戦略爆撃

登録日:2011/09/06 Sun 23:18:23
更新日:2024/04/11 Thu 11:07:21
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戦略爆撃とは読んで字のごとく、航空機等による戦略的な爆撃のことである。

では「戦略的」とはどういうことか? これは戦争の目的を考えると理解できるだろう。
国家間の戦争の最大の目的は、相手国に自国の主張を認めさせることだった。

そのためには相手の抵抗する力、要するに軍隊をけちょんけちょんにぶっつぶして、反抗できないようにしたらいい。

のび太ジャイアンに毎回ひどい目にあわされるのも、のび太がジャイアンに抵抗する力をもっていないからだ。
第二次大戦以前までは、世界のジャイアン(列国)たちは周辺ののび太(植民地)にブイブイ言わし、さらに他のジャイアンに対抗するための戦力を保持していた。


時は変わって……。
チョビヒゲ総統閣下がヨーロッパでそのジャイアンっぷりをいかんなく発揮していたころ、アメリカで1人の男が現れる。

後に某チョビヒゲ総統閣下を自殺に追いやり、とある極東の帝国を焦土にしたその男名をハロルド・L・ジョージと言った。

彼は言った。

「これから野球の試合あるんだけど、絶対負けらんないから、相手チームの移動中にバスごとぶっとばすわ」(一部要約)

この概念は当時にしてみればかなり異端だった。
それまで戦争に勝つためには、兵隊をひっ連れて、敵の兵隊と対峙し、ハデにドンパチやってフルボッコにすることが必要だと考えられていた。


しかしジョージの打ち出したこの理論はそんな正々堂々(?)な考えではなく、いわゆる「戦わずして勝つ」と言ったものだった。
有り体に言えばすごくセコい上に残酷な手段である。…が、バカ正直に戦争して自国が余計に傷つく位ならという一理も確かにあった。

だが、WWⅠで生まれ、ジョージが拡大したこの戦略は、革新的で魅力的ではあったものの、
当時ヨーロッパ戦線への介入に乗り気ではなかったアメリカは、容易に受け入れなかった。

まず第一に、ジョージの理論を実現させるために十分な装備を配備するには、莫大な予算が必要だった。
いずれアメリカと敵対すると読んでいたドイツも、その情報を知ったとき「なに言っちゃってんのこの脳筋」と相手にしなかった(後にこの脳筋は実現させるのだが)。


そしてなによりも、ドイツがバトルオブブリテンでのイギリス空爆で、思ったより戦果をあげれなかったことが追い討ちをかける。
ドイツがB-17やB-29のような本格的な重爆撃機を保有できず、数なら揃えられる軽爆撃機のJu87Ju88He111で行ったせいもあるが、
そもそも工業地帯の制圧を戦略目標に掲げた訳ではなく、1940年秋に予定されたゼーレーヴェ作戦で制空権を奪取する必要性に急遽迫られたためであり、
更には途中でロンドン爆撃へ重点を移した影響で当初の戦術目標すら達成できず防空体制の再編を許してしまったことから失敗は避けられなかった。


ともかく、爆撃だけでは戦争に勝てない。勝つ為には陸軍の侵攻が必要不可欠であり空軍は陸軍の補佐に専念するべきである。
ジョージの理論は、このような従来の戦略に打ち勝てなかった。


しかし、1941年。
なにを思ったか某極東が通信障害によりハワイに事実上の奇襲攻撃を吹っ掛けてしまう。
それに逆上したアメリカは、それまでの不介入の方針を百八十度ひっくり返し、地球の裏表2方面での戦争に突入していくことになる。

急遽戦略を立てねばならなくなったそんなアメリカで、ジョージにチャンスが回ってきた。
「基本戦略を速攻で作れ」と大統領直々に命をうけた彼は、暖めてきた自らの理論で戦略を組み立てた。結果、アメリカは大戦に完全に勝利することになる。


戦略爆撃は、相手の「軍隊」を破壊するのではなく、相手の「国家そのもの」を直接破壊する攻撃である。
そのため、攻撃対象となるのは、行政中枢、製鉄所、製油所、鉄道網、港湾施設など……。

当初はそれらをピンポイントで狙う精密爆撃を行ったのだか、
「こまけーこたいいんだよ。勝てばいいんだ勝てば」カーチス・ルメイさんの東京大空襲あたりから無差別爆撃に変わる。


さらに実験的に落とされた原子力爆弾や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の登場で、都市そのものを地上から消滅させる大規模なものになった。

故に、現在では戦略爆撃を行えば人類滅亡が確実であり、そうでなくとも民間人をも巻き込む攻撃であることからほぼ行われることはないとされている。





○補足

♪戦略爆撃の誕生
世界初の戦略爆撃はWW1にて。
ドイツがイギリス本土にツェッペリン飛行船を投入、爆弾を投下したのが始まり。
その後、制空権など現代空軍理論を作ったイタリア軍人、ジュリオ・ドゥーエがその基本的な定義を作ったとされる。
所謂「総力戦」が起きたWW1だからこそ、戦略爆撃は誕生したと言える。


♪通常兵器に於ける戦略爆撃の限界
WW2にて、連合軍はドイツにも戦略爆撃を行ったが、ドイツは地下工場を造って対抗。
結果、ドイツの生産量は減るどころか逆に増えた。

このことから上記の通り核を用いて爆撃しない限り戦略爆撃だけで敵国を屈服させることは出来ないというのが定説となる。

これは戦争が終わった後に公表された情報であり、戦略爆撃至上主義を採っていた連合軍に衝撃を与えた。

なので現在アメリカ軍では、敵国を屈服させるのにいちいち核爆弾を投下してられないので、
戦闘攻撃機によるピンポイント爆撃からの戦車投入のコンボを採用している。


♪ミサイルの登場
WW2が終わり冷戦がスタート。
そして、ドイツを分割統治した米ソはV-2ロケットを始めとしたミサイルの原型となるデータを入手!

ロンドンが大変な事になったことは、米ソ両方とも知っていた。

こんなお手軽な運搬手段は無い。爆撃機や護衛機のパイロットを危険に晒さずに敵地で野糞出来るからである。

そこから、
  • 核ミサイルならば相手を焼け野原にするのが楽ちん☆(ゝω・)v
  • でも相手持ったらヤバいよぉ><
という考えに行き着くのは容易。

そこで米ソ両国は攻撃用・防衛用ミサイルを開発することに! ここから両国の覇権を賭け、凄まじい開発レースが始まる。
理論面でも開発が進み、様々な戦略論争が展開された。

しかし、ミサイル頼りも間違ってポチッてしまう危険性があった。
ウォールステッターなど戦略理論家はこうした危険性を指摘後々自爆機能が付いたがそれも機能しない恐れや、肝心のマジ攻撃にドカンといったら大変である。

そうこうして、結局戦略爆撃機の開発も続けられ、ツポレフTu-160や、B-51などの名機を生んだ。
防空体制の整備で超音速飛行や高々度航行しても被害を抑えるのは不可能となったが、戦略爆撃機を飛ばすことは軍事的プレゼンスの展開に好都合だったのである
(自国から出られないICBM、平時でも自身の位置は暴露できない潜水艦と違って、敵国付近まで移動して威圧を掛けられるのは空母と戦略爆撃機の強みである。
 また戦略爆撃機による定期的なパトロールは、ICBMの先制攻撃で戦略爆撃機群を飛行基地ごと蒸発させることを不可能にしており、報復戦力としても機能した)。


♪現在
爆撃機は勿論、ミサイルもステルス化し、空を飛んでる間も撃ち落とされないように工夫をしている。

しかし、核兵器による戦略爆撃は現在では大人の事情でやらないことになっている。

なので通常兵器による戦略爆撃がメインになるのだが、残念ながらこちらも大人の事情でやらないことになっている。

戦争は政治に弱いのである。

しかし、世界大戦のように総力戦になれば話は別。紳士協定でも結んでいればこの限りではないが…………。




追記・修正しないと戦闘攻撃機でピンポイント爆撃されます。


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最終更新:2024年04月11日 11:07