戦は、トウカイテイオーの力落ちを示すに十分な説得力があった。
無敗の二冠についても、「世代のレベルが低かっただけ」と言われるようになっていた。
さすがにこれは暴論としても、一度の敗北で心を折られ、力を発揮できなくなった馬は枚挙に暇がない。
数多ある前例と同じように、トウカイテイオーもこのまま消えていくものと思われた。

……しかし、墜ちた天才の反攻は、ここから本番を迎えるのである。


【天才の証明】


1992年11月29日。
この日は日本競馬にとって特別な一日となった。

「世界に通用する強い馬づくり」を目標として設立された国際招待競走、ジャパンカップ。
この年よりジャパンカップは国際G1に指定され、世界中から強豪馬が集結していた。
イギリス二冠牝馬のユーザーフレンドリーを筆頭に、英ダービー馬のドクターデヴィアスとクエストフォーフェイム、オーストラリアの年度代表馬レッツイロープなど、
レース史上最高とも言われるメンバーが揃い踏みする中、トウカイテイオーは日本馬の総大将としてレースに臨んだ。

……もっとも、これはトウカイテイオーの実力が評価されたからではない。
この年のジャパンカップ出走馬の中でG1を複数回勝利している日本馬はトウカイテイオーのみであり、言ってしまえば「消去法」で大将に祭り上げられただけであった。
単勝オッズは屈辱の10.0倍、5番人気。外国馬による上位独占は確実で、日本馬の出番はまず考えられない。
せめて無様な姿だけは晒してくれるなというのが、かつてトウカイテイオーに夢を見たファンたちの本音であったかもしれない。

レースが始まると、トウカイテイオーは4~5番手をスムーズに追走。
直線馬なりのままで位置を押し上げ、残り200mで一気に加速。最内に進路を取ったオーストラリアのG1馬、ナチュラリズムに馬体を併せる。
激しい叩き合い。残り50m。
名手岡部の気合に応え、トウカイテイオーはライバルからクビ差抜け出し、栄光のゴールへと飛び込んだ。

トウカイテイオー、復活の勝利。
日本馬のジャパンカップ制覇は父馬シンボリルドルフ以来の快挙であり、同時にトウカイテイオーは日本競馬史上初の国際G1馬となった。
もう終わったとさえ言われた馬が、海外の強豪から日本の看板を守り抜き、世界一の称号を勝ち取ったのである。
あまりにも鮮やかな復活劇にファンは酔いしれ、挙って賛辞を贈った。

挫折から這い上がり、再び頂点を掴む。
トウカイテイオーの物語は、このまま大団円を迎えるものと思われた。

……しかし、運命の神はトウカイテイオーにまたも苦難を与える。


【暗転する運命】


凱旋出走となった有馬記念
もはやトウカイテイオーの実力を疑う声はなく、当日は単勝2.4倍の1番人気に推された。
岡部騎手が騎乗停止となっていたため、鞍上が田原成貴騎手に乗り替わるハプニングこそあったが、追い切りの動きは非常によく、
勝利に向けての不安要素はないものと思われていた。

レースが始まると、因縁のメジロパーマーとダイタクヘリオスがまたも爆走。
トウカイテイオーをマークする他馬を尻目にガンガン飛ばし、15馬身以上のリードを取って直線に入る。
粘るダイタクヘリオスを競り落とし、メジロパーマーが脚を伸ばす。いち早くエンジンをかけ、追い上げにかかるレガシーワールド。
前半の貯金を最大限に活かし、メジロパーマーはハナ差粘り込んでグランプリを制圧した。

トウカイテイオーは見せ場なく後方に沈み、11着と大敗した。
挫折から這い上がり、頂点へと舞い戻った天才が、再びどん底へと叩き落とされた瞬間であった。


【奇跡の復活】


トウカイテイオーは宝塚記念での復帰を目標とし、鹿児島県の牧場で休養を取る。
しかしレース直前、通算三度目となる骨折が判明。
復帰は年末の有馬記念にまでずれ込んだ。

この年の有馬記念はメンバーが揃い、トウカイテイオーを含め8頭のG1馬が出走するという豪華な顔ぶれとなった。
かつて主戦を務めた岡部騎手はトウカイテイオーを見限り、当年の菊花賞馬ビワハヤヒデを選択。
代わりにトウカイテイオーの手綱を取ったのは、昨年の同レースでコンビを組んだ田原騎手であった。
当日はビワハヤヒデが単勝3.0倍の1番人気。
1年ぶりの出走となったこともあり、トウカイテイオーは単勝9.4倍の4番人気に甘んじた。

……「豪華な顔ぶれ」と書いたのだが、実情は少し異なる。
当時はまだ秋競馬で4戦以上を使うのが当たり前であり、多くの馬が使い詰めで有馬記念に臨んでいた。
特にジャパンカップ組の出来落ちは酷く、悪い意味で「どれを買ったらいいかわからない」と嘆くファンも多かったという。

そうした中でただ1頭、全身に闘志を漲らせ、元気一杯にパドックを闊歩する馬がいた。
馬場入り後も弾むような脚取りを見せ、自らの調子の良さを大観衆に見せつけた。
以下に、解説を務めていた有名競馬評論家の発言を引用する。

「喜びに満ちた、いい返し馬をしていますよ」

……果たして何人のファンが、その言葉を真剣に受け止めていたのだろうか?

レースでは昨年の覇者メジロパーマーがやはり爆走。
ビワハヤヒデは4番手、トウカイテイオーは6番手につけて折り合い、レースを進めた。
直線に向いたところでメジロパーマーは失速。ビワハヤヒデが堂々先頭に立つ。
誰もがビワハヤヒデの勝利を確信した瞬間―――

「外の方から、トウカイテイオーも来ている!」

赤い帽子に鹿毛の馬体。
もはや復活できようもなかったはずの馬、トウカイテイオーが力強く脚を伸ばしてきたのだ。
粘るビワハヤヒデの外側から馬体を併せ、不屈の帝王が猛然と加速する。

「ビワハヤヒデかトウカイテイオーか!?」
「ダービー馬の意地を見せるか!?」
「トウカイテイオーだ!トウカイテイオーだ!!」
「トウカイテイオー!!」
「奇跡の復活ッッ!!」

トウカイテイオー、奇跡の復活。
中364日という超長期休養を乗り越えてのG1勝利である。
中山競馬場は歓喜の渦に包まれ、アナウンサーの堺正幸氏は「こんなコトがあるんでしょうか」と讃え、
鞍上の田原騎手は人目をはばからず涙を流した。

翌年も現役を続行したが、四度骨折を発症。
これ以上パフォーマンスを維持し続けることは不可能と判断され、結局レースに出ることはなく引退が決まった。
東京競馬場で行われた引退式には10万人を超えるファンが集結。
当日はかつて皐月賞で破った同期生、シャコーグレイドが3年10ヶ月ぶりの勝利を飾り、ライバルの引退に華を添えた。


【引退後】


引退後は社台スタリオンステーションにて種牡馬入り。
シンボリルドルフの後継としての期待はもちろん、今や貴重となったバイアリータークの父系を繋ぐ存在としても注目を集めた。
競馬シミュレーションゲーム「ウイニングポスト」シリーズにおいてはトウカイテイオーを父とするスーパーホース、サードステージが実装され、ファンから人気を博した。

しかしサンデーサイレンス産駒の猛威もあって種牡馬としては苦戦し、後継はクラウドファンディングで種牡馬入りを果たしたクワイトファインのみ。
牡のG1勝ち馬はトウカイポイントとストロングブラッドの2頭がいるが、前者は現役中に気性改善のため、後者も乗馬転用に伴い去勢してしまった。
クワイトファインも母父ミスターシービー・母母父シンザンと三冠馬3頭分の遺伝子を持つロマン血統で注目を集めたものの、
種付け数はごく少数に留まっており、父系の継続は困難とみられている。
牝馬の筆頭は阪神JFを勝ったヤマニンシュクル。
トウカイテイオーの血統は現代日本競馬の主流からやや外れており、アウトブリード配合においては非常に使いやすいため、牝馬の父として存在感を発揮することが期待される。

母父としては2018年にオーストラリアでブレイブスマッシュ*3がG1馬となり、現地で種牡馬入り。
日本でも2009年にヴィーヴァヴォドカ*4がフラワーC勝利によって重賞初勝利するもその後は成績不振、繁殖入りするも活躍馬を出せず2017年に用途変更後は行方不明。
2019年にシングンマイケル*5が中山大障害を勝って障害G1馬となったが、2020年の中山グランドジャンプ中に急死してしまった。
2023年にレーベンスティール*6がセントライト記念を制し、新馬戦で2着の苦汁を舐めさせられた*7ソールオリエンス*8に一矢報いた形となった。

なお、馬術競技用の乗馬としては父譲りの柔軟さが高く評価され、トウカイテイオー産駒が重宝されていたりする。
最後の産駒であるキセキノテイオー(2014年生)も乗馬として用いられていたが、2021年に種牡馬入りを最終目標として門別競馬に登録。
だが2022年現在未だ勝利できずと厳しい状況である。

関係者の評価、そしてファンからの人気は極めて高い。
ヒサトモから続くドラマ性ある血統、優れた容姿、無敗でクラシック二冠を制した天才性―――そしてなにより、
挫折のたびに輝きを増して復活する姿が圧倒的な支持を受けた。
G1勝利こそ4つ止まりだが、その才能は父馬になんら劣るものではなかったとされる。
度重なる故障により、順調な競走馬生活を送れなかったことが大いに悔やまれる。

引退後も一般公開・展示が行われる機会が非常に多く、長きにわたってファンから愛され続けていた*9が、
2013年に心不全で死亡。
皇帝と帝王の血を繋ぐ第三の王者が生まれてくれることを、ひとりのファンとして願いたい。

【創作作品への登場】


父シンボリルドルフが作者のお気に入りという事もあって出番は多め。
初登場時こそ親子で出演したTV番組で互いにそっけない態度を取って司会を困らせたりしていた*10が、
出番を重ねるうちにどんどんめんどくさい性格になっていく父親に振り回されがちな常識人キャラに落ち着いた。

  • 『優駿たちの蹄跡』(やまさき拓味)
無印と「新」で2回もメイン回を貰っている……のだが、無印では田原騎手が、「新」では写真家の今井壽惠氏が実質的な主役という扱いであり、テイオー自身はいまいち影が薄い。

  • 『優駿劇場』(やまさき拓味)
第38回有馬記念回の主役として登場。
かつての英雄との本気の勝負を望むビワハヤヒデの主導によって、他の出走馬から野次の集中砲火を浴びせられることとなる。
だがテイオー自身は度重なる故障を受けて「走れるだけで幸せ」の境地に至ってしまっており、奮起するどころか逆に凹んでしまう始末で、ライバルたちを一度は失望させる。
しかし、凹んだ結果「勝負する気が無い自分が一緒に走るのは皆にとって迷惑」と思い悩み、馬群を出れば誰にも迷惑をかけない」という斜め上の結論に到達。
唯一空いていた前方に抜け出した結果、意図せずして逆転勝利を掴んでしまった。
ちなみに本作において最後まで勝つ気が無かったのに勝ってしまった主役馬は彼だけである。
天才はいる。悔しいが。

生徒会長のシンボリルドルフに憧れる明朗快活な後輩キャラのウマ娘。
「才気あふれるワガママな王子様」といった感じの女の子。
アニメ2期では主人公に抜擢され、栄光と苦難に満ちたその生き様がピックアップされることに。
OPでビワハヤヒデを抜くシーンは色んな人にあの有馬記念を想起させたとかなんとか。
詳しくはトウカイテイオー(ウマ娘 プリティーダービー)の項目を参照。

第38巻に、おそらくこの馬をモチーフにした「ダリルビシェット号」が登場。
名前の由来はおそらく当時活躍していたメジャーリーガーの「ダンテ・ビシェット」だろうか。
4年前の皐月賞を取ったがその後怪我で休養する事になる。
右足を怪我をし戦意も果てたこの馬だったが、彼を慕っている少年が怪我をしたことで、医者であるKAZUYAに「乗れ」と目で訴える。
そして見事な走りをするのだが、KAZUYAがその際にビシェットがかばっているのは左足だと気付く。
その後少年は無事一命を取り留めるが、KAZUYAはそのままダリルビシェットの手術も開始
左後ろ足の巨細胞腫の為に血行障害を起こしたのが怪我の原因と見抜いたのである。
その後は体調は万全であるがどうにもタイムが伸びなかったが、件の少年がビシェットの「癖」を見抜く、そのまま宝塚記念に出場し…あの時勝利した「皐月賞」の再現、ラストの末脚による大逆転勝利を狙う。

ちなみに彼のライバル馬としてライスシャワーがモデルと思わしき「パワーアクター」も登場した。




追記・修正はサードステージに勝ってからお願いします。

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最終更新:2024年02月19日 06:41

*1 ちなみにナチュラルの父ナイスダンサーは、テイオーの同期ナイスネイチャの父馬でもある。

*2 後に調教師となり、カレンチャンやロードカナロアなど短距離GI馬を多く輩出する

*3 父トーセンファントム・父父は二冠馬ネオユニヴァース

*4 父ダンスインザダーク

*5 父シングンオペラ

*6 父リアルスティール

*7 未勝利戦を勝つも怪我によって実績を積めず皐月賞・ダービーは未出走、ラジオNIKKEI賞も落としており、ここで勝てなければ菊に出走し勝ちでもしないと条件戦を勝ち上がってOP入りを目指す必要があり、怪我で数か月棒に振ったことがあることを考えれば得策ではなかった

*8 父キタサンブラックはリアルスティールとは同期でクラシックから古馬まで何度も戦ったライバルであった

*9 しかし、テイオーは結構人間を舐めているところがあったらしく、見学しにきた人に対してよくケツを向けていたらしい。「さすが帝王、媚びないやつだ」と好意的にとらえる人もいたようだが。

*10 元ネタは武邦彦・豊親子が徹子の部屋で交わしたやり取り。