七段目(古典落語)

登録日:2012/10/02(火) 15:50:33
更新日:2024/01/09 Tue 19:08:29
所要時間:約 4 分で読めます




七段目とは古典落語の演目の一つ。
原話は、初代林屋正蔵が1819年(文政2年)に出版した笑話本『たいこのはやし』の一遍である「芝居好」。


【あらすじ】

芝居マニアの若旦那、家業そっちのけで芝居小屋に出入りしているうちにすっかり歌舞伎一色に染まってしまい、芝居の真似ばかりしている。

その日も、若旦那が出て行ったっきり帰ってこないので、頭に来た大旦那が小言を言ってやろうと待ち構えていると、そこへ若旦那が帰ってきた。

ところが若旦那、大旦那の小言も芝居で茶化してしまう。
あきれた大旦那、若旦那を二階へ追い払うが二階でも芝居を始めてしまう。閉口した大旦那、小僧の定吉に止めてこいと命じる。
ところがこの定吉、若旦那に負けないくらいの芝居好き。
二人で芝居をやろうということになってしまう。



「忠臣蔵の七段目」をやることになり、若旦那が平右衛門、定吉がおかるになって始めたが、役になりきった若旦那、目がやばいことになってくる。
そして平右衛門がおかるを殺す場面でついに感極まり、役のために持っていた刀を抜いて、定吉を斬ろうとする。
驚いた定吉、階段のてっぺんから落ちてしまう。そこに大旦那が駆けつける。

(爺Д大)「おい、定吉、しっかりしろ!」
(ヽ^ゝ^) 「ハア、私には勘平さんという夫のある身…」
(爺Д大)「馬鹿野郎。小僧に夫がいてたまるものか。また芝居の真似事か。さては2階であの馬鹿と芝居ごっこをして、てっぺんから落ちたか」
(ヽ^ゝ^) 「いいえ、七段目。」

おあとがよろしいようで。


【解説】

この噺にでてくる他の歌舞伎については調べてもらうにして、一番重要な「仮名手本忠臣蔵七段目」について解説する。

【忠臣蔵とは】

浅野内匠頭長矩が江戸城・松の廊下で高家の吉良上野介義央に斬りかかる傷害事件が発生。
幕府の沙汰で浅野が切腹し、赤穂藩が取り潰されるも吉良側に大した処罰は下されず、不満に思ったのが赤穂藩の旧臣たち。
家老の大石内蔵助良雄を頭とする浪人、いわゆる「赤穂四十七士」が吉良邸を襲撃し、仇を討つまでのストーリーはよく知られている。
が、この一連の事件、正式には「元禄赤穂事件」という。

この事件を人形浄瑠璃や歌舞伎で演じるときの題名が「仮名手本忠臣蔵」であり、「忠臣蔵」とはそこからきた言葉である。
仮名手本とは四十七士をいろは四十七文字に見立て、忠臣大石内蔵助を「忠臣蔵」としたという説が有力。

【七段目のあらすじ】


ざっと七段目の内容をいうと、

主君が切腹し、藩がつぶされたにもかかわらず、祇園遊びばかりしている由良助(大石内蔵助がモデル)。
同志の説得も知らんふり。同志が斬ろうとするが、おかるの兄・平右衛門に止められる。
この平右衛門も由良助を説得するが失敗。敵方(高師直)の九太夫にどうなのかと聞かれてもはぐらかしてそのまま寝てしまう。
その後、息子が主君の側室からの密書をもってくるが、それをおかると九太夫に見られてしまう。
仇うちを諦めていないことを知られたと思った由良助、急におかるを身請けするといって行ってしまう。
おかるには勘平という夫がいたが、そこに帰れると喜んでいるところに平右衛門がくる。先刻のやりとりについて話すと、

(門Д平)「手紙を読んで顔をみかわした後、じゃら、じゃら、じゃらつかせて身請けの相談。おお、読めた!」

と、由良助の真意を悟った平右衛門、同志となるためおかるを殺そうとする。
驚くおかるに夫(勘平)が死んだことを告げると今度はおかるが自殺しようとする。そこに

(助Д由)「敵を騙すにはまず味方から」

というように由良助が現れる。
そのままおかるに九太夫を殺させ、平右衛門を仲間にいれるのだった。

という内容である。実際の大石内蔵助も周囲の目をごまかすために遊びほうけていたという逸話がある。
噺ではこの平右衛門がおかるを殺そうとするシーンで、あまりになりきっていた若旦那が刀を抜いてしまっている。








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最終更新:2024年01月09日 19:08