真田幸村

登録日 :2009/09/17(木) 12:39:25
更新日 : 2017/09/11 Mon 18:21:05
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注意:この項目では戦国武将について記載されています。
漫画、小説、ゲーム等での真田幸村についてはそちらに該当する項目を読むようにして下さい。



真田幸村-さなだ ゆきむら(本名…真田信繁-さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。(1567-1615)

永禄10年とされる生年は没年の49歳から逆算されたもので、月日は不明。


本名の信繁(のぶしげ)は、武田信玄の弟・武田信繁の名を是非にと父・真田昌幸が信繁の息子に言って使わせて貰った名であるため 改名はしていない。


●「真田幸村」の由来
講談などの影響で「真田幸村(さなだゆきむら)」の名で広く知られているが、
信繁直筆の書状を始め、信繁が生きていた同時代の史料で「幸村」の名が使われているものは存在しない。
架空の名前だがかっこいい名前のためか幸村のままになっている。
例えるなら三国志の張益徳(張飛)が張翼徳とされているような感じである。

幸村という名前の初出は1672年の軍記物語「難波戦記」と言われる。
江戸初期、真田家は徳川家を苦しめた記録を残すことを遠慮しており、
当時、「昌幸の次男」の名前は記録に残っておらず、
真田家の通字「幸」と姉「村松殿」の「村」を組み合わせて創作されたと言われている。
真田家の公式記録が編纂されたのは「幸村」の名前が広まった後の江戸中期以降。
  • 1633年の『慶元記 大阪夏冬両陣始末』も現存する版では「幸村」
  • 1695年の『滋野通記』に信幸の言葉として「高野山蟄居ノ折カラニ幸村ト改シト物語有リ」と書かれる
  • 幸村直系の仙台真田家伝来の系譜『滋野姓海野氏真田氏略系』にまでも「幸村」と記載
等々、信繁ではなく幸村という名前が色々な公式記録に採用されるという事態が起きた。

●六文銭
旗印である六文銭(ろくもんせん)は、冥銭を表しているといわれている。
冥銭とは、亡くなった人を葬る時、棺に入れる六文の銭の事で、三途の川の渡し賃のこと。
これを旗印にすることは「不惜身命」(ふしゃくしんみょう:仏法のために身命をささげて惜しまないこと)を意味するといわれている。

真田家の家紋は正しくは六連銭(ろくれんせん)であるが、幸村の名前と同じく誤って流布している。


●真田幸村としての活躍


真田幸村(さなだ ゆきむら)とは江戸時代以降に流布した、小説や講談における真田信繁の通称。
「第一次上田合戦」(信繁はこの戦いに参加した証拠が無く、上杉家に人質として入っていた可能性が高い)、
関ヶ原の戦い」の前哨戦である「第二次上田合戦」で、真田十勇士等の忍者軍団を使い大活躍し、その後「大坂の役」でも奮戦。
大坂夏の陣で家康の本陣に突撃を敢行して家康を恐怖のどん底におとしめるも力尽き、討死。

一説には秀頼を擁して大坂を脱出し、薩摩へ落ち延びたとも東北へ逃げたとも言われる。

浪漫の塊である。


ゲームでの活躍

現在までシリーズとなっている作品のみ記述する。
いずれにしても赤い甲冑を着た熱血漢の若いイケメンとして描かれておりどちらの作品でもまるで主役のような扱いである。


●戦国無双シリーズ
CV:草尾毅
戦国無双シリーズを通しての主人公的存在であり、戦国無双4では兄・信之もPC参戦。
同じ無双シリーズである三国無双の趙雲とは、共にジャケットを飾る事が多い事からか無双OROCHIのOPで共闘している。


●戦国BASARAシリーズ
CV:保志総一朗
ゥヲォヤカタサムァァァァッ!! 」で有名な人。やたら熱血&愛すべきバカ。アニメでは本格的に人間を辞めてきている。最近は影が薄めで窓際に近づいている。
保志氏迫真の演技も光る。


●仮面ライダー電王-俺、誕生!-
陣内智則が演じる。
神の路線を使い、戦国時代にタイムスリップしてきた牙王と半ば強制的に手を組まされた。
ここでは前述の様にイケメンではない。


●パチンコ-花の慶次-
「一本気大将!真田幸村!」
といえば打てば誰でも見れるリーチ。

「人間には、触れちゃならねぇ"痛み"ってもんがあるんだ…」

「そこに振れたらあとはもう命のやり取りしか残っちゃいねーんだ!」
「冗談じゃねぇぞ!コノヤロォォオオー!!」

全く期待出来ないが、幸村リーチで2R当たりだった場合は確変確定。

原作では慶次の馬、松風をくれとせがんだが一蹴される。
あまりにしつこいので慶次は似たような馬をあげた。
喜んでた

沙霧編での茶会は涙なくしては語れない、ストーリーリーチにしてほしいくらいである。


●信長の野望シリーズ
大体真紅の赤備にイケメンと通例だが、リアル路線なゲームゆえに若干渋い強面になる。
最近の作品では常時騎馬適性Sに加え、統率と武勇、そして知略がトップクラス で、戦闘用の数値を一人で満たす野戦上手。

けど政治は弱い。

漫画での活躍

●真田魂、作者は重野なおき
髪の色は母親譲りのやんちゃな人物




●実際の真田信繁(幸村)

信濃国小県郡(現在の長野県上田市辺り)にて、真田昌幸の次男として生まれる。

若い頃は父・昌幸の指示で各地で人質生活を行っており、目立った活躍はない。
しかし別に遊んでいたわけではなく、豊臣家に馬廻衆として仕えて1万9000石の知行を得ていたことも判明している。

関ヶ原の戦いでは第二次上田合戦に参戦した責任により父と共に紀州九度山に流されているのだが、何とこの地で子供を作っている。
流罪なのに何やってんだあんた。

大阪の陣に参加するまでは無名に近く、真田入城の知らせを聞いた家康が狼狽して「安房(父・安房守昌幸の事)か、否か」と問うたが、息子と聞いて安堵した程。

しかし昌幸の息子だけあり、一廉の武将では有ったようで冬の陣では南面に出丸を作って防備の欠陥を補うなどしている。

夏の陣では後藤又兵衛基次と奇襲・挟撃を行なう筈だったが、霧の為合流に失敗。基次ら有力な将を多く死なせてしまっている。

最終的には小数精鋭を率いて家康の本陣へ突撃を敢行。
決死の覚悟を帯びたその突撃は守りを突破して2度本陣に迫り、徳川軍どころか家康すらも恐怖させたと言われているが、
家康を討ち取ることはできず、討死。休息中に討たれたらしい。
この直前に家族を内密に白石城当主片倉小十郎に託し、宮城県の矢附村(現蔵王町)に避難させていた。
蔵王町には子孫の墓が梅の木の下にまだ現存している。

家族は村で塾を開いて生活をしていたと記録されている。

大坂時代は敵方への内通(甥が参戦していた)を疑われたり、作戦を提案しても中々採用されなかったりと苦労したとされる。
が、真田衆の内輪としか関わり合いを持とうとしなかったため、中間管理職の毛利勝永は大変頭や胃を痛めていたとも言われている。

ちなみに、幸村の勇猛振りを讃えた『真田日本一の兵』は島津忠恒が言ったとされる有名な言葉だが、
忠恒本人は大坂の陣での信繁の活躍を 見ていない。
この時の忠恒は兵站に失敗して夏の陣に盛大に遅刻し、家康の所までダッシュしてスライディング土下座したら逆に同情されて褒美として馬を貰い、その後薩摩に帰っただけである。
ちなみにコイツ、あろう事か冬の陣の時にも船の手配を間違えて大遅刻をやらかしている。それ故に歴史ファンからは「そんな奴の言った言葉に信憑性も説得力もねーよwww」と一蹴される事もある。



彼を取扱った作品


司馬遼太郎『軍師二人』(後藤基次とのダブル主役)

池波正太郎『真田太平記』(1985年NHKドラマ化、主演:草刈正雄)

NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年放送・脚本三谷幸喜、主演:堺雅人)




追記・編集、お願い致します。

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