京急2000形電車

登録日:2012/01/10 (火) 12:06:47
更新日:2018/05/14 Mon 13:56:33
所要時間:約 3 分で読めます




京急2000形電車とは、1983年に京浜急行電鉄が導入した電車である。
1998年から2000年にかけて2ドア車から3ドア車に改造され、クロスシートからロングシートと、クロスシートの混合に車内も改造された。
京急の保有している車両の中では一番加速性能が悪いが、高速域での加減性能が優れているため、あまり問題にはならない。
また、京浜急行電鉄で初めて客用扉に両開きを採用した車両でもある。

8両編成と4両編成がある。

当形式は、非常に運命を翻弄された電車と言っても言い過ぎではない。

デビューした車両「2011~18」編成は、東急車両と川崎重工の折半編成という、異例な車両であった。以後はそれぞれ単独で製造されている。
品川~横浜間では、当時国鉄の有料特急をぶち抜く光景が幾多にも見られ、
京浜東北線のホームにいる乗客からは、羨望の眼差しを受けていたという逸話まである。
そして、京急で初めて自動密着式連結器が取り付けられ、近年に繋がるKQクオリティの礎を築いた。
(デビューから15年間は、2000形同士でしか、連結できなかった)

ところが、1998年に後継の2100形電車がデビューした翌年、2ドア車から3ドア車への格下げ改造工事が行われた。
自社線内快特が泉岳寺発着に切り替えられてからは、朝夕ラッシュ時以外は8両編成は車庫にいる状況となってしまった。
その後はエアポート急行が創設されたため、主に新逗子発着のエアポート急行で活躍している。
(なお、4両編成は普通電車から増結用として、現在でも重宝されている)
なお、格下げ改造時に塗装も優等列車用(赤い車体に窓周りが白の塗装)から一般車用(赤い車体に窓下の白い細いライン)に変更されてしまった。
名実共に優等列車から格下げされたということか…。

その後、2013年1月に「2000形デビュー30周年」を記念して2011編成がリバイバル塗装ということで登場当時の塗装へ戻されることとなった。
さすがにドア数まで戻すのは無理だったが、記念乗車券も発売されるなど話題になっている。

そんな車両も時代の流れには逆らえず、2012年から廃車が発生。
4両編成は2016年までに全車引退し、翌年以降は8両編成も1000形の増備に合わせて次々と運用から外されていった。
そして2018年3月15日、2061編成の運用終了により一般塗装の車両が全車引退。
2018年3月28日、最後に残ったリバイバル塗装の2011編成が運用終了し、2000形が全て引退した。

この引退に合わせ、2018年3月25日に特別貸切列車「ありがとう2000形」が運転された。
この際、ブルーリボン賞受賞記念ヘッドマークを模した「ありがとう2000形」のステッカーが作られ、運用終了まで取り付けられたまま使用された。

また、この2011編成は2018年1月に「賀正」の文字が入ったステッカーが取り付けられた。
同編成品川寄りの先頭車が「2018号」であることで、それに合わせて付けられた模様。

なお、この車両より早くデビューした800形より先に引退するということになってしまった…。
とはいえ、そちらも4ドア車ということがホームドア設置の障害になっているため、引退も時間の問題か…。

■エピソード
  • 初代1000形、700形(当時)、800形を除く各形式と連結させるため、連結器の電気接点を変更させ、他形式への連結を実現させた。

  • 二代目1000形ステンレス車と当形式との連結は、車齢差四半世紀以上という現代では珍しい連結で、
    よく「親子ほどの差がある」と話題になるが、安全面では全く問題はない。

  • 都営浅草線へは乗り入れできないにも係わらず、一度だけ泉岳寺に乗り入れた。
    当形式は前面に非常口がないため、この際、東京都や国土交通省から厳重注意を食らい、記録も抹消された。ちなみに本家Wikipediaでは触れられていない。

  • 今上天皇が皇太子時代、横須賀へ視察なされた際、帰りの東京への足に、この形式が使われた。


追記・修正は電気接点を柔軟に変えられる人にお願いします

この項目が面白かったなら……\ポチッと/