ドーバー海峡横断部(ウッチャンナンチャンのウリナリ!!)

登録日:2012/02/01(水) 03:01:43
更新日:2024/02/09 Fri 19:29:15
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これはかつて日本テレビ系列で放送された『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』でのコーナー名及び番組内で作られた部活。1997年7月に創部。

その名の通りイギリスとフランスの間にあるドーバー海峡をイギリスからスタートし、泳いでフランスへとゴールするのが最終目的。
横断は6人でのリレー方式(1人1時間泳ぐ)で行い、残りのメンバーは同行する船で待機。
距離は最短で約33kmだが潮の流れの影響で泳ぐ距離は約60kmまで伸びる。
尚、横断するには協会の許可を得なければならない。
横断の際にはウェットスーツを着用した上での水泳は基本的には禁止されており、もし使用したら協会から横断したと認められなくなる。
ワセリンを身体に塗るのは許可されている(但し防寒効果はほぼ無い)。

ドーバー海峡を横断するには長時間の遠泳だけでなく夜の海やクラゲなどの恐怖、
自分が泳ぐ番までの船酔い(約5時間)にも耐えなければならず容易に横断出来るものではない。
企画内でもそういった面を克服する特訓も行われた。
ドーバー海峡の水温は夏でも約16度(水風呂以下の温度)と低く、水温に耐える為にある程度の脂肪を付けるのも重要。


他にも芸能人という職業柄、仕事上の関係で練習や日本の遠泳大会の出場に差し支える場合もある。

ドーバー海峡横断は1999年8月31日、16時間37分の時間をかけて成功。
(泳ぐ順番は内村→濱口→神尾→藤井→堀部→ウド→内村の繰り返し、横断途中の順番変更は不可)
終わってみれば述べ2年以上も続いた長期企画であった。



●部員(☆はドーバー海峡横断時のスイマー)
☆内村光良
ドーバー海峡横断部部長。
ドーバーに対する情熱は誰よりも負けない色白熱血部長。泳力は県大会出場の経験があるため部内では非常に高め。
館山遠泳大会出場時、39度の高熱を出すアクシデントに見舞われながらもなお出ようとしていた。(部員の説得により辞退、勝俣が代わりに出場した)
部員思いな一面も見られ、入部テストの途中で失速した藤井、部の存続を懸けたテストでのウドのペースを上げるべく横で一緒に泳いだ。
当時鍛えていて体脂肪率が低かったのもあり、寒さが弱点。


☆ウド鈴木
創設部員。女性が大好きで美女(千秋以外)が絡むとがぜんやる気を出す。最初は平泳ぎすらまともに出来なかった。
練習を重ね実力も付いたが、途中練習の怠慢で全盛期の力が出せなかったことが原因で部の存続を懸けたテストが行われる。
このテストの直前に意中の女性に振られた。
夜の海が苦手で本番前の練習では10分しか泳げなかったが船酔いには強い。
また、腹回りがたるんだぶっちゃけだらしない体系だが、皮下脂肪のおかげで寒さにもそれなりに強い。


有野晋哉
創設部員。
開始当初相方濱口より海が似合う男として呼ばれた。今では考えられないだろう。
ウド同様平泳ぎが出来なかったが特訓の末、内村に次ぐ実力(濱口を含めた部内ナンバー2)を持った。
だが長時間の船酔いに耐える自信がないという理由で退部。


◇勝俣洲和
創設部員。創設部員の中で一番海に似合ってそうな人。当初はクロールか犬かきでしか泳げなかった。
だが練習の怠慢が目立ち、収録をバックレた事もある問題児でもある。
後に本番ではパニクって大事故になるかもしれないと言い退部。
でも当時の相方である堀部のドーバー部入部に一役買っており、スイマーとして参加したいと打ち明けた堀部に「甘くないよ」と忠告しつつも彼の特訓に付き合っていた。


◇藤崎奈々子
1mも泳げず、顔を水につけれないのに何故か謎の自信を持つ女子部員。
特訓により泳げるようになるが、後に足が付かない海が苦手という弱点も発覚。
沖縄合宿で海を克服するも、クラゲの恐怖と太るのを嫌がり退部。
勝俣・有野・藤崎の退部でドーバー部は危機に陥り、1999年1月31日までに6人揃わなければ解散の条件が出されてしまう。


濱口優
有野の相方で親が漁師と海女。性格改造セミナーを受ける企画で生まれ変わったのをきっかけに入部。
入部当初は息継ぎが下手で、無理に泳ぎ続けて呼吸困難に陥りドクターストップをかけられたことがある。
だが練習の日を重ねるに連れ内村を越える実力を付け一時は部内のエースだった。
この企画が後の『いきなり黄金伝説』の活躍に繋がった。
意外にも船酔いが弱点。
実戦に向けた訓練では、海流を再現した冷水プールでの練習中にあまりの寒さから意識朦朧状態になり、危うく溺れかけたことがある。
そのとき練習場に居た堀部が異変に気付いて声を掛けたため大事には至らなかったが、「(プールの壁面ガラスから見えるように設置された)タイマーの数字が赤からどんどん白くなっていくように見えた」と語り、居合わせていたメンバーは冷水の恐ろしさを再認識することとなった。


◇宮本和知
元巨人軍ピッチャーで濱口と同じく親が漁師。
家族という守るべきものがあったがドーバー部の熱意ある直接勧誘を受け入部。
この事を娘に相談したら「パパやめて 死んじゃうよ」と言われた。
しかし途中松葉杖を使う程の怪我を負い、部内順位決定戦の時には松葉杖を取っていたが、
怪我は完治しておらず遠泳出来る状態ではなかった。(30mが限界)
自分が欠けたら人数不足でドーバーへの道が途絶える事実に後日、彼は意外な答えを出した……


☆堀部圭亮
最初は鬼コーチでドーバー海峡を自ら視察する等して部を影で支えてきたが、
部員募集の期限最終日に「ドーバー部の救世主」として内村達を呼びだし、鬼部員となる。
実はドーバー海峡視察ロケの際に横断に参加したいという思いを抱き、相談役・勝俣を除いたドーバー部に秘密で約3ヶ月の間特訓していた。
鬼コーチなのに、水泳に関しては参加希望の相談を受けた勝俣が真っ先に「でもお前泳げねぇじゃねぇか」と口にするレベルで、最初は25mも泳げず、スタミナがない状態だったが、最高900mを泳げる程に成長。1kmの完泳が条件の入部テストに合格した。
後に海が苦手ということが発覚しなんとか克服。この時自分の宝物であるロレックスの腕時計(50万円)が内村の手により水没しかけた。


☆藤井貴彦/ドーバー仮面
『ニュースプラス1』などで出演する日本テレビアナウンサー。
1月31日に部の存続を確かめる審査委員として登場する。
この時ドーバー部のスイマーは新しく入部した宮本と堀部を入れても5人であり、そのまま期限を過ぎた……
かと思いきや内村はその場に居合わせた藤井を数に入れ、
「入部するのが嫌なら期限を伸ばしてくれ」と半ば脅迫気味で言い藤井は渋々春まで期限を伸ばした。

1999年5月に未だに頭数が揃わないドーバー部の前に6人目のスイマー「ドーバー仮面」として現れる。
入部を断った際、何か引っ掛かるものがあったらしく、部員と同行していた審査委員河村亮アナウンサー(仕事上での先輩)の目の前で
「このまま毎日のんべんだらりと…(アナウンサーの仕事をしていていいのか)」と胸の内を打ち明けた。

河村アナ「悪かったな のんべんだらりで(怒)」

スイマーとしてのキャリアは部の中では一番浅いが威勢が良い性格で練習で部員が疲れている中、まだ練習を続けようと言う場面もあった。
ちなみにドーバー仮面のベルトの文字はDUVER(ドゥーバー)だった。(正しくはDOVER)


☆神尾米
世界的元女子プロテニスプレイヤー。
怪我で泳げない宮本の友達で彼が新たに連れてきた。
入部テストでは当時ナンバー1の濱口をも越える実力を見せ、誰もが認めるドーバー部のエースとなる。だが本番は船酔いに大苦戦していた。
ドーバー海峡横断後に今度は復路を泳いで往復に挑戦か解散と言われた時は神尾1人だけが復路にも挑戦したがっていた。


◇千秋
マネージャー。
部員の脂肪を付けるべく、チョコカツカレーなる物を作っていた。
船酔いする体質だったため、当初は本番の参加は辞退を表明していたが
本番にも河村アナ共々部員達に同行し、彼等と別の船に乗り(定員オーバーのため)、応援した。


●その他関係者
◇南原清隆
部員にドーバー海峡断念部と書かれたシャツと沖縄合宿(実は大赤字)をプレゼントする。
後に南原再生工場として既に退部した勝俣と有野を引き連れドーバー部と対決(という名の茶番)する。


◇天野ひろゆき
ウドの相方。
部員募集最終日にドーバー部に電話をした。
入部かと思いきや都内の温泉を探す為の電話だった。
横断前夜ではウドは彼に電話をかけていた場面も。


◇河村亮
藤井と同じくウリナリ審査委員で日本テレビアナウンサー。
前述の通り藤井の「のんべんだらり」発言に怒った。部員募集最終日の藤井は河村の代わりの審査委員だった(スケジュール上の関係と思われる)ので、
運が悪ければ河村がドーバー部に入らされたかもしれない……
ちなみに水泳の経験は小学生時のみなので泳力は低レベル。


◇川合俊一、石塚英彦、青田典子、葵千里
宮本の他に勧誘を受けた有力候補達。
長時間の船酔いに耐える自信がない、スケジュール上の関係などの理由で全員辞退した。


◇猿岩石、TIM、中島知子、島崎俊郎
部員募集オーディションを受けた人達。
TIMレッド吉田と中島知子がテストを合格するも厳しい練習を嫌がり辞退する。


◇モーニング娘。、渡辺満里奈、飯島直子、日本テレビ女子アナチーム、ダウンタウン、ジャッキー・チェン
ビデオレターで応援メッセージを送った人々。
部員達にとっては仕事の同僚や尊敬してる人などそれぞれ。
藤井は女子アナ達に『貴ちゃん』と呼ばれている事が発覚。
ダウンタウン松本「僕らが(ドーバー海峡横断)出来たのは奇跡に近かったからね」




●その後
解散時に内村がこのメンバーで新部活『サハラ砂漠横断部』、『ヒマラヤ山脈登頂部』、『南極大陸横断部』のいずれかを作ろうと言ったがボツとなった。
しかし、後に藤井を除いたスイマー5人+マネージャー千秋で『マッターホルン登頂部』が結成される。こっちは挫折して赤岳登頂部になったが


また、この企画はビデオソフト化され販売されている。
他局の『内村プロデュース』で水泳をする企画の際に、内村がコーチにこのビデオを渡すことが定番になっていた。
(内村曰く経費削減のため毎回ビデオを回収しているらしい)


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最終更新:2024年02月09日 19:29